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第78話 皇家の秘密

 九条邸の寝殿。

 突然訪ねて来た男を前に時華ときはなはじっと考えていた。

 この男の言うことを信じていいのだろうか、と。

 訪ねて来た男——橘萩尾たちばなはぎおは、謎の文を寄越してきた張本人だった。

 萩尾の名は記憶になかったが、確かに時華が若かりしまだ駆け出しの頃、彼がかつての朝廷で弾正尹だんじょういんとして活躍していた姿が朧げに思い出される。

 多くの官吏から恐れられていたものだ。

そういう意味では今の弾正尹として活躍する榛紀によく似ている。

 だが、言葉を交わしたこともないような相手に助けを求めて来るだろうか。

 それが時華には最も解せないことだった。

 信頼を寄せるふりをして本当はこの九条邸に入り込むのが目的だったのではないだろうか。

 鉄壁の守りを誇るこの邸に赤の他人が入り込むことは簡単ではない。

 本当は先帝の御子たちを狙っている者とつるんで、九条家を内側から攻撃しようとしているのではないのか。

 考えれば考えるほど疑心暗鬼になっていくため、時華は思い切って真を問うことにした。

「萩尾殿。そなたが何者なのかはある程度、理解したつもりだ。だがひとつ、どうしても解せないことがある」

「何でしょうか」

「そなたと私は親しいわけではない。摂家の力が必要なら我が九条家でなくとも、鷹司たかつかさ家でも良かったのではないか。なぜ私のところに来た?」

 すると萩尾は一瞬面食らい、何度か瞬きしたがすぐに顔を綻ばせた。

「それは、時華様が蘭子らんこ殿を大事にしてくださったからです。そんなあなただからこそ、信頼するに値すると思いました」

 突如として亡き妻の名が出たことで今度は時華が面食らう番だった。

 時華は珍しく動揺した。

「蘭子……だと?」

「ええ。あの夜、内裏を飛び出した蘭子殿をあなたは受け入れられた。後ろ盾にもならない行方不明とされた姫を何の躊躇いもなく娶り、最期まで大事にされた時華様だからこそ、心は皇家に寄り添っておられると確信したのです」

