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第56話 我がままな主

 妹尾せのお邸を出た白檀びゃくだんたち4人はみやこへ向かう途中、備中国びっちゅうのくにを抜ける辺りまで移動した。

 日は中天に昇り、夏の日差しが降り注いでいる。

 彼らはそんな日差しを逃れることができる木陰を見つけると馬を降りた。

 気を失ったままの紅葉くれはを除く3人は少なくとも昨晩から一睡もしていなかった。

 体力を消耗している雪柊せっしゅうの疲労は極限に達していたし、2日も寝ていないという白檀はさらに血の気の引いた顔をしている。

 彼らと合流する前から動き通しで気苦労が絶えなかった山吹やまぶきもまた、体力の限界を感じ始めていた。

 互いに何も語ることなく、黙って草むらに腰を下ろす。

 山吹は膝を抱え疲労困憊の中、いくつかの疑問を抱えていた。

 まず山吹が気になったのは三公のことだった。

 彼が子どもの頃、白檀に拾われ備中国に引き取られた時にはすでに三公と呼ばれる3人があの邸の全てを握っていた。

 妹尾家当主の妹尾菱盛せのおひしもり、呪術使いの御形ごぎょう、そして元は朝廷の官吏だったらしい橘萩尾たちばなはぎお

 これまでこの三公と呼ばれる3人は常に合議してものごとを決めてきた。

 彼らは決して全てにおいて考え方が同じわけではないが、ものを決める時には必ず全員が納得した上で行動していた。

 それが山吹たちによって妹尾邸の門を破られたのに表に出てきたのは菱盛だけだったのだ。

 あれだけの家臣たちが邸の中から出てきたのだから、騒ぎを聞きつけていないとは考えにくい。

 別の問題に対処していて残りのふたりは手が離せなかったのだろうか。

 確かに邸の外からでも見える煙が邸内で上がっているようだったし、討ち入りする前から騒然としていたのは確かである。

 そして次に不思議だったのは、あれほど欲していた輪廻の華をいとも簡単に取り返すことができたことだ。

 九条家の守りが固く連れ出すことはできないと何度も言ったにも関わらずそれでも何とかして連れてこいとあれほど執着していた御形ですら、連れ去られようとしている現場にいなかった。

 そもそも北条棗芽ほうじょうなつめと紅葉のふたりで輪廻の華を門の近くまで連れ出せていたことが奇跡に近い。

 もし牢部屋に入れられていたとしたら、邸の最奥から誰にも見つからず出てくるのは至難の業だったはずなのだ。

 山吹はますますこれが現実なのかわからないほど混乱していた。

「山吹、そんなに眉間に皺を寄せていると10歳は老けて見えますよ」

 白檀の緊張感のない声が聞こえ、山吹は急に現実に引き戻された。

 白檀とは長い付き合いになるが、彼はいつでも感情が揺らぐことはない。

 常に冷静で皮肉ったり毒を吐く捻くれた性格が、疲労によってさらに加速していた。

 眉間に皺どころか山吹は目くじらを立てた。

「あ、あなたはこんな時に——っ!」

 と途中まで言いかけて山吹は口を噤んだ。

 こんな時だからこそ、深刻に悩みすぎると深みに嵌ってしまうのかもしれない。

「ん? 何ですか。言いたいことがあるのなら最後まで言ってください。私は別に何を言われても怒りませんよ」

 いつもなら絡んでくる白檀を軽く受け流すはず山吹も、それができないほど余裕がなかったようである。

 それに気がつき山吹は急に恥ずかしくなった。

 これではただの駄々をこねる子どもと同じではないか。

 恥ずかしさを誤魔化すように軽く咳払いした。

「いえ……何でもありません」

「……そうですか? それにしても何を考えていたのですか。眉根を寄せるほど難しいことでもありましたか」

「難しい、というより理解できないとでも言いますか……まあ、それはもう今ここで考えたところで答えは出ないのでいいのですが……ただ、ひとつ、どうしてもわからないことがあります」

