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第63話 弓の名手

 山吹やまぶきは矢筒から1本の矢を取り出すとそれを弓につがえた。

 狙いは御形ごぎょうである。

 先刻から妹尾敦盛せのおあつもりと御形が何やら言い争っているようだ。

 こちらに気づいているかどうかはわからないがこの気を逃す手はない。

 目の前ではこの世のものとも思えない生き物が暴れ回り、それを北条家の男たちが相手しているが戦況に変化はなかった。

 北条鬼灯ほうじょうきとうは何とか大蛇を斬り伏せたが虎や獅子は片目を射抜かれても今なお復活して暴れている。

 矢は確かに命中したはずなのに……。

 山吹は仕留めきれなかったことに舌打ちしたくらいだった。

 矢筒に入っていた矢はすでに3本使った。

 残っているのは今番えている1本だけである。

 外すことは許されない。

 だが山吹には命中させる自信があった。

 幼い頃、白檀びゃくだんに拾われ備中国びっちゅうのくにに来た時、山吹はすでに片目を失っていた。

 妹尾せのお家で暮らすには戦地へ赴き戦力とならなければならなかったため、敦盛に叩き込まれる戦う術を必死で身につけた。

 剣術、弓術、体術、あらゆる術を身につけることを強要されたが、山吹の視界の一部は死角になることが多く戦うには不利なことが多かった。

 だから弓術の鍛錬には余念がなかった。

 弓ならば遠くから敵を狙うことができるし、片目を瞑って狙いを定める者も多く、もともと隻眼の山吹には都合がよかった。

 そして山吹は狙った獲物を逃さない100発100中の弓の名手となっていった。

 山吹がそこまで自分を追い込んだのは紅葉くれはを守るためでもあった。

 戦うことはできない紅葉の分まで働かなければならなかったからである。

 紅葉は妹尾家の世話になるようになってから白檀の身の回りの世話や邸の下働きをしながら暮らしてきたが、邸の中ではいてもいなくても大差ない存在だと思われていた。

 成長して白檀の諜報役になるまではいつお払い箱になってもおかしくなかったのだ。

 だからその分、山吹が働いた。

 そうすることで山吹はふたり分の居場所をこの邸の中に得ていたのである。

 山吹は御形に狙いを定めながらふと白檀の言葉を思い出した。

 ——あの人たちが存在している以上、紅葉はいつまでも本当の意味で解放されないことを棗芽なつめはわかっているのです。

 白檀が言う『あの人たち』というのは三公のことだ。

 彼は昔から拾われた恩を感じて快く思っていない三公にも敬意を表してそう呼んだ。

 三公がいる限り紅葉が解放されないことは山吹もよくわかっている。

 老人たちが紅葉を敦盛の妾にすると言い出した時点で、彼らは長年家族のようにともに暮らした紅葉でさえも目的を達するための道具としか見ていないことを嫌というほど思い知らされた。

