こちら、召喚パトロールです。〜召喚は用法用量を守って、計画的に。
──カッ!
突然の白い光に灼かれたと思うと、カエデは見たこともない場所にへたりこんでいた。
「召喚成功だ!」
「聖女様!」
口々に叫んでいるのは見知らぬおじさんたちだ。ぐるりと囲まれていて、威圧感がすごい。
皆、映画か海外ニュースで見たようなだぼだぼした服をまとっていた。
「言葉はわかりますか?」
と聞かれ、とりあえずうなずくと、彼らの間からきらびやかな……結婚式の新郎みたいな服を着た青年がもったいぶって堂々と歩み出てきた。
「聖女よ」
金髪碧眼、なかなかの美形である。だからどうしたって話だけれど。
「どうか我が国を救ってほしい。そしてすべてが済んだあかつきには、王子である私と婚姻を」
コンイン?
……って、結婚のこと!?
「えっ、無理!!」
「なぜだ!!」
全力で叫んだら周りのおっさんに叫び返された。怖い。
でも無理なものは無理。
「だ、だって……」
気力を振り絞って反論しようとしたその時。
──ファンファンファンファン……
サイレンの音があたりに響きわたった。
周りのおじさんたちはどよめいている。
「何の音だ!」
「敵襲か!?」
……え、敵とかいるのここ。怖すぎ。
てか、サイレン知らない? 部屋に赤い光もさし込んできてるのに? ……赤い光?
ピピー!
疑問に思ったその瞬間に笛の音がし、はっとそちらを振り返る。
カエデの少し後ろに、小型のバイクのようなものが浮かんでいた。ちょっと近未来的だ。
またがっている人はヘルメットを被り、虹色のサングラスみたいなのをかけている。くわえていた笛を口から離すと自己紹介した。
「こちら、召喚パトロールです」
そしてバイク的なものから降りてくると、まだへたりこんだままだったカエデに近づいて手をさしのべる。
「この世界への召喚が検出されました。お嬢さん、あなたが召喚対象ですか」
「えっ、た、たぶん……? あ、ありがとうございます」
パトロールの人の手はがっしりしていた。助け起こしてもらって立ち上がる。
それから、改めて周りを見ると、ここは世界史の授業でやった神殿みたいな建物の内部のようだった。
石造りの天井と壁は白くてツルツルしていて、床はカエデがさっきまでいたところに複雑そうな絵が描いてある。
「詳しい話をお聞きしたいのですが」
と、ヘルメットの人が言うので、カエデはわかる範囲で起こったことを喋った。
途中、おじさんたちが反論しようとしてきたが、パトロールの彼が「あなたがたにはあとで事情をお聞きします」と一刀両断してくれた。
「……なるほど」
全部聞き終わると、彼はおじさんたちと自称王子に向き直った。そして言い渡す。
「残念ですが、あなたがたの召喚は、ガイドラインに抵触のおそれがあります」
「「「ガイドライン?」」」
カエデとおじさんたちの声がハモった。うれしくない。
召喚パトロールは気にせず続ける。
「召喚技術を持つ世界同士の取り決めにより制定されたガイドラインです。記録によると、こちらの世界では初めての召喚のようですね。ご存じなかったのは仕方ありませんが、これを機に、我々『召喚保安機構』への加入をお勧めします」
「はあ……? と言われても……」
一番豪華そうな服を着たおじさんが困惑している。
「世界の他の国々にも、我々の方から機構の活動を紹介したパンフレットを送付しておきましょう。加入されれば様々なメリットもありますよ。当然、ガイドラインには従っていただく必要がありますが」
「………………」
おじさんたちはすぐに返事できないようなので、代わりにカエデが聞いてやる。
「あの、それ、入らないとどうなるんですか?」
「そうですね。……我々には召喚に介入し、それをキャンセルする技術力もありますので……」
「脅しじゃないか!」
何度か大声を出していたおじさんがまたどなった。しかしパトロールの人は平然としている。
「これもすべて、被召喚者の人権保護の観点からです」
「じんけん……?」
王子が何それ、といった様子で繰り返した。そこからかー。
「えーっと、そうですね。先ほどのお話からしますと、まず条件がよろしくありません。『我が国を救ってくれ』だけでは何の脅威に何回立ち向かえばよいのかが不明確です。また、作業に付随する危険の程度も開示してください」
「あ、ああ……魔龍王が目覚めた影響で各地の魔物が人を襲うようになった。それが危機だ」
「えっ、それをどうにかなんてできません」
