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第79話 亡き父の言葉

 内裏へ戻った榛紀しんきは清涼殿に入るなり、文机に伏した。

 悠蘭ゆうらんの助けを得て何とか叔父の時華ときはなに見つからずに済んだ。

 見つかれば何を言われるか、わかったものではない。

 何度となく九条邸に世話になってきたが、月華つきはなや悠蘭はそのことをどう思っているのだろうか。

 血の繋がった従兄弟であることを知ったらどう思うだろうか。

 だが、真実を告げることはおそらく彼らのためにならない。

 皇家に縛りつけたくないからこそ、時華も息子たちに何も言わないのだろうと思うからだ。

 兄の白椎はくすいはどうだろうか。

 九条家の兄弟は風雅の君が白椎であり、本当なら帝の地位につくはずだったことを知っているのだろうか。

 長年、備中国びっちゅうのくににいるとわかっていながら会うことが叶わなかった兄との再会は榛紀の心を満たした。

 これまでの孤独な日々を白椎の存在が埋めてくれた、そんな気がした。

 本人は否定したが全てが片付いたら、兄はそばにいてくれるだろうか。

 近江の紅蓮寺ぐれんじに世話になるからいつでも会えるなどと言っていたが、できればこの清涼殿に居を移してほしい。

 唯一の兄——白椎が無実の罪を着せられて宮中を去ることになったあの日。

 帝である父は決して白椎を見送ろうとしなかった。

 それがなぜなのか理解できず、幼いながら兄を何とか宮中に戻そうと懇願したことをよく覚えている。

 しかしあの日、父は大事なことを言っていたはずなのに感情的になっていた榛紀はそれが何だったのか思い出すことができなかった。

 文机でうとうととしながら、遠い記憶の淵に落ちていく——。



「憂いことだがこれは白椎のためだ、白椎が何も悪くないことはわかっている」

 父の凌霄りょうしょうはそう言った。

「ではどうして……っ」

 榛紀は詰め寄ったが凌霄は何も答えなかった。

 それどころか手近にいる女中を呼び寄せ、榛紀を下がらせたのだった。

 榛紀が女中の後に続き廊下を歩き始めると、向かいから見たことのない官吏の男がすれ違いざまに深々と頭を下げていった。

 榛紀とは入れ違いに帝へ用があるのだと悟った彼は女中に気づかれないように男の後についていった。

 父から遠ざけられたのだから部屋の中まで入ることはできない。

 外から中の様子を伺うしかないため、誰にも見つからないように細心の注意を払って榛紀は物陰に隠れた。

 凌霄の前に出た官吏は相手の求めに応じて口を開いた。

「お呼びでしょうか」

「調べはついたのか、鳶尾とびお

刑部省ぎょうぶしょうの話では残念ながら風早橄欖かざはやかんらん殿は最期まで口を割らなかったようです。すでに刑は処されてしまいましたので、死人に口無しですな」

 鳶尾と呼ばれた官吏はそう言った。

 どうやらふたりは事件の話をしているらしい。

 榛紀が耳を澄ませていると話はまだ続いた。

「やはり橄欖は白椎の湯に毒を入れたのだろうか」

「白椎様が茶をお点てになる際に使用された湯には毒空木どくうつぎの成分が入っていたようです。皇子の手を使って帝を弑し奉ろうとするのですから恐ろしいことを考えるものです」

「……橄欖の発想だとは思えぬ。あの男にはそこまでの度胸はないはずだ」

「わたくしもそう思います。何かあったのは間違いございませぬが真相は闇の中へ葬られてしまいました」

「橄欖……」

 風早橄欖は凌霄の親しい友であり、白椎が師と仰ぐ茶人である。

 先の園遊会で橄欖が用意した湯に毒が入っており、帝殺しの罪を問われて極刑に処されたばかりだ。

 その橄欖が用意した湯で茶を点てたのが白椎だった。

「ところで陛下、お加減はいかがですか。あの園遊会の折に突然倒れられた時には本当に驚き、肝が冷えました」

「大事ない。芙蓉ふようが命懸けで救ってくれたのだ。無駄死ににするわけにはいかぬ」

「芙蓉様は……残念でございました。まさかお亡くなりなろうとは……」

「制限を超えてしまったのだから仕方がない」

「制限、とは何のことでしょうか」

「いや……こちらの話だ。それよりも白椎は無事に備中国まで行けそうか?」

「彼の国に入るところまでは、白椎様の護衛をされていた久我雪柊くがせっしゅう殿がお供してくださるそうですから問題はないかと。備中国へ入ればあの方がそばで見守ってくださるはずですから。ですが本当に白椎様を宮中からお出しになってよろしいのですか」

「本当は手元に置いて守ってやりたいが、私のそばにいることが白椎にとって危険であることが証明されてしまったからな。あの子の命を守るためにはあちらに置いておく方が安全なのだろうと思う」

