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どことなく覇気を失った馬車がトボトボと姿を消すまで見送るとカトレアは子供に向き直った。
「さあ、屋敷に帰りましょう。みんなに紹介しなきゃ。ほら、汚れも軽く落としましょう。このハンカチを使って」
ポケットから取り出したレースのハンカチを少年に差し出す。しかし受け取りそうもなかったのでカトレアは仕方なく、彼の膝や腕など目立つ砂汚れをハンカチで落とした。
「……家は」
「ん?」
「…帰る家は、もうない…」
それはあの悪徳貴族のことだろうか。それとも…
カトレアは何も言わずに子供の両手を包み込んだ。
「大丈夫。これからはここが貴方の帰る家よ」
「……」
「私の名前はカトレア・タンザナイト。これからよろしくね」
「……」
「あら、随分無口ね。シャイなのかしら?まあいいわ、とりあえず歩きながら話しましょう」
子供の手をひいて、歩く。外はすっかり夕暮れで、2人の影が大きく伸びていた。
「ああ、それとね、口を開かないのは正解よ。ペラペラ喋る人はさっきの貴族様みたいにボロを出しちゃうのよ。屋敷内でもそれは同じ。みんながみんな良い人じゃないからね」
夕陽に照らされた少女の横顔を子供はぼんやりと眺めている。
「…あんたにも?」
カトレアは振り向いた。
「それは、あなたが決めることよ」
少女は人差し指を差し出し、「貴族と言い争ったことは2人の秘密ね。バレたらメイドに怒られちゃう」と悪戯げに笑った。子供も無言で頷き、自身の人差し指を突き出す。
2人の子供が交わした約束をメイド達は知らない。
朝の挨拶でこっそりアイコンタクトしてることも
その際に昨夜したためたこっそり手紙を渡してることも
離れの庭で無言で過ごしてるように見えて、影踏みをして遊んでることも
2人が着実に仲を深めてることにメイド達大人は気付きもしなかった。
命の恩人であるカトレアにクロが冷たい態度を取る理由など一つもなかった。しかし人に優しくされたことのないクロがカトレアにどう接して良いのか分からないのも当然のことだった。
カトレアはそんなクロの様子を見てやっぱり笑うのだ。
「本当にあなたってシャイなのね!」