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第71話 少輔たちの戯れ

 昼餉の時刻を過ぎた頃。

 西園寺李桜さいおんじりおうは、開いていた禁書を閉じた。

 図らずも久我紫苑くがしおんに押し付けられて預かることになった禁書は2冊。

 食事もせずに書簡の山に隠れて禁書を読み耽った李桜は2冊の表紙を並べて眺めた。

 『常闇日記とこやみのにっき』と『白蓉記はくようき』。

 2冊の書き手は別人であるものの、中身はある意味、繋がっている。

 紫苑が言ったとおり、『常闇日記』には異能について詳しく書かれていた。

 九条月華くじょうつきはなが見たことがあるという妻、百合ゆりの使う異能は亡くなった者の業を解き放つというものらしいが、この禁書によると他にも術があるらしい。

 李桜は首を傾げた。

 禁書に書かれている常闇の術と言われる異能が、本当にここにあるとおりのものなら、なぜ備中国びっちゅうのくにの連中は輪廻の華をそれほど欲するのだろう、と。

 この異能はどれも生と死の境にある魂を救う力に思える。

 自分たちの理想を掲げてこの先を生きていくために邁進している者たちが必要とするようなものだろうか。

 白檀びゃくだんの生母だった芙蓉ふようという先帝の隠れた妃は受け継ぐつもりがないと明記していたのにも関わらず、なぜ僧侶へ受け継いだのだろう。

 どうにも李桜には解せなかった。

 李桜は深く息を吐いた。

 吐き出した息とともにそのまま疲労も外へ出ていけばよいのに、と思うほど疲れを感じる。

 それは『白蓉記』を読んだせいでもある。

 これのせいでさらにわからなくなった。

 ——謎が深まっただけだな。

 そう言った紫苑の混乱が今なら理解できる。

 『白蓉記』を書いた女中は時代から考えてももう内裏にはいないだろうから確かめようがないが、常闇の術で先帝を救い妻に迎えられた芙蓉を帝が表に出したがらなかったのはなぜだろう。

 そもそも異能を持った彼女が都合よく帝の近くにいたというのは偶然なのだろうか。

 ……都合がよすぎはしないか。

 芙蓉の相手をしていたという蘭子らんこという人物なら何か知っているかもしれないが、蘭子なる人物がどこの誰なのかは禁書の中に書かれていなかった。

 清涼殿に出入りできるのだろうからそれなりの身分なのだろうが……。

 ぼんやりと遠くを見ながら考え込んでいたところで、李桜は聞き慣れた声で我に返った。

「難しい顔をなさってどうしました?」

 声の主は山科槐珠やましなえんじゅだった。

 山科は年上の官吏で李桜にとっては親の世代と言っても過言ではない。

 長く中務省なかつかさしょうにいる彼は決して目立たないが生き字引のような存在で、李桜も一目を置いている。

 無駄なことはせず、ただ実直に仕事をこなすところは李桜も見習いたいと思っているところである。

 李桜は山科からの苦言なら素直に受け入れることができるのだ。

 そんな山科は心配しているふりをしてすぐに自らそれを訂正した。

「あっ、いや。李桜様が難しい顔をされているのはいつものことでしたな」

 李桜は山科に毒を吐かれることに慣れているので当然、何とも思わなかった。

「山科、何かあったの?」

「そうそう、李桜様。月華殿は今、別の仕事をされているのですか」

「月華? き、急にどうしたの」

「最近見かけていないと思っただけです。李桜様は親しそうでしたのでご存知かと思いまして」

「ちょっと遠くに行ってるけどすぐに戻ると思うよ。でも何で別の仕事をしてるってわかったの」

「先刻、右大臣様がそんなことをおっしゃっていたものですから。月華殿は右大臣様のご子息だそうですね」

時華ときはな様はあんたにそんなことも喋ったの!?」

「唐突にそんなことを話されまして。素性はどうあれ、月華殿が優秀なのはみなが認めるところでしょう。早くお戻りいただきたいものですな。それでは私は仕事に戻ります」

 李桜は呆気に取られて去って行く山科の背中を無言で見送った。

 山科は気にしていないようだったが、時華の子がふたりしかいないことは調べればわかることである。

 次男である九条悠蘭くじょうゆうらん陰陽頭おんみょうのかみであることは周知の事実であるから自ずと長く行方不明とされていた嫡子が月華であることは少し考えればわかるはずだが、それを山科が言及しなかったのはなぜだろう。

