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第54話 戦う目的

 雪柊せっしゅうとの出会いは奇妙な巡り合わせだった。

 まだ互いに独り身だった頃、鬼灯きとうは年に何度か将軍の使者として上京していたことがあった。

 どんなに急いでも鎌倉からみやこまでは3日はかかるため、上京すると必ず何日か滞在することになった。

 そのために寝殿造の邸も用意されていた。

 使われなくなった邸を改装したものだったが、10人にも満たない使者の一行に用意されるにしては大きすぎるくらいであった。

 まだ六波羅探題も置かれていない時代の頃である。

 数人の供を連れて京を訪れたある晩、事件は起こった——。

 鬼灯たち一行は帝への挨拶を済ませるといつものとおり案内された邸に滞在することになった。

 邸での待遇は申し分なく、門には警備のための門番が置かれ、十分に用意された女中たちによって掃除も行き届き、鎌倉からの長旅で疲労していた一行には最高のもてなしがなされた。

 夜も更け、鬼灯は寝殿に用意された御帳台みちょうだいに入った。

 本来ならすぐに床に着くところだが、この日の鬼灯はなぜか眠る気にはならなかった。

 長年、戦場に身を置いてきた経験からか明確な理由はなかったが寝てはいけないと、彼の勘が訴えていたのである。

 夜着を着ていても刀はすぐ手の届くところに置き、敷かれた布団の上で胡座をかいて考えごとをしていた。

 それは帝のことだった。

 帝である凌霄りょうしょうはいまいち掴みどころのない人物だった。

 幕府から来た鬼灯たちを両手を上げて歓迎しているわけではないのは肌感でもわかったが、たがらといってあからさまに邪険にするでもなかった。

 前の帝である鳳仙ほうせんは贅を尽くし華やかな世界を好む性格だったようだが、凌霄りょうしょうはそんな鳳仙のやり方を改革し続けているという。

 それまで鳳仙が家格を重宝したのに対し、凌霄は能力を評価して朝廷の役職にも口を出しているらしい。

 表立っては見えないが、それまで鳳仙に重要視されてきた貴族からの反発が大きくなっているのは疑いようもなかった。

 朝廷の中が分裂するようになれば、中には血迷った輩が幕府と手を組んで朝廷をひっくり返し我がものにできると考える者も現れるだろう。

 幕府には朝廷に関わる気は一切ないが、そういった動きがあるというだけで疑われるのは御免だ。

 その意思がないことを表すためにも定期的な上京は必要だった。

 面倒なことにならなければよいが……鬼灯がため息をついた時、何らや近くで人の気配を感じた。

 日付が変わろうかいう深夜に訪問者などあり得ない。

 何かあったにしては邸全体が静かすぎる。

 となれば考えられるのは不審者の侵入である。

 鬼灯は刀を手に取って御帳台を出た。

 忍び足で廊下に出ると明るい月が辺りを照らしていた。

 寝殿造特有の大きな池が眼前に広がり、その水面に映る月を愛でるには最高の景色が広がっていたが、その中にこの景色には似つかわしくない人影がいくつかあった。

 黒い装束に身を包み、腰には刀を下げている。

 顔は大きな布で覆い隠され目元だけが見える状態で、何者なのかはわからなかった。

 そもそも鬼灯は京の土地勘がなく、公家にも知り合いはいないため、誰の手先なのか当たりをつけることすらできなかった。

 庭から侵入しようとしていた不審者たちと目が合うと、相手は予想していなかったようですぐに踵を返した。

 逃げ出す背中を鬼灯が追うと近くの木を利用して塀を乗り越えていったので、鬼灯もそれに倣って同じ経路を辿った。

 不審者を慌てて追ったせいで、履物を履く余裕がなく鬼灯は夜着に裸足で刀を握りしめているという、事情を知らない者が見ると十分に不審者に見える状態だった。

 塀を乗り越えて、裸足で大路に着地したものの、追っていた黒装束の不審者はすでに見えなくなっていた。

 代わりに目の前に現れたのは朝服を着た別の男だった。

 官吏のようである。

「ご無事か?」

 男は目が合うなり声をかけてきた。

 鬼灯がわずかに鞘から刀を抜こうとすると、男はその柄を押し込んで刀を鞘に戻した。

 一般官吏とは思えないほど俊敏な動きだった。

「待たれよ。私は君が追っていた不審者ではない」

