秘密の夜
あたりは暗く、夜風が体に染みる。すっかり目が覚めたケイトは、息を切らしながら、周りを見渡した。飛び出した先はもちろん屋敷の庭である。
「…この辺だったと思うけど」
急いで屋敷を飛び出したため、自分がランプを持ってくるのを忘れてしまった。カトレアがランプを持っているはずなので、それを目印にできればいいのだが。ケイトは仕方なく暗い中、目を凝らしながら庭を探索した。
「…別に迷ってなんかいないわよ」
そう呟くケイトの足どりはだんだんとしりすぼみになり、ついには立ち止まることになった。
ガサガサッ
「……!」
近くの茂みが大きく揺れた音がする。ケイトは、体をゆっくり茂みに向けて凝視をした。暗くてよく見えないが、何かが、いる?
そういえば。少し前のこと。
同僚のメイドたちが口を揃えて「お化けを見た」と言っていたのを思い出した。ある晩、手洗いに向かう途中、窓が開いてるのに気づいたあるメイドが閉めようと近づいた時のこと。不規則な木々の揺れる音と黒々とした塊が動いてるのが見えたとのこと。当時のケイトはよくできた怪談話だと本気にしていなかったが。
もしかして
「本当にお化け…?」
そんなはずはないと理解していても。茂みが突然揺れる理由なんて限られている。
お化けか、獣か、それとも…
「お嬢様…?」
何らかの理由で外に出たはいいものの怖くなって、茂みの中へ隠れた可能性がある。だとしたらお助けしなければならない。
ケイトは意を決して茂みへ近づいた。
「カトレア、お嬢様。そこに、いらっしゃるのですか…?」
自分の体だというのに思う様に動いてくれない。足は重く、差し伸ばす手も小刻みに震えている。風邪のせいだ。決して怖いからと言うわけではない。
怖がってどうする。カトレアお嬢様は、もっと辛いお立場でいられるのに…!
ガサガサッ
「ひっ…!!」
茂みがより一層大きく動いた時、ケイトは腰を抜かしてその場に尻餅をついてしまった。
まだ揺れ続けている茂み。おかしい。子供が動いただけであんなに揺れるわけがない。
違う、お嬢様ではない。では、あれは…何?
ガサガサガサガサ
茂みから何かが現れた。黒い影だ。
「……ひいっ!」
ケイトは目を瞑った。そして覚悟した。ああ、私の人生がここで終わるのだと。短い人生だった。短いとわかっていれば、もう少し行儀良くして親孝行すれば良かった。せめて婆やに人目、会いたかった…。走馬灯が駆け巡る。
「…………」
しかし、いくら経っても、痛みも何も感じない。冷たい夜風の感触だけだ。おかしい。ケイトは片目だけ静かに開けた。
「……え?」
「……」
茂みの中に立っていたのは、黒い執事服を着る人間。スラリと背が高い男は、こちらを見下ろす様にジロリと睨んでいた。蔑み、呆れ…その様な感情が読み取れた。
「…う、ウィリアム…?」
茂みの中にいたのはあの憎たらしいウィリアムである。ウィリアムは、茂みを分けながら、整備された道に足を踏み出す。涼しげな顔で服についた葉を払うと、こちらを見ずにそのまま歩いて行った。
「……ってちょっと待って!無視しないでよ!」
この状況で見過ごせるはずもなく。ケイトは慌てて立ち上がり、ウィリアムを追いかける。
「……はあ」
ウィリアムがやっとこちらに視線だけ向け、一言だけ返事をした。心底迷惑そうな顔だ。
ケイトは憤慨した。なんて失礼なやつなのだ。仮にも同じ屋敷に仕える使用人という立場。何故こんなにも冷たい態度をとるのか、ケイトには全く理解ができなかった。
「ちょっと!流石に失礼じゃない?!同僚に対してその態度は!それに!なんでこんな夜に出歩いてるのよ!」
ケイトは、歩が早い執事の後ろ姿を追いかけながら、言葉をぶつけた。
「……私はウィリアムという名前ではありません」
執事はそれだけ答えたかと思うと、再び沈黙を突き通した。
全く答えになってない。
怒りで夜風の寒さや風邪のダルさがどこかへ飛んでいってしまったかのように、執事の背中に食らいつく勢いで追いかけた。
しかしやけに歩くのが早い。一体どこに向かってるというのか。
「……あら?」
ケイトは、変わる景色に気付き、顔を上げた。
驚くことにいつの間にか、屋敷の出入り口の前についていた。あれだけ迷ったというのに、こんなにも早く辿り着くなんて。
「…もしかして、屋敷に案内してくれたの?」
ケイトは、執事の背中に話しかけた。執事は答えない。
「……私、実はカトレアお嬢様を見かけたから外に出たのだけれど」
「……」
カトレア、の名前に反応したのか、ウィリアムはこちらを振り返った。何故か眉をひそめ、こちらを睨んでいる。
「…カトレアお嬢様は私たち執事で交代で見ているので。心配には及びません。メイドさん」
ようやく口を開いたと思ったら、やけに仰々しい話し方である。ケイトは、思わず笑いそうになった。
しかし話してる内容は聞き捨てならない。
「じゃあやっぱり、カトレアお嬢様は今この時間帯、庭を徘徊してらっしゃるのね」
「……」
執事の眉がぴくりと動く。表情は分かりずらいがわざわざ口に出してしまったことを後悔してる様子に見えた。
なるほど。まだ全貌は分からないが、どうやら何かあるらしい。ケイトはなんだか見てはいけないものを見てしまった様な不思議な感覚を味わう。これは…一周のわくわくかもしれない。
「ウィ…セバスさんご案内ありがとう。今日は、部屋に戻ろうと思います」
ケイトはにこりと笑い、屋敷の扉へ歩き出した。思い出した様に、振り返り、執事を見る。
「ああ…忘れてる様ですが、私の名前はケイト。セバスさん、あなたの同僚の名前です。以後お見知り置きを」
ケイトは丁寧にお辞儀をし、同僚に挨拶をした。セバスは何故かポカンと少しだけ驚いた様な顔でこちらを見ている。
向こうは、自分のことを年端も行かないメイドだと思ってるのだろう。しかし自分はある程度の基本的な作法を叩き込まれた貴族の娘なのだ。相手をけん制する挨拶くらい造作もない。私は決してあなたに見下げられる程度のメイドではないことを、ケイトは示したのだ。
ケイトは、満足そうな笑みで屋敷の中へ消えた。
「プライドが高そうなメイド…。貴族出身か?これだから中途半端な身分は」
ぶつくさと愚痴を言う執事の姿は幸いにも誰にも見られていない様だ。




