歌姫とお嬢様5
シャーリーの決意とは裏腹に結局、宝石の居所は分からずじまいだ。執事やメイドの視線をくぐり抜けながらの生活は着実にシャーリーの体を疲弊させた。
「マダムシャーリー、たまには外に出てみない?おすすめのパン屋さんがあるのよ」
この世の不幸なんて知らずに育ってきたであろうカトレアは愛くるしい顔で提案をしてくる。シャーリーにはたまらなくそれが不快だった。
「…ああ、それは良い提案だねえ」
「お嬢様、それが…」
メイドがカトレアの耳に寄せて何やら話しかけた。
「あら、そうなの?けど暴力なんて起きてないんでしょう…?」
「いえ、それが…」
何を話しているのか。シャーリーは全く興味がなかったが、話の流れに入っているため場を去るわけにはいかず、丁度足に絡みついてくる猫を戯れに相手をすることにした。
カトレアが拾った猫らしい。名前は何と言ったか…食べ物の名前だった気がするが。
灰色の短い毛並みは綺麗に手入れされている。人に近づきはするが、決して懐く様子はなく飄々とした様子はどこか高貴ささえ感じた。
いい暮らしをしている猫だ。何ものにも媚びないし、与えられて当然だと思っている。その日暮らしの野良猫とは全く違う。野良猫は…媚びる相手を選び、その瞬間まで静かに待ち…そして狩りを終える。
シャーリーは飼い猫より野良猫の方が好きだ。自由なのがいい。どこかのご主人様の道楽のために飼い慣らされるなんてまっぴらごめんだ。
少女に飼い慣らされてるであろう哀れな猫は、何かを察知したのか、シャーリーを静かに見つめている。シャーリーは少しだけ屈んで、猫を撫でた。これも戯れだ。
「あら、コロネが懐いてるなんて珍しい」
話が終わったであろうカトレアが話しかけてきた。コロネと呼ばれた猫はシャーリーの手からするりと抜け、飼い主の元へと歩いていく。
「話は終わったのかい?」
「ええ。それでね、せっかくなら一緒に出掛けたかったんだけど…最近街は物騒みたいで…だからまた落ち着いたらにしましょう」
カトレアは猫を抱き抱える。猫もまた当然のように受け入れて、眠そうに目を細めた。
「物騒、ねえ」
シャーリーとメイドが立ち去ったあと、手を口に当て、1人思案するシャーリー。カトレアが誘った屋敷から1番近い街は、平凡な田舎街だ。物騒なことが起きるなんて、珍しい。
「ねえそこのメイドさん」
「は、はい!」
シャーリーは通りかかったメイドに声をかけた。カトレアが連れているメイドとは違うメイドは、声をかけられるとは思ってなかったのか、ドギマギした様子で返事をした。その反応にピンときたシャーリーは口の端を上げる。
「ああ、忙しいところにすまないね」
「い、いえ。カトレアお嬢様の大事なご友人ですもの。気兼ねなくお申し付けください」
辿々しく話すメイドの頬はうっすらとピンクに染まっている。久しぶりの感覚にシャーリーは、胸が高鳴った。そう、これだ。これこそ歌姫シャーリーに対する一般的な反応だ。自分の名前を知らないとはいえ、この美貌を前にしたら、誰しもが同じ反応になるだろう。
「そんな大したことじゃあないんだけど…最近街は物騒と聞いたんだ。…何かあったのかい?」
シャーリーはメイドに近づき、しっかりと目を合わせ静かに微笑んだ。メイドはシャーリーに釘付けだ。
「え、ええ。それなら知っています。詐欺を働いてる集団がいるらしい、と」
詐欺師、といえば自分たちのことだろうか。ついに夜のパーティーのことが公に出てしまったのか。どきりとしたが、シャーリーは表情に出すことはせず平常心を保った。
「詐欺か、それは怖い。だから物騒だと?」
それだけで?と暗に伝えるとメイドは緊張した顔で話を切り出す。
「それが…それだけじゃなくて…その詐欺師は、暴力事件を起こしたとかで、役人たちが躍起になって動いてるらしくて…騎士も出動してるみたいです」
「暴力…?」
自分に似つかわしくない言葉が飛び出して眉をひそめるシャーリー。当然である。自身が関わる詐欺関連では暴力を禁止していたのだから。シャーリーが詐欺をする過程において、暴力なんて下劣な行為は信条に反していた。
「ふうん…暴力沙汰なんて、酷いことをするねえ」
