第55話 敦盛の誤算
山吹に紅葉を預けた棗芽はその足で雪柊のもとへ向かった。
手助けするつもりがいつの間にか現れた兄、鬼灯によって雪柊の周辺は一掃されていたのだった。
「兄上……いつこちらへいらしたのですか」
「先刻到着したばかりだ。百合殿を取り戻すのが目的だったはずだが、なぜこのようなことになっているのだ」
鬼灯は血の滴る刀をひと振りして言った。
その間にも時々命知らずな妹尾家の家臣たちが襲いかかってくるが鬼灯は蝿を払うかのように軽く刀を振って撃退した。
「よくわからないが私たちが到着した時にはすでにこの状態だったんだよ。棗芽なんて珍しくあいつらに拘束されていたしね」
「そのことはもう忘れてください、師匠。百合殿は無事に取り戻し月華に託したのですが、あの男が出てきた途端、形勢が変わったのです」
棗芽は建物の近くに立つ50がらみの男を示した。
「あれはこの家の当主か?」
「おそらく。どうやらこの邸には100人を超える家臣がいるようです。まだ半分程度しか出てきていないのではないでしょうか。あの男の指示でまだまだ奥から出てくるでしょうね」
「邸の大きさからしてそのくらいの家臣を抱えていてもおかしくないな」
「まだ50人は出てくるっていうのかい? 冗談はやめてほしいね」
棗芽はうんざりする雪柊の腕を掴んで言った。
「師匠、ひとつお願いしたいことがあるのですが」
「棗芽のお願い? 何だか気持ち悪いね」
「そうおっしゃると思っていました。日頃の行いが悪い自覚はありますので。ですが今回ばかりは目を瞑っていただきたいのです」
「何だい、かしこまって」
「あの人たちが京へ無事に辿り着けるよう、護衛していただきたいのです」
棗芽は門の前で傍観している白檀と山吹、紅葉の3人を指した。
棗芽は紅葉を山吹に託したものの、彼ひとりで白檀と紅葉を守りながら京へ向かうのは無理があると考えていた。
長年、この邸に暮らし外へ出る時は常に山吹という見張りがついていなければ出歩けなかった白檀がひとりで馬に乗れるとは到底思えない。
気を失っている紅葉は必然的に山吹が抱えて馬に乗らなければならないため、少なくとも彼女が意識を取り戻すまでは3人が一緒に行動するのは困難である。
白檀を世話する者がどうしても必要なのだ。
「君が自分で行けばいいじゃないか。鬼灯も来てくれたことだし、ここは私と鬼灯が片付けるよ。それにあの男との決着もまだついていないんだ」
雪柊は妹尾敦盛を指しなが言った。
その瞳は獰猛にぎらついている。
「師匠の気持ちはわかりますが、ここは私に譲っていただけませんか。必ずあの男の息の根を止めますから」
「他人の獲物を横取りしようというのかい?」
「そうではありません。師匠の強さは私がよくわかっています、あなたは必ずやあの男と決着をつけることでしょう。ですが今はそれよりも大事なことがあるんです。何だか嫌な予感がするのですよ、師匠。ここを根絶やしにしてもその先に何かあるような、そんな気がしているのです。もしこの後、京で有事があるとするならそれは私よりも師匠がそこにいてくださった方がいい。それに……今の私では有事が起こった時に冷静な判断ができません。何を差し置いても紅葉を守ることに執着してしまうでしょう。だから師匠に託したいんです、彼らのことを」
珍しく素直に気持ちをぶちまけた棗芽に驚きを隠せなかった雪柊も、それをからかうような野暮なことはしなかった。
棗芽の肩にそっと手を置くと後は任せた、と言わんばかりにその場を去っていった。
去り際に残した笑みが雪柊の気持ちを代弁しているかのようだった。
改めて刀を構え直した棗芽は鬼灯と頷きあった。
いくつもの死戦をともに潜り抜けてきたふたりに言葉はいらない。
残りの敵が約50人だとするなら、それぞれが25人ずつを請け負えば済む話である。
敵の大将はふたり、妹尾家当主とその息子のみ。
かつての終わりが見えないような戦場を思えば大したことはない。
殊に奥州を殲滅した戦いを思えば、ふたりにとっては楽勝だった。
「棗芽、ひとつ確認しておきたいことがあるのだが」
向かってくる敵を前に鬼灯は真剣な眼差しで棗芽を見た。
「何ですか、兄上」
「風雅の君の供の男に預けた娘、あれは何者なのだ」
棗芽の人となりを1番理解しているのは兄である鬼灯だ。
その鬼灯が疑問に思うほど棗芽の行動はこれまでの彼の常識を逸していた。
女子と一緒にいることすら考えられない光景なのに、その女子に何かあれば冷静でいられないと断言したのである。
鬼灯が疑問を抱えるのも無理はなかった。
「何者とは、敵なのか味方なのか、という意味ですか」
「そうではない、棗芽。私は——」
「冗談ですよ、兄上。ご質問の意味はよくわかっています」
「では答えよ。ごまかしは許さぬぞ」
「……そうですね。彼女は将来、私の妻になるかもしれない女です、たぶんね」
「妻……だと?」
「いけませんか、かつて敵方にいたものを娶っては」
「……いや、お前が本気なのであれば問題ない。そんなことを気にするような狭量な者は北条家にはおらぬ」
鬼灯がそれ以上、問い詰めることはなかった。
「ち、父上」
月華と刀を交えながらも競り負けて戦線を離脱した敦盛は案の定、輪廻の華を奪われてしまった。
しかし平衡感覚がままならない状態の今の彼ではどうしようもなかった。
