髪片の星座
日曜の午後、古本屋「ふるや堂」は、蝉の鳴き声と天井のファンの音だけが響いていた。
「……いらっしゃい」
カウンターの奥から顔を出した彼女は、相変わらず紙の匂いがする人だった。
「また来たの? 暇なの?」
「まあ、そんなとこ」
「学生でしょ、ちゃんと授業出なきゃ」
「出てるよ、たまには」
「“たまには”は、“ほとんど出てない”って意味じゃん」
口調はそっけない。でも、笑っていた。
それが嬉しくて、僕はまたこの店に来てしまう。
最初はただの「通りすがり」だったのに、気づけば僕は、
この場所での会話が日々のリズムになっていた。
「これ、読んでみて」
彼女が差し出したのは、装丁の古い文庫本。
ページをめくると、誰かが何度も読み返した跡がある。
折り目、線、余白の走り書き。
“好き”が積もっている。
「どうしてこれを?」
「主人公がさ、自分にまったく自信ないのに、
なんか大切な人の前では妙に強がっちゃうところが、君に似てたから」
「……それって、褒めてる?」
「五分五分かな」
本棚に囲まれた小さな世界。
僕の心の隙間を、誰かの言葉が埋めていく。
それが、少しだけ、自分の声に変わっていく。
ある日の帰り道、駅のホームで彼女はぽつりと呟いた。
「わたし、本当は、東京の美大に行く予定だったの」
「え……?」
「でも、途中でやめた。人と比べて、自分にはセンスがない気がして」
その声に、どこかで聞いたような諦めの色がにじんでいた。
「でもね、ふるや堂に戻ってきて、ちょっとずつ思い直してる。
“好き”って、たとえ下手でも、誰かをあったかくするんだって」
電車が来る音が近づく。
彼女はそのまま続けた。
「だから、君の“好き”も、誰かに届くと思う。……ちゃんと、届けてよ」
それは、僕が今まで受け取った中で、
一番やさしくて、熱をもった言葉だった。