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第80話 少輔たちの密談

 人払いをした刑部省ぎょうぶしょう悠蘭ゆうらんが右大臣を探しに出て行ったことでさらに静けさを増した。

 兵部少輔ひょうぶしょうゆう刑部少輔ぎょうぶしょうゆう中務少輔なかつかさしょうゆう——要職に就く3人が一堂に会することは滅多にないことで、部屋を追い出された刑部省の官吏たちは彼らは一体何を話しているのかと興味津々に様子を伺っていたが、話の内容までは聞こえなかった。

 予定外に話が逸れてしまったが、黙り込んだ李桜りおうはもともと話そうと思っていた内容について考えていた。

 謎はますます深まっている。

 事態は輪廻の華と呼ばれる百合ゆりが異能を受け継いだことから始まっていると思っていたが、実はそのもっと前からだったとしたら……いろいろ見えてくるような気がした。

 百合の異能を持っていたのは樹光じゅこうという僧侶に受け継いだ先帝の妃、芙蓉ふようである。

 芙蓉は自らが残した『常闇日記とこやみのにっき』の中で、異能を受け継ぐつもりがないことを記していたにも関わらず、実際は僧侶に託した。

 それが今の百合に繋がっている。

 心変わりした理由はわからないが『白蓉記はくようき』を読む限り、今際の際に託したことが明らかになっているのだから、先帝の命と引き換えに何かを残そうとしたのかもしれない。

「ねぇ、紫苑しおん。今朝、僕に残していった禁書のことなんだけど」

「あれがどうかしたのか」

「『常闇日記』と『白蓉記』、それにもう1冊あったよね。あれは何だったの?」

「何言ってるだ、李桜。お前、読まなかったのか」

「違うよっ。1冊は悠蘭に手渡したんだ。ここでその内容を確認するつもりだったんだけど、話が逸れて聞きそびれたんだよ」

「あぁ、そういうことか。渡したもう1冊は『橄欖園遊録かんらんえんゆうろく』だったと思うぜ? 先帝が可愛がってたっていう茶人が帝を暗殺しようとした春の園遊会の記録だ。その茶人、白檀びゃくだん殿の師匠だったって。その師匠に嵌められてあの人は宮中を追われたらしいな」

「へぇ……あいつの……」

 李桜は紫苑からその禁書の詳細を聞いてさらに考え込んだ。

 芙蓉が異能を使って死にかけた先帝を救った。

 殺そうとしたのは先帝の友として長年そばに仕えた茶人だった。

 それも自分の弟子であり、殺そうという相手の実の子を使って、という極めて残酷な方法を選択している。

 普通では考えられない所業でないだろうか。

 茶人を暴挙に導いたのは何なのか。

 それがわからない。

「ところで宮中を追われた白檀はどうして備中国びっちゅうのくにに行くことになったんだろうね。罪人扱いとなって宮中にいられなくなったのはわかるけど、行き先は別に備中でなくてもよかったはずだけど」

「それは備中が受け入れるって表明したからだろう?」

「だから何で? 縁もゆかりもない国じゃないか」

「備中には何かあるみてぇだってとこまではわかったけど、詳しいことは俺にもわからなかったさ」

 苦虫を噛み潰したような顔をする紫苑は珍しい。

 同じ疑問を抱えてもどかしく思っているのは紫苑も同じなのだろう。

 するとそれまで静観していた杏弥きょうやが急に口を開いた。

「それは土御門つちみかどが考えていた通り、風雅の君を帝にするためだろう?」

「それって傀儡ってこと?」

「そんなことは知らぬ。だが自分たちの思い通りになるようにしたいという願望はあったのだろうな」

「そんなこと、実現すると思うの?」

「それをできると思っていたのが近衛柿人このえかきひとだったのではないのか? 親幕派の多い今の朝廷を乗っ取って自分たちのものにしようとする奴らの考えることなど俺にはわからぬ」

「あんただってやろうとしてたことはあんまり変わらないんじゃないの」

「馬鹿を言うな。俺は鷹司たかつかさ家が何とか摂家の高い地位になれるよう望んだだけで今の朝廷を乱そうなどと考えたことはない!」

「浅はかにもろくに考えずに行動するからこういうことになるんだよ」

「…………っ」

 李桜の言う、こういうこととは紫苑の監視付きになるということを指しているが、杏弥もそれは理解しているようでそれ以上反論はしてこなかった。

「違いないな」

 とどめに紫苑が呟くと杏弥は視線を逸らし、すっかりへそを曲げてしまった。

 李桜はそんな杏弥を無視して続けた。

「仮に今の朝廷にいる公家たちを抱き込めたとして、帝はどうするのさ。帝が退かない限り風雅の君がその地位に就くことはあり得ないよ。今の帝は誰も顔を知らない。密かに……なんてことは無理でしょ。御所を武力で攻めるなんてことしたら、きっと幕府を敵に回すことになる。少なくとも鬼灯きとう様は黙ってないよね。時華ときはな様とも親しいわけだし」

