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第49話 闘いの始まり

 朝廷に仕える摂家の筆頭、九条月華くじょうつきはなと、世が世なら帝になっていたかもしれない第1皇子の白椎はくすいこと茶人の白檀びゃくだん——血の繋がりのあるふたりが歩み寄ったことで一行は滞りなく妹尾せのお家の近くに到着した。

 これまで月華と雪柊せっしゅうが並んで先頭を爆走してきたが、馬を休ませた後は道案内も兼ねて白檀を後ろに乗せた山吹やまぶきが先頭を引き受けた。

 山吹はこれまで何度となく白檀の使いで各国を渡り歩いており、地理には明るい。

 加えてかつては妹尾家の戦に駆り出されていたらしく、月華から見て馬の扱いも目を見張るものがあった。

 邸の外観を目視できる辺りまで近づくと山吹は動きを止めた。

 それに倣い月華や雪柊も馬の足を止めると、山吹は言った。

「あれが妹尾邸です」

 山吹が指差す先には増築を繰り返して巨大化した邸があった。

 邸を囲う塀はどこまでも続き、何もない土地に圧倒的な存在感を放つ。

 月華は目を細めた。

 以前、近衛柿人このえかきひとと繋がりがあると睨んで偵察した見覚えのある邸で間違いない。

 あの中に攫われた妻がいるかもしれないと思うと月華は逸る気持ちを抑えられなかった。

 月華が今にも突進しようとしていると、山吹はぽつりと呟いた。  

「門番がいないなんておかしいな」

 確かに目を凝らして見ると妹尾家の門は固く閉ざされいるのに門番はいなかった。

「確かに。かつての門番は棗芽なつめにやられてしまったようですが、代わりの者がいないのはおかしいですね」

 白檀も首を傾げた。

「門が閉ざされているのに門番がいない、か」

 山吹が手綱を握る馬に、月華が馬首を並べる。

「ええ。こんなに不用心なのは初めてです」

 白檀は眉間に皺を寄せて答えた。

「もしかしたら中で何か起こっているのかもしれないな」

「手一杯で外まで気が回らない、と?」

「まあ、行ってみればわかることだ。門番がいないのなら手間が省ける。正面から乗り込むまでだ」

「正面から!?」

 山吹と白檀が同時に驚愕の声を上げたところで、静観していた雪柊が3人の背後から声をかけた。

「何だか邸の様子がおかしいね。奥で煙のようなものも上がっているように見えるし、ずいぶんと騒がしい感じがしないかい」

 月華が再び邸へ目を向けると確かに微かな煙のようなものが見える。

 そして離れたところにいる彼らの耳にも騒々しい様子が感じ取れた。

「何かあったようですね。行きましょう」

 月華は邸の中で妻の百合ゆりに何かあっては、と耐えきれずに駆け出した。



「そこの男、それまでだ」

 敦盛あつもりの声で棗芽はぴたりと動きを止めた。

 振り返ると棗芽の太刀を大事そうに抱える紅葉くれはの腕を敦盛が捕らえていた。

「紅葉っ」

 このままでは紅葉だけではなく、せっかく奪還した百合も奪われてしまう。

 そんな焦りが棗芽の全身を瞬時に駆け抜けたが、下手をすればふたりを失ってしまうかもしれない、そう思うとそれ以上動くことができなかった。

 それまで威勢よく妹尾家の家臣たちを打ちのめしていたのが一転して、打ちのめされる側に変わった。

 反撃に転じた複数の男たちから腹を蹴られ、顔を殴られるなどしてその場に膝をつく。

先刻さっきまでの威勢はどうした」

 薄笑いを浮かべた男は抵抗しない棗芽の顔をだめ押しに殴った。

 殴られた拍子に口の中が切れ、唇からは血が流れる。

 それを手の甲で拭うとその腕も男たちに拘束され棗芽はとうとう身動きが取れなくなった。

 これまで戦場でこれほど痛めつけられたことがあっただろうか。

 守る者など何ひとつ持たず、常に捨て身で戦ってきた棗芽はある意味、無敵とも言えた。

 どんな時でも怯むことなく向かっていく棗芽は戦場でもよく恐れられたものである。

 それが守りたい者ができたことでこんなにも無力感を味わうことになろうとは考えもしなかった。