 蘭子を九条家に迎え入れたのは彼女がそれを望んだからだったが、時華は妻として蘭子を深く愛した。

 目を閉じれば今でも妻の姿が鮮明に蘇る。

 時華にとって最悪の形で亡くなってしまった蘭子のことは今でも愛している。

 その蘭子とのことを、この男はどこまで知っているのだろうか。

「そして何の因果か、皇家の御子たちを狙っている御形が最も執着する輪廻の華を迎え入れられた。これはもう、運命としか思えませんでした」

「…………」

 油断した。

 時華はそう思った。

 萩尾が先帝の友だったと言った時点で蘭子との繋がりを疑うべきだった。

 蘭子が皇家出身の姫であったことは九条家最大の秘密である。

 長年、時華がひた隠しにして血を引く実の息子たちにも真実を告げなかった。

 皇家を嫌った蘭子が関わりを持たせないように望んだこともさることながら、時華自身も深く関わることは息子たちの自由を奪うことになると考えたのである。

 図らずもすでに月華つきはなには知られてしまったが、悠蘭ゆうらんにはできれば知られたくない。

 ましてや偶然この場に同席している他家の今出川楓いまでがわかえでに知られるわけにはいかないし、義娘の菊夏きっかにもまだ伝えるつもりはない。

 彼女には百合ゆりと同じように血を引く子を身籠るまでは真実を告げないつもりでいる。

「その話は——」

 時華が濁そうとすると、そこへ割り込んできた声に全員の視線が集中した。

「父上。その話、俺たちにも聞かせていただけませんか」

 そう口にしたのは備中国びっちゅうのくにへ行っているはずの月華だった。

 なぜかその後ろには悠蘭も控えている。

「月華、いつ戻ったのだ」

「つい先刻さっきです」

「百合殿は?」

「取り戻しました。今は華蘭庵からんあんで休んでいます」

 時華は安堵の息を漏らした。

 幼い娘にとってまだまだ母は必要である。

 幼少期に母を亡くしてしまった息子たちの二の舞にはしたくなかった。

「……悠蘭も戻っていたのか。お前たちはなぜ一緒におるのだ」

 蘭子の話を悠蘭に聞かせたくなかった時華は何とか話を逸らそうとしたが、その思惑を目の前の萩尾がいとも簡単に打ち砕いた。

「よくあの妹尾家から輪廻の華を連れ出せたものだ」

 話をややこしくするような萩尾の発言に月華は片眉を上げて言った。

「……そちらは? 見かけぬ顔だが我が九条家に何の用だ」

 日頃家族に見せる顔とは全く違う顔を見せる息子を見た時華は、一触即発の空気を感じてふたりの間に入ろうとしたがすでに時は遅かった。



 悠蘭を連れて父の時華を問い詰めようと寝殿にやって来ると、そこには奇妙な光景が広がっていた。

 なぜか楓と菊夏が父のそばにおり、その父と膝を突き合わせる謎の男がいる。

 鉄壁の守りを誇る九条邸に見知らぬ人物がいること自体が珍しい。

 見知らぬ男は振り返った。

 やはり顔は見たことがない。

 意思を持った視線が月華とぶつかる。

 まるでやましいことは何もない、と言っているかのようだった。

「これは失礼した、九条月華殿。私は橘萩尾と申す。そなたとはすれ違ってしまったようだ」

「すれ違った?」

「ああ。私は備中国の妹尾家から来たのだ」

 月華はすかさず身構えた。

 腰に差したままの刀の柄に手をかける。

 備中国の妹尾家と言えば百合を攫って行った武士の本拠地である。

 妹尾家の関係者となれば月華にとっては敵も同然。

 壮絶な戦いが今も続いているはずの妹尾家を想像すると身構えたのは条件反射のようでもあった。

 一瞬、敵が百合を追って来たのかとも思ったが、寝殿で話し込んでいてような様子を見るに月華がみやこに戻って来る前から男は邸にいたようだ。

「血気盛んで頼もしい限りだ」

 萩尾は刀の柄に手をかけた月華を笑い飛ばした。

 やはり敵なのだろうか。

 月華は何がおかしいのかと不愉快に感じていたが、ひとしきり笑い終えると至極真面目な顔をして月華に向かって深々と頭を下げた。

「月華殿、貴殿の奥方を備中から一緒に連れて来ること叶わず、申し訳なかった」

「…………」

 月華は困惑した。

 妹尾家から来たと言うが、その仲間ではないのだろうか。

 男の真意がわからない。

「おふたりとも、そんなところに突っ立っていないでこちらに掛けられよ。話はまだ始まったばかりだ」

 萩尾は月華と悠蘭に向かって手招きした。

 まるで部屋の主人であるかのように振る舞う萩尾にさすがの九条家当主も黙っていなかった。

「おい、萩尾殿。そなたとの話は終わっておらぬぞ」

「時華様——蘭子殿の血を引く彼らこそ話を聞くに値すると思いませぬか?」

「……っ」

 時華は物言いたげな顔をしていたが、視線を楓や菊夏へ向けた。

 彼らに母の話は聞かれたくないということだろうか。

 月華は訝しげに萩尾を見た。

 敵か味方かわからないような相手に招かれて、ほいほいとついて行くほど楽観主義者ではない。

 萩尾が疑わしいことに変わりはないのだ。

「妻が妹尾家に連れ去られていたことを知っているのか? 連れ出せなくて、とはどういう意味だ。なぜ謝る? 妹尾家から来たと言うのだからあいつらの仲間なのではないのか!?」