 なぜ、なぜ、なぜ、なぜと全ての事柄が答えのない謎かけのようだ。

 李桜は頭を乱暴に掻きむしった。

 その後、おもむろに立ち上がると彼は外に出た。

 中務省と隣り合う陰陽寮おんみょうりょうの建物に入ると忙しそうに動き回る陰陽師たちのそばで物思いに耽る悠蘭ゆうらんの姿が目に入った。

「ぼうっとしてどうしたの」

 李桜の存在に全く気が付いていなかったらしい悠蘭は大袈裟に感じるほど驚いていた。

「うわっ……何だ、李桜さんですか。脅かさないでくださいよ」

「そっちが勝手に驚いたんじゃないか。僕のせいにしないでよ」

「すみません、いろいろと考えごとをしてました……そんなことよりこんな昼間にどうしたんですか、李桜さん? 落ち合う約束は夕方でしたよね」

「それなんだけど、いろいろ気になって仕方がなくてさ。すっきりするためにも今から少し考察したいんだよね。もちろん、例のあれ、読んだんでしょ?」

 持ち出した禁書の存在をここで公にすることはできない。

 「例のあれ」が禁書を指していることを理解したらしく、無意識なのか悠蘭は懐を押さえながら小さく頷いた。

「読むには読みましたけど、結局何だかわかりませんでしたよ」

「僕もだよ」

「…………?」

「だからこれからみんなの知恵を絞ろうと思うんだ。残念ながらひとり足りないんだけどね」

 そう言うと李桜はそそくさと陰陽寮を出て行ったのだった。



 李桜は悠蘭を連れて刑部省ぎょうぶしょうへ乗り込んでいった。

 陰陽寮を出た彼らは夜通し禁書を読み漁っていたという紫苑の意見を聞くためにまず兵部省ひょうぶしょうを訪ねた。

 ところが声をかけた官吏の話によると少輔しょうゆうは朝から刑部省へ行ったきり戻っていないという。

「少輔が不在だっていうのに兵部省ここの官吏たちはずいぶんと平然としてるけど、とついうこと?」 

「紫苑さんはいつもふらふらしてるから、いなくても別に気にならないんじゃないんですか」

 何気なく言ったであろう悠蘭のひと言に李桜は憤慨した。

「不在でも不都合がないってこと!? まったく……やっぱり紫苑はいつも仕事してないんじゃないかっ」

「い、いや、いつもというわけではないと思いますけど……」

 悠蘭は一応、補足したようだったが李桜にとっては何の参考にもならなかった。

 ひとしきり毒を吐いてすっきりした李桜は刑部省へ向かった。

 刑部省へ来て捕まえた官吏を問いただすと案の定、紫苑が来ているという。

 奥まで進んでいくと紫苑に監視されながら筆を滑らせる鷹司杏弥たかむかさきょうやが目に入った。

 ちゃんと仕事をしているのか、と憤慨するのも忘れて李桜は杏弥を指差しながら紫苑へひと言放った。

「結局こいつの処分はどうなったわけ?」

 刑部少輔ぎょうぶしょうゆうも監視付きとあって居心地が悪そうだった。

「何だ、李桜。こんな昼間から出歩くほどお前が暇だとしたら今夜は嵐になるかもな」

 相変わらず李桜の感情を逆撫でする天才である。

 また李桜が毒を吐くのではないかと悠蘭はひやひやしたものだが、意外に彼は平然と聞き流していた。

 仕事をしていない疑惑についてはひとまず水に流したようだ。

「暇なわけじゃないよ。ただ、朝預かったものについてあんたの意見を聞きたいと思ってさ」

「朝預けたもの……? あぁ、あの禁——」

 禁書と言いそうになった紫苑の口を李桜と悠蘭は全力で塞いだ。

 刑部省にいる他の官吏に聞かせるわけにはいかない。

 呼吸ができなくなった紫苑が暴れ出したのを合図に彼らは口を塞いだ手を外した。

 ぜぇはぁと懸命に空気を取り込もうとする紫苑を尻目に杏弥は苛立たしげに言った。

「騒がしいなっ。俺の仕事の邪魔をするならあっちへ行ってくれ!」

 乱暴に筆を硯に叩きつけた杏弥に呼吸を整えた紫苑は声を低めた。

「どの口が言うんだか。お前はまだ俺の監視下にあることを忘れるなよ」

「…………っ」

 反論しない代わりに杏弥は下唇を強く噛んだ。

 紫苑は杏弥に一瞥をくれると至極真面目に李桜に答えた。

「こいつについては一応、徹夜で手伝ってくれたら罪を軽くしてもいいって話しだったからな。刑部大輔ぎょうぶたいふに告げてすぐに牢に放り込むのは止めたんだ。騒ぎを大きくするのが目的じゃねぇし。だからどう処分するかは月華が戻ってから任せるつもりだ」

 いつもなら悪ふざけをする紫苑も今は杏弥の監視役に徹しているらしい。

 いつになく真面目な回答だった。

 辺りを見回すと、室内の官吏たちは朝から自分たちの少輔にべったりと張り付く兵部少輔に奇異の目を向けている。

 さらに突然乗り込んできた中務少輔、陰陽頭の登場に刑部省の官吏たちは眉をひそめていた。

 李桜はこの刑部省の様子を見て違和感を感じた。

 中務省では少輔も一般官吏も分け隔てなく仕事をするのが定石である。

 実力ある者には大事な仕事を任せるのが李桜の流儀であり、互いに忖度はないつもりだった。

 だが刑部省ここは杏弥の圧政が蔓延っているようだ。

 摂家という家格と少輔という立場を振りかざして常に強い圧力をかけているのだろう。

 杏弥の性格や日頃の言動から容易に想像できる。

 これでは杏弥の間違いを正す者もいなければ何かあった時に手助けしようとする者もいないに違いない。

「そ、それでお前たちは何しに来たのだっ」

 杏弥は怯えた顔で言った。

「ちょっと話をしたかったから来たけど、紫苑がここから動かないって言うなら、人払いをしてもらうしかないね。あんたはとりあえず当事者でもあるから、おまけでここにいてもいいよ」

「な、何だと!?」

 声を荒げた杏弥だったが紫苑に睨まれてすぐにおとなしくなった。

 杏弥が渋々、人払いをすると広い部屋に4人だけとなった。

「そういや、李桜。かえで殿はどうした? あいつも一緒に徹夜したんだぜ?」

「知ってるよ、そんなこと。楓なら今日は帰宅させた」

「帰った? 具合でも悪いのか」

「具合っていうより寝不足でしょ。ずっと青白い顔して船を漕いでたよ」

「あー、なるほど」

「ただでさえ楓は右手を負傷していて書き物はできないんだから、帰すしかなかったんだよ。その分、明日からまた働いてもらうけどね」

 李桜の十分含みのある微笑みにその場にいた一同はもれなく身震いしたのだった。

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