消えたい
「風邪…ね、今日は休んで」
「…はい。分かりました」
不覚だ。身体は重く、頭もぐらぐらと痛む。いつもと真反対の身体は、これ以上動くことを拒否してきた。完全に風邪である。だが…
「あのう」
ベットに寝そべりながら、部屋を出て行こうとする先輩メイドを引き留めた。先輩は振り返る。
「お薬とかは…」
先輩は目を丸くした。心の底から驚いているようだ。
「使用人だもの。そんなものないわよ?…ああ、勿論、自分のお金で買うなら別だけど。商店街から買ってきましょうか?」
「……いえ、結構です」
先輩メイドは「ゆっくり休んでいいからね」と穏やかな声をかけ、部屋を出て行った。
そうか、それも当然か。ケイトの重い頭は先ほどの言葉をぐるぐる思い出していた。自分はもう貴族ではない。風邪を引いた時、医者から処方された薬や婆やが作ってくれた食べやすく消化の良いりんごのすりおろしもないのだ。
ケイトは、1人ベットに体を沈めながら、目を瞑った。硬いベット。わしわしと音が鳴る枕。少し隙間風がある簡素な部屋。実家の屋敷にある自分の部屋とは違う。当たり前だ。
しかし何故だろう。今までは気にならなかったのに。今日はいつも以上にベットの軋む音や、隙間風の音が耳にまとわりついて、うざったく感じる。
「婆や……元気かな」
ふと漏れた言葉にケイトは驚いた。まさか自分があの家の人のことを懐かしみ口にするなんて。あんなに窮屈で早くここから出たいと心の底から願っていた場所なのに。
「じっとしているから、余計なこと考えちゃうんだわ…」
ケイトは、邪念を振り払おうと頭を振るが、そこで自分が病人であることを思い出した。余計に気分が悪い。仕方がないので、先輩に薬を買ってもらおうとケイトは財布を手に、部屋を出た。
そのまま部屋で休んでればよかったと後悔したのは、数分経ってからのことだ。
休憩時間とかぶっているのか、やけに廊下からでも使用人たちの話し声が聞こえる。先輩はおそらく声の出どころである休憩所にいるだろう。ケイトはふらついた足取りで休憩所に向かう…が。聞こえてくる話し声の内容を理解してしまった時、ケイトの足は止まらざるを得なかった。
「新人はどう?使える?」
ケイトは耳をひそめた。新人、とはおそらく自分のことだろう。
使用人達の休憩所から聞こえるのは、先輩メイドの声で。何人かと話をしているようだ。
「うーん、仕事はね。ただ…」
先輩の声がいつもよりも高く聞こえる。休憩中だからか、素に近い話し方なのだろう。なんとなく、仕事中よりも気が強そうな印象を受ける。
「なんてゆうか、でしゃばり?カトレアお嬢様に取り入ろうと配膳ばっかり希望するし…」
「ああ、それ知ってる。でもあんた、他の掃除押しつけたんでしょう?」
相槌をうつ声は嬉々とした様子で、その先をせかした。くすくすと笑い声が聞こえる。
「押し付けたなんて、人聞きが悪いこと言わないで。ただ…基本的なことをやったほうがカトレアお嬢様に頑張りを認めてもらえるって言っただけよ」
間にある壁のおかげで彼女達がどのような表情で、話をしているのかは分からない。しかし、甲高い笑い声から、ケイトに対する気持ちは痛いほど伝わってしまう。
財布を持つ手は震え、頭は重くのしかかるように痛い。風邪の症状だ。ケイトは乱れる息を必死に抑えた。
「そしたら馬鹿正直に仕事しだすんだもん。けどやっぱり中途半端な貴族出身の子はダメね。根性も体力もないわ。すぐに風邪引くし」
「ひっどーい!自分が面倒な仕事ばっか押し付けたくせに!」
キャハハと不快な笑い声が絶えない中、その言葉はまるで刃物のように鋭く、ケイトの心をえぐった。
ケイトは重い足取りをどうにか動かして、そのまま自身の部屋へ戻った。
「婆や…婆や…」
そうだ、風邪を引いてるせいだ。普段より弱っているから、つい昔のことを思い出しているだけだ。ケイトは、部屋に戻ってすぐ、ベットに逃げ込んだ。瞼をぎゅっと強く締め、眠りにつこうと力を込めて。額に流れる汗が不快でたまらない。けど、早く眠りにつきたい。全部忘れたい。こんなところ…早く。そうしてるうちにケイトは小さな寝息をたてた。




