夜が過ぎる
カトレアの父は現在、屋敷から遠く離れた地で貿易商の仕事をしている。馬車が目的地に着くまで早くとも2~3日はかかる。明日で2日目だ。
この日の2人は街の小さな宿屋で一泊することになった。
カトレアが屋敷から持ち出したお金はまだ充分にあるが、早いうちに散財する必要はない。2人は同じ部屋で寝泊まりすることに決めた。もちろんベットは別々であるが。
「なんだか、お泊まり会見たいね?ふふ」
はしゃいでるカトレアは、疲れていたのか少し話をしてすぐに眠りについた。
長いまつ毛、ブロンドのふわふわとした髪。
クロは静かにカトレアの寝顔を見つめた。
眠る時に誰かがそばにいるのは久しぶりだ。クロは奴隷前の時代を思い出す。そんな自分の無意識の行動に少し驚きもあった。
クロにとっての過去を振り返る行為は無意味なことだと考えていたからだ。いくら渇望してももう戻れることはないのだから。過去の自分と奴隷の今の自分はもう別々の存在だと自分はそう割り切っていた。
では未来は?クロは考えたことがなかった。奴隷として主人の指示通りに動く。その先を考えるだけ無駄なことだろう。
しかし今の自分の主人であるカトレアは、自分に選択を与えようとしている。カトレアと一緒に過ごす道か、自由を手に入れるか、選択を。
「…………」
クロはお気楽な少女の寝顔を見下ろした。
誰に感化されたのだろうか、十中八九あの癖のある女店主のせいなのだろうが、余計なことをしてくれたものだ、とクロは思う。
奴隷に自由を与えてどうしようというのだ。自由を与えられても奴隷は後ろ盾もなく、生きる術もない。屋敷を出ても少ししたら、追い剥ぎにでもなって飢えを凌ぐ、なんてことが目に浮かぶ。運が良くても賊の道を歩み、他人の人生を奪う側になる。運が悪かったら即人生の終了。奴隷の未来なんてそんなものだ。
奴隷か、自由か。2択の人生なら間違いなく前者を選ぶだろう。お優しい能天気なご主人に一生飼われてる方がまだマシだ。
クロは奴隷として生きる運命を受け入れ、覚悟を決めていた。自分の人生を奪われたあの日から。
「…………」
そっと、少女のブロンドの髪を手に取る。艶やかで透き通るような髪。綺麗になるまで一体どれほどの手入れと時間とお金を施したのだろう。
一方、自分の髪は比べるにも烏滸がましいような陰鬱とした黒色。癖っ毛である髪は手ぐしなためゴワゴワとしている。
こんな髪をこの能天気なお嬢様は綺麗だと言う。変わり者で世間知らずなお嬢様。
従順なフリをすれば、今まで通り飼ってもらえるのだろうか。
本当の自分を隠して、ボロを出さないように余計なことを口に出さず。
「…………」
奴隷として生きる彼の奥底には、残念なことにまだ昔の自分が取り残されていた。
過去の自分は時折クロに話しかける。
ーーーもし、昔の自分を取り戻せたら、
今と違う立場で君は
カトレアのお側にいれるだろうーーー
クロは邪念を振り払った。
過去を振り返っても仕方ないのだ。
戻りたくても、戻れないのだから。
クロは全てを振り払うようにベットに逃げ込んだ。