第51話 肝の据わった皇子
「これは何ごとかっ!」
妹尾家当主——妹尾菱盛は怒りに任せて声を上げた。
仲間であったはずの橘萩尾が行方不明になり、早朝から邸内を捜索していた菱盛は不審者が侵入していることに気がついていなかった。
家臣たちが慌ただしく門に向かうのを捕まえた時のことである。
「お前たち、どこへ向かっておるのだ。萩尾は見つかったのか」
「ひ、菱盛様、それどころではございませぬっ。侵入者です。門から不審な者どもが侵入しておりますっ」
「何!? 何者だっ」
「わかりませぬ。ただ、侵入者の中には風雅の君もいるとのことです」
そう言い残して立ち去った家臣の背中を見ながら菱盛は理解不能に陥った。
忽然と姿を消した風雅の君は敦盛に追わせたはずではなかったか。
そしてこれだけ探しても見つからない萩尾は風雅の君を追ったのではないかと思い始めた矢先のことだった。
青天の霹靂とはまさにこのことである。
考えても整理がつかないうちに菱盛の中では怒りの感情が先立ち、大きな足音を立てて門へ向かったのだった。
今、菱盛の前には想像もしなかった世界が広がっていた。
邸から門までの間にいくつもの問題が山積している。
1番目についたのは呻きながら地面に倒れている何人もの家臣だった。
侵入者と対峙したのか、刀は放り出され動けない者が10人以上は転がっていた。
その近くには腰の引けた情けない家臣たちが20人以上はいるだろうか。
その中には先刻、侵入者の情報をもたらした家臣もいる。
視線を別の方へ移すと、そこには逃げたはずの紅葉が地面に座り込み菱盛のことを驚愕した表情で見つめていた。
紅葉に寄り添う、長い黒髪を三つ編みにした男は見たことがない。
刀も持たないその男が侵入者だというのだろうか。
菱盛にはそうは見えなかった。
菱盛から見て正面にある門はだらしなく開け放たれていた。
その前には輪廻の華を追っているはずの山吹が菱盛に刀を向けている。
彼が守ろうとしている風雅の君と目が合うと自然と皮肉が溢れた。
「風雅の君。そんなにこの邸が恋しかったのであればこのような討ち入りの真似ごとなどなさらずとも堂々とお帰りになればよいものを」
「…………」
いつもの軽口で反論しそうなものだったが風雅の君は何も答えなかった。
射抜くような強い意思を感じる眼差しを向けてくるだけだった。
しかしその拳は強く握られ口は一文字に引き締められているところを見ると、相当感情が昂っているに違いない。
(あの男……いつも何ごとにも関心のない世捨て人のようであったが、あのような表情もできるのだな)
菱盛は皮肉にも長い年月を監視してきて初めて風雅の君の本性に触れたような気がした。
思わず嘲笑を漏らすと、視線を遮るように山吹が風雅の君の前に出た。
「白檀様、お下がりください」
山吹の切っ先は真っ直ぐ菱盛に向けられていた。
風雅の君が備中国へやって来た日、途中で拾ったと言って双子を引き取ることになったのはずいぶんと前のことである。
山吹に剣術を教えたのは敦盛だが、それはつまるところ菱盛の剣技でもある。
戦う術を教え、妹尾家の一員として揚羽蝶の家紋を刻印した刀を下賜したにも関わらず、その刀を向けられることになる日が来るとは露ほども考えなかった。
「山吹。下した命を忘れたか。まぁ、紅葉は戻ってきたようだが」
「…………っ!」
山吹は何か言いたげにしていたが、風雅の君の盾になっている以上、そこを動くことができないのだろう。
苦虫を噛み潰した顔で何も言わなかった。
紅葉は肩を振るわせ硬直していた。
何のために戻ってきたのかわからないが、探す手間が省けたというものだ。
「紅葉、よく戻った」
鋭い眼光を向けてくる三つ編みの男は紅葉を庇うように自らの胸に抱き込んだ。
菱盛は深いため息をついた。
最後に目に入ったのは、頭を抱えながら邸の中に入ろうとする敦盛とそれを追っていたかのような男の姿だった。
男は状況を察してか微動だにせずこちらの動向を窺っているが、菱盛には奇妙に映った。
剃髪した外見はまるで僧侶のようなのに、気配は獲物を追う獰猛な獣のようだからである。
戦い慣れしているように見えるのも、外見からは想像できないちぐはぐなものだった。
菱盛は当主としてこの状況を打開すべく、行動を起こさなければならなかった。
不審者が邸に転がり込んできているのだ。
一掃しなければならない。
菱盛が片手を上げて合図すると邸の奥からぞろぞろと刀を下げた男たちが出てきて一斉に攻撃を始めた。
その頃、夜通し駆け抜けた北条鬼灯は見知らぬ土地で朝を迎えた。
日は昇りきり辺りはすっかり明るくなっている。
初めて備中国を訪れた鬼灯には目指す妹尾家がどこにあるのかわからなかったため、まずは小高い山の山頂を目指した。
