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第83話 触れた温もり

 備中国びっちゅうのくに妹尾せのお邸の一室。

 紅葉くれははうつ伏せに寝かされている双子の兄——山吹やまぶきの身を案じていた。

 山吹が放った矢が御形ごぎょうによって返され、紅葉を守るように自らの背に刺さったままだった矢は、すでに抜かれ彼の自室の布団にうつ伏せに寝かされている。

 傷痕が痛むのか時折、呻き声を漏らす山吹を案じながら紅葉はここに至るまでのことを思い返した——。



 妹尾家当主であり三公のひとりだった妹尾菱盛せのおひしもり北条鬼灯ほうじょうきとうによって討たれた。

 妹尾敦盛せのおあつもりも利き手である右手の肘から下を斬り落とされて戦う術を失った。

 大将を亡くした家臣たちもすでに戦意を喪失している。

 三公のひとりだった橘萩尾たちばなはぎおはいまだに行方不明、御形に至っては戦いの最中に邸を飛び出した。

 多くの家臣たちが命を落とし、惨状と化した邸内に紅葉と鬼灯の叫び声が響いたのはその時だった。

棗芽なつめっ!」

 北条棗芽は、それまで普通に会話していたかと思ったら立ち上がった瞬間に立ちくらみを起こしてその場に倒れた。

 そばにいた紅葉が倒れ込む彼を支えようと手を差し伸べたが体格差のある彼女が大の男を支えられるはずもなく、あえなく下敷きになった。

 想像以上に重い。

「ちょっと……」

 苦し紛れに声を出すと、覆い被さる棗芽の体躯は鬼灯の手によって軽々と持ち上げられた。

 重石がなくなって視界が明るくなった紅葉が見上げると鬼灯から微笑みながら手を差し伸べられた。

「大丈夫か?」

 その顔があまりにも棗芽に似ていて思わず手を掴んでしまった。

 が、冷静に考えれば彼は妹尾家にとっては立派な敵である。

 他の家臣たち手前、簡単に手を取るべきではなかった。

 その一方で、これまで紅葉だけでなく山吹や白檀びゃくだんを妹尾家に縛ってきた三公の鎖を鬼灯が断ち切ってくれた、とも言える。

 紅葉は複雑な気持ちになった。

「あ、ありがとう、ございます」

「礼には及ばぬ。そなたはそのうち家族になるかもしれないのだしな」

「…………?」

 鬼灯の言う意味はよくわからなかったが、紅葉は聞き流して着崩れた着物を整えた。

「紅葉殿、と言ったかな」

 鬼灯に突然、名を呼ばれ紅葉は身構えた。

 何を言い出すのか想像もつかない。

 紅葉が彼らにとって敵将であった敦盛を斬ろうとしていた棗芽を妨げていたのは、鬼灯も見ていたに違いない。

 これが本当の戦場であったなら敵対する者として捕えられても不思議はない。

 だが発せられたのは意外なひと言だった。

「悪いがこれを寝かせる場所をお借りできぬか?」

 これ、とは鬼灯が肩に担ぐ気を失った棗芽のことを指しているのは明確だった。

「……えっ?」

「情けないことだがこれは少し血を失い過ぎたようだ。休めば時期に目を覚ますと思うから放置してくれて構わないのだが」

 確かに棗芽も多くの血を流した。

 すでに出血はなく傷痕には血の固まりがついているが、彼の肩や右手のひらから流血していたことを思い出す。

「……ここは敵陣なのに、意識のない彼を放置していくつもり、ですか」

「大事ない。身に危険が及べばすぐに目を覚ますだろう。こう見えても歴戦を潜り抜けている。滅多なことでは討たれぬ。万が一、命を落とすようなことがあるなら、それまでのこと」

