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第8話 悩み多き青年たち

 自分の邸へ戻った西園寺李桜さいおんじりおうは、夜空の星を映し出す池の水面を呆然と眺めていた。

 妻の椿つばきを連れて六波羅御所ろくはらごしょから戻ってきたのは日付も変わろうかという頃だった。

 深夜ということもあり邸の中は静まり返っている。

 邸内を照らす明かりも必要最小限に抑えられており人の気配はまるでなかったが、それはいつもの西園寺邸と何ら変わりないことだった。

 ただいつもと違うのは当主である李桜の心中である。

 心の中が騒がしく、なかなか寝付くことができなかった。

 思えば何と騒がしい夜だったことだろう。

 人の賑わう星祭り会場に出向いたのは、月華つきはなの妻である百合ゆりの異能を消す方法を知っているかもしれない白檀びゃくだんに接触するために鷹司杏弥たかつかさきょうやを利用するためだった。

 だが実際には異能を消す方法を探るどころか、肝心の輪廻の華が攫われた。

 攫おうとした男へ向かっていったという悠蘭ゆうらんは負傷し、彼を背負って六波羅へ避難しようとしたところで、かつて敵対した茶人の白檀とも遭遇した。

 心穏やかにいられるはずはなかった。

 李桜が無意識に拳を強く握りしめていると背中から声をかける者が現れた。

「眠れないのですか、李桜様」

 振り返らずとも李桜はその声の主が誰なのかわかった。

 あえて何も答えずにいると、声の主は李桜の隣に立って再び口を開いた。

「椿様はお休みなられましたか」

「……寝付くまで僕の手を離してくれなかったけどね。今はぐっすり眠ってるよ。ずいぶんと疲れたに違いない——そんなことより、芭月はづき。こんな夜更けに僕たち以外誰もいないってわかってるんだから、普通にしてくれない?」

