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第65話 非情な刃

 鬼灯きとう目がけて突進してきた菱盛ひしもりはその隆々とした体躯の重さをかけて鬼灯に刀をぶつけた。

 鈍い鋼の音が辺りに鳴り響く。

 受け止めた鬼灯の足はさすがに菱盛の圧に押されて半歩後ろへずれた。

 押し切ろうとする菱盛と受け止める鬼灯。

 力は拮抗していた。

 そのままふたりは1歩も譲らず鍔迫り合った。

 だが互角のように見えて、僅かに鬼灯の方が競り負けていた。

 にやりと口角を片方上げた菱盛は言った。

「なかなかにやるな、おぬし。この刀を受けてこれほどまでに耐えた者は今までおらぬ」

「……それは光栄なことだ」

 戦に明け暮れた時代もあったが西の国々との戦に参戦したことがない鬼灯にとって、菱盛の力量は噂にすら聞いたことがなかった。

 むしろこれほどの猛将が存在していたことは彼にとって意外なことだったのである。

 申し分ない力を持ち、鬼灯と互角に渡り合えるほどの腕前なのだから1軍を動かすとなれば余程の力量を発揮することだろう。

 戦場で出会っていたならいい勝負ができたかもしれない。

 倒幕を目論むだけのことはある、と鬼灯は妙に感心した。

「貴公はさぞかし名の知れた武将なのだろうな」

「そのような余裕をかましている場合か?」

「余裕? 余裕などあるわけがない。私はいつでも真剣そのもの。余力を残して戦えるほど器用ではない。私にあるのはどんな手を使ってでも必ず勝つという覚悟だけだ」

 そう言い放った鬼灯は渾身の力を込めて菱盛の刀を押し戻した。

 まもなく拮抗していた力加減が均衡を保てなくなった。

 押され気味だった戦況は徐々に逆転し始める。

 鬼灯が1歩踏み込むと彼よりの体格のいい菱盛が片足を後ろに引いて踏ん張った。

 菱盛は目を見張った。

 一体どこにここまでの力が残っていたのか皆目見当もつかない。

 このまま押され続けると斬り込まれると判断した菱盛は鍔迫り合っていた刀を引いた。

 一旦離れて間合いを取り直した方がいいと判断したのである。

 だがそれが間違いのもとだった。

 菱盛は間合いを取り直そうと足を引いた。

 鬼灯はそれを見逃さなかった。

 刀の間合いは打ち合うことができるような距離が必要だが、鬼灯は俊敏な動きで菱盛の懐に入り込むと手にしていた刀を地面に刺し、それを支えにして身を屈めた。

 思い切り地面を蹴る。

 鬼灯の両足は低い位置で宙を舞い菱盛の膝を真横からだるま落としの如く打ち抜いた。

 菱盛の膝に対して垂直に入った鬼灯の足がぐるりと1周して正面に戻る頃には菱盛の体は横倒しになっていた。

「……っ!」

 菱盛が声にならない呻き声を上げた。

 膝の腱は間違いなく切れているに違いない。

 急所に打ち込んでいるのだ。

 立ち上がれるはずはない。

 鬼灯は菱盛が戦いを断念するなら、とどめを刺さないつもりでいた。

 菱盛を討ち取ってしまえば棗芽なつめが相手をしている彼の息子や残っている家臣たち全員を敵に回すことになる。

 大将を失った敵軍は霧散するものだがここは敵地の中心である。

 退く場所がない彼らが降参してくることなど考えられない。

 むしろ捨て身になって向かってくる方が自然だ。

 そうなれば残る全員を相手にすることになり、矢を受けた山吹やまぶきの治療も遅れ、月華つきはなたちにも追いつけなくなってしまう。

 できればそうはしたくなかった。

 鬼灯は横倒しになった菱盛を見つめた。

 立てなければ当然、戦いを続けることはできないがそれでもまだ立とうとするならそれは尋常な気力ではない。

 ところが鬼灯の想像に反して菱盛はすぐに立ち上がろうとした。