カエデはあわてて首を振った。
が、王子もあわてて付け足す。
「聖女には神殿で祈ってもらうだけでいいのだ! それにより弱体化した魔龍王は我々の手で討伐するっ。命の危険もないっ!!」
「あ、そうなんだ……」
パトロールの人がしれっとうなずく。
「ええ、そういった条件は最初に提示するように。それから、報酬もですね……今時『王子との結婚』はメリットになりません」
「そ、そうなのか……!?」
何故かショックを受けたらしくよろめく王子。周りのおじさんたちも慌てている。
「そうです! 私、彼氏いるし」
ようやくさっき言いたかったことを伝えられる。
そこをすかさずパトロールの人に拾われた。
「なるほど、となると、業務終了後はすみやかな帰還をお望みですか?」
「あ、はい」
「なんだって……」
またもざわざわするおじさんたち。いや、当然のことを言ってざわざわされても。
そんな中、一番偉そうなおじさんと王子が何かこそこそと相談したらしく、おじさんが咳払いして口を開いた。
「金銀財宝であれば、ご用意できます」
「換金手段は?」
「ないです……」
パトロールの人、ナイスツッコミ。ふつうの女子が金銀財宝を持って帰ってもどうしようもない。
王子ががっくりしたのを眺めていたら、さらにフォローが入った。
「召喚保安機構のサポートプログラムをご利用いただくこともできますよ。アルバイトに偽装して、給与という形で毎月定額お振込いたします」
わあ、すごい。
「もちろん、本日お会いしたばかりの我々を信用していただけるならですが」
注意事項もばっちりである。おじさんたちには爪の垢を煎じて飲んでいただきたい。
カエデは王子を見た。最初の時のような自信あるそぶりは剥がれて、捨てられそうな犬みたいな顔をしている……。
「仕方ないですね。じゃあそれでやってもいいです」
「大丈夫ですか? 我々もできるだけ監視、サポートいたしますが」
「はい。成績にはつかないけど、ボランティア活動みたいなものだと思えば」
「あ、おつけできますよ」
パトロールの人は平然と言った。ダミーNPOがあるらしい。
「保安機構すごい」
こうして、一つの世界が救われた。
†
──ピカッ。
高校の一学期の終業式が終わって、教室でだらだらしていたはずが……。
激しい光に包まれた次の瞬間、和輝は知らない場所に立っていた。
開けた広場……グラウンドのようなところで、周囲にはさっきまで一緒にいたクラスメイトたちの姿がある。
目の前に、メガネを掛けた男が立っていた。30代ぐらいだろうか、緑色の、見たことのない服を着ている。
視線が合うと、男が一礼する。
「はじめまして。私は案内役のローレルと申します」
「あ、丁寧にどうも」
つられてお辞儀をしてしまった。ローレルと名乗った男は和輝に向かって続ける。
「早速ですが、先頭にいらっしゃるあなた。はい、あなたのお名前を教えていただいてもよろしいでしょうか? あ、本名ではなくハンドル、あだ名といったものを推奨します」
「ハンドルですか……?」
「はい。いえ、我々はそういったことはいたしませんが、技術的には名前を握ってあれこれ……と言ったケースも報告されていますので」
なんかにこやかにとんでもないことを言われた気がする。
「え、えっと、じゃあ……ヒカル、で」
「ヒカル様ですね。それでは、お名前を書き入れた計画書を印刷してお配りします。詳しい話は立会人の方がいらしてからで」
「けいかく……しょ?」
えっと。完全に男のペースに飲まれていたが、これはいわゆる、異世界召喚というやつではないのだろうか。
なのに、いきなり現実的な単語が出てきて困惑した。
そんな和輝やクラスメイトの様子も意に介さず、ローレルと似たような服装の人々がプリントのような紙束を抱えて現れ、一人ひとりに一枚ずつ渡して回る。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます……」
「すみません……」
プリントのような、っていうか、完全にプリントだ、これ。しかも日本語だし。
和輝も一枚もらった。
「ロット7年度第一次召喚計画書……契約対象者……ヒカル様(仮名)以下36名? これ、俺たちのことですか」
とりあえず一番上の欄を読んでみた。
「はい。計画作成者のところに私の名前も書き入れてあります」
「ほんとだ」
ローレルって書いてある。
そんなことを話していたら、ブオンとエンジンっぽい音がした。