「だよなぁ。だから余計にわかんねぇんだよ。備中の奴ら——関係してるのは中心にいる奴らだけかもしれねぇけど、一体、何がしたいのかねぇ」

「それだよ。しかもよしんばうまく朝廷を掌握できたとしても、風雅の君はあの性格だよ? 黙って人の言うことを聞くとは到底思えないけど」

 李桜が知る限り、白檀は常に自分意思で動いている。

 その彼が誰かの言いなりになるとは思えない。

 そもそもみやこに未練があり、帝の地位を欲しているのなら、彼ならもっと早い段階で行動を起こしているだろう。

 それが今でものうのうと本名を隠し茶人を名乗っているのだから政に興味があるとは到底思えなかった。

「ねぇ、あんたたち、他にも禁書を読みまくったんでしょ? 何か手掛かりになるものは他になかったの?」

「手掛かりって言ってもなぁ。やっぱりこれ以上、禁書の中からってのは難しいかもな。悠蘭が何か掴んで戻ってくるのを待つしかないんじゃねぇか?」

 他人ごとのように言う紫苑に半分呆れ返った李桜は盛大にため息をついた。

 備中国に何があるのかはわからない。

 本当の目的もよくわからない。

 風雅の君を引き取って何をしようとしていたのか。

 もし、『橄欖園遊録』に記録されていた事件が仕組まれていたものだったとしたらどうだろうか。

 目的は帝を暗殺することだけでなく、風雅の君を得ることも目的だったとしたら……?

 体よく宮中にいられなくなった風雅の君に助け舟を出すふりをして実はまんまと思い通りになったとほくそ笑んでいたとしたら……?

「やっぱり悠蘭が戻るのを待っていられない」

 李桜は立ち上がった。

 彼の呟きに紫苑と杏弥は目を丸くする。

「そんなに焦ったところで状況は変わらぬぞ、中務少輔」

「いや。何だか嫌な予感がするんだよね。帝に何かあってからじゃ遅いから」

「は……? なぜここで帝が出てくるのだ?」

「そうだぜ、李桜。心配性にも程があるだろ」

 まともに取り合おうとしない紫苑と杏弥を無視した李桜はこうしてはいられないと急に踵を返した。

「あっ、おい、李桜!?」

 背中から聞こえてくる紫苑の声を無視して、李桜は刑部省を出た。

 目指すのは自らが所属する中務省だった。

 李桜が生き字引と表現した山科槐珠やましなえんじゅに会うためである。

 山科なら当時のことを知っているに違いない、そう思った。

 外に出ると目の前には兵部省ひょうぶしょうと隣り合う弾正台だんじょうだいがある。

 朱雀門からは近いが目指す中務省との間には朝議を行う朝堂院があるため、少し歩かなければならない。

 数歩進むと自然と腹の虫が鳴った。

 考えてみれば昼餉も取らずにいた。

 気がつくとわずかに陽が傾き始めている。

 まずは腹ごしらえをしようかと思いながら進む。

 弾正台、兵部省の前を通り過ぎてまもなく朝堂院の近くまで辿り着こうかという時、慌ただしく駆けていくふたりが目に入った。

 ふたりはどこから現れたのか、朱雀門の方へ向かっているようだ。

 李桜は目を丸くした。

「あれは……」

 立ち止まり呆然と眺めていると、背中から声をかけられた。

「李桜、何突っ立ってるんだ?」

 振り向くと杏弥を連れた紫苑が立っている。

 李桜を追いかけてきたようだ。

 相変わらず杏弥は不機嫌そうにしていた。

「紫苑。あのふたり、見てよ」

 李桜が指差す先には九条家家臣の松島と弾正尹だんじょういんがいた。

 まるで松島が弾正尹を導いているように見える。

 しかもふたりは小走りで朱雀門に向かっているようだ。

 ふたりを認めるなり、紫苑も首を傾げた。

「あれは松島殿じゃねぇか。時華様の迎えならまだしも、何で弾正尹様と一緒なんだ?」

「さぁ……。でも悠蘭は、よく弾正尹様が九条邸に来るって話をしてたよね、確か」

「そういや、そんなこと言ってたな。あのふたり、九条邸に向かってるのかな」

 朱雀門の前には九条藤の紋が付いた牛車が停まっている。

 ほどなくして弾正尹はその九条家の牛車に乗り込んだ。

 白昼堂々と他家の牛車に乗り込む弾正尹の姿は目を疑うほどあり得ないものである。

 官吏たちを監察する立場にある弾正尹は、特定の官吏と親しくしないと言われている。

 実際、しんと名乗った現職の弾正尹も例外ではない。

 本当の名前や家すらも明らかになっていないのに、いくら摂家とはいえ九条家の牛車に乗るなど普通では考えられない。

「九条家の牛車に乗ったな」

「乗ったね」

 動き出した牛車を見送りながら紫苑と李桜は互いにひとり言のように呟いた。

「でもやっぱり変だな。悠蘭は時華様を探しに行ったはずだろう? 悠蘭の奴、言ってたよな? 今朝、書庫で時華様に見つかったって。それなのに主人の供をしないで他人の供をする家臣がいるか!?」

 紫苑が言うことにも一理ある。

「確かに……時華様はどこに行ったんだろう」

 悠蘭によれば、時華は身に危険が及ぶかもしれないからこれ以上関わるなと言ったという。

 確認に行った悠蘭が戻るまで定かではないが、先帝の妹姫が密かに時華の元へ嫁いだとすれば、時華の言う危険というのは先帝や皇家に関わるものなのかもしれない。

「僕はあの牛車を追うよ」

 言ったそばから李桜の足はすでに朱雀門へ向かっていた。

 九条家の牛車は動き始めていたが目的地はわかっているし、そう遠くないところである。

 李桜は空腹であることも忘れ、一路九条邸へ向かった。

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