「羨ましい」はいつの日か
案内されたのはある部屋の扉の前だ。
「この部屋にいるはずです…あ!お嬢様」
付き添いの古参メイドが動く前にカトレアは手を伸ばして扉を開いた。
「……カトレアお嬢様?」
部屋の中に2人のメイドが立っていた。1人は見覚えがある。例の猫を探すと名乗り出たメイドだ。そういえばこう言う顔だったなとようやくカトレアの頭の中で彼女の顔が一致した。彼女の腕の中の動物は、カトレアがあれほど探していた大切な猫で。
「……っ」
思わず名前を呼びそうになったのをグッと堪える。コロネはメイドの腕の中で目を細めすやすやと寝息を立てていた。怪我もしてなさそうだ。ひとまず安心していいだろう。
「お嬢様!見てください、あのメイドがあの猫を!」
隣の古参メイドがひそひそとこちらに話しかけた。しかし興奮が抑えきれてないのか、声は向こうに聞こえるほど大きい。
「……猫は無事見つかったみたいね」
「……はい」
カトレアは隣の口うるさい古参メイドを無視して、猫を抱っこするメイドに話しかけた。声をかけられたメイドも大きく頷いてカトレアを見た。2人の間の雰囲気はなんとも言えない奇妙なもので。付き添いの古参メイドは明らかに動揺した顔でカトレアたちを見つめた。
「あ、猫の居場所はこの子に教えてもらったんです」
「そう、ありがとう。あなたは…」
カトレアはもう1人のおどおどした様子のメイドに視線を向けた。おそらく初めてみた顔だ。比較的新しく働き始めた使用人だろうか。
「あっ!いえ、私は…」
なぜか辿々しい様子の彼女に猫を持つメイドは「落ち着いて、大丈夫だから」と優しく声をかける。声かけに安心したのか、おどおどした少女は順に猫を持つメイド、カトレアに視線を向ける。そして、意を決したように眉をきりっと引き締め、口を開いた。
「私…私が…猫を隠したんです。ある人に、頼まれて」
猫の耳がぴくりと動いた。カトレアも彼女の言葉を待つ。
「私、断れなかったんです。先輩からずっと嫌なことをされてたから。猫を捕まえないともっと怖いことをするって言われて…。…けど、ケイトちゃんに説得されたから…」
少女は、何故かカトレアの後ろの方に目を向けた。その目は怯えているがしっかりとある方向を指している。どこを見ているのか、カトレアにはすぐに分かったが何も言うつもりもなかった。
それよりも。彼女の名前はケイト、と言うのか。自分が猫を探すとハンカチを差し出したメイドの名前は。本題とはずれているが、カトレアは何故かそちらの方が気になったのだ。
「本当に…申し訳ありませんでした」
「…猫は安心して眠ってるわ。猫は気まぐれだから。何もなかったのよ」
カトレアはそれだけ言って、猫を抱くメイド…ケイトからコロネを譲り受けた。渦中のど真ん中にいた猫はそんなことくだらないとでも言いたげに鼻を鳴らし、カトレアの腕にすりすり頬を寄せる。カトレアはふっと微笑んだ。
「さて…どこに行く気なのかしら?」
カトレアが声をかけたのは今の今まで蚊帳の外だった古参のメイドだ。ここまでカトレアを連れてきたのは彼女だというのにいつの間に移動したのか扉の取っ手を掴んでる状態であった。
「お、お嬢様。猫は無事なようなので…私めは不要かと…お、おほほほ」
何故か挙動不審な古参のメイドの額は汗がじわりと浮かんでいる。カトレアは微笑みを携えながら、彼女に近づいた。
「いいえ、そんなことはないわ。だってあなたが猫の犯人はケイトだと告発してくれたんでしょう?」
「い、いえ、それは…」
「あら、そうすると猫を隠せと脅したのはケイトになってしまうわ。そうなの?あなたがやったのかしら?」
カトレアはくるりと振り返り、ケイトに質問を投げかけた。いきなり話しかけられたケイトは戸惑いの表情で答える。
「い、いえ。もちろん私ではありません」
「ふふ。だ、そうよ」
そして、カトレアはメイドに向き直った。この場で1番長く屋敷に仕えてくれた功労人に感謝を伝えるために。
「お、お嬢様…どうか…ご慈悲を…」
「今までありがとう。…メリッサ。あなたは、私が生まれる前からこの屋敷に仕えてたと聞いています」
「…私の、名前」
「もちろん覚えています。お父様のために、お母様のために一生懸命働いてくれていた人の名前よ。わざわざ自己紹介するまでもないわ…ねえ、メリッサ」
カトレアはまだ幼い子供だ。大人であるメリッサとは身長の差もある。しかし、彼女の振る舞いや声ひとつ、足先から頭の動きの全てが普通の女の子とは違う。貴族として生まれた人間として正しい振る舞いだ。ケイトはカトレアの一連の行動をにすっかり見惚れてしまい、固唾を飲んで様子を眺めた。
カトレアは、優雅に一礼をする。
「あなたも、あなたと共謀を企てた使用人たちも今までご苦労様でした。…今日中に、迎えが来るでしょうから、準備を」
「……」
古参メイド…メリッサはその場で崩れ落ちた。もう、全ての結末を知ってしまったかのようにその顔は放心している。
そして少しして、最後の気力を振り絞るように目を見開いて、手を床についた。
「……寛大な処置を、ありがとうございます。今までお世話になりました」
そうして、その日のうちにメリッサ含む何人かのメイドがこの屋敷を離れることになった。驚くべきことに今回の主犯として動いていたのは全員メリッサ同様長く屋敷で働いていた者たちだったのである。
「せっかく長く働いてたのに、こんな馬鹿らしいことを企てて、実行するなんて、私には全く理解できないわ。結局何がしたいのかもよく分からなかったし」
ケイトは、使用人の共同休憩部屋のソファに座りながら、先日の件を思い出してため息をついた。
「うーん…。新人メイドイビリの延長…のつもりだったのかなあ」
対面のソファに座るのは、今回一緒に事件を乗り越えた同僚のメイドだ。
「そもそもメイドをいびることに何の意味があるのか理解できないわ…」
また盛大にため息をつくケイトを見た同僚のメイドはふふふ、と眉を下げて笑った。
「あ、そうだ。ケイトちゃん。午後に部屋に来るようにって。カトレアお嬢様からの伝言」
「カトレアお嬢様が?」
ケイトは首を傾げた。一体、何の用件だろうか。
「まあいいわ。じゃあ、行ってくるわ。…あ!」
廊下に向かう足を止め、ケイトは振り返った。
「薬を塗るのは手伝うから、それまで待っててくれる?」
ケイトの質問に同僚はコクンと頷いた。ケイトはニコリと笑いかけ、そのまま部屋を飛び出る。
ケイトがいなくなった休憩部屋で1人、同僚のメイドは深く息をついて、暖かいミルクの入ったコップを手に取った。
「……ケイトちゃんは、強いなあ。だから、カトレアお嬢様も、きっと…」
ゆらゆらと揺れる湯気。温かい飲み物は、冷たい体に染みる。
「…先輩たちも、私と同じ気持ちだったのかもね」
同僚の言葉は、揺れる湯気と同じように空気を舞って、溶けるように消えていく。




