猫の行方2
タンザナイト家のお屋敷は、庭とは比べ物にならない広さだ。きっと1から探し物をしたら何日もかかるだろう。だからケイトは…ある場所を目指した。それは、いつもケイトが利用している共同寝室部屋。
トン、と音を立てて軋む扉を開けると…ベットの側にたたずむ彼女と目が合った。
「ケイトちゃん?どうしたの?」
「……」
仕事の時間だと言うのにケイトの同僚は、何故か担当掃除場所でも休憩部屋でもなく、寝室部屋にいた。同僚はケイトの視線に何かを察したのか手に持つものを慌てて隠した。
「あ、別にサボってる訳じゃなくて…」
「大丈夫、分かってる。…塗り薬、私も手伝うよ」
同僚に近づき、ケイトは彼女が今し方隠そうとした腕にそっと触れる。同僚の瞳が揺れたのを感じた。
「……ケイトちゃん」
「背中は1人じゃ塗りずらいでしょ?それとも今回は腕だけで充分だった?」
同僚のメイドが自身の痣に薬を塗るのをケイトは時折見たことがある。それは、夜皆が寝静まった頃にひっそりと、または休憩時間に1人だけ共同部屋に戻るところを。彼女はあまり周りに痣を見られたくないらしい。
だから、今の彼女の気持ちが痛いほどわかる。
「水仕事すると、薬は取れちゃうからね。休憩が終わる前に早く塗りましょう」
「……」
それでもケイトは視線を外さずに、続けた。
「……ケイトちゃん。私……」
同僚の瞳はゆらゆらと揺れている。困惑、小さな恐怖…後悔。揺れる瞳からいろんな感情が読み取れた。
「……ごめんなさい…私…私が、あの猫を」
やがて観念したように同僚は、涙を流しケイトに自身の罪を告げた。
「うん。…ううん、あなたのせいじゃないわ」
ケイトは彼女の涙にそっと触れた。シルクのハンカチはもうカトレアのものだ。自分にはこの手しか残されていない。貴族ではない、使用人としての働き者の手だ。
「だから、教えて。何があったのかを」
同僚メイドが落ち着いて全てを話すまでケイトはずっと彼女の隣にいた。2人の手は繋がれてて。ケイトから伝わるぬくもりに同僚は安心したのか、ぽつりぽつりと話を紡いだ。
扉を叩く音とともに、カトレアは瞼を開けた。ぼんやりと天井を見つめる。どうやら見慣れた自分の部屋にいるみたいだ。
「……私、コロネを探していて。それから…」
頭の中で今日の出来事を整理しながら、起き上がり窓に視線を向ける。窓の外はもうオレンジ色に染まっていて。いつの間にか夕方になっていた。
「…あのメイド…。コロネを見つけたのかしら」
メイドの顔をぼんやり思い浮かべるが、はっきりと顔が出てこない。それもそうだ。カトレアは屋敷内の使用人には全く興味も関心もないのだから。父親が一番に信用してる老執事長ぐらいだ。カトレアがこの屋敷で心を許して会話ができる人間は。
「……コロネ」
カトレアの拠り所でもある猫の名前を呼ぶ。カトレアの言葉に応える猫はこの場にはいなかったが。
トントントン
「お嬢様、夕食をお持ちしました。失礼します」
代わりに先ほどからノックをしていたメイドの声が聞こえた。
「……」
カトレアが返事をするまでもなく、扉が開く。そして現れたのは、子綺麗な姿勢の正しいメイド姿の女が2人。食器のカートを押してカトレアに近づいてくる。
「本日は、魚のソテーとスープです。シェフが腕によりをかけたそうなので是非とも口にしてください」
「……」
決まり文句のように食事内容を読み上げては、こちらの様子を見るまでもなく、食器を並べるメイドたち。
いつもこうだ。この屋敷の使用人は…少なくともカトレアに直接関わるメイドは業務的で機械的で決まりきったことだけでしか動かない。…それだけだったら、まだいい。メイドの仕事をまっとうしてるといえよう。