 苛立った様子の李桜の頭に手を置くと、苦笑した家臣の三木芭月みきはづきは言った。

「そうだったな」

 芭月は照れくさそうに頭を掻きながら手にしていた土瓶を李桜の前に差し出した。

 ちゃぷちゃぷと中身が波打つ音が聞こえる。

「李桜。眠れないのなら久しぶりに寝酒でも呑まないか」

「寝酒になるとは思えないけど……いいよ、今夜はあんたに付き合う」

「付き合ってくれ、の間違いじゃないのか」

「う、うるさいな。いいからそこに座りなよ」

 ふたりは李桜が指さした庭の一角に腰を下ろした。

 芭月は向かい合ったふたりの間に土瓶を置く。

 互いに気の向くまま土瓶に口をつけ、直接酒を喉に流し込んだ。

「それで、眠れない理由はなんだ? まさか椿様と喧嘩したとかいうくだらない理由じゃないだろうな?」

「違うよっ」

「まあ、そうだろうな。今のお前なら喧嘩するまでもなく先に折れることだろうさ。お前にとって椿様はもはや心の蔵そのものだものな」

「……何だか棘のある言い方だな。まあ、否定はしないけどね。椿のいない世界で生きてるなんて僕にはもはや意味のないものだよ」

「はははっ。家庭にも官吏にも興味を示していなかったあの頃が懐かしいくらいだ」

「な、何だよ。人はね、変わるものなんだよっ」

「そのとおりだ、李桜」

 照れ隠しに土瓶の酒をごくごくと飲む李桜を芭月は至極嬉しそうに目を細めて見つめた。

 李桜はそんな芭月の視線に耐えかねてあからさまに目線を逸らした。

 両親を突然の事故で失い、自暴自棄になってすべてを捨ててしまおうとしていた時に芭月から生きろと諭されたのはいつのことだっただろうか。

 その時は他ならぬ兄と慕う芭月の願いを叶えるためだと思って西園寺家の当主となり、官吏になることを決めたが今となってはそうしてよかったと心から思える。

 照れくさくて面と向かって礼を言うことはできないが、李桜は導いてくれた芭月に心から感謝していた。

 まだ酒の残る土瓶を芭月に差し出すと、彼は嬉しそうにその酒に口をつけた。

「そういえばお前たちは星祭りとやらに行っていたんじゃないのか。まさか、その祭りで何かあったのか?」

「…………」

 李桜は返答に困ってしまった。

 何もなかったわけではない。

 何もなかったどころか大ごとになってしまった。

 百合は連れ去られ、月華や雪柊せっしゅうは連れ去られた彼女を取り返しにいくという。

 おまけに姿をくらませていた白檀も現れ、明日には鷹司杏弥を訴追しなければならない。

「無理に訊き出そうとも思わないが、李桜、忘れるな」

「……何を?」

「お前はひとりじゃないということをだ。俺だけじゃない。いつもお前の周りにいてくださる方々はみな、必ずお前が求めれば手を差し伸べてくださる」

 芭月の言葉に李桜ははっとした。

 百合を心配する椿の心情に流されている場合ではない。

 かつて敵対した白檀への怒りを再沸させている場合でもない。

 たとえ何があったとしても日が昇ればまたいつもの日常が始まるのだ。

 明日からはやらなければならないことが山のようにある。

 李桜はもうしばらく芭月とのささやかな酒宴を楽しんだ後、明日に向けて休むことにした。



 縄を打った鷹司杏弥たかつかさきょうやを連れた久我紫苑くがしおん今出川楓いまでがわかえでは、六波羅ろくはらを出たその足で御所へ移動した。

 さすがに夜中とあって警護する六衛府の役人以外に人影はほとんどない。

 昼間は多くの官吏で賑わう御所の中も今は妙な静けさに包まれており、ともすれば妖に遭遇しそうな不気味さを感じる。

 玉砂利を踏む3人の足音が辺りに響き渡った。

「楓殿、俺に気を遣ってるんならその気遣いは不要だぜ?」

 紫苑は嫌がる杏弥を先に促しながら並んで歩く楓に言った。

 北条鬼灯ほうじょうきとうからの指摘を受け、反省した紫苑は朝まで御所の中にいるつもりでいた。

 すでに日付を跨いでおり、あと数刻もすればどの部署の官吏たちも順に出仕してくる。

 下手に久我家へ連れ帰り状況説明を求められるくらいなら、寝ずにここで朝を迎えた方がましだと紫苑は考えたのだった。

「別に気を遣っているわけではない。実は私も行きたい場所があるのだ」

「奇遇だな。実は俺もなんだ」

 ふたりとも行き先はあえて口にしなかったが、同じ方向へ足を向けていた。

 縄で繋がれ、自由を奪われて歩かされている杏弥が言った。

「いい加減、俺の縄を解いてくれぬか」

 まったく反省の色を見せないその言葉に紫苑と楓は互いの顔を見合った。

 そして紫苑は大きくため息をついた。

「お前なぁ。自分の犯した罪の大きさを理解してるのか」

「お、俺は直接手を下していないっ。全部あの山吹やまぶきとかいう隻眼の武士がやったことではないか」

「その隻眼の武士とつるんでたんだろうが」

「そんな証拠はどこにもないっ」

「お前、六波羅でのこと、覚えてねぇのかよ」

「何だと?」

「お前は俺たちの目の前であの隻眼の武士と会話してたじゃねぇか。それだけでも十分関係があったとわかるだろ? 現行犯も同然だ」

 ぐうの音も出ずに言葉を失った杏弥に、紫苑は意地の悪い笑みを浮かべながら続けた。

