第64話 北条家の兄弟
「御形っ!」
血を流したまま立ち去った御形の背に妹尾菱盛が声をかけるもその声が相手に届くことはなかった。
いや、むしろ届いていたのかもしれないがそれを聞き入れることはなかった。
山吹の放った矢を脇腹に受けた御形は流血したまま馬に乗って去っていった。
「あやつは一体どこへ行ったのだ!?」
菱盛の怒りはその場に残った妹尾家の関係者全員が感じていたことだったが誰ひとりとしてその答えを持ち合わせてはいなかった。
呆然とする敦盛が恐る恐る口を開いた。
「……輪廻の華を追ったのではないでしょうか」
菱盛は鬼の形相で敦盛を見た。
そんなことはわかっている。
なぜそこまで執拗に輪廻の華を追うのか。
それが菱盛には理解できなかったのだ。
そもそも輪廻の華と呼ばれた彼女が持つ異能は妹尾家を中心とした西国が今の朝廷を壊し新しい朝廷を作るために必要だったはずである。
備中国だけでは足りない戦力を補うためにその求心力として利用しようとしていたのだ。
「なぜ今、追う必要があるのだっ」
「さ、さぁ……そこまではわかりかねます」
「…………っ」
得体の知れない輩たちに入り込まれ、家臣たちを大量に失った今となっては幕府を倒し朝廷をひっくり返すどころの話ではない。
まずは侵入者を排し、体制を整えるのが先である。
そのために式神を使役して戦いを始めたはずなのに、なぜ?
菱盛は少し前の御形と敦盛のやり取りを思い返した——。
「や、やはり御形様も輪廻の華を捕らえたことをご存知なかったのですね!?」
敦盛の叫びに御形は異常な関心を寄せていた。
「……どういう意味ですか、敦盛」
「風雅の君を追った私は途中で偶然、輪廻の華を捕らえたのです。運よくそのまま連れ帰ることができたのでそれをご報告に向かう途中、萩尾様が現れたのですよ。代わりに父上に報告してくださるとのことだったのでお願いしたのですが……あれは罠だったに違いない。私に睡眠作用のある茶を呑ませ、父上には何も報告せず自分は妹尾邸をまんまと脱出したということでしょう」
「…………」
「もしやこの討ち入りした者たちと通じていたのかもしれませぬ。だとすれば私が輪廻の華を捕らえたことは都合が悪かった。だから私を眠らせ、奴らがここへ来るまでの時間を稼ぎ、奪還させたのではないでしょうか」
「輪廻の華が妹尾邸にいたというのか」
「ええ。ですがまた奪われてしまいました……」
御形はしばらく沈黙した。
何か考えているようだったが表情からは何も読み取ることができなかった。
菱盛が声をかけようとすると御形は不気味な笑みを浮かべ始めた。
やがてくつくつと笑い始める。
「御形……?」
一瞬、気が触れたのかと思うような笑みに菱盛が躊躇っていると御形はひとり言のように呟いた。
「そうか、そういうことか」
「ご、御形様……?」
底知れない恐ろしさを感じた敦盛も額に汗を滲ませていた。
「敦盛」
「は、はい。御形様」
「萩尾に振る舞われた茶に何か入れられたと言いましたか?」
「そ、そのとおりです。萩尾様のところで茶を呑んだ後から急激に眠気がさしてきて今も症状が残っております」
「ふはは。よく毒を盛られずに済んだものです」
「ど、毒!? 萩尾様が私に毒を盛るのですか」
「これは私に対する警告か、それとも当てつけか。まあ、よい。萩尾は私があの者を狙っていることを知っていたのやも——」
山吹の矢が飛んできたのはまさにその瞬間だった。
改めて思い返してみると御形は本当に輪廻の華を追ったのか、疑わしく思えてくる。
突然、萩尾の話を始めたかと思えばまるで萩尾は敵であるかのような言い草。
御形が狙っているという『あの者』とは一体誰のことなのだろう。
考えても答えは出ない。
長年一緒に寝食をともにしていても御形との関係は希薄だった。
あまり表立って出歩くこともなく、邸の中で何をしていたのかも関心がなかった。
同じ目的を共有していただけに過ぎない相手のことなど、素性も何もわからない。
そんなことを知る必要がなかったのだ。
多少の行き違いはあるにせよ、御形にしても萩尾にしても向いている方向は同じだと思っていた。
「父上っ」
敦盛の呼びかけで我に帰った菱盛は鋼の打ち合う音が聞こえ始めたことで目を覚ました。
見ると先刻まで御形の式神を相手にしていた男ふたりが息を吹き返し、家臣たちを相手に暴れ回っている。
目の前で何人もの家臣が瞬きをする度に倒れていった。
「ええぃ、私が出る!」
刀を抜いた菱盛は意気揚々と男たちの前に出ていった。
