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第89話 砂煙舞う回廊で

 昼下がりの九条邸——敷地の1番奥にある寝殿に集まっていたのは、招かれざる客の橘萩尾たちばなはぎおを囲う関係者たちだった。

 邸の主である時華ときはなの向かいにいた月華つきはなは立ち上がった。

 話の途中でこれまで邸内では聞いたこともない音が響いたからである。

 隣に腰を下ろしていた萩尾や弟の悠蘭ゆうらん、1歩控えている菊夏きっかかえでが互いに顔を見合わせる。

「何ごとだっ」

 いつもなら飛んでくるはずの松島の姿はない。

 音は門の方からしたような気がするが定かではない。

 月華は無意識に刀を握っていた。

 寝殿に集まっていた全員が何が起こっているのかわからず互いの顔を見合ったが、月華には聞き覚えのある音だった。

 戦場でよく聞く破壊の音だ。

 だが月華は俄には信じられなかった。

 ここは鉄壁の守りを誇る九条邸なのだ。

 敷地を囲う塀は人の身丈の2倍はあろうかという高さである。

 容易に破壊できるようなものではない。

 優秀な門番や松島が長年、丹精を込めて訓練した邸内の者たちはそう簡単に部外者を中に入れるとも思えない。

 一体何が起こっているだろうか。

 月華は刀を強く握りしめると寝殿を飛び出した。

 何かが起こっているのは間違いない。

 もし門の方で何かあったとするなら寝殿からは離れていてすぐに駆けつけることはできないがそれでもじっとしていることはできなかった。

 寝殿造りで建てられている九条邸は奥にある寝殿を中心に左右に対屋たいのやを持つ対称の造りをしている。

 左右の対屋と寝殿は池を擁する中庭を囲うように存在しているため、各建物は長い廊下で繋がれていた。

 寝殿と東対ひがしのたいとの間には渡り殿と呼ばれる廊下がある。

 そこを抜けてもその先には門まで長い回廊が待っているのだ。

 月華が渡り殿へ出ると後を追ってきた悠蘭の声が背後から聞こえた。

「兄上っ」

 足を止めた月華は振り返った。

 慌てた様子で近寄ってくる悠蘭に月華は眉根を寄せた。

「悠蘭、何をしている」

「俺も行きます」

「駄目だ。何が起こっているのかわからないのに危険過ぎる」

 これまで戦場に身を置いてきた月華は聞こえた音に危険な香りが含まれていることを直感的に感じていた。

 門の近くで何かが起こっているとしたら、九条邸の中で最も奥に位置する寝殿以上に安全な場所はない。

 悠蘭にはそこから出てほしくなかった。

「危険なのは兄上も同じですっ」

「俺は自分の身は自分で守れるからいいんだ。お前は星祭りの夜にもやられたじゃないか」

「それは……」

 俯く悠蘭を見て月華は言い過ぎたことに気がついた。

 悠蘭も必死に連れ去られようとされていた百合ゆりを助けようと奮闘してくれたのに、それを責めるようなことを言ってしまった。

 これではまるで傷口に塩を塗ったようなものではないか。

 だが吐き出してしまった言葉を戻すことはできない。

 咳払いをすると月華は言った。

「とにかくお前は寝殿に戻れ。何が起こっているのか俺が確認してくるからそれまでは寝殿から出るな。今はあそこが1番安全だ」

 それだけ言い残して立ち去ろうとすると悠蘭に腕を強く掴まれた。

 月華を凝視する悠蘭の瞳は一点の曇りもない。

「確かに俺は兄上ほど役に立たないかもしれません。でもここは俺たちの家なんですから、ここに降りかかる厄災を取り除くのは当たり前のことではないですか!」

 確かに悠蘭の言うとおりだ。

