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セバスの昔話1


「よくもまあ、毎日毎日、飽きもしないと言うか、身の程を知らないと言うか…」


セバスは辟易していた。毎日のように押し寄せる手紙を苦痛の面持ちで処理をしながらため息をつく。手紙の宛名は、我が主人の大事な一人娘、カトレアお嬢様である。差出人は有象無象の男たち。つまりカトレアへの求婚の手紙だ。


「こちらの差出人は…商人?商人程度の身分でお嬢様に手紙を出すなんて図々しい。火にくべましょう。こちらは?ああ、今売り出し中の若手舞台俳優ですか…。彼にはパトロンが多くいるとか。俗物が書く汚らしい手紙に触れてしまいました。消毒液を手配してください。あとこちらも火にくべて」


早業で宛名を確認しながら、指示を出す光景に後ろに控えている執事たちは尊敬の視線をセバスに送る。セバスは大量の手紙を大きな箱に優雅な手つきで投げ捨てた。


「今日もカトレアお嬢様に目を通してもいい手紙は一通もありませんでした。それでは全て火にくべましょう。薪の節約になってよいですね」


テキパキと手紙を処理しているようで、実際は難癖をつけて捨てているだけなのだが。見習いの執事たちは健気にセバスの指示に従った。


「さすがです、セバス執事長。私も早く一人前になれるよう精進します」


見習い執事のうちの1人から声をかけられる。緊張した様子の彼はまだ年若い。セバスは銀縁メガネを掛け直した。


「…あなたは…執事養成学校を卒業されたばかり…でしたか?」


「はい!一応首席で卒業したのですが…セバス執事長の歴代トップの成績は未だ誰も塗り替えてません」


新人特有の初々しさが残る見習いは、ハキハキと答える。その目は少しだけ野心が揺れ動いているのをセバスは見逃さなかった。


「…そうですか。これからのあなたの活躍を期待していますよ」


一言だけ残して、セバスは颯爽と部屋を後にする。後ろから「あっ…」と名残惜しそうな声が聞こえたが、無視をすることにした。


セバスは自分専用の休憩室を訪れる。執事長だけが使える部屋はこじんまりとしているが、家具も内装も洗練とされていて、自身には過ぎたるほど立派な作りであった。ソファに腰掛け、セバスは一息つく。


「…闘争心を隠せないうちは、まだまだ未熟者だ。養成学校も基準が低くなったものだな…」


セバスの独り言が、誰かの耳に届くわけもなく。そのまま眼鏡を外し、目を瞑った。


執事養成学校で主席の成績を取るほど優秀で上昇志向のある人間が、この屋敷を奉公先に選ぶのはとても不自然だ。もちろんセバスにとってここ以上の勤め先はないのであるが。成績優秀者は自分の希望で配属先を選べる。上位の者は王宮や準ずる貴族の屋敷を希望することがほとんどだ。縁や恩義がないものが、一般貴族に自ら申し出るのは珍しい。


そして隠そうともしないセバスに対する態度。おおかた、歴代トップの実力者に対する好奇心、競争心が肥大したのだろう。なんて若くて、浅い思考なのだろう。


「…まあ、旦那様とお嬢様に迷惑をかけなければいいか……」


目を瞑っているうちに、次第に意識が遠くなる。セバスは仮眠を取る時は必ず執事長専用のこの部屋で。時間は5分きっかり。体内時計が知らせてくれる。


「……すう……」



セバスが5分寝ている間、昔話をするとしよう。


これはまだセバスが執事になる前のこと。セバスという人間になる前のことだ。


彼の記憶の始まりは孤児院のロビーでおもちゃを弄って遊んでいた時から。隣にいた老人がやけに神妙な顔をしてシスターと話しているのを覚えている。


「今日からあなたは私たちの家族よ。よろしくね、ウィリアム」


シスターは少年の名前を呼び、手を差し伸ばした。


セバスは幼少時代をウィリアムとして孤児院で過ごした。


自分がなぜ孤児院に入居したのか、両親はどんな人だったのか、彼は自身のルーツには全く興味がなかった。物心ついた時にはすでに自分は孤児院の子供であったから、彼にとっては自身の過去など些細なことであったのだ。


孤児院での生活も悪くはない。厳格だが慈悲深いシスターたち、同年代の友人たちに囲まれた日々は、ウィリアムにとって居心地が良く、退屈でもあった。




「ウィリアム、明日の11歳の誕生日、楽しみね」


子供達の服を干すシスターは部屋の片隅で本を読むウィリアムに嬉々と話しかける。孤児院では入居日が子供の誕生日として祝っている。新しい自分として生きるためにあえてそう取り決めを作ったらしい。大人たちの自己満足な配慮で作られたくだらないルールだな、とウィリアムは内心思っていた。