山吹を救うためには一刻も早く敵を一掃しなければならないことを認識した鬼灯と棗芽のふたりは鬼神の如く勢いで妹尾家の家臣たちを再起不能にしていった。
人ならざる生き物たちの圧倒的な力に翻弄されていたとは思えないほどの俊敏な動きでひとりずつ斬り捨てていく。
時折、
「御形様の式の相手をしていたくせに疲労というものを知らんのかっ」
などというどよめきがが聞こえた。
棗芽が5人、鬼灯が6人斬ったところで先に口を開いたのは棗芽だった。
「兄上、あの敵将ふたりの首は私が頂きますよ」
「何を言う、棗芽。お前は負傷しているのだから引っ込んでいなさい」
「負傷? ただのかすり傷に過ぎませんよ。この程度の傷で倒れていては戦場では戦えません」
棗芽が勢いよく太刀を振るとふたりの敵が同時に薙ぎ倒された。
「後でどうなっても知らぬぞ。私はこの戦いを終えたら月華の後を追う。足手まといになるようなら妹尾邸に置いていくからな」
「冷たいですね、兄上。手負いの弟を放置して行くのですか」
あからさまに落ち込む演技をする弟に兄は冷たく言い放った。
「だから手負いは引っ込んでいろと言っている」
「はははっ。冗談ですよ、兄上。私も同感です。あの怪しい術を使う男が月華たちを追っていったのが気になりますね。取り越し苦労であればよいのですが」
「お前はついてこなくてよい。お前にはここに守るべき者がいるではないか。お前が守らないで誰が守るというのだ?」
鬼灯はひとり斬り捨てたところで横たわる山吹に寄り添っている紅葉に目配せした。
「まあ、そうですがここの敵をすべて片付ければ当面の危機は回避できることに気がつきました。だからやはりどちらが先に敵将の首を取るか競走しましょう」
「棗芽、これは遊びではないのだぞ」
そんな会話をしながらふたりは次々と敵を倒していった。
彼らの周りには無数の男たちが倒れており、刀を構えた残る妹尾家家臣もあと10数人というところまで減っていた。
「見ろ、棗芽。いよいよしびれを切らした大将のお出ましだ」
鬼灯が刀身を向けた先に妹尾家当主——妹尾菱盛がいた。
50を超えているとは思えないほど若々しく隆々とした体躯は歴戦の猛将であることを物語っている。
刀を構えた菱盛は一心不乱に鬼灯へ向かって刀を振りかざす。
そうはさせまいと割って入ろうとした棗芽の元にはいつの間にか妹尾敦盛が斬り込んできた。
「敦盛……っ!」
因縁の相手の登場に棗芽は思わず声を上げた。
敦盛は棗芽にとって野放しにすることができない相手である。
紅葉を妾にしようとしている上に、師匠である雪柊が仕留め損ない、獲物と称した相手だからだ。
「お前の相手はこの私だ」
調子が戻ってきたのか、敦盛は先刻よりもしっかりとした足取りで踏み込んできた。
受け止めた棗芽の太刀と敦盛の刀がぎりぎりと金切り声を上げる。
「紅葉は絶対にお前の妾になどしない」
「……何だ? まさかお前は紅葉を娶るつもりではなかろうな」
「間もなく死ぬお前には関係ないことだ」
「紅葉を娶るのは一筋縄では行かぬぞ。あの山吹がそう簡単に手放すとは思えぬ。あの男は双子の兄でありながら本気で紅葉に想いを寄せているからな」
それは棗芽も薄々感じていたところだった。
山吹の紅葉に対する行動は兄としてのそれを超えているように感じていた。
だが、そんなことを敦盛に諭される筋合いはない。
「……おしゃべりな男だ」
棗芽が敦盛の刀を振り払うとふたりは互いに間合いを取った。
とその時。
棗芽の背後からまだ生き残っている妹尾家家臣のひとりが刀を振りかざして迫っていた。
目の前には敦盛がいながら、棗芽は後ろの男も相手をしなければならない。
だが背を向ければ敦盛はここぞとばかりに間合いを縮めることだろう。
刀がもう1本あれば前後の敵を相手にすることもできるが、その辺に落ちている刀を拾うほどの猶予はない。
決断は瞬時にしなければならなかった。
棗芽は先に後ろから迫る敵を相手することにした。
後ろを振り返り遠心力のままに太刀を横一文字に薙ぎ払う。
呻き声すら上げることなく絶命した男はどさっと音を立てて地面に倒れた。
棗芽の太刀は敵を近づけるまでもなかった。
男を斬り捨てた勢いで半回転し再び正面を向くと、予想どおり敦盛が棗芽の間合いに踏み込んできていた。
敦盛が使っているのは普通の刀であるのに対し、棗芽の太刀は2尺以上もある長刀である。
当然、間合いが合うわけはない。
さらに長さがある分、動きは通常の刀に比べ僅かに遅くなる。
敦盛はそれも計算に入れた上でこれを好機と睨んで攻め込んできていることを棗芽も予想していた。
「甘い!」
そう叫んだ棗芽は咄嗟に思いついた方法で危機を回避した。