 実弟であろうに鬼灯は随分と突き放した物言いである。

 今は意識が無くとも棗芽がここで討たれるようなことはないと信じているのだろう。

「それに——」

 鬼灯は門の近くに倒れたままの山吹を指差して言った。

「あの男も運ばねばならぬな」

 背中には矢が刺さったままである。

 救護体制が整うまで抜くべきではないと言ったのは鬼灯だったか、棗芽だったか。

「助けて、くれるの?」

「最初はあの男が百合ゆり殿を備中へ連れ去ろうとしていたようだが、棗芽が助けようとしていたからな」

「あたしの双子の兄なんです。たったひとりの家族なの」

「そういうことか……では将来は棗芽の義兄になるかも知れぬということだな。これは一大事だ」

 先刻さっきから何を言っているのか、紅葉にはさっぱりわからなかったが山吹を助けてくれるつもりだということは伝わった。

 紅葉はまず棗芽を自分の部屋に運ばせた。

 そこであれば邸の者が勝手に出入りすることはないからだ。

 紅葉の部屋で棗芽を降ろすと、鬼灯は妹尾家の家臣たちの手を借りて邸内に山吹を運び込ませた。

 家臣たちの中には猛将だった菱盛の首を落とした鬼灯を恐れ、後ずさる者も多かったが中には武士らしく潔く負けを認めて鬼灯の指示に従った者もいた。

 運び先は山吹の部屋である。

 鬼灯は負傷した山吹をゆっくりと布団に横向きに寝かせると、

「こういうことには慣れている」

 と言って手際よく背中に刺さった矢を抜いた。

 内臓にまで達しているかもしれないと思われた矢は抜き方を間違えると周囲を傷つけ、大量に出血しかねない。

 だが鬼灯の処置は適切でほとんど血も流れなかった。

 最初は主を討った鬼灯に一矢報いようと隙を狙っていた家臣たちも、かつての仲間だった山吹を助けようとする鬼灯の真剣さに触れ、次第に刃を収めていったのだった。

 山吹の応急処置を終えた鬼灯は続いて、負傷した敦盛の元へ向かった。

 紅葉は急いでその後を追いかけた。

 棗芽が処置したことで出血は止まっているが、敦盛の横たわる周辺はまさに血の海と化している。

 そばには寄り添うあずさの姿があった。

 我を失っているのか敦盛に声をかけるでもなく、意識なく横たわる夫を呆然と見つめている。

 その姿を見た鬼灯は言った。

「紅葉殿、彼女を知っているか」

「あの方はそこに倒れている敦盛様の奥方です」

「妹尾家の嫁、ということか」

 そう言って鬼灯は敦盛のそばに片膝をつき敦盛の様子を確認した。

 意識はないが息はしている。

 紅葉は梓にそっと寄り添うと彼女の肩に手を乗せた。

「梓様……」

 紅葉にはそれ以上にかける言葉が見つからなかった。

「……紅葉?」

「そうです、梓様。しっかりしてください!」

 状況を呑み込めていないのか、梓の反応はあまりない。

 だが鬼灯が敦盛を抱き起そうとしたことに気がついた梓は急に正気を取り戻した。

「何をするのですかっ」

「このままここに置いておくわけにはいかぬだろう。見たところ止血の応急処置は済んでいる。あとは本人の生命力に賭けるしかない」

「あ、あなたは誰なの!? なぜこのようなことに……」

 涙を流しながら錯乱状態で訴える梓の声は先細っていった。

 戦いの途中で邸内から出てきた梓は、鬼灯が何者なのか、ここで何が起こっていたのか、何も事情を知らない。

 だが知らない、では済まされない。

 梓も妹尾家の一員なのである。

 そもそも三公が輪廻の華に手を出されければこんなことにはならなかったのだから。

「説明は後だ、まずはこの者を邸の中に移さねばならぬ」

 邸の中に入った鬼灯は敵であったはずの敦盛を丁重に運んだ。

 肩を落とす梓を支えながら鬼灯の後を追って邸内に入ると後始末をしていた家臣たちが駆け寄ってきた。

 紅葉は梓を家臣たちに預けて、鬼灯を敦盛の部屋に案内する。

 襖を開けると寝起きの乱れた布団がひとつあった。

 これは朝方まで輪廻の華が使用していたものである。

 紅葉は一瞬、言葉を失った。

 輪廻の華を助けに来た時には、こんなことになるとは思いもしなかった。

 こっそり忍び込んで誰にも見つからずに邸から連れ出す計画だったのに。

 目的の輪廻の華は逃すことができたが、ある意味、最悪の結末を迎えたと言っても過言ではないかもしれない。

 襖を開けたまま中に入ろうとしない紅葉に鬼灯が声をかけた。

「紅葉殿、どうかしたのか」

「あ、いえ、何でもないです」

 気を取り直して紅葉は鬼灯を室内に招き入れた。

 とりあえず敷かれたままの布団に敦盛を寝かせると、後のことは他の家臣たちに任せてふたりは部屋を出た。

 まずは立ちくらみを起こしたまま気を失った棗芽の様子を見るために紅葉は自室に向かった。

 相変わらずの迷路を進むと背後から声が聞こえた。

「紅葉殿」

 振り返ると後ろからついて来ていた鬼灯が門の方を指差しながら言った。

「私はこの足でみやこへ戻るゆえ、棗芽のことを頼む」

「え? 本当に置いていく気なんですか」

「ああ。負傷した棗芽を連れていったところで役に立たぬからな」

 鬼灯は遠くを見つめた。

 見据える方角には京がある。

「で、でも、追うのは御形様ですよね? あの方の異常な術は見たでしょ?」

 御形の異能に一介の武士が対抗できるとは思えない。

 鎌倉の幕府軍が応戦するというのならまだしも、たったひとりで立ち向かうなど無謀だと言わざるを得ない。

「あんなのと戦うつもりなら少しでも戦力が必要なんじゃ——」

 そこまで紅葉が言った時、背後からいきなり肩を抱き込まれた。

 がっしりとした力強い腕が鎖骨の辺りにある。

 覚えのある温もりを背中に感じた。

「そうですよ、兄上。戦力は少しでも多い方がいいでしょう」

 頭上から聞こえる声が棗芽だとわかって紅葉は頬がゆっくりと赤らんでいった。

 鼓動も速まる。

 いつの間に目を覚ましたのか、この迷路のような邸内を案内なしでよく歩けたものだ、とか言いたいことはたくさんあったがその紅葉の疑問を何ひとつ抱いていないのか普通に話し出した鬼灯に最も驚いた。