「あ、立会人の方がいらっしゃいました」
言われてそちらを見ると、白バイのような乗り物が……あれ、宙に浮いてないか? 周囲のクラスメイトたちもざわざわしている。
乗っていたヘルメットとサングラスの人が地面に降り、こちらに歩いてきた。
「召喚保安機構です」
「お疲れさまです。お世話になっております、計画責任者のローレルです。こちらが、今回の被召喚者の36名の方々です」
「なるほど、ひとクラス丸ごと召喚したような形ですか」
「ご明察です。計画書、お渡ししますね」
さっきのプリントと同じものがヘルメットの男にも渡された。
「ふむ。説明はこれから?」
「ええ、機構の方をお待ちしておりました。それではみなさん、よろしいですか?」
ローレルが声を張り上げたので、みんな口を閉ざして彼の方に向き直った。
「お手元の計画書をご覧ください。今回皆さんにお願いしたいのは、国の西に現れたキツネ型の魔獣の討伐です」
魔獣? なにそれ、怖……と声があがる。ローレルは続けた。
「皆さんには召喚時に身体強化および魔獣への耐性強化、攻撃強化が付与されておりますので、ほとんど危険はありません。転んだりなどしますとかすり傷程度は負うでしょうが……」
え、それなら安心かも? いやまだわからん、と生徒たちは互いに顔を見合わせる。
「現場へは送迎あり、週7日間のうち業務についていただくのは3日、シフト制で残りは休養日となります」
なんだかバイトっぽくなってきた。
「書面の中段をご覧ください。寮完備、三食提供、こちらにいらっしゃる間の生活は完全に国が責任を持ってサポートいたします」
住み込みのバイトじゃねーか。
「もちろん危険は完全には排除できませんので、討伐任務に参加されたくない場合は代わりの雑務をご用意します。期限は魔獣が討伐されるまでですが、一ヶ月程度を見込んでおります」
夏休み終わっちゃうじゃん! と誰かの声がした。ローレルはそちらに顔を向け、請け合った。
「ご安心ください。任務終了後は召喚時の日付、時刻への送還を予定しております」
ならいい……のか?
「書面にも末尾に記載されておりますが、報酬としましては日本円でお一人あたり5万円を予定しております」
5万!? とどよめいたのは小遣い制の友人だ。バイトをしている和輝としては、危険があるかもしれない仕事の一ヶ月の給料としてはもうちょっとあってもいいんじゃ、と思ったが……あ、でも、食事出るんだっけ。
ていうかさらっと日本円って言っちゃってるよ、この人。
「また、任務終了後でも自由に当世界に渡れる手段をご用意いたします。もちろん、他言しないよう制約はかけさせていただきますが」
最後の条件には……クラスでも陰キャのやつが目を爛々と輝かせていた。気持ちはわかる。
「契約前のご説明としてはこんなところですが……何か、質問はありますか?」
と言われても、とっさには何も思いつかない。黙り込んだみんなを見渡して、ローレルはうなずいた。
「では、また疑問が出てきましたら、いつでもご確認ください。契約に進んでもよろしいでしょうか」
「……あ、はい……?」
そこで、様子を眺めていたヘルメットの男が口を挟む。
「召喚保安機構としても、皆さんの不利益にならないよう契約に立ち会います。それから、皆さんにこちらの……腕時計型緊急通報器をお貸ししますね。何か異常を感じたときは念じていただければ機構に通報が入ります。現地人等の持ち去り等への対策として、ご本人様の意思と機構の承認がなければ外せませんので、ご安心ください」
そう言ってバイクの荷台のようなところから段ボール箱を出している。明らかにサイズ感がおかしいが、どんな技術で収納していたんだろうか。
「ありがとうございます……?」
「それでは、ヒカル様から一列にお並びください」
ローレルが誘導するので、クラスメイトたちはがやがやと列を作った。
右に契約サイン用のペンを用意したローレル、左に通報器を手にした機構の人がいる。
先頭に並んでいた和輝は、機構の人がローレルにちくっと釘を差すのを聞いてしまった。
「たいへん洗練された計画書で、ガイドラインもきっちり守られていて、よろしいんですがね……」
「恐れ入ります」
「……計画書が洗練されるほど、召喚頼みにならないでいただきたいんですがね?」
「はっはっは、手厳しいなあ」
常習犯だった、この人。和輝の目から見ても分かる。全然反省してねえ……。
†