 耐え難い激痛を感じているはずなのに、である。

 彼は半身を起こしながら声を荒げた。

「——おのれっ!」

 動かない膝を何とか動かそうともがく菱盛。

 鬼灯は菱盛を斬るべきか刹那に判断しなければならなかった。

 一瞬の迷いが命取りになる。

 覚悟を決めた鬼灯が菱盛にその先を言わせることはなかった。

 地面に刺していた刀をすぐに抜くと、逆袈裟に刀を振り上げ瞬く間に菱盛の首を落とした。

 斬り落とされた首は勢い余って遠くへ飛んでいき、近くに立っていた妹尾せのお家家臣の足元へ転がった。

 残された胴体は首の切り口から鮮血を吹き出しながら横へ倒れた。

 鮮血の一部が鬼灯の頬へかかる。

「悪いな。武術を得意とする友人のせいですっかり足癖が悪くなってしまったのだ」

 斬り落とされた菱盛の首は目を見開いたまま鬼灯を見つめていたがすでに絶命している。

 口をきくことはなかった。



 一方、敦盛あつもりは三つ編みの男の間合いに踏み込んだ。

 男は後ろから来た敵を相手にするためにこちらに背を向けている。

 絶好の好機である。

 家臣の命を犠牲にするのは憚られるところではあるが今はそれを考えないことにした。

 とにかく侵入者たちを何とかしなければこの先、どうにも動きようがない。

 三つ編みの男は2尺以上もある太刀を振り回しているのだ。

 家臣を斬った後ではこちらの刃を受け止める余裕はないはずである。

 その前に斬り捨てることができるに違いない。

 敦盛はそう思って疑わなかった。

 男の心の臓めがけて刀を突き出した、その時。

「甘い!」

 男がそう声を発したかと思うと、敦盛の刀は下から上へと弾かれた。

 握っていた刀は手を離れ、勢いよく後方へ飛んでいく。

 弾かれた拍子に体がぐらつき、左足を1歩引いたほどだった。

 油断したつもりはなかったが、形勢は完全に逆転していた。

「ばかな……っ!」

 敦盛は太刀筋が弾かれたことが信じられなかった。

 男の持つ太刀の刀身であれば長さの分、その先端が正面へ戻ってくるまでに一定の時間がかかるはずである。

 その前に敦盛の刀が先に男の間合いに攻め込んでいるはずだった。

 敦盛が苦渋に顔を歪めると男は薄笑いしながら言った。

「長さが長所にも短所にもなることなど百も承知だ。長いことが不利になるなら短くすればいいだけのこと」

 敦盛の喉元に男の太刀の切っ先が迫った。

 固唾を呑んで喉仏ぎりぎりまで寄せられた刀を見つめていると、鍔元の辺りから切っ先に向けて刃を伝って血が流れてきた。

 眉根を寄せてその先を見た敦盛は目を見張った。

 男が握っていたのは刀の柄ではなく、鍔元に近い刃そのものだったのである。

 敦盛はそこで初めて、三つ編みの男が言う短くすればいいという言葉の意味を理解した。

 刃を直接握ったことで3寸以上は刀身部分が短くなっている。

 その代わり刃を握った手のひらにできた切り傷からは血が滴っていたのだ。

「手を犠牲にしたのか!?」

「あいにくと私は両刀使いなので、片手が使えなくとも問題ない。それよりも今優先されるべきはお前の息の根を止めることだ」

 笑みを漏らす男の顔は生き生きとしていた。

「その前に吐いてもらおうか」

 男は敦盛の喉に切っ先を押し付けた。

 皮膚に少し食い込む痛みを感じる。

「………?」

「言え。あの怪しい生き物を操る男はどこへ向かった?」

「どこへ向かったかは知らぬ」

「往生際の悪いやつだな」

「ほ、本当に知らぬのだっ。御形ごぎょう様は輪廻の華を追ったはずだがそれ以上のことは知らぬっ」

「輪廻の華? なぜそれほど執拗に彼女を追う? 輪廻の華は倒幕のために必要だったのではないのか? 今のこの邸の状況を見れば輪廻の華を追い回すより目の前の体制を整える方が先ではないのか」