「別に楽しみじゃないけど。ただ歳をとるだけだよ」


ウィリアムは至極つまらなさそうに返答をする。


「達観しすぎねえ。プレゼントも貰えて、皆んなにも祝ってもらえる楽しい日よ?」


シスターは大袈裟だ。孤児院の大人たちから貰えるプレゼントなんてたかが知れてるし、同年代からのお祝いだって、毎年恒例にでもなれば特別に面白いことでもない。11歳になるウィリアムは孤児院での生活に飽き飽きとしていた。


「それに念願のミドルスクールに通えるじゃない」


それだけはシスターの言う通りだった。この国は11歳から学校に通える。貴族も庶民も孤児院の子供達も身分に関係なく、だ。もちろん貴族と同じ学校ではなく、指定の校舎ではあるが。学校に行けば、今よりもっと本を読む時間を確保できる。お漏らしばかりする年下の子供の面倒を見なくて済むし、年長としてみんなのお手本になりなさいと怒るシスターと顔を合わせなくて済む。


ウィリアムはミドルスクールに通う日を心待ちにしていた。


「でもウィリアムがいなくなったら、寂しくなるわねえ。スクールは全寮制だから。長期休暇中は孤児院に帰ってくるのよ」


「もちろんだよ、シスター」


もちろん嘘だ。ウィリアムは寮に入ったら孤児院に帰るつもりはなかった。堅苦しいルールに縛られた小汚い古臭い建物と小言を言う大人たちとはおさらばだ。


11歳の訪れともに入学式の便りが孤児院の院長から渡されるだろう。その時が待ちきれない。


「ここで育った恩義は忘れないよ」


口の端をあげるウィリアム。子供とは思えないくらいに大人びた彼の返事にシスターは少しだけ悲しげに目を伏せた後、応えるように笑みを返したのだった。



そうして次の日、枕元に置かれたプレゼントを横目にウィリアムは服を整え、部屋を飛び出す。やけに廊下で子供たちと出くわすのは、彼が今日の主役だからだろう。子供たちが次々にウィリアムにお祝いの言葉をかける。しかし彼は軽く返事をするだけで、その歩みを止めない。子供たちは不思議そうに首を傾げ、ウィリアムの遠くなる背中を眺めた。


「院長!おはようございます!」


階段を駆け下りた先にロビーがある。ロビーのソファに腰掛けるのは孤児院の責任者、院長だ。孤児院の行事や何か大事な用事がない限り、院長は姿を見せない。忙しいのだろう。


今日、院長が顔を見せたのは、もちろんウィリアムに学校の入学案内の便りを渡すためだ。


「おはようウィリアム。まずはお誕生日おめでとう」


しわがれた声だが、やけに厳格そうな物言いの院長は、しっかりと今日の主役である少年の姿を捉え、席に座ることを促した。ウィリアムも行儀良く一礼をして対面のソファに座る。


「もう早いものですね、あなたがこの孤児院に入った日がまるで昨日のことのように思い出せるのに」


昔のことを思い出すように噛み締めるように目を瞑る院長。確かにウィリアムが入居した日、院長もその場にいたのを覚えている。しかし今のウィリアムにとってはどうでもいい昔話だ。彼の気持ちが伝わったのであろう、院長もこちらをチラリと見てコホンと咳払いをした。


「…さて、あなたも待ちきれないようなので堅苦しい話は後にして。こちらを渡しましょう」


年季を感じる革製のバックから取り出したのは、一枚の封筒。ウィリアムが望んでいたものだ。院長は2人の間を遮る木目調のテーブルに封筒を静かに置いた。


「ありがとうございます!院長、僕は勉学に励んで、いつかこの孤児院に恩返しをします!」


スラスラと思ってもないことを話しながら、ウィリアムは手紙の封を切った。中には一枚の紙。ウィリアムは輝かんばかりの瞳で、紙に書かれた内容に目を通し…そして小さく声を上げた。


「……え?」


書かれた意味を理解しようと、視線を往復する。そして意味を理解した時…ウィリアムは絶望した。


手紙に書かれていたのは、ミドルスクールの入学式案内ではない。そこに並んでいた文字は『執事養成学校入学案内』だ。


「…精進するのですよ、ウィリアム」


執事養成学校はミドルスクールと全てが異なる異質な学校として有名だった。授業や学校生活を含め全て全貌は謎に包まれている。それはつまり外からの介入を一切禁止しているということだ。入学したが最後、元の家に帰ることは一切許されないし、もちろん長期休暇なんてものもない。そもそも休みがあるのかすら分からない。


まるで囚人が生活する刑務所のようなところだ、と誰かから聞いたことがある。


「……なぜ、ですか。院長…」


ウィリアムは手紙を見つめながら肩を振るわせた。何故、そのような場所にウィリアムを送るのか。執事養成学校に行くなんて前例は聞いたことがない。年上の子供たちだってみんな、ミドルスクールに通ってる。何故、自分だけ。


「…決まったことですから」


院長からの返答は、今までにないくらい冷たいもので。ウィリアムは、呆然と立ち尽くすしかなかった。


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