上からぐるりと一周してみると不自然なほど巨大な邸が目についた。
高い塀で囲まれた敷地の中にいくつかの建物が乱立していてそれぞれが廊下で繋がれ歪な形をしている。
目を凝らしてみると門は開け放たれ、米粒ほどにしか見えないが中では何人も駆けずり回る様子が窺える。
たが、そこに誰がいるのか顔までは遠くて確認できない。
鬼灯は妹尾邸であるかどうかの確信を持てないまま、とりあえず山を下ることにした。
邸の近くに辿り着くと外の木に2頭の馬が繋がれていた。
門番のいない門は堂々と開け放たれているが人が出入りする様子は見られない。
邸からは怒号のようなものが漏れ聞こえる。
鬼灯は馬から降りると同じように木に繋ぎ開け放たれた無防備な門から中に入った。
最初に目に入ったのは見覚えのある背中だった。
刀を抜きながら鬼灯はその背中に声をかける。
「風雅の君、ではありませぬか」
振り向いた相手は間違いなく思ったとおりの人物だった。
だが日差しに照らされる彼の姿は前とはずいぶんと印象が変わっていた。
着物の裾は泥にまみれ、全体的に黒ずんで汚れている。
頬にも煤が擦れており、とても高貴な人物とは思えないほどだった。
目が合うと彼は安堵の声を漏らした。
「あぁ……鬼灯、来てくれたのですね」
鬼灯が駆け寄り風雅の君に肩を並べるとその先に別の世界が広がっていた。
何人もの刀を持った男たちがたったひとりに多数で襲いかかっている。
襲われているのはよく見ると鈍色の着物を着た剃髪した男——雪柊であった。
近くには地面に座り込む女子を説得しているように見える棗芽の姿があった。
「月華は一緒ではないのですか」
「実は百合の意識がなく、ここにずっと置いておくことができなかったので京に向かわせました」
そんな短い会話をしているうちに、風雅の君に襲いかかろうとする輩とそれを受け止める山吹の刀が打ち合う鋼の音が響く。
山吹は1度に3人の攻撃を引き受けている。
危険はすぐ目の前にまで迫っていた。
呑気な会話をしている場合ではないことはわかっていたが状況を確認しておく必要があった。
「これは一体どういうことですか」
「どうって見ればわかるでしょう? 私たちは妹尾家の者たちに襲われています」
「そんなことは見ればわかります!」
「嫌ですね、そんなに声を荒げて。短気は損気と言いますからね。少し落ち着きませんか」
どこをどう取っても危機的状況にしか見えない鬼灯にとって妙に冷静でいる風雅の君のことは理解できなかった。
どおりで月華と合わないはずである。
これほどまでにのらりくらりと外されてしまえば月華が目くじらを立てるのも頷けた。
ちょうどその時、目の前で山吹と鍔迫り合っていた家臣の男たちのうちのひとりが山吹から離れて風雅の君を斬りつけようとしていることに気がつき、鬼灯は自分の刀で逆袈裟に斬り上げた。
家臣の体から噴き出た血の一部が風雅の君の顔にかかる。
彼の着物の一部も血に染まった。
「大丈夫ですか」
「気にしないでください、鬼灯。今はこんなことを気にしている場合ではない」
風雅の君は目の前で彼を守ろうと戦う山吹の様子を気にもとめず淡々と言った。
戦う術を持たない彼はいつ身に危険が及んでもおかしくないはずなのに妙に肝が据わっていた。
弑虐の罪を着せられて京を追われただけのことはある。
これまでにも誰も知らない死戦を潜り抜けて来たのかもしれない、そう思うと高貴な身分に生まれながらその恩恵を受けずに生きてきた風雅の君に同情さえ感じた。
「鬼灯、正面にいる男が見えますか」
彼の指差す方向には歴戦の猛者のような年配の男が立っている。
筋肉質でがたいは大きく何よりも漂う気迫が他の家臣たちとは違った。
「……ええ、見えますが」
「あの男が妹尾家当主です。ここにいる妹尾家家臣たちはあの男の言葉ひとつで動いています」
仁王立ちする男を鬼灯はまじまじと見た。
年齢や仕草から、戦に出れば間違いなく武将として本陣でじっと刻を見ているような人物であることはすぐにわかった。
「あの男も相当強いが、最も恐ろしい人物がまだ現れていません。気をつけてください」
風雅の君が何を言わんとしているのか意味がわからなかったが、考えるよりも迫り来る敵の排除が先である。
鬼灯は山吹に襲いかかっている妹尾家の家臣数人をひと呼吸のうちに軽々と斬りつけると風雅の君に告げた。
「ここは私が引き受けますのであなたは京へお戻りください。百合殿を取り戻したのなら、もうここにいる理由はないでしょう」
あっという間に追加で数人を斬り捨てた手腕を目の当たりにした山吹は絶句していた。
風雅の君を守れ、と山吹に目で訴えた鬼灯は迷うことなく苦戦している雪柊の元へ向かった。