「わからないこと?」

「はい。北条棗芽があの場に残ったことです」

 山吹は率直に述べた。

 それはいくつか山吹の中に浮かんだ疑問のうちの最も答えに辿り着けそうにないのものだった。

 棗芽は月華つきはなの妻を取り戻すためだけに備中国まで来たはずである。

 目的はすでに達したのだからあの場に残ったことが不可解だった。

 あの場に残るということはまだ50人以上は残っている妹尾家家臣を相手にすることになる。

 悪くすれば近隣の国へ応援要請され、さらに多くの敵を相手にすることになる可能性もあるのだ。

 最も恐ろしい御形を相手にすることになればさらに苦戦を強いられるだろう。

 間違いなく死戦となるが、その場に望んで残ったのはなぜなのか山吹にはわからなかった。

 山吹の話を聞いた白檀は唖然としていたがやがて厳しい目を彼に向けた。

「本当にわからないのですか、なぜ棗芽があの場に残ったのか」

「…………」

「あれですよ、山吹」

 白檀が指差す方向を見るとそこには横たわる紅葉の姿があった。

 雪柊の膝を枕にしているが未だ目が覚める様子はない。

「紅葉がどうかしましたか」

「はぁ……認めたくないのはわかりますが、手放すべき時は手放さなければなりませんよ、あなたも」

「おっしゃる意味がよくわかりませんが」

「あの棗芽の様子を見ていてわかりませんでしたか」

「だから何がですか!?」

「ですから、棗芽は紅葉を愛しているからこそ、彼女のために残ったのですよ」

 山吹は言葉を失った。

 開いた口が塞がらないとはまさにこのことを言うのだろう。

 白檀は追い討ちをかけるように続けた。

「あの人たちが存在している以上、紅葉はいつまでも本当の意味で解放されないことを棗芽はわかっているのです。だからそれを一掃しようといている」

「い、命を賭けて、ということですか」

「そうです」

「り、理解できません」

「ですがあなただって私の盾となるつもりではありませんか。賭けているのは同じように命なのでは?」

「そ、それは違いますっ。俺にとって白檀様は命の恩人で、あなたが新しい人生をくれたから残りの人生をあなたのために使うと決めているだけです。でも三つ編みの男と紅葉はまだ出逢って日も浅いのに、そんなことはありえないでしょうがっ!」

 山吹が声を荒げるとそれまで静観していた雪柊が口を挟んだ。

「山吹殿。紅葉は何度も棗芽に助けられたと言っていましたよ。最初に棗芽が紅葉を助けたのは単なる気まぐれだったのかもしれないが、あのふたりが互いに惹かれあっているのは確かです」

「ひ、惹かれあっている!?」

「ええ。先刻私のところにあなたたちと先に発ってほしいと言ってきた時にも、紅葉には全て片づいたら必ず迎えに行くと言ったそうですから、そういうことでしょう」

 そういうこと、とはどういうことだ!?