ここは時空のどこかにある、召喚保安機構の本部ビル。
出動を終えたとある男性隊員が、オフィスに戻ってきてヘルメットとサングラスを外した。
「お疲れ様です」
若い女性職員がコーヒーを渡す。
「ありがとう。いやあ……相変わらずだったよ」
「ローレルさんのところでしたっけ?」
「そそ、ラクティスね」
「シグマ、完全にあそこの担当みたいになっちゃってるもんね」
年上の女性隊員がからかう。シグマと呼ばれた隊員は苦笑した。
「ははは……」
「ま、お疲れ様。シグマが出動してる間に、あたしとサクラで前の世界の報告書はまとめておいたから」
「ありがとう、二人とも」
「私は何も……ほとんど、バイオレット先輩が」
お礼を言われて、若い女性職員は謙遜する。先輩はにっこりして後輩の背中を叩いた。
「だんだん慣れていけばいいからね。そうだ、加入申請書の処理もしてみる?」
「お、加入申請来たのか? 久しぶりだな」
珍しい言葉に、シグマが反応した。
「うん、あの、結婚が報酬とかほざいてた国ね。王子やらお偉いさんもすっかり反省して、機構への加入と他国の勧誘を積極的に進めてくれてるよ」
「ああ、あそこか。そいつはよかった」
出動した甲斐もあったというものだ。
「てわけで、サクラちゃん。新規加入なんてめったにないんだから、この機会に手続きを勉強しちゃいなさ〜い」
「あっ、はい……!」
にわかに緊張した後輩に、シグマは苦笑した。
「書類手続きだからな。煩雑なだけで、そんなに気負わなくても大丈夫だぞ」
「はいっ」
「そーそー。大変なのはやっぱ、デスクワークよりも介入案件……」
まさに、バイオレットがそう口にした瞬間だった。
ウーウーウー!
フロアに警報音が響き渡り、赤い警告灯が回転した。
スピーカーから緊急事態を知らせる声が流れる。
「第二種緊急事態の発生を検知しました。パトロール隊員は、直ちに現場に急行してください」
「第二種? ……えっと、第一種が被召喚者の身体への危害、第二種は……被召喚者の精神、または財産毀損のおそれ、でしたっけ……?」
「そう。サクラ、留守は頼んだからね」
応えたバイオレットは既にヘルメットを装着している。シグマも同様だ。
サクラはまだ見習い隊員なので、こういう場合は本部の警備に回る。
「はい、お二人とも、お気をつけて!!」
「ああ」
「行ってくる」
二人はそれぞれ空中バイク型のビークルに乗り込み、該当の世界にワープした。
目の前には、白い石造りの建物が特徴的な都市が広がっている。その周囲は広大な砂漠のようだ。
周囲には同じようにワープしたパトロール隊員が揃ってきていた。
「よう。状況はどうだ」
「シグマとバイオレットか。今、対象のバイタルを探ってるところだ」
「了解」
それを聞き、二人も手元の端末を操作し、バイタル探査に参加する。
「対象は誰が担当した?」
「コルトのはずだが……お、来たな」
若い男性の隊員がワープを完了し、目の前に現れる。
「どうも。通報は?」
「まだないみたいだが」
腕時計型の通報機器を、ここの被召喚者にも貸与しているはずである。
「ですよね……まいったな。ここ、14歳の女の子が召喚されてるんですが」
「任務は?」
「この世界、魔力が枯渇しかけてるみたいで。巫女として祈ってもらうことで、神を降臨させ、エネルギーを回復させる、って聞いてます」
「神の降臨、ね……」
確かに、ひときわ大きい建物の中に強大な力の気配がある。それが神だろうか。
その時、バイオレットが声を上げた。
「バイタル見つかりました! その建物の中です!」
「了解! 皆、向かうぞ!」
「応!」
隊員たちはビークルを駆って、大きな建物へとまっすぐに向かった。
◇
宇未は、神殿の奥の間にいた。
出口は開いている。拘束などもされていない。だがもう何ヶ月もこの部屋から出ていなかった。
この子たちを置いていけない。
奥の間には、宇未の他に孤児の子供たちが集められていた。
垢にまみれた衣服をやせ細った体にまとって、ぎょろりとした目をこちらに向けている子供たちは、宇未の付き人であるという。
食事などは別の世話係が持ってくるが、子供たちはずっと部屋にいる。
宇未が毎日3回、神様に祈りを捧げるとき、一緒に祈るのが彼らの仕事らしい。
「ウミさまのおかげで、神様のお役に立てます」
「私たちは幸せ者です」
彼らは口々に言う。
でも、宇未は思う。私の祈りの力が弱いから、みんなに手伝ってもらわなきゃいけないんじゃないの?