 かつての棗芽なら紅葉がどうなろうと彼女を切り捨ててでも輪廻の華を奪還するという目的のために躊躇なく敦盛に向かっていったことだろう。

 だが今はそれはできない。

 そうすることは紅葉を危険に晒すことになるとわかっているからである。

「棗芽っ」

 今にも泣き出しそうな、哀しそうな紅葉の視線は棗芽にとっては何よりも耐えがたかった。

 そんな顔をさせたいわけではない。

 ただいつも笑っていてほしいだけなのに。

「お前たちは百合殿を取り返しに来たのか」

「…………」

 敦盛の問いに棗芽も紅葉も答えなかった。

 腕を掴まれたままの紅葉は力なく俯き、棗芽は敦盛を睨みつけるだけだった。

「ずいぶんと勇敢なことだな。敵中に忍び込んでまで取り返そうとは……よほどお前たちにとっても輪廻の華の異能が必要と見える」

「……私たちは『輪廻の華』を取り戻しに来たわけではない」

「まあよい、いずれにしても失敗に終わったのだからな。しかしどうやって邸に入り込んだのやら。いくら混乱しているとはいえ、邸の警備を見直さねばならぬな……っ」

 雄弁に語っていた敦盛は一瞬、立ちくらみを起こしてふらついた。

 周りの家臣たちが敦盛を案じて動揺した隙に棗芽は拘束を逃れようとしたが、異変に気がついた男たちに再び強く掴まれ逃れることはできなかった。

 こめかみを押さえながら敦盛は忌々しげに声を漏らす。

「くそっ。あの男、茶の中に何を入れたのだ……っ」

 ふらつきながらも敦盛は紅葉の腕を離さなかった。

 それが棗芽には気に入らず、思わず叫んだ。

「紅葉を離せっ」

 紅葉は敦盛の妾にされそうになって妹尾家を飛び出してきたと聞いていただけに、その敦盛が紅葉を捕らえていることが許せなかった。

「どこの誰かは知らぬが紅葉はこの妹尾家の一員だ。お前のような他人にとやかく言われる筋合いはないっ」

 敦盛は苛立たしげに言い放った。

 そうこうしているうちに邸の中から次々と家臣たちが集まってきた。

 全員が腰に刀を下げ武装している。

 棗芽は懸念していた最悪の状況になったことを悟り、舌打ちした。

 その時——。

 ひと際大きな音を立てて門が派手に全開した。

 全員の意識が門に集中するとそこから4人の男が乱入してきたのだった。



「こいつ、本当に正面から行くのか!?」

 閉ざされた門に体当たりする月華を加勢しながら山吹は呆れていた。

 呼吸を合わせ、4人で何度か扉に体当たりすると門は呆気なく開いた。

 転がり込むように邸の中に入った彼らは目の前に広がる光景に立ち尽くした。

 妹尾家の家臣と思しき刀を差した男たちがざっと50人ほどは集まり、全員が乱入した彼らに注目していた。

 そのうち数人が棗芽を捕えている様子が目に入り、月華はすぐさま刀を抜いた。

「棗芽様っ!」

 棗芽が敵に屈しているのを月華は初めて見た。

 これまで何度も戦場でともに命を賭けてきたにも関わらず、棗芽が敵の攻撃を直に受けているのを見たことがなかったのである。

「月華、私のことはいい! 早く百合殿をっ」

 刀を振りかざして棗芽に駆け寄ろうとした月華は彼の言葉に足を止めた。

 辺りを見回すと棗芽の視線の先に横たわる百合が目に映った。

 すぐそばに見知らぬ女子と百合を攫った武士の男——敦盛が頭を抱えていた。

「百合!?」

 月華は躊躇うことなく敦盛に斬りかかった。



 一方、男たちに捕まった棗芽の口元に血を拭った後を見つけた雪柊は弟子を救出するために駆け寄った。

 師匠と弟子に言葉は必要なかった。

 刀を構える男たちに素手で立ち向かう雪柊には何の躊躇いもない。

 棗芽の腕を掴む男のもとに真っ先に向かった雪柊は男が刀を振り下ろすよりも早くその手首を掴んだ。

 片手は棗芽の腕を掴んでいるため、無防備になった胴を蹴り上げる。

 男は近くにいた仲間を巻き込んで数人が後方へ倒れた。

 片手が自由になった棗芽が反撃に出たのは言うまでもない。

 月華が敦盛を打ちのめすことを見越してのことだった。