 男は鬼灯が不審者を追って塀を越えたことを知っているようだった。

 まるで不審者がこの大路を駆け抜けたことを知っているかのような口ぶりだった。

 一部始終を見ていたというのならずいぶんと都合よくこの場に居合わせたものである。

 もしや追っていた黒装束のひとりが、上着を脱ぎ捨てて何食わぬ顔で現れたのではないか、と鬼灯は相手を訝しげに見た。

「この状況では疑われるのも無理はないか」

 月明かりに照らされたその男は開いているのかもわからないほど細い目で鬼灯を見つめた。

 やましいことがある者は大抵、耐えられなくなって視線を逸らすものだが男は決して逸さなかった。

 敵意はない、そう言っているような気がした鬼灯はとりあえず戦闘態勢を解いた。

「申し遅れた。私は朝廷で官吏をしている久我雪柊くがせっしゅうという。帰宅しようとしていたところ、怪しい黒装束の男たちが数人、暗躍していたので追っていたらここに辿り着いた。君は鎌倉から来られた使者の方であろう?」

「……官吏なのにこんな深夜まで仕事をしているのか」

「多くの者は日が暮れる前に帰宅してしまうが私は帰ってもすることがないので、長居することが多いのだ。ところでお怪我は?」

 そう言いながら雪柊は腰を屈めた。

 裸足でいることを気にしているらしい。

「私に構うな」

 鬼灯は咄嗟に再び刀を抜こうとした。

 まだこの雪柊という男を信用していいのか判断がつかず、反射的に動いてしまったのだ。

 雪柊は嘲笑しながら言った。

「ずいぶんと喧嘩っ早い男だな、君は。鎌倉の武士とはみな君のようなのか? 幕府の者が証拠もなしに朝廷の官吏を斬っては具合が悪いのではないか」

「…………」

「——とはいえこの邸に忍び込んだ輩は君が幕府から来た使者だとわかっていてここに侵入した可能性が高いな」

「……立ち去った者を見たか」

「いや。不覚にも後ろ姿しか見えなかった。後をつけようとしたら君が塀から飛び降りできたので機を逸してしまった。だがあの走り方は玄人とは思えない。おそらく幕府の存在をよく思わないどこかの公家が素人を雇ったのだろう」

「また来ると思うか」

「それはないだろうな。君に見つかったとわかって逃げ出したのだろうから、もう1度狙いにくるほどの度胸はなかろうよ」

 雪柊は黒装束の男たちが走って逃げた方向を見つめながら言った。

 通りはその先にずっと続いているが深夜とあって人影はない。

 仕事帰りの官吏と夜着に裸足の刀を持った武士のふたりは物音もない静まり返った空間に相応しくなかった。

 事情を知らない通りがかりの通行人が見れば顔をしかめるような光景である。

 視線を戻すと雪柊は急に鬼灯に向かって深く頭を下げた。

 何ごとかと瞠目していると頭を上げた雪柊は真剣な眼差しを鬼灯に向けた。

「朝廷の一員としてこのようなご迷惑をおかけし、幕府の使者にお詫び申し上げる」

「…………?」

「帝を含め朝廷は幕府に対し含むところがあると思われても致し方ないと思うが、どうか今宵のことは朝廷の本意ではないことをご理解いただきたい」

 起こったことについて実直に弁明する雪柊に鬼灯は困惑した。

「雪柊…殿、頭を下げなければならないような立場なのか?」

「いや、私は兵部省ひょうぶしょうの官吏に過ぎない」

「帰宅途中にただ通りかかっただけなのではなかったのか」

「そうだが? だからとて朝廷の官吏である以上、他人ごとにはできない。そういう性分なのでね。それでは——」

 それだけ言って去ろうとする雪柊を鬼灯は思わず引き止めた。

「待て」

「まだ何か?」

「関係ないのになぜ素通りしなかったのだ。怪しい者が塀を越えていようとどうでもよかったはずではないか」

 雪柊は眉根を下げて肩をすくめた。

「こう見えても私は子どもの時分より武術を体得している。怪しい動きをしている者を見ると放っておくことができないのは性分だ。この邸に幕府の使者が滞在していることは知っていた。だから万が一のことがあってはとお節介が働いただけのこと。他意はない」

「おかしな男だ」

「その言葉、そっくりそのまま返そう」

「何だって?」

「君も大概おかしな男ではないか。普通ならこれほど不愉快なことが起これば激怒してもおかしくないと思うが、ずいぶんと冷静であられる。私は、武士とはもっと気性の荒い荒くれ者の集まりだと思っていたが、どうやらそれは思い違いらしい」

