変化と違和感
カーテンから差し込む朝日が眩しい。ケイトは自分のベットで目が覚めた時、昨日のことがもしかしたら夢なのではないかと期待した。しかし、仕事に復帰してすぐにセバスに遭遇した時、露骨に顔を歪ませ睨まれたおかげで、昨日のことは夢ではないことを確信したのであった。
「ごきげんよう、セバスさん。昨日はありがとうございます」
「…どうも」
セバスがこちらに反応し、挨拶をするなんて。昨日の夜のことがなければ、起こりえなかったことだ。これが幸いなことなのかケイトには分からなかった。
昨日のことをどう切り出そうかと考えかねてると、セバスの背中越しに一つの影が。
「おやおや、セバス。レディにその態度はいかがなものか。いつも教えていますよね」
近づいてきたのは執事長だ。物腰柔らかく、しかししっかりとセバスに注意をする姿はまさに使用人が目指すべき理想である。
セバスは気まずそうに顔を背けた。昨日から見たことない表情の変化にケイトの好奇心が動く。
「執事長、いいんです。それより昨日セバスさんにはお世話になったので一言お礼を言いたくて」
「お礼?セバスがお礼をされる様なことを?ずいぶん珍しいですね」
不思議なこともあるものだと眉を上げる執事長。反対にセバスの顔は般若の様に歪んでいて、こちらを睨んでいた。なんて面白い反応だ。ケイトの心は踊った。
「そう…昨日の…」
「昨日、彼女が道に迷ってたので道案内しただけです。執事として当然のことをしただけなのでわざわざお礼なんて結構ですよ」
自分の言葉に被せる様に話すセバス。その顔は微笑んでる様に見えて…眉の間にしっかりと皺が一本ある。そうとう焦ってるのか怒ってるのが見て分かる。
向こうはどうやら昨日の夜のことは知られたくないらしい。しかしそれは一体どれのことだろう。
カトレアが夜中に徘徊してること?しかしそれはセバスが言うには「執事たちで見張ってる」らしい。嘘を言ってない限り、執事長が知らないはずはないだろう。それでは…夜中にケイトが庭に出ていたこと?自分の行動は何か不都合でもあるのだろうか。
ケイトは知りたくてたまらなかったが、これ以上口に出す事はやめた。執事長と話すセバスから負のオーラがしっかりと滲み出ていたからだ。
「同僚と仲良くするのは大変良いことです。それでは私はこれで」
執事長は特に気にも止めずにその場を後にした。残されたケイトはチラリと横に視線を向ける。
「……」
嫌悪を隠そうともしないセバスと目が合った。
「…メイドさん」
「ケイトです」
「……ケイトさん。昨日のことは、限られた人しか知らないのです」
「執事長も知らないと言うことですか?」
「あなたが夜外を徘徊している、ことに関して報告はしていません。ですのでどうか、昨日のことは忘れていただきたいのです」
スラスラと話すセバスは、こめかみを抑えている。疲労が伝わってくる。昨日はあれからどれほどの時間、外にいたのだろうか。
驚いたのは、カトレアが外へ徘徊してるのは、執事長も周知の事実、ということだ。
メイドの間でその様な噂、一度も聞いたことがない。昨夜、セバスに会わなければ知り得なかった情報だ。
「カトレアお嬢様はどうして…」
「その件でしたら私たちで解決に向けて動いているのでご心配には及びません」
話すつもりは微塵もないらしい。与えられた任務に忠実なのか、それとも強情なだけなのか。不思議なことにどちらにも当てはまってるように見える。もしかしたら、セバスという人間はなかなか面白い人物なのかもしれない。
しかし、気づいているのだろうか。すでに彼は劣勢だということに。ケイトの中ではすでに彼の言葉を撤回させる魔法の言葉が浮かんでいるのだ。勝ちを確信したケイトは口の端を静かにあげた。
「…今すぐに執事長に確認してもいいのですよ」
「……」
セバスは忌々しげにこちらを睨み、やがて観念した様に盛大なため息をついた。
「誰にも話さないと約束できますか」
「もちろんです」
ケイトはにこりと笑って頷く。昨日の晩のことは先輩にも風邪を心配してくれた同僚にも話していない。話すつもりもなかった。
セバスは周りに人がいないことを確認すると、ケイトに少しだけ顔を近づける。洗い立ての清潔感あふれる香りが鼻をかすめた。
琥珀色の瞳と目が合う。至近距離なのにどきりともしないのは、おそらく相手が何の感情もないような冷たい表情をしているからだろう。
目の前の青年、セバスは人差し指を静かに口の前に移動させ、秘密の話を始めた。
「お嬢様は…夢遊病なのです。奥様が亡くなり、旦那様が仕事で屋敷を留守にしてからまもなく」
それは、ケイトにとっては考えもしなかった展開で。
「だから、私たち執事が交代でお嬢様に危険がないように見守っているのです。ああ、なんておいたわしいお嬢様なのでしょうか」
セバスが大袈裟なくらい悲しそうに目を伏せる姿をぼんやりと眺めながら、ケイトの頭の中では昨日の晩のことがよぎった。
カトレアお嬢様が夢遊病?
そんな、まさか。
あれは、夢遊病というよりは…
喉の奥まで出かかった言葉をケイトは飲み込んだ。まだ確信がないことを話すべきではない。
「……」
ケイトが考え事をしている間、セバスがどのような表情で自分を見ていたかなんて、気づきもしなかった。