 紅葉が本当の意味で解放されるためには世話になった妹尾家の三公を廃さなければならないことくらい、山吹も理解している。

 だが、それを命を賭けて実現しようとするのが棗芽という男だということが山吹は気に入らなかった。

 紅葉はずっと白檀に想いを寄せているのだと思っていた。

 だからそれを近くで見守っていようと思っていたのだ。

 それが突然現れた三つ編みの男に奪われてたまるか。

 そんな気持ちが山吹の中にはある。

 思えば棗芽とは何度も顔を合わせる機会があった。

 ある晩、みつ屋で乱闘事件があった際にも男は店内にいた。

 雪柊せっしゅうを訪ねて紅蓮寺ぐれんじに寄った帰りにも石段ですれ違った。

 そして輪廻の華を山吹が連れ回していた時にもなぜかは九条月華くじょうつきはなと一緒に現れた。

「くそっ。集中できない。あいつは一体何なんだ」

 山吹は思わず心の声を漏らした。

 だがどこかでは認めなければならないこともわかっている。

 棗芽という三つ編みの男はとにかく強い。

 妹尾家家臣たちを斬り伏せた数は数えきれないし、御形の放った式神たちを臆することなく相手にしている。

 あの男なら紅葉を必ず守ってくれると確信が持てる。

 棗芽が紅葉に想いを寄せているというのなら。

 山吹がそんな葛藤を繰り返している時、目の前で上空から急降下してきた鷹が棗芽の肩をえぐっていった。

 山吹の後ろに控える紅葉が一瞬、悲鳴を上げそうになってその声を呑み込んだのが背中伝いにわかった。

 そんなにあの男がいいのか。

 山吹は御形に狙いを定めたまま唐突に言った。

「紅葉、お前はあの男のことが好きなのか」

「な、何よいきなり」

「いいから答えろ。あの男が好きなのか?」

「そ、そんなこと、わからないわよっ」

「じゃあ、この矢が狙いを逸れて万が一あの男に当たっても文句を言うなよ」

「それはだめっ。あの人には当てないで!」

 腕に紅葉が縋りついてきたことで本当に予定外の方向へ放ってしまいそうになる。

 体制を立て直して山吹は再び矢先を御形へ向けた。

 紅葉の動揺した様子を見るだけで、彼女がどれだけ棗芽を必要としているのかは伝わってくる。

「そんなにあの男がいいのか!?」

 心のどこかで、棗芽が紅葉を迎えに来た時には快く送り出さなければならないことを理解しながら、それでも愛するひとを他の男に差し出したくない自我が暴れ出す。

 半分、自棄になった山吹は力いっぱい引いた弓から矢を放った。

 名手が放った矢は、心の乱れとともに狙いを僅かにずれて命中した。

「………ぅ」

 小さな呻きを漏らした御形の脇腹に山吹の矢が突き立ち一瞬後ろによろめいた。

 御形の周りにいた妹尾菱盛や敦盛、他の家臣たちからもどよめきが湧いた。

 当の本人は多少顔を歪めたものの、平然と自らの手で脇腹に刺さった矢を抜いた。

「……小賢しいことをしてくれるっ」

 御形は血のついた矢先を、放った山吹に向けると素手で投げつけた。

 本来ならそれは山吹の元まで届くことなく失速して地面に落ちるばすだが、手で投げただけの矢は勢いが衰えることもなく、真っ直ぐに山吹に向かっていった。

 それはまるで意思を持った生き物のような動きだった。

 山吹は咄嗟にそばにいる紅葉に当たらないよう彼女を腕に抱き込んだ。

 御形に向かって背を向ける。

 山吹が放ったのと同じ速さで返された矢は、鬼灯や棗芽の間をすり抜けた。

 そのまま山吹の背中に刺さる。

「………っ!」

 ぐっと歯を食いしばったが、矢は深くまで刺さっている感覚があった。

(一体どんな力で投げるとここまで届くんだよ……!?)

 人智を超えた行動をするのが御形である。

 誰もが恐れ近づこうとしなかった所以はこういうところにあるのだと山吹は改めて知ったのだった。

 一方、御形は脇腹からは流れる血に構もせず動き出した。

「馬を持てっ!」

 妹尾邸に御形の怒号が響く。

 彼と長い付き合いのある菱盛もそれには呆気に取られた。

 彼が声を張り上げたのは初めてのことだったのである。

 しかも手負の姿などこれまで見たこともなかった。

 従わなければ何をされるかわからないと怯える妹尾家家臣たちは慌てて馬屋から1頭の馬を引いて現れた。

 栗毛の立派な馬だった。

 その間、鬼灯と棗芽は襲い来る御形の式神たちと交戦していたが、近づいてきた御形が指をひと鳴らしするとそれは霧散して跡形もなく消えた。

 それまで上空から攻めてくる鷹の攻撃を避けながら虎や獅子の牙を力いっぱい刀で受け止めていたために、急に抵抗がなくなった彼らは前のめりに倒れそうになった。

 ふたりが顔を見合わせていると、流血しながら馬を引いた御形が彼らに近づいてきた。

「事情が変わった。お前たちとの遊びはここまでだ」

 一瞥をくれて馬に跨った御形はそのまま門の方へ駆け出した。

 御形の歩いたところには足跡の代わりに血痕が続いている。

 門の前には当然、背中に矢を刺したままの山吹がいた。

 山吹は紅葉を抱きしめたまま微動だにしなかった。

 紅葉がその拘束を逃れようとしてもなかなか解くことができない。

 危機を察した棗芽は素早く太刀を鞘に収めると門に駆け寄り、山吹の両肩を掴んで横へ倒した。

 勢い余って3人は地面へ倒れ込んだが、あわや御形の馬に蹴られるという危険は回避した。

 何とか蹴られずに済んだと思った時には御形の乗った馬は門を出ていった後であった。

 何が起こったのか、その場にいた全員がわからなかった。

「何がどうしたのだ……!?」

 山吹たちの元に来て思わず声を漏らした鬼灯に棗芽も首を傾げる。

「あの男、どこへ行ったのでしょうか」

 ふたりは呆然と御形が出て行った門を見つめた。

 しばらくときを忘れていたが、我に返った棗芽は目の前に倒れ込んだ山吹が守っていたのが紅葉であることにここで初めて気がついた。

 紅葉はもがきながら山吹の拘束を逃れ顔を出したからである。

 目が合った瞬間、棗芽は言った。

「なぜ戻ってきた!?」

「棗芽……」

 叱られた子どものように小さくなる紅葉は恐る恐る口を開いた。

「だ、だって——」

「だってじゃない!」

「そ、そんなに怒らなくたっていいじゃない」

「怒ってなどいない!」

 声を荒げながらも矛盾したことを言う棗芽に横たわる山吹は青ざめた顔で口を挟んだ。

「十分、怒っているように見えるがな……」

 負傷した山吹に苦言を呈され、冷静になった棗芽は額を押さえながら深呼吸した。

「……すまなかった。少し冷静ではなかった。だが、私がどんな想いで君を送り出したのか、もう少し考えて行動してくれないか。でなければ心の臓がいくつあっても足りない」

「ごめんなさい……」

「もういい。今はそれどころじゃない」

 棗芽は山吹の体を動かし背中を確認した。

 矢はちょうど背中の中央あたり、背骨からひと手幅右にずれたところに刺さっており、やじりは完全に食い込んで見えない。

 おそらく2寸近く入り込んでいるのではないかと思われた。

 本当なら矢は早く抜いた方がいいが刺さりどころによっては抜くことで大量に出血する可能性がある。

 どうするべきか躊躇っていると鬼灯が言った。

「今はまだ抜かぬ方がよいのではないか」

「そうですね。先にあちらを片付けなければ」

 ふたりの視線の先には、体制を立て直しつつある妹尾家の男たちがいる。

 止血できないまま、放置することはできない。

 妹尾家の当主以下、残る敵を一掃してからでなければ山吹の世話をすることはできないのだ。

「とっとと片付けましょう。去った男ごどこへ行ったのかも気になります」

 棗芽は鞘に収めた太刀を再び抜いた。

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