──一度、彼らに喜んでもらおうと、部屋を出て庭の花をもらいに行ったことがあった。
部屋に戻った宇未が見たのは、神官たちにめちゃくちゃに折檻されている子供たちだった。
ウミさまの手を煩わせるなんて不心得者だ。いつでも部屋にいらして心地よく過ごしていただくこともできないのか。
罵る神官たちは、宇未がやめてほしいと言っても止まらなかった。これは彼らのためなのです……。
「罰を受けるのは当然です」
「私たちは悪い子なので……」
そんなことない、と宇未は思う。悪いのは私の方だ……。
元いた家でだって、お母さんはいつも宇未が悪い、何もまともにできない、目つきが悪い、と言っていたもの……。
そんな日が続くうちに、祈りの儀式の後に神官たちが顔をしかめるようになってきた。
宇未たちから得られる祈りの力が減ってきているらしい。罰として、子供たちは食事を抜かれた。
一度祈りを捧げると、全身の力が抜かれたように感じる。最初のうちは休んでいれば回復していたが、最近ではベッドの上から離れるのも一苦労だった。
でも宇未は祈るしかない。そうしないと子供たちにご飯がもらえない。たとえ水のように薄いスープ一皿だけだったとしても……。
頭がぼんやりする。
ふらつきながら祈りを終える。
ベッドに戻る気力もない……
ああ、それなのに、また神官が子供たちをぶっている……。
頭の中で何かがぷつりと切れた。
視界がぐるりと回る。
宇未はその場に崩れ落ちた。
◇
パトロール隊員たちは、ひときわ大きな建物に急行した。衛兵がわらわらと近寄ってくる。
その人数といったら、いかにも後ろ暗いものを閉じ込めているといわんばかりだ。
一応投降を呼びかけるが、従う者はない。仕方なく、手持ちの光線銃で気絶させていく。
広い廊下を進み、バイタルを追って奥へ、走る。
侍女らしい女が腰を抜かしている横を通り過ぎると、ふわりと異臭が漂った。
年輩の隊員の指示で、全員ガスマスクを装着する。
やがて、大きな神像のある部屋の奥に、布で入り口が仕切られた部屋を見つけた。
バイタルはその内部を示している。
「突入!」
「応!」
部屋の中央で、神官が床に倒れた少女の胸ぐらをつかみ、頬を張っている。
すみやかに無力化。
バイオレットが少女に駆け寄り、応急手当を試みた。
うっすら目を開けた少女に、「もう大丈夫ですよ」と声を掛けるが、反応が薄い。
他の隊員たちは部屋を確認し、薄汚れた子供たちの存在に絶句していた。
そんな中、コルトがとあるものに気付き、すぐ横にいたシグマに声を掛ける。
「シグマさん、この香炉みてもらえます?」
「……あの変な匂い、こいつのせいか……」
「はい。おそらく、精神に作用する薬のたぐいじゃないでしょうか」
「ありうるな。判断力を鈍らせて、通報をさせないようにしていた? ……クソっ」
シグマは壁を殴りかけて、やめた。子供たちの怯えきった視線を気にかけたのだ。
──翌週。
保安機構の本部オフィスでは、隊員たちが書類と格闘していた。
「大捕物だと、手続きもめんどくさいんだよねえ……」
「先輩方、本当にお疲れ様でした……」
述懐しているのはバイオレットとサクラである。
あの世界の召喚手段は完全に破壊され、異世界の少女を生贄に維持していた『神』とのリンクも断たれることになった。
神が降臨すればエネルギーが復活する。そんな触れ込みは、完全に嘘ではないが、真実でもなかったのである。
実際は被召喚者を中心に据えて、多数の子供たちの精神エネルギーを捧げ続けなければならない代物だった。
さらにはその肝心の子供たちを虐待していたというのだから、二重にひどい話である。