さらに雪柊という強敵が迫ってきている。
自分の手には負えないと判断した敦盛は父、菱盛の助けを乞うしかなかった。
このままおめおめと月華と輪廻の華を逃すわけにはいかない。
菱盛は萩尾から輪廻の華を捕らえたことを耳にしているはずである。
強烈な眠気に襲われ、意識が朦朧とした状態はいまだに解消されていないが敦盛はふらつく体に鞭を打って邸の中から現れた菱盛に駆け寄った。
「お前は一体何をしておるのだ。だらしない。酒でも飲みすぎたのか」
「ご、誤解です父上。これは、あの男に盛られたのです」
「あの男?」
「萩尾様です」
「何!? お前、萩尾に会ったのか? いつ? どこで会ったのだ!?」
「父上、そんなことよりも早くあいつを追わなければっ」
敦盛は今まさに百合を抱え邸の外に出ようとする月華を指して言った。
「このままでは——」
敦盛の話を聞くのも面倒だとばかりに菱盛は息子の言葉を遮った。
「今はそれどころではないぞ、敦盛。不定な輩が我が邸に討ち入りしてきているのだ。その上、萩尾の行方もわかっておらぬ。立ち去った男のことなどどうでもよい」
「違うのです! その立ち去った男が『輪廻の華』を連れ去ったのですよ!」
「お前は何を言っているのだ。輪廻の華を追わせた山吹は手ぶらであそこにいるではないかっ」
菱盛は門の前に風雅の君の盾になるように立っている山吹を指差した。
その間に邸の奥から援軍として現れた武装した家臣たちが菱盛の指示を仰ぎにやって来ては、乱入してきた雪柊や突如として現れた見知らぬ武士の男を始末するよう言い付けている。
父の様子に敦盛の中にはひとつの疑問が湧いていた。
輪廻の華を捕らえたことが伝わっていないのではないか、と。
昨晩、敦盛は遅くに輪廻の華を連れて邸に戻りその報告を父にしようとしていたところで萩尾に遭った。
彼の部屋で詳細を伝えた際、萩尾は自分から事情を菱盛に話すと言っていた。
だがもし萩尾の話が虚言だったとしたら、当然菱盛は何も知らないことになる。
菱盛どころか御形でさえも何も聞いていない可能性が高い。
萩尾は三公のひとりだと思って何の疑問も持たなかったが、今現在これほどの騒ぎなのに姿も見せていない。
萩尾は裏切った——敦盛にはそうとしか思えなかった。
萩尾の部屋に招かれた時、出された茶に何かを入れられていたことは間違いない。
つまり萩尾にとっては輪廻の華が妹尾邸に連れ込まれたことは都合が悪く、またそれを菱盛や御形に知られたくなかった。
だから自らが報告するふりをして、敦盛の口から事実が漏れるのを遅らせるよう茶に混ぜ物をしたに違いない。
全ては推測に過ぎないが、状況は敦盛の推測が正しいことを物語っている。
恐る恐る菱盛に訊ねた。
「今朝、萩尾様は父上のところへ行きませんでしたか」
「来るどころかあやつは朝から行方不明だ。昨晩からいなかった可能性もあるが、お前が会ったというのはいつのことだ」
「昨晩、日付が変わる頃です。萩尾様と話をしました」
「話だと?」
菱盛が目くじらを立てたところで面倒そうに顔をしかめた三公のひとり、御形が足音もなく現れた。
不気味な空気を漂わせ、腕を組みながら堂々と現れたその姿に妹尾家の親子以外、誰も気がついていなかった。
「菱盛」
「……御形、萩尾は見つかったのか」
「いいえ。そんなことよりこの状況は何ですか」
目を細めた御形は邸の前に広がる異様な光景にため息をついた。
見慣れた家臣たちの多くは地面に転がり、中にはこと切れている者も多い。
侵入者は6人、そのうち戦闘していると思われるのはわずかに3人しかいない。
そのうちひとりは刀すら持っていないのだ。
「侵入者だ。今、これを一掃しているっ」
苛立たしげに答えた菱盛に目を向けた後、敦盛を一瞥すると御形は懐から紙を取り出した。
一瞥された敦盛は固唾を呑んだ。
役立たず、そう言われているのは言葉がなくともわかったがそれ以上に御形が手にしている紙が気になって仕方がなかった。
その紙が特別であることを敦盛は知っていた。
実際に使っているところを見たことはないが、それは御形によって様々なものに形を変える。
具現化した異様なものはこれまで何度も役目を果たせなかった家臣たちを死に追いやってきたのだ。
「やれやれ。朝から働かなければならないとは、今日は日がよくないようですね」
「ご、御形……様」
「ずいぶんと眠そうですね。もうよいから敦盛はそこで休んでいなさい」
彼らがそんなやり取りをしているうちに雪柊が風雅の君たちを連れて門を出ていく様子が敦盛の目に入り、思わず叫んだ。
「あっ!」
しかしその現状を確認しながらも御形は冷笑するだけだった。
「放っておきなさい。後で追えばよいだけのこと。あれを追ったところでこの邸が失くなってしまえば何も意味がなくなる。まずはこちらを始末するのが先です」
「御形、お前自ら行くというのか?」
菱盛は眉根を寄せた。
御形がこれまで積極的に戦いに身を投じてきたことはない。
それが少し不自然に思えたが止める理由もなかった。
「これ以上、無駄に家臣の者たちが殺されるのを黙って見ているのですか。あれは相当な手練れですよ。おそらく戦場にいれば1軍を任される武将でしょう。それもふたり。たまには私も働くとしましょう」
そう言い残して御形は不気味な笑みを浮かべたまま、敵の前へ悠々と進み出た。