 面と向かって失礼なことを連発されたような気がするが、不思議と悪い気はしなかった。

 気がついた時には鬼灯は腹を抱えて笑っていた。

「何がおかしいのだ」

「いや、失礼。私も、朝廷の官吏はみな身分を傘に着てお高くとまっているものだと思っていた。ましてや武士の我々に頭を下げるなど……こちらも少し思い違いをしていたようだ。その飾らないところが気に入った。私は北条鬼灯だ。次回上京する時は是非ともゆっくり話をしたいものだ」

「鬼灯殿——」

「鬼灯だ」

「では、鬼灯。私はつまらない男だから話などしても面白くないと思うが……」

「では囲碁でもしようではないか。それならばよかろう?」

「君も強引な男だな。まあ、そこまで言うのならお付き合いしよう」

 そう言って頭を下げた律儀な男を鬼灯は見えなくなるまで見送ったのだ。



「雪柊、まだ生きているか!?」

 妹尾せのお家に到着した鬼灯は複数の武士に襲われ、押しつぶされそうになっていた雪柊に向かって叫んだ。

 まさに多勢に無勢である。

 彼の強さは誰よりも鬼灯が知っているが、ものには限度というものがあるのだ。

 このままではいくら武術の達人とはいえ、万が一のことがあるかもしれない。

 そう思うと鬼灯は謂れのない恐怖感に襲われた。

 大切な友を失いたくない。

 鬼灯にとって雪柊は大事な友であり、家族でもあるのだ。

 今すぐに雪柊を助けなければならない。

 それ以外に考えることはなかった。

 鬼灯は駆け寄るなり必死で刀を振るった。

 何人もを斬り捨てるうちにその返り血を大量に浴びたがそんなことは気にもならなかった。

「雪柊!」

 雪柊を取り囲む最後のひとりを斬り捨てたところで鬼灯は雪柊の肩を掴んで強く揺さぶった。

 ふたりの足元には何人もの斬られた男たちが転がっている。

 そのほとんどは息をしていなかった。

 すると雪柊は不満そうな顔を向けてきた。

 鬼灯は苛立ちを覚えた。

 あまつさえその後に口にした雪柊の言葉に彼は呆れ返った。

「来てくれたんだね、鬼灯。でもおかげで桔梗のもとへ行きそびれたよ」

 何を言っているのかさっぱり意味がわからなかった。

 なぜここで亡き彼の妻の名が出てくるのだろうか。

 あまりに過酷な戦いだったために気が触れたのではないかとさえ思った。

「は? 桔梗殿のもとだと? 冗談は寝言だけにしろ」

 雪柊が亡くなった妻子のことを溺愛していたのは知っているがまさか幻でも見ていたのだろうか。

 そんな鬼灯の心配をよそに雪柊は大真面目に言った。

「冗談なんかじゃないよ。なぜかちょうど桔梗のことを思い出していたんだ。だから桔梗が私を呼んでいるような気がしてね」

 呼んでいるとはつまり、死者の世界へということだろうか。

 ばかばかしい。

 そんなことはあろうはずもない。

「ばかを言うな。義姉上あねうえはお前を黄泉よみへ呼んだりせぬ。まだ向こうへは行かせてやれぬからな」

 これまで辛い道のりを歩んできた雪柊がそろそろ楽になりたいと思う気持ちはわからなくもない。

 だが、これからまだいくらでも楽しいことが待っている。

 月華つきはなの子が成長していく様を見守ることができるし、将来、悠蘭ゆうらん菊夏きっか間に子が生まれるかもしれない。

 気にかけていた風雅の君とはこれからはいつでも会えるようになるかもしれない。

 まだ雪柊には明るい未来が待っている。

 それを満喫して欲しかった。

 鬼灯は次々と湧いてくる妹尾家の家臣たちを息つく間もなく雪柊の前で瞬く間に斬り落としていった。

 幕臣である鬼灯にとって、朝廷と西国が対立していようと直接、幕府に楯突いてくることがない限り静観しているつもりでいた。

 鬼灯の立場上、あまり動きすぎるとかえって火種を大きくするような気がしていたからだ。

 六波羅ろくはらを発った時は巻き込まれて仕方なく手を貸すつもりでいたが、今は明確に目的がある。

 鬼灯が大切に思う者たちを守るためにこの戦いが必要なのだ、と。

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