「棗芽。お前はもう少しここで休んでいなさい。そんな状態では足手まといだ」

「随分なおっしゃりようですがこう見えても数多の死戦を潜り抜けてきた自負はありますよ」

「その割にはすっかり敵にやられているではないか」

「守る者がたくさんいて手が足りなかったのです。お察しください、兄上」

「お前が守りたいのはその紅葉殿だけではないのか」

「まあ、そうとも言いますね。さすが兄上、よくおわかりで」

「ふん。お前がそこまで執着するのは見たことがない。浮ついた気持ちではないことはわかったからそれ以上、仲の良さを私に見せつけるな」

「こんなの、兄上と義姉上あねうえに比べれば序の口ではありませんか」

「私とあおいを引き合いにするな」

 呆れ顔をする鬼灯に棗芽は笑いで返した。

 兄弟が問答する間、紅葉はずっと棗芽に背後から抱きつかれたままだった。

 どうしていいかわからず硬直していた反面、居心地の良さも感じていた。

「とにかく私もすぐに追いかけますから、先に出立してください、兄上」

「…………」

 しばらく訝しげに視線を向けていた鬼灯も諦めたのか、深いため息とともに1度だけ頷くとすぐに踵を返して立ち去った。

 鬼灯の姿が見えなくなると紅葉は棗芽の腕を振り払って振り返った。

 彼女の目に映る棗芽の姿はまさに満身創痍である。

 そこに立っていることが不思議はほどだった。

 紅葉は棗芽の腕を掴んで迫った。

「な、棗芽。急に倒れたのに出歩いて大丈夫なのっ!? それにどうやって迷わずにあたしの部屋から出て来たの? そ、そんなことより本当に御形様を追うつもりなの!?」

「紅葉……立ちくらみのまま倒れてしまったのは不覚でした。でももう大丈夫です。ここまで来れたのは1度通ったことがある道筋は忘れない体質なので。あの陰陽師のことはこのまま追うつもりです。これで満足しましたか? みないつも質問が多すぎるな……君も含めて」

 棗芽はため息をつきながら言った。

 質問が多くなってしまうのは棗芽の行動が常に普通ではないからだと言いたかったが、紅葉はぐっと堪えて黙した。

 御形を追うという鬼灯に助っ人が必要なことも、それには棗芽しかいないことも理解しているが、怪我をした今の状態で再び戦いに身を投じて大丈夫なのだろうか。

 このまま送り出してしまってもし万が一のことがあれば、これが今生の別れになってしまうのではないか……。

 そう考えると、引き留めるべきではないと頭ではわかっていてもつい口をついてしまう。

「棗芽、あの——」

 だが棗芽は紅葉に最後まで言わせなかった。

 口元に手を当てられ、何も言えなくなった紅葉に棗芽は腰を屈めて目線を合わせた。

「今度こそ、全て片付いたら迎えに来ます。だから君はここにいてください。今はここにいる方が安全です」

 紅葉は口に当てられた棗芽の手を両手で退けた。

「でもっ、あの御形様を相手にするんだから無事でいられる保証なんてどこにも——」

 すると棗芽は紅葉の頭に手を乗せて満面の笑みで言った。

「私は約束は守る男です」

「知ってます……」

 棗芽が律儀に約束を守る性格なのは知っている。

 吐息がかかるほど近くに迫った棗芽の顔に、紅葉は思わず頬を赤らめた。

「それなら結構。君は自らの意思で戻った。だからもう2度と逃すつもりはないから覚悟することだ」

「か、覚悟って……?」

 紅葉が声を小さく呟くと、棗芽の眼差しが俄かに真剣味を帯びた。

 それまで頭に乗せられていた彼の手が後頭部へ滑り降りたかと思うと強く引き寄せられる。

 気がついた時には唇が重ねられていた。

 何が起きたのかわからず呆然としながらも嫌な気はしなかった。

 むしろ棗芽の熱を感じて嬉しかった。

 そっと離れていく唇に名残惜しさを感じるほどだった。

「では行ってくる」

 そう言って棗芽は立ち去っていった。

 紅葉は棗芽が触れた唇にそっと触れた。

 まだ彼の感触が残っている。

 これはどういう意味なのか、聞きそびれてしまった。

 我に返って振り向いたがすでに棗芽の姿はなかった。

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