第三章31『囚われた少女と動き出す守護者』
洞窟の奥へ進むにつれ、空気が変わっていった。
壁も床も整えられ、洞窟というより、地下に造られた施設だった。
壁際には、淡く光る魔晶石。
しかも一つや二つではない。
「こんなにたくさんの魔晶石、市場に出したら、アークロスの街がひっくり返るほどの金額になりますよ」
思わずボニーが呟く。
だが、その言葉は即座に遮られた。
「まずはルナと合流する。それが最優先だ」
ナオトの声は一切の迷いを含んでいなかった。
誰も反論しないまま、一行は通路を進む。
やがて、左右の壁沿いに、影が並び始めた。
人の背丈ほどの石の像。
剣を持つ者。
槍を構える者。
盾を前に掲げた者。
どれも戦士の姿を模しているが、その多くは、完全な姿を保っていなかった。
膝から折れ、床に伏したもの。
胴体に大きな亀裂が走り、半分ほど崩れ落ちたもの。
武器だけが砕け、主を失ったように転がっているもの。
床には瓦礫が散乱し、足元にはいくつもの水たまりが出来ていた。
「……地震でもあったのか?」
ナオトが周囲を警戒しながら、低く呟く。
だが、石像の壊れ方は均一ではない。
その時だった。
かすかな声が、通路の奥から響いてきた。
「こっちなの〜。助けてなの〜」
弱々しく、しかし必死に呼びかける声。
ナオトが、はっと顔を上げる。
「今のは――」
「ウルルです!」
フィオラが即座に言った。
ルナと契約している、水の精霊。
間違えようのない、その声だった。
一行は足早に声の方へ向かう。
崩れた石柱が、通路脇に倒れ込んでいる場所があった。
その背後に、女性が倒れていた。
瓦礫から守るように、身体を包むように、水の膜が薄く残っている。
意識はない。だが、呼吸は、かろうじて確認できた。
「……生きてる」
誰かが、安堵とも緊張ともつかない声で言った。
そのすぐそばで、小さな水の精霊が、ふわりと浮かんでいた。
「やっと来てくれたの〜」
ウルルの声は震えていた。
水の粒が、彼女の周囲で静かに揺れている。
「ケガは魔法で治したけど、まだ起きないの〜」
衣服には裂け目があり、打撲の痕も見える。
だが、出血は止まり、傷口はすでに塞がっていた。
少し遅れていたフィオラが、はっと息を呑んだ。
次の瞬間、彼女は駆け寄り、その場に膝をついた。
「……っ!ヘレナ?」
震える指で、女性の頬に触れる。
間違いない。
倒れているのはフィオラの姉、ヘレナだった。
ヴァニラがすぐにヘレナの容態を確認した。
「頭を打っているようですが……命に別状はありません。しばらくすれば目を覚ますでしょう」
ナオトは短く息を吐き、ウルルへ視線を向けた。
「ここで何があった?それに、ルナはどこにいる?」
その瞬間、ウルルの様子が変わった。
水の粒が、きゅっと集まり、緊張を帯びる。
「そうなの!ルナは奥にいるの!」
ウルルは、小さな手で通路のさらに先を指した。
ナオトは、その方向へ顔を向ける。
通路の奥は、これまでよりも明るかった。
淡い魔力光が、壁と床を照らしている。
洞窟の最奥。
そこには、祭壇としか言いようのない構造物があった。
祭壇の前に、それは立っていた。
人の形を模してはいるが、整ってはいない。
胴体も四肢も岩を積み上げたような無骨な造りで、関節の構造すら考えられていないように見える。
全身を覆う石の外殻は、各所が削れていた。
肩口、脇腹、脚部。
砕けた石片が床に散乱し、ここで激しい戦闘があったことを物語っていた。
その破損部分の奥から、白銀色の金属層が露出している。
光を跳ね返すのではなく、淡く内側に抱え込むような輝き。
ナオトの視線は、自然と胸部へと引き寄せられた。
石と金属の装甲が、胸の中央だけ不自然に開いている。
そこに収まっているのは、拳ほどの大きさの魔石だった。
表面は滑らかで、内部に光を閉じ込めたように静かに脈打っている。
魔力の流れは、そこを起点に全身へと広がっていた。
だが、魔石だけではなかった。
ナオトは、息を呑んだ。
ルナが、そこにいた。
彼女は魔石のすぐ前、胸部の内部空間に浮かぶような状態で囚われている。
背後から半透明の光の帯が伸び、彼女の背中や手足に絡みつき、まるで中へ引き込もうとするかのように身体を固定していた。
完全に飲み込まれてはいない。
光は彼女の身体をなぞるたびに淡く輝きを増し、魔石の鼓動と、微かに同調しているようにも見える。
ルナの目は閉じられ、意識はない。