 今なら反撃しても紅葉に危険が及ぶ可能性は少ない。

 拘束を逃れることができれば自ら彼女を助けに行くことができる。

 棗芽は雪柊の登場に気を取られている男の鳩尾に自由になった片手を立ちこむことでもう片方の腕も自由を取り戻したのだった。

 そこで反撃を止める棗芽ではない。

 雪柊の攻撃に加勢するように数人を打ちのめしていった。

「師匠、お手を煩わせて申し訳ありませんでしたっ」

「いや、珍しいものを見せてもらったよ」

「は?」

「君がそこまで痛手を負う姿を見ることができるなんてね」

「……悪い冗談ですね、師匠」

「まあ、君にしては上出来だよ、棗芽」

「…………?」

「紅葉を守るにはああするしかなかっただろう。失いたくないと思うほど彼女を大事にしているんだから、私としては嬉しい限りさ」

 ふたりは呑気な会話をしている間にも互いに背中を預け、次々と湧いてくる敵を片付けていった。



 月華の振り下ろした刀は敦盛の肩を斬りつけたかに見えたが、ぎりぎりのところで交わされた。

 ふらつきながらも紅葉から手を離した敦盛は抜刀していた。

 切っ先が月華に向けられている。

 斬り込んできた敦盛の刀を月華が受け止めるとすぐにふたりの間合いは縮まった。

 鍔迫り合いになり互いの顔が近づく。

「百合は俺の妻だ。返してもらう」

「お前は九条月華だな! 輪廻の華は渡さぬっ」

 力は互角、だが橘萩尾たちばなはぎおに睡眠作用のある茶を呑まされ体が思うように動かない分、敦盛の方が不利だった。

 月華は押し切れるかと思ったが、敦盛が後ろへ遠のいた。

 そのまま離れていく。

「逃げるのか!」

 月華が追い詰めようと足を踏み出した時、雪柊と棗芽が駆けつけてきた。

 月華の肩を掴んで雪柊が言った。

「月華、あの男の相手は私が引き受けよう。借りは倍にして返す主義なんだよ」

 普段は糸のように細い雪柊の目もこの時ばかりは薄っすらと開いていて、それでいて微笑んでいるから不気味なことこの上なかった。

 そのまま敦盛を追っていった雪柊の背中を見て月華は固唾を呑んだ。

 振り返ると雪柊と棗芽のふたりで相手をしたと思われる妹尾家家臣の男たちが何人も、地面に転がっていた。

 みな息はあるようだが意識のない者や呻き声を上げる者ばかりで戦闘能力を失っている。

 彼らが手放した刀も多数、転がっている状態だった。

 無事な10人程は戦意を喪失して呆然と立ち尽くしていた。

「月華、今のうちに百合殿を連れて早く妹尾邸ここを去りなさい」

 声が聞こえて視線を戻すと、そこには意識のない百合を抱えた棗芽が立っていた。

 満身創痍な棗芽を前に月華は目を見開いた。

「棗芽様、体は大丈夫なのですか」

「私なら問題ありません。それよりも早く」

 棗芽に促されて百合を受け取るとずしりとした重みと体温を感じた。

 やっと百合をこの手に取り戻した、そう思った。

「百合殿は無事です。怪我もありませんし、ただ意識を失っているだけだから安心して下さい」

 改めて腕の中の百合を見ても、確かにところどころ汚れてはいるものの、傷などは一切ない。

「ああ、棗芽様……妻を救って下さってありがとうございましたっ」

「礼には及びません。可愛い弟の奥方を放って置けるほど私は非情な男ではないつもりです」

 棗芽らしい物言いに苦笑した月華は目尻から溢れそうになる涙を拭った。

「礼には及ばないが……ただ、全てが片付いたら私の相談に乗ってはもらえないだろうか」

「相談、ですか?」

「そうです。他に適任が思いつかないものですから」

 節目がちに言う棗芽にいつもの月華なら、気味が悪いですねなどと悪態をつくところだが、さすがにそれはしなかった。

「俺でよければいつでも。たまには酒でも呑みましょう」

 月華は深々と頭を下げると、大事そうに百合を抱えてその場を離れたのだった。

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