フロアの隊員たちも口々に会話に加わってくる。
「我々も、見抜けなかったことを反省しなければな」
「そうだね……コルトのやつも落ち込んでるみたいだし、仕方ない話だけど」
「上の方は再発防止策をあれこれ話し合ってるみたいですよ。そのうち、研修があるかも」
「通報装置の改良も考えなければ。今回はぎりぎり最悪の事態は避けられたが……」
やることは山積みである。
そして、それより大事なことがあった。
「まずは、保護した子の一日も早い回復を祈ろう」
「そうですね」
◇
宇未は、明るい部屋で目を覚ました。
(病院……?)
全体的に白い壁や天井だが、寝ているベッドの周りには薄緑色のカーテンがかかっている。
やがて、そのカーテンを開いて、紺色の服の女性が現れた。
「あ、気が付かれたんですね。はじめまして、召喚保安機構の医療スタッフ、アイラです」
「はじめまして……」
「気分はいかがですか? ちょっと診察させてくださいね」
「はい……」
脈を取られたり聴診器を当てられたり、謎の機械を当てられたりしたあと、アイラと名乗ったスタッフはこう言った。
「あの神官たちは、罰せられますよ」
宇未はびっくりした。
「えっ、違います……! 私がうまく出来なかったのが悪いので、あの人たちは悪くありません! あの人達は世界のために……」
「そうだったんですか」
医療スタッフはうなずいて、さり気なく話をそらした。
「世界の安定については、私たち機構もお手伝いすることになりました。ご安心くださいね」
「……はい」
宇未は何となく落ち着かず、そわそわしてしまう。アイラはさらに告げる。
「それと、一緒にいた子どもたちですが……」
「……あっ! そうだ、あの子たちはどうしてますか!?」
「あの子たちはですね──」
◇
孤児たちは保護され、ラクティス世界で療養してもらうことになった。ローレルのいるあの世界である。
完備されている寮の役立てどころだろう。
「世界も使いようだね」
などとバイオレットは言っている。
「世界を越えたときに、能力を得た子もいたようだよ。もっとも、まずは回復に専念してもらうことになるだろうけど」
「その後、ラクティスで活躍する道もあるってことですね」
「そうそう」
巫女として喚ばれた少女、宇未も子供たちに合流している。
元の世界では互いに枷とされていた彼らだったが、再会したときは笑顔も見られたと、ローレルからは報告が会った。今は共にリハビリに励んでいるようだ。
「宇未さんの元のご家庭についても、調査完了しました。生育環境は、劣悪と言ってさしつかえない状況だったようです……」
サクラが資料を抱えて目を伏せると、シグマが肩をすくめる。
「召喚者のほうも調べがついたよ。どうも、そういった子供を狙って召喚してたらしい。里心がつかないようにな。……ひどい話だ」
「まったくね」
バイオレットは舌打ちした。
「私らの世界でもやらなかったことを」
彼らの先祖はかつて、召喚によって与えられる力を、召喚される少年少女を、『濫用』するところだった──
「だからこそ、誰よりもよく知っている。それが何を引き起こすのかを」
シグマはローレルから送られてきたメールの添付画像を開いた。
そこには、青空の下で子供たちと花壇づくりに励む宇未の笑顔がある。
「異世界の存在であれ、一人の人間を踏みにじるような価値観は、いずれ自らを滅ぼす」
その反省が、召喚保安機構の設立、そして運営へとつながっているのだ。
「そう──」
三人は壁にある、召喚保安機構の標語を代わる代わる読み上げた。
「召喚は」「用法用量を守って」「計画的に。」