あくまでシャーリーは“賭け“として、貴族から宝石をくすね、取引をしている。それ自体が許されることではないが、シャーリーは自分なりにルールを持って行動しているのだ。
だから安易に暴力で人を屈服させるなんて、愚かで浅ましい行為なのだと、シャーリーは軽蔑している。悪人なりのプライド、というやつである。
「まだ犯人は捕まってないようで…街の人たちも外出を控えたりしているそうです」
「そうなのかい…」
話を聞いてる限り、どうやらシャーリーが関係してる詐欺とは無関係のようだ。シャーリー達が活動するのは夜だ。日中に活動する人々の目に触れることはない。詐欺を働くのも馬鹿な貴族だけ。自分には関係ない話だ。
いらぬ心配をしたな、とシャーリーの興味は薄れていった。
が
「あ、けど昨日進展があったみたいで、犯人の1人の似顔絵が新聞に載ってたんです!見ますか?」
シャーリーの興味を惹こうとしたのだろう。メイドが手にしていた新聞を広げる。シャーリーは視界に入った新聞の内容に目を見開いた。
「……」
「この人は捕まったみたいなので、他の仲間が捕まるのも時間の問題ですよ!」
メイドは新聞のとある欄を指差す。そこに描かれていた似顔絵は、シャーリーの知っている人物だった。最後に会ったのは馬鹿貴族を騙した夜のパーティー以来だろうか。
頭が痛くなる。
「えっと…どうされました?」
心配そうに顔を覗き込むメイド。態度に出さないように気を付けていたのだが。どうやら勘は鋭いようだ。
「……いいや、大丈夫さ。部屋で少し休むから、カトレアのお嬢ちゃんに聞かれたら、しばらく寝てると伝えておいてくれるかい?」
「はい!かしこまりました」
「ああ、それと…忙しいのにわざわざありがとうね。仕事、大変だろうけど頑張るんだよ」
「……!」
シャーリーは自尊心を満たしてくれた目の前のメイドに最大限の敬意を示した。
「あ、ありがとうございます!が、頑張ります!」
噛みながら話すメイドの顔は赤く染まっている。シャーリーはチラリとだけメイドを見てそのまま自分の部屋に向かった。
「はあ…何をしてるんだい、あいつらは…」
部屋に入った途端、緊張が切れたように崩れ落ちるシャーリー。今は誰にも見られてない、聞かれてない。シャーリーはため息をついた。
「暴力が嫌いだとあれほど言ってるのに。見つかるリスクも高くなる。げんに見つかって、無様に馬鹿面晒してるじゃないか…」
街全体が警戒するほど大ごとになっている。シャーリーが詐欺師集団の主犯格として暴かれるのも時間の問題だ。
今まで順調にやってきたのに。仲間のくだらない失敗のせいで。自分の狩りは終わってしまう?
嫌だ。納得できない。
「こうなったら…」
シャーリーは、立ち上がりおもむろに服を脱ぎ出した。服は、屋敷で用意された最高級品のものである。良いものではあるが、自分にはどうにも着心地が悪い洋服をシャーリーは投げ捨てた。
「上質だけれど…面白みもない、つまらない作品…」
静かに呟いて、自身の懐からあるものを取り出した。隠し持っていたハサミと小さな箱である。
銀色の切れ味の良さそうな大きなハサミ。シャーリーはハサミに手をかけると。
「面倒だけど、仕方ない」
なんと先ほどまで着ていた洋服を切り出した。
ジョキジョキとはっきりと音が聞こえる。その手に迷いはない。綺麗な線をたどって布は切れていく。
「…………」
シャーリーの目は真剣そのものである。少しして、小さな箱にも手をかけた。中は裁縫箱だ。
箱の中からシャーリーは糸と針を取り出す。
「…………」
流れるような手の動き。バラバラになった布をまた糸で繋ぎ止める。
シャーリーが何をしてるか、屋敷で知る者はもちろんいない。
「ふん、即興にしてはなかなかじゃないか」
出来上がったものを手に取ったシャーリーは、満足そうに笑った。シャーリー好みの大胆で派手な形の服に最初の面影は全くない。世界で一つだけしかない服に仕上がった。
自身が作った服に袖を通す。
「…さて、行くとするか」
器用にカーテンを編み込んだものを部屋の窓から垂らすシャーリー。そしてカーテンを紐のように扱い、窓から降りた。
こうしてシャーリーは屋敷の外へ見事脱出したのだ。
 