「カトレアお嬢様はお父様と食べた魚が好きと聞きました。その時の思い出の魚をシェフたちが取り寄せたそうですよ」
メイドがにこやかにこちらに微笑む。それは慈愛というより、何かの温情を期待してるかに見えた。
「……」
カトレアが何も答えずに不機嫌そうに目を瞑ると、メイドも慣れているのか何も言わずにそのまま部屋を出る。
「……はあ」
つまりメイドたちは、カトレアに期待してるのだ。タンザナイト家のご令嬢の専属メイドの席に自分を選んでくれないかと。ただの屋敷使えの使用人より、貴族の専属の側近メイドの方が、報酬も立場もいい。そしてまだ幼いカトレアの専属の使用人の席は空席だ。
そのため、カトレアに直接関われる機会をメイドたちは渇望して、我先にと仕事を取り合ってるのだ。
「……はあ」
メイド同士の不穏な様子を懸念したカトレアは、対策としてひとまず、部屋に籠ることにした。世話をさせるメイドの数を減らすためである。わがままを振りかざすことも多々あった。幼いカトレアなりに考えての行動だ。
おかげで、一時は屋敷内が混乱するほどのメイドからの熱烈なアピール合戦は収まったが、側近の席を巡る対立は水面下で行われてるようにも感じる。
「…専属メイドとか、どうでもいいのに。…私はただ」
自分の肩をそっと抱き抱えた。
トントントン
また扉を叩く音が聞こえたため、カトレアは顔を上げる。
「まだ夕食は手もつけてないけど」
「いえ、そうではなく…お話があって…」
先ほど食事を運んできたメイドの声が聞こえた。なんだと言うのだ。
「あの…猫の件についてです」
「……!」
カトレアは無視をするつもりだった。メイドの意見を聞くつもりもなかった。しかし、猫の話となると別である。カトレアは勢いよくベットを蹴り飛ばして扉に走った。
ガタンと大きく音を立て、扉を開けるとメイドと目があった。カトレアがこんなにも食いつくとは思わなかったのだろう。かなり驚いてるようだ。
「コ…猫がどうしたの」
「え、ええ。新人のメイドが野良猫を捕まえたらしくて…灰色の毛が短い猫なのですが」
「……ふーん」
メイドをじっと見つめる。昼間に出会って、自分にハンカチを渡したメイドとは別人だ。目の前にいるのは昔から長く働いてるメイドである。となると、新人のメイドというのが例の猫を探すと豪語していた女性だろうか。
「そう。…で、その猫とメイドはどこにいるの。案内して」
いたって平常心を装ってカトレアは尋ねる。しかし内心は早くコロナの元に行きたいと思っていた。そうだ、あのメイドにも少しは褒美ぐらいあげてもいいだろう。特定のメイドを贔屓したくないが、今回だけは仕方ない。
「いえ、それが、そのう。…実は新人メイドが、野良猫をいたぶって怪我をさせたのを見てしまったのです」
「……猫を?」
カトレアが繰り返すと、目の前の…古参メイドは堰を切ったように話し始めた。
「ええ、お嬢様、聞いてください!その新人メイドは本当に自分勝手で傍若無人なのです。自分が貴族出身だからと、基本的な仕事を放り投げ、お嬢様に近づこうと配膳の仕事ばかり。そして、あろうことか!」
古参メイドは大袈裟に手を振るわせた。
「お嬢様の愛猫に怪我をさせ、いたぶっていたのです!」
「で、その猫と新人メイドは、どこにいるの?」
カトレアがいたって冷静な様子で質問したため、古参メイドは少しみじろぎしたが、待ってましたとばかりに口角を上げた。
「私めがご案内します。あ、お嬢様、私の名は…」
「いえ、大丈夫。自己紹介なんてしなくていいわ」
どうせ、覚える気もないし。嘘が下手なメイドの名前なんて。そこまでは口に出さずにカトレアは、手を挙げて目の前の古参メイドを制す。
「早く案内をして」
そしてカトレアは、古参メイドの案内で、ある場所へ向かった。