それでも、抵抗するかのように指先が僅かに震えていた。
「……ルナ!」
考えるより先に、ナオトの足が動いた。
一歩。
祭壇へ踏み出した瞬間――。
低く、重い音が洞窟内に響く。
ゴーレムの内部で金属が擦れ合うような振動が走り、胸部の魔石が一段、強く輝いた。
「まずい!」
誰かの叫びと同時に、巨大な腕が振り上げられる。
空気を押し潰すような圧を伴い、ナオトへ向かって叩き下ろされた。
「ヴァニラ!防御を!」
オルガの声が鋭く飛ぶ。
瞬間、ヴァニラの防御魔法が発動し、淡い光の障壁が展開された。
だが、衝撃が障壁を砕き、衝撃波が床をえぐる。
フィオラが迷いなくロープを投げた。
ロープはナオトの胴に絡みつき、彼の身体を強引に引き戻す。
次の瞬間、さっきまでナオトが立っていた場所が、粉々に砕け散った。
床を転がり、ナオトは息を詰まらせる。
ほんの一瞬、判断が遅れていればそれで終わっていた。
オルガが盾を構え、ナオトとゴーレムの間に立ちふさがる。
盾に伝わる微かな震えが、この一撃一撃がどれほどの重さを持つかを物語っていた。
「……ナオトさん」
オルガは盾を下げることなく、しかし穏やかな声で言った。
「お気持ちは、お察ししますが、今のお気持ちのまま前に出られては全員が危険に晒されます」
丁寧な敬語だが、その声には揺るぎのない強さがあった。
ナオトは歯を食いしばり、深く息を吐く。
「……悪い。冷静じゃなかった」
視線を上げると、ゴーレムはゆっくりと体勢を立て直していた。
正面から相手をするには、あまりにも危険すぎる。
「直撃を受けたら、ただじゃ済まない」
ナオトは状況を整理するように言葉を紡ぐ。
「遠距離から魔法で削るのが一番安全だけど」
視線が、再びルナへ向く。
魔石の脈動は、確実に先ほどよりも強くなっていた。
「時間をかけすぎると、ルナが――」
そのときだった。
背後の通路から、嫌な音が響く。
振り返ると、並んでいた石像たちが、ぎこちなく動き出していた。
半壊していたはずの身体が、ゆっくりと侵入者の方へ向きを変える。
剣を持つ者。
槍を構える者。
盾を掲げる者。
「……嘘でしょ?」
ショコラが息を呑む。
前にはゴーレム。
背後には石像兵。
完全な挟撃。
ルナの身体が、わずかに沈み込んだ。
魔石の光が、脈打つように強まる。
ナオトの胸に、焦りが再び込み上げる。
だが今度は、それを押し殺した。
「時間がない」
ナオトは、短く息を吸い、声を張った。
「分担する!力を貸してくれ!」
その一言で、全員の視線がナオトに集まる。
焦りも恐怖も、その声にはなかった。
「ゴーレムは防御最優先だ。まずは止める」
ナオトは、祭壇前を指す。
「オルガ。前に出てくれ。盾で正面を受け止めてくれ。援護射撃は俺がする。任せていいか?」
「了解しました。援護はお願いします」
オルガは一歩前へ出る。
構えは低く、完全に防御の姿勢だ。
「フィオラ。ロープで拘束と牽制。ゴーレムの腕と脚、動きを殺してくれ」
「任せて」
フィオラはすでにロープの端を指に絡めていた。
「ヴァニラ。防御と治癒を切らすな。誰が削られても即対応だ」
「はい。全員、守ります」
「石像兵は速攻で数を減らす」
その声に、ボニーが前に出る。
「ボニー。前線突破。叩き潰していい」
「はいっ!任せてください!」
鉄槌を肩に担ぎ、ボニーの目が燃える。
「ショコラ。炎でまとめて焼け。通路を制圧しろ」
「うん、まとめて焼いちゃうよ!」
頷きながら、ショコラの手に火が灯る。
最後に、ナオトは宙に浮かぶ影を見る。
「パメラ。全体の流れを見て、魔法で支援と殲滅を」
「うむ、ようやく戦場の目を持ったか」
パメラの声は軽いが、魔力はすでに展開されていた。
配置が定まる。
誰一人、迷いはない。
そのとき。
ゴーレムの胸部で、魔石が強く脈動した。
光が一段、濃くなる。
ルナの身体が、わずかに祭壇の奥へ引き寄せられた。
「……っ」
ナオトの奥歯が、わずかに鳴る。
だが、視線は逸らさない。
「今は耐える」
自分に言い聞かせるように、低く言った。
「全員、生きてルナを取り戻すぞ」
次の瞬間。
ゴーレムが攻撃動作に入った。
石像兵たちが一斉に踏み込む。
二つの戦場が、同時に火を噴く。
ナオトはパチンコを引き絞り、魔力を込めた。
石像兵の足音と、ゴーレムの駆動音が重なり合う。
その中心で、胸部の魔石が、まるで笑うように光った。