「だがお前のこれからの働きによっては減刑を陳情しないでもない。弾正尹だんじょういん様さえ何とか丸め込めれば不問にすることもできるかもしれねぇな」

「ほ、本当か!?」

 それまで視線を逸らしていた杏弥だったが、見逃してくれるかもしれないとわかり急に表情を明るくした。

 現金なものである。

「それはお前の働き次第だ」

「……何をさせようと言うのだ」

「俺の嫌いな机仕事を手伝ってもらう」

「机仕事……? で、お前たちはどこへ向かっているのだ」

 訝しい表情を浮かべる杏弥の問いに紫苑と楓は同時に答えた。

「書庫だ」

 見事に同調した回答に互いに驚いた紫苑と楓は顔を合わせるなり、小さく噴き出した。

「やはりそなたも書庫へ向かっていたか、紫苑殿」

「ああ。ちょっと調べたいことがあるんだ」

「私もだ」

 杏弥だけがわけがわからないとばかりに首を傾げていた。

 ほどなくして3人は書庫に辿り着いた。

 深夜とあってさすがに図書寮ずしょりょうの官吏はおらず、書庫の扉には閂がされているだけの簡易的な鍵しかかけられていない。

 まさかこのような夜更けに書庫を訪れる者がいるとは誰も考えていないのだろう。

 図書寮を管轄する楓が勝手知ったる様子で、片手で軽々と閂を外した。

 引き戸をゆっくりと開ける。

 明かりがなく中は見えないが人の気配はない。

 紫苑は杏弥を繋ぐ縄を握り直し、固唾を呑んで足を踏み入れた。

 昼間とは違い、書庫の中はひんやりとしている。

 そして静寂に包まれていた。

 紫苑が恐る恐る奥へ進もうとすると、無神経な杏弥が普通に話しかけてきた。

「おい——」

 その声に驚き、紫苑は肩をびくつかせた。

「急に大きな声を出すな」

「何をびくついているのだ。誰もいないではないか」

「俺はな、幽霊とか妖とかいう類は苦手なんだ! こんな薄気味悪いところ、できれば来たくねぇんだよ」

 目くじらを立てて反論する紫苑へ、杏弥は半ば呆れた顔を向ける。

「くだらない。幽霊などいるわけがなかろう。しかもここは帝のおわす御所の中なのだぞ? 陰陽師たちが結界を張っておろうが。そんなところへどうやって妖が入り込むというのだ」

「黙れっ! 雰囲気の問題だ、雰囲気の」

 紫苑と杏弥のやり取りを後ろで見ていた楓は密かに腹を抱えて笑った。

 常に楽観的で周囲には圧倒的な存在感を見せる紫苑にも苦手なものがあったのだと思うと楓はおかしくて仕方がなかったのである。

「で、そんなことよりお前たちはここで何を探すつもりなのだ?」

 杏弥はふたりに訊ねた。

「禁書だ。楓殿、あんたもそうなんだろ?」

「ああ。私たちは知らないことが多すぎると思っている」

「俺もだ。だから杏弥、お前にも手伝ってもらうからな」

「手伝う、とは?」

「ここの禁書を朝までに読み漁るつもりだ」

「……はぁ!? 兵部少輔ひょうぶしょうゆう、お前、気は確かか? 一体何冊の書があると思っているのだ。それをたった3人で——しかもこんなところでは暗すぎで読めぬではないか」

「だから朝までなんだよ」

「…………?」

「ここから明かりのとれる場所まで持ち出すしか読む方法はねぇだろう? だから持ち出して読んでは戻して、を繰り返すことになる。図書寮のやつらが出仕してくる前までに終わらせなきゃならねぇからさ」

 杏弥は顎が外れそうになるほど開いた口が塞がらなかった。

 禁書の棚には、それこそ誰も閲覧しないことをいいことに無造作に積まれた書物の山が多数ある。

 それは常に崩れそうになりながらも絶妙な均衡で山を保っている西園寺李桜の文机の上とは比較にならない量である。

 徹夜どころか本当に朝までにすべてに目を通せるとは到底思えなかった。

「それじゃ頼んだぜ。刑部少輔ぎょうぶしょうゆうさんよ」

 紫苑はこのままでは手伝いはできなかろうと杏弥を繋いでいた縄を解いた。

 逃げようと思えば逃げられるのかもしれないが、ここは紫苑に従って大人しく手伝った方がその後の展開が有利になると考えた杏弥は黙って縄を解かれた手首をさすった。

「とりあえずこの辺から持っていくか」

 そう言って手近にあった棚から30冊ほど引き抜いた紫苑はそれを楓と杏弥に10冊ずつ割り振った。

 常に書簡をあちこちへ持ち歩くことが多い楓は手を負傷していてもまるで日常茶飯事とばかりに紫苑から割り振られた書を受け取った。

 一方いつも部下に持ち運ばせている書簡の山をほとんど自分で持ち歩いたことがない杏弥はその重さに一瞬、体をよろめかせた。

「紫苑殿、この書庫からなら兵部省の建物の方が近い。そなたの文机で作業することにしよう」

 楓の提案を二つ返事で請け負った紫苑は意気揚々と書庫から出た。

 それに続く杏弥は手元の書物を眺めて深いため息をつく。

 手伝った方が利があると1度は思ったが、もうすでにここから逃げ出したかった。

 しかし後ろから楓が監視の目を光らせており、もはや逃れることはできないのだと杏弥は肩を落としたのだった。

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