「…………」

 鳶尾はひと通り話し終えたのか、再び首を垂れると凌霄の前を辞した。

 近づいてくる鳶尾に見つからないように右往左往していると、頭上から声が聞こえた。

「榛紀様。盗み聞きとは感心しませぬな」

「あ、えっと……」

 かがみ込んだ鳶尾の顔が近づく。

 叱られると思いきや、まるで親戚の子をあやすように肩に手を乗せられた。

「お父上にお訊きになりたいことがあるのでしたら、直接お訊ねなさいませ」

 鳶尾が立ち去るのを呆然と見送っていたため、隠れていたはずの姿が露わになっていることに気がついていなかった。

「榛紀……」

 呆れ顔の父に言い訳する間もなく手招きされ、榛紀は父の前に正座して小さく肩を丸めた。

「申し訳ありません、父上。立ち聞きするつもりではなかったのですが、どうしても兄上が宮中を出なければならないことが納得できず……」

「それで戻ってきた、というわけか」

「はい……あの、兄上が父上と一緒にいると危険だというのはどういうことでしょうか」

 顔を上げると近づいてきた父に抱き上げられた。

 そのまま膝の上に乗せられる。

 温もりを感じた。

「いずれお前にも話す時が来るかもしれぬな。だがまだ今は知らなくてよい——」



 ふと目を開けるとそこは自室であることに榛紀は気がついた。

 亡くなった父の温もりは幻と化した。

 夢か……。

 そう思う反面、徐々に鮮明になる意識が過去の記憶を呼び起こす。

 図書寮ずしょりょうの書庫から勝手に持ち出して読んだ『橄欖園遊録かんらんえんゆうろく』にも書かれていなかった事実があった。

 帝暗殺の罪で極刑に処された風早橄欖が最期まで口を割らなかったことで、なぜ彼が帝の弑逆を計画したのか記録に残らなかったが、父は事件の後、橄欖の意思ではないことを理解していた。

 あの事件の裏には何かあるのだ。

 芙蓉が亡くなったことも、白椎を宮中から出さなければならなかったことも。

 だが肝心のことは教えてもらうことができなかった。

「…………」

 榛紀は夢の中の遠い記憶を辿る。

 あの時、清涼殿に報告にきた官吏がいた。

 鳶尾——そう呼ばれていた官吏は、今も朝廷にいる。

 弾正尹だんじょういんとしての顔も持つ榛紀は全ての官吏のことが頭に入っているのだ。

 榛紀は文机に無造作に置かれた書簡の中からひとつを取り出した。

 それは人事異動に関する報告であった。

 人不足で立ち行かなくなっている中務省なかつかさしょうへ宮内省から鳶尾誠とびおまことを異動する、と書かれてある。

 鳶尾といえば長らく宮内省に勤めてきた重鎮。

 宮内省の官吏あれば、あの日、清涼殿に報告にきたことも頷ける。

 榛紀は勢いよく立ち上がった。

 居眠りしている場合ではない。

 鳶尾を探さなければならない。

 当時のことを知っている唯一の証人と言えるかもしれないのだから。

 自室を出ようと早足で歩き出すと、女中に案内された思いがけない人物と遭遇した。

 女中が案内してきた人物——それは叔父の懐刀とも言える九条家家臣の松島だった。

「……松島? こんなところで何をしている」

「榛紀様。お忙しいとは存じますが、実は主が……」

 松島は榛紀に向かって恭しく1通の文を差し出した。

「これは?」

 訊ねても俯くだけで何も答えない松島を不審に思い、榛紀は文を受け取った。

 裏には時華の署名がある。

 右大臣である時華は、今、御所の中にいるのではないのか。

 陽の高いうちから同じ場所にいて文を寄越すなどこれまでなかったことだった。

 榛紀は直観的に何かあったに違いないと思い、急いで文に目を通した。

 

 ——最近、心の臓の病が再発して胸が苦しいのです。もう長くないかもしれぬので最期にひと目お会いすることはできないものでしょうか。


 文にはそう書かれていた。

 榛紀はすぐに俯く松島に声をかけた。

「松島、これは事実か!?」

「な、何がでございますか」

「ここに叔父上が心の臓を患っておられると書かれてある。胸が苦しいとはどういうことだ!? これまでそのような素振りは見たこともないが……」

「あ、主は弱っているところを誰にもお見せにならない方なのです」

「何!? では一大事ではないかっ」

 受け取った文を握りしめると榛紀は乱暴に懐にしまった。

 鳶尾を探しに行こうと思っていたが、それどころではなくなった。

「松島、九条家の牛車で参ったのだな!?」

「は、はい。さようでございます」

「では急ぎ案内せよ。私は九条邸の場所を知らぬ」

「こ、こちらでございます、榛紀様。邸までご案内いたします」

 先導する松島の背中を見つめながら榛紀は思った。

 最期などと言うほど重症だったのにこれまで負担しかかけてこなかった。

 何とかして病を治す方法はないのだろうか。

 もうこれ以上、近しい者が離れていくのは耐え難い。

 父の代わりのように育ててくれた時華のことを思うと、榛紀は平常心ではいられないのだった。

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