 敦盛には耳の痛い話だった。

 彼自身も同じことを思っていたからである。

 萩尾はぎおが消え、御形もいなくなり残された菱盛と敦盛の親子だけで何ができるというのだろう。

 賛同する隣国に掛け合おうにも、今まさに首を押さえられている状態で身動きは取れない。

 敦盛は改めて辺り見回し、愕然とした。

 そこら中に転がる家臣の遺体が複数、目に入った。

 そして三つ編みの男越しに見える父は別の男に倒されるのが見えた。

 敦盛は信じられなかった。

 父の菱盛が敵に倒されるなどこれまで見たことがなかったのだ。

 どんな時も先陣を切って戦ってきた父は敦盛の中では向かうところ敵なしだと思っていた。

 それが得体の知れない侵入者に倒されるなど、考えられない。

 たった半刻はんとき程の間に多数の家臣が失われた。

 残る者たちも戦意を喪失しており、その顔には疲労が色濃く見える。

 このままでは全滅させられるのでないか、そんな予感が脳裏をよぎったその時、その場には相応しくない人物の声が聞こえた。

「……旦那様っ!」

 声の主は妻のあずさだった。

 騒ぎを聞きつけて来たのだろう。

 敦盛は顔面蒼白で呆然と立ち尽くす梓に向かって言った。

「梓、来てはならぬ!」

 三つ編みの男は微動だにせず視線だけで梓の存在を確認した。

「動くな……あれは誰だ」

「あ、あれは私の妻だ。梓は家のことには何も関わっていない。だから頼む、梓のことは見逃してくれぬか」

「女、子どもを手にかける趣味はない」

「…………」

 敦盛が安堵の息を漏らしながら男の様子を窺っていると、さらに周囲でどよめきが起こった。

 喉元に切っ先を向けられている敦盛は大きく動くことができず、視界を遮られて何が起こっているのかわからなかった。

 ただ菱盛の叫びが聞こえただけだった。

「——おのれっ!」

 次の瞬間には周囲から悲鳴が聞こえた。

 菱盛のものではない。

 家臣たちの動揺が広がっている中、

「——菱盛様!」

 と梓の絶叫が響いた。

 三つ編みの男が一瞬、振り返った。

 切っ先は変わらず喉元に向けられていたが、敦盛はこの機を逃すまいと手近に落ちていた刀に手を伸ばした、その時——。

 こちらを見つめる父、菱盛と目が合った。

 地面に片耳をつけるように横になり目は見開かれ口は半開きの状態で、明らかに不自然だった。

 菱盛の首が胴と繋がっていないと認識したのは間もなくのことだった。

 眉間に皺が寄るのと同時に右腕に激痛が走る。

 見ると自分の右肘から下が斬り落とされていた。

 男はいつの間にか太刀を左手に持ち替えていた。

「動くな、と言ったはずだが?」

 両刀使いだと自ら豪語していたではないか。

 一瞬の油断が命取りになったことを敦盛はひどく後悔した。

「…………っ」

 気を失いそうになる痛みを感じながら声を発せずにいられたのは奇跡に近い。

 菱盛が討ち取られ多数の家臣が亡くなり、その上、何とかして梓を守らなければならないという気力だけが敦盛を支えていた。

 血の滴る腕を押さえ、顔を歪め俯いた。

 すると思わぬ人物の声が聞こえてきた。

「お願い、これ以上この方を斬らないで!」

 顔を上げるとそこには紅葉くれはが立っていた。

 三つ編みの男の前で両手を広げている。

「紅葉……」

 敦盛はそう絞り出すのが精一杯だった。

 斬られた腕の先から流れる血が止まらず、足元がどす黒く染まっていった。

 そして徐々に意識が薄れていく。

「敦盛様っ」

 振り返った紅葉がそう叫んだのもほとんど聞こえなかった。

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