 月華が口調を強めると萩尾は小さく息を吐いた。

「連れ出せなかったのはひとえに私の不徳の致すところ。しかし私は以前、そなたに警告したはずだが?」

「警告?」

中務少輔なかつかさしょうゆうの文机に文があったはずだ。そこに『ゆめゆめ油断するな』としたためたつもりだったが、ご覧にならなかったのか?」

 中務少輔の文机と言えば李桜りおうの文机のことである。

 最近、臨時の官吏として出入りしていたがそんなものはなかったはずだ。

「そんな文など——」

 そう言いかけたところで月華はかつて受け取った名無しの文のことを思い出した。

 悠蘭も気がついたらしく、兄弟は揃って視線を合わせる。

 悠蘭が鎌倉まで菊夏を迎えに来た時に持参した文の中に、確かに名無しの文があった。

 中には百合について書かれてあったことを思い出す。

 ——九条月華様、輪廻の華を隠しておられるようだが、誰かの手に奪われぬよう大事にされよ。ゆめゆめ油断なされませぬよう。

 そう書いてあった。

 月華が不在の間に百合に接触してきた白檀びゃくだんが悪戯にしたためたものだと思っていたが、確かに彼は書いたのは自分でないと主張していた。

「あの文はあなたが!? あれはてっきり白檀が書いたものだと……」

白椎はくすい様が? あの方はそんな面倒なことはなさらないだろう。あの方ならこの邸に届けるくらいのことはされるだろうな。ああ見えて、小細工が得意な方ではない」

「なぜあのような……」

「私と時折、連絡を取り合う旧知の官吏が中務省なかつかさしょうにいる。その者に文を置かせた。私の名を署名したところでそなたは私のことなど知らぬし、妹尾家の者たちが輪廻の華を匿うそなたらを煙たがっていたから、表立って動くことはできなかった。警告は無駄になったが、輪廻の華を取り戻せたのは何よりだ」

 この男、一体どこまで知っているというのだろう。

 萩尾が言う文を受け取ったのは何か月も前のことだ。

 その時からすでに事態は動き出していたとでも言いたいのか。

 今何が起こっていてこれから何が起こるのか、萩尾が知っているというのならその先を知りたい。

 その思った月華は萩尾を信じたわけではないが、悠蘭を伴ってひとまず彼の隣に膝を並べた。

「それで先刻は母上の話をしていたようだが?」

 月華は仏頂面で腕を組みながら訊ねた。

「時華様とちょうどその話を始めたところだった。そうでしたね、時華様?」

 時華が口を噤んでいると萩尾はさらに続けた。

「時華様、ここにいるあなたのご子息たちは当事者なのです。それなのに何も告げないというのはあまりに残酷というもの。真実はいつまでも隠し通せるものではありませんよ」

「だ、だがこれ以上、この子どもたちを巻き込みたくない。それは亡き蘭子と約束したことなのだ……」

 絞り出すようにゆっくりと言った時華の言葉はまるで彼を縛る呪詛のようにも聞こえた。

 何をそんなに恐れているのか。

 月華には理解できなかった。

「父上、一体何を恐れておられるのですか。そして何を隠しているのですか、父上」

「それは——」

 どこまでも濁そうとする時華に呆れた萩尾は寝殿の主を無視して真実を語り始めた。

「皇家の姫だった蘭子殿は、父であられた鳳仙ほうせん陛下や兄であられた凌霄りょうしょう陛下のなされたことに嫌気がさして自ら内裏を出た。そして彼女は行き場を失い、この九条家へやって来た。蘭子殿は本当にこの九条邸で静かに暮らすことを望んでいたのでしょう。ですが、蘭子殿は月華殿や悠蘭殿が皇家と関わることを嫌がった。なぜなら父や兄が人殺しの限りを尽くしたからです」

「……それってやっぱり——」

 それはこれまでひと言も発せず、大人しく状況を静観していた悠蘭の口をついて出た言葉だった。

「そうです。あなたたち兄弟は、帝と同じ皇家の血を引く高貴な方たちなのですよ」

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