お嬢様と騎士
夜が明けてすぐに2人は馬車に乗り込んだ。寝起きの御者はあくびを噛み殺しながら、馬を引く。
「今日は一日中馬車移動よ。早ければ隣町に着くかもしれないけど、場合によっては野宿になるかもね」
宿屋で手に入れたマップを見ながら、カトレアはクロに説明をした。街を出て山を超えた先にあるのがカトレアの父親が滞在している隣の港町だ。
「隣町まで行くのは随分久しぶりなのよね。小さい頃、お父様と一緒に旅行して以来だわ。隣町はね、この辺りで1番大きい港街なの。大きな港があるところで海も見えるし、隣国の大使館もあるのよ。クロは行ったことがある?」
興味深そうにマップを眺めてたクロは、一瞬思案したように眉をひそめたが、すぐに首を横に振った。
クロの髪はこのあたりでは見ない珍しい色をしている。もしかしたら貿易が盛んで他国の人の出入りがある港町に何かクロに関する情報があるのではないか、カトレアはそう考えていた。しかし頑なに過去を語りたがらないクロに踏み込みすぎるのは避けたい。
カトレアは空気を変えるように馬車の外に視線を向けた。
「ねえ、見てクロ!川が流れてるでしょう?あれは港町まで続いてるのよ!疲れたら川辺で休憩しましょう……あら?」
川辺に人が集まっていた。やけに身なりが良さそうな大柄の男たちが数人、忙しなさそうに動いてる。
「どこかの貴族のお忍びかしら?なんとなく訳ありに見えるけど…」
よく目を凝らして、カトレアは驚きの声を上げた。男たちは軍服に身を包んでいたのだ。森と川の自然の中にはふさわしくない不自然な光景が広がっている。
隣のクロも不可解そうに外を見つめた。
軍服の格好をするのはもちろん王国に使える騎士たちだ。騎士がこんなところにいるなんて一体どうしたのだろうか。
「……あ」
馬車の窓から、騎士と目があった。
こちらに気づいた騎士たちが近づいてくる。国の役人に目をつけられてしまってはこちらも下手に動けない。御者は馬を大人しくさせ、道の端に馬車を停めた。
騎士が追いついたタイミングでカトレアは窓を開けて顔を出した。
「ご機嫌よう、レディ。どちらまでお出かけですか?」
「ご機嫌よう。隣の街までよ」
騎士はカトレアの肩越しに馬車の中の様子を伺う。クロはいつの間にか息を潜めたようにカトレアの背中に隠れていた。騎士は首を傾げる。
「大人が同伴せずに子供2人で、でしょうか?」
「ええ、港町で働くお父様に会いに行くの。馬車は親戚から借りたわ」
「それはそれは…しっかりしたお嬢さんですね」
騎士の受け答えは、礼儀正しく、子供に対してもしっかり敬意を払ってるように見える。しかしその目の奥は、しっかりとカトレアや馬車を捉え探っていた。
カトレアは庶民的な格好をしており、クロは人見知りを発揮しているのか彼女の背に隠れている。馬車も簡素で御者も口の硬い使用人だ。カトレアが貴族のお嬢様だとバレることはない。どこかの小金持ちの子供にしか見えないだろう。
もちろん屋敷からすでに捜索願が出されていたら話は別だが。メイドが上手く足止めをしていることを願うばかりだ。
「騎士様たちがこんなところにいるなんて、何かあったのかしら?」
「ああ…人探しをしていましてね」
どきりと心臓が鳴った。やはり、屋敷を抜け出すなんて無謀だったか?
しかし騎士は意外なことを口にした。
「男の子を1人探しているのですよ。珍しいから、目立つと思うのですが…黒髪の少年です。レディは知りませんか?」
「…………」
クロだ。カトレアは一瞬で悟った。
騎士は、カトレアを見ても特に顔色ひとつ変えない。
ということは、屋敷の件とは別の件で捜索願が出されているということだ。
誰かがクロを探している?
あの悪徳貴族ではないことは確かだ。あの意地汚い男が奴隷の件でわざわざ騎士を頼るわけがない。悪さをする人間は表立つことを嫌うはずだ。
では…一体誰が?
頭が不可解で埋め尽くされる。その時
「……!」
ふと服の裾をギュッと握られて、我に振り返った。
「レディ?」
「…ああ、そうなの。確かに黒髪は珍しいわね。少なくとも私は見たことがないわ。その子供がどうかしたの?」
クロが怯えている。掴まれた服の袖から恐怖心が伝わってる。カトレアは決意した。決して気取られないように演じようと。何も知らない一般人の少女を。事情はどうであろうと騎士にバレたらクロと離れ離れになるだろう。それだけは避けたい。できればこの先の道はクロ自身に選択権があってほしいと、カトレアは願っていた。
「いえ、ただご家族から捜索願が出されてるだけです。ご協力感謝します」
一般人の捜索に騎士がわざわざ出向くはずがない。よっぽどの理由があるはずである。
しかし深追いしてもボロが出てしまう。仕方なく探るのを諦めたカトレアは短く挨拶をして、御者に合図を送ろうとする。
「……ところで…後ろの子供は、ずいぶん人見知りなんですね?妹さんか、弟さんでしょうか?」
「…………」
興味深そうに尋ねる騎士にカトレアの心臓は跳ね上がった。
「失礼ですが、顔を見せていただいてもよろしいでしょうか?」
断れるわけがない。
声をかけてる騎士は1人だが、近くには他の騎士も待機している。逃げ場もない。万事休すだ。