 山吹は認めたくなかった。

 幼い頃から苦楽をともにしてきた紅葉には兄妹以上の感情を抱いてきた。

 だがそれを本人に伝えることは決してない。

 双子の兄である自分が妹を妻にできるわけはないからである。

 ただそばにいて白檀と紅葉を守っていられることが山吹の幸せだった。

 そこへ突然現れた鎌倉の武士が妹を嫁にほしいなど、認めることはできない。

「……たとえ迎えに来たとて渡しませんよ」

 そう山吹が吐き捨てるように言った時、それまでぐったりとしていた紅葉が呻き声をあげた。

「……うっ」

「紅葉っ!」

 3人の声が重なると、紅葉はゆっくりと目を開けた。

 ぼんやりとした様子で辺りを見回す。

 半身を起こしぽつりと呟く。

「雪柊様……、雪柊様がどうしてここに?」

 紅葉は次第に困惑した表情を見せる。

「ここは、どこ、ですか?」

「紅葉、ここはもう備中国のはずれです。私たちは京に向かっているのですよ」

 白檀は紅葉に近寄り、目線を合わせるようにその場に膝を折った。

「白檀様がどうしてここに? あたしは棗芽と輪廻の華を追っていて——そう、棗芽、棗芽は? 棗芽はどこ?」

 1番にあの男の心配をするのか。

 山吹は不愉快に感じながら紅葉に言った。

「あの男ならここにはいない」

 見上げる紅葉の瞳が曇るのを目の当たりにすると山吹は胸が締め付けられるようだった。

「山吹……何で? 何でみんなここにいるのに棗芽だけがいないの!?」

「落ち着いてください、紅葉」

「お、落ち着いてなんかいられないわっ」

「紅葉、棗芽は最後にあなたへ何か伝えたはずです。よく思い出してください」

 白檀に肩を掴まれ紅葉は一瞬考えた後、驚愕した表情を見せ口元に手を当てて声を漏らした。

「必ず迎えに行くから安全なところで待っていてほしいって……」

「そうです。棗芽はあなたを逃したのですから、ちゃんと彼の意思を尊重しなければなりません」

「……白檀様、棗芽は今どこにいるんですか」

「彼はまだ戦っています」

「戦うってどうやって!? 敦盛あつもり様や菱盛ひしもり様もいるのに? 九条月華だって奥さんを連れて去っていってしまったのに、誰が棗芽を助けてくれるの? みんなここにいるのに、棗芽は本当に無事なの?」

 矢継ぎ早に投げかけられる疑問に誰も答えを持っていなかった。

 この場にいる誰もが棗芽の行動を無謀だと思っていたからだった。

 生きて紅葉を迎えにくる保証はどこにもない。

 長く続く沈黙が答えだと理解したのか、紅葉は急に立ち上がった。

「あたし、邸に戻るから」

「何を言ってるんだ、お前は」

「山吹は白檀様を守ってて。あたしは棗芽のところへ行く」

「そんなこと許せるわけ——」

 強く掴んだ紅葉の腕を引くと振り向いた彼女と目が合った。

 そこには見たこともないひとが立っていた。

 外見は確かに妹の紅葉なのに、その表情はこれまで見たことがない、意思を持ったまるで別人だった。

 それを見た時、山吹はようやく理解した。

 もう紅葉の心は棗芽のものなのだ、と。

 頭ではわかっていても感情はすぐにはついていかない。

 長年密かに想いを寄せてきた紅葉を他の男に取られるのは納得いかない気持ちがどうしても見え隠れする。

「どうしても邸に戻るつもりか」

 紅葉は力強く頷いた。

 その意思は堅かった。

 山吹は大きくため息をつくと頭を掻いた。

「雪柊殿、申し訳ありませんが白檀様のことをお願いします」

 雪柊に深々と頭を下げる山吹に白檀は詰め寄った。

「まさか邸に戻るつもりですか!?」

「紅葉ひとりを行かせるわけにはいきません。一応、これでも保護者なもので」

 山吹は白檀の両手を握りしめると頭を下げた。

「雪柊殿がいてくださるのだから問題ないでしょうが、どうかご無事で。白檀様と出会えたことは俺たち兄妹の何よりの幸運でした。これまでおそばにいられたことも、かけがえのない時間だったと思っています」

 しばらくの沈黙の後、白檀はおもむろに口を開いた。

「みつ屋の草餅」

「は……?」

 突然脈絡のない言葉が聞こえ、山吹は頭を上げた。

「私も一緒にみつ屋の草餅を食べてあげますから、今度は存分にその良さを私に語りなさい」

 いつだったが山吹が京で人気の甘味処みつ屋で草餅を薦めるとあからさまに甘いものはいらないと断られたことを思い出す。

「草餅、ですか?」

「そうです。1年分、山吹の草餅代は私が支払います」

「……妹尾家がなくなったら白檀様にその支払いができる金銭があるとは思えませんが」

「皇家が支払います」

「皇家? あなたに皇家の財産に手をつける許可が出るのですか」

「弟の榛紀しんきに払わせますから問題ありません」

 山吹は思わず吹き出してしまった。

 これは彼なりの、必ず戻れという意思表示であることは十分伝わっている。

 だがいくら兄だからといって帝を捕まえてみつ屋の支払いをさせようというのだから、白檀らしい。

 彼はこれまでどこか世捨て人のように生きてきたが、そのうちには譲らない信念が常にあった。

 口調は誰に対してもどんな時でも丁寧で礼儀正しい彼の本性はとても我がままなのだ。

 どんな手段をとってでも自身の信念を貫き通す。

 そんな彼のことが山吹は好きだったし、憧れてもいた。

「必ず私のもとに戻りなさい」

 白檀に手を強く握り返され、これが今生の別れになるかもしれないのに笑いが込み上げてきて仕方がなかった。

「善処しましょう」

「紅葉のこと、頼みましたよ」

 もう会うことはないだろう、内心ではそう思いながら山吹は紅葉を連れて来た道を戻った。

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