 月華には返す言葉がなかった。

 子どもの頃、悠蘭とこの邸内でいつも一緒にいたことを思い出す。

 父は仕事に忙しく、母は悠蘭が幼い頃に亡くなったため月華と松島が彼を育てたようなものだった。

 月華が鎌倉に行ってからは悠蘭もあまり邸に寄りつかなくなっていたと松島から聞いたことがあったが、今はこの家を大事に思ってくれているらしい。

 知らぬ間に弟も成長していたようである。

「……お前の言うとおりだな」

「では——」

「お前も一緒に来い。とにかく今は何が起こっているのか確認するのが最優先——」

 月華がそこまで言いかけたところで、再び爆音が轟いた。

 しかも今度は大きく足元を揺らすような衝撃付きだった。

 目の前でよろめく悠蘭の腕を掴んで支えると月華の顔はさらに険しくなった。

「一体何だと言うのだっ」

「先を急ぎましょう、兄上」

 月華と悠蘭は渡り殿を抜けて回廊へ出た。

 そこには見たこともない光景が広がっていた。

 辺りは騒然としており、たすきがけをして薙刀を持ち歩く女中たちがぞろぞろと集まっていた。

 家臣たちも慣れない刀を握りしめて右往左往している。

 門へと続く回廊の途中には瓦礫が散乱し、その先は砂煙が舞っていて見えなかった。

 東対と門のちょうど中間辺りの廊下にうずくまる松島の背中を見つけた月華は慌てて駆け寄った。

「松島っ!」

 松島の近くには見慣れた友人たちも頭を抱えてうずくまっている。

 月華は悠蘭とともに松島の隣に膝をつき、彼の背中に降りかかっている木片を払いながら肩に手をかけた。

「松島っ。無事か!?」

「……つ、月華様」

 松島が顔を上げるとその下にさらにうずくまる人物が目に入った。

しんっ、榛じゃないか!」

「……その声は月華か」

 松島の下にはここにいるはずのない榛紀しんきが体を丸めていた。

 どうやら松島は彼を守っていたようだ。

 呆然としていた松島は正気を取り戻したようで、月華の袖を強く掴んだ。

「月華様、曲者っ、曲者でございます」

「曲者!?」

「1度目の爆音がした時に門の扉が何者かに破壊されたようで、門番が邸内に倒れ込んできたのです。間もなく巨大な何かが……」

「巨大な何か……?」

 月華は砂煙が舞う中、破壊されたという門をじっと見つめた。

 一方、悠蘭は近くにいる李桜りおうたちに声をかけた。

「李桜さん、それに紫苑しおんさんまでっ。大丈夫ですか!?」

 すぐ近くには刑部少輔ぎょうぶしょうゆう鷹司杏弥たかつかさきょうやまでおり、辺りには粉々になった木片が散らばっている。

「悠蘭……」

 混乱した様子でぽつりと呟いた李桜とは対照的に紫苑は苛立たしげにぼやいた。

「ったく、一体何が起こったんだ!?」

「それは俺が聞きたいくらいです。一体何があったんですか」

「知らねぇよ」

「じゃあ、どうしてあなたたちが九条邸うちにいるんです? それに杏弥まで」

 紫苑はだるそうに首を回しながら言った。

「俺たちは弾正尹だんじょういん様が九条家の牛車で御所を出て行くのを見かけておかしいと思ったから追いかけてきたんだ。そうしたら時華様が寝殿にいらっしゃるって言うから詳細を訊きに行こうとしてたとこだったのに。それが急に背後から音がして——」

 着物の汚れを払いながら立ち上がると李桜が紫苑の話を引き継いで続けた。

「そうなんだよ。最初、門の方から爆音が聞こえて振り返ったら、門番が飛ばされていたんだ。何が起こったのかわからずに互いに顔を見合わせていたら、急に爆風が吹いて僕たちも飛ばされたんだよ。全く……どうなってるの」

 月華の様子を窺うと、彼は破壊されたという砂煙の向こうにある門に一点集中していた。

 悠蘭が目を細めるとそこには不気味に揺らめく黒い影がふたつ見えた。



 目の前を走り抜けていった御形ごぎょうを追ってきた白檀びゃくだん雪柊せっしゅうみやこに入ったところで、爆音が辺りに轟いた。

 京を離れて久しいふたりでも、さすがに聞いたこともない音に眉根を寄せた。

 雪柊が手綱を握る馬の後ろで白檀が言った。

「今の音、何でしょう」

「さぁ。あまりいい予感はしませんね」

「雨も降っていないのに土砂崩れでもあるまいし……雪柊は何の音だと思いますか」

「……想像もつきませんが、聞いたことがある音ですね」

「聞いたことがある? どこで?」

「戦場です」

 雪柊の答えに白檀は首を傾げた。

 いくら武術に優れているとは言え、雪柊が戦に出ていたとは聞いたことがない。

「雪柊、戦に行っていたのですか」

「まさか。私が聞いたのは奥州でのことです」

「奥州……?」

「ええ。私を救ってくれた樹光じゅこう様とともに諸国を旅していた頃、奥州で百合と出逢いましてね。私と桔梗ききょうの子が生まれていたらちょうどこんな子だっただろうと重ねて見ていました。考えてみれば悲劇はあの時に始まっていたのでしょう。樹光様がその場で百合にあの異能を受け継いだ時に。後に風の噂で奥州の姫が戦場で異能を使っているという話を耳にしましてね。あの時の子に違いないと百合を探しに奥州へ行きました」

「そうだったのですか」

「その時の奥州は悲惨なものでしたよ。鬼灯きとう棗芽なつめ、月華までもがあの戦いに身を投じていたようですね。その戦場では鋼が打ち合う音だけでなく、破壊の轟音がそこら中で響いていました。戦なんて誰の得にもなりません。私はそう思います」

 白檀は戦場を見たことがない。

 どれほど悲惨なものなのかは聞いた程度にしか理解していない。

 そんな自分が戦を語ることはできない。

 実際見てきた雪柊の言葉には白檀の想像を超える重みがある。

 備中国びっちゅうのくににいた頃は、戦をするべきではないとは思っていたものの必ず阻止するという確固たる信念は持っていなかった。

 なるようになるだろうし、止められなければ仕方がない。

 そう思っていた。

 輪廻の華を捕え、倒幕を目論んでいた妹尾菱盛せのおひしもりや彼に賛同していた近衛柿人このえかきひとに手を貸し、散っていった友人の皐英こうえいをもっと強く止めていればこんなことにはならなかったのかもしれない。

 白檀はもう何度繰り返したかわからない後悔を抱え、大きくため息をついた。

白椎はくすい様、どうなさいましたか? そんなに盛大なため息をついて」

 馬を走らせる雪柊が前を向いたままでよかった。

 視線が合うと勝手に責められているような気持ちになって何も言えなくなっていただろう。

 白檀は雪柊の背中に額をつけながら言った。

「雪柊。私は必ず百合の異能を消してみせます。これは私にしかできないことだから」

 それはまるで懺悔のようだった。

 雪柊は何も言わなかった。

 全てをわかっていると受け止めてくれているような気がした。

 京の中心まで馬を進めたふたりはやがて前に進むことができなくなった。

 人だかりに阻まれて進むことができなくなったのである。

 聞き慣れない爆音に市井の人々が黙っているはずはなかった。

 ふたりはやむを得ず馬を降りた。

 野次馬は九条邸へと続く大路に集まっており、口々に先刻の爆音の話をしている。

 馬を降りたふたりが市井の人々に紛れて歩き始めると否応なしに噂話が耳に入ってくる。

「何の音だ?」

「さあ……? でも九条様の方から聞こえなかったか」

「確かに。ちょっと様子を見に行かねぇか」

 そんな声があちらこちらから聞こえ、雪柊と白檀は互いに顔を見合わせた。

「まさか御形ごぎょうが九条邸に何かを仕掛けたのでしょうか」

「……だとしてもあの男の狙いは百合のはずでは? それも百合の異能が目的なら、彼女を傷つけるようなことはないはずです。もし邸に戻った百合を執拗に追う過程で邸を破壊しようものなら本末転倒のはず。一体何を考えている——」

 ふたりが雑踏の中を泳いでいると、再び爆音が響いた。

 爆風が向かい風となってふたりを襲い、同時に舞う砂埃が目に入りそうになるのを防ぐために視界を塞がなければならなくなった。

 目を守るのが精いっぱいで何が起こっているかを確認する余裕はなかった。

 視界を塞いでいた手の隙間からうっすらと目を開けて覗き見ると次第に景色が鮮明になった。

 次の瞬間、白檀は言葉を失った。

 視界に現れた九条邸には門がなくなっていたのである。

 周囲にどよめきが起こった。

「これは……」

 絶句する雪柊の横で白檀の目に映ったものは、破壊された門と邸の中が露わになった変わり果てた九条邸の姿だった。

 その中にぽつりと佇む人影がひとつ。

 見覚えのある後ろ姿に白檀は思わず声を漏らした。

「……御形っ!」

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