第48話 見えない絆
棗芽を先に歩かせ、後ろから行き先を指示していた紅葉は背中から聞こえた覚えのある声に、足を止めた。
「そこにいるのは紅葉か……?」
先刻まで部屋で寝入っていた敦盛の声に間違いない。
今、最も出くわしたくない相手に出くわしてしまった。
紅葉の鼓動は否が応でも速くなる。
振り向いてはいけない。
彼女はそう自分に言い聞かせて、肩を振るわせながら前を行く棗芽に耳打ちした。
「棗芽、何も言わずに走って」
「走る? そんな目立つこと——」
「いいから走って!」
紅葉は百合を背負う棗芽の背中を押した。
わけがわからず言われたとおりに走り出す棗芽に続いて紅葉も駆け出した。
「待てっ!」
いきなり斬りつけてくるようなことはないだろうが捕まれば間違いなくただでは済まない。
棗芽から預かっている太刀は紅葉にとって長く、走るのは困難を極めたが止まるわけにはいかなかった。
「紅葉、大丈夫ですか」
振り返った棗芽が顔をしかめた。
「あの男……」
目の端に敦盛を映した棗芽の眉間に皺が寄った。
「敦盛様に見つかったわっ」
「門まであとどのくらいあるのですか」
「あと、少し」
「とにかく何とか切り抜けましょう」
そう棗芽が言った瞬間、妹尾家の家臣が3人彼らの前に現れた。
「何者!?」
棗芽と対峙した家臣たちは一斉に抜刀した。
前には刀を持った武士3人、後ろには敦盛。
逃げ場はないように思ったが棗芽は大の大人ひとりを背負っているとは思えない軽やかな動きで瞬時に体を屈めるとひとり目の両足を片足で払った。
いとも簡単に倒れた相手の腹をさらに蹴飛ばし、庭に落とす。
地面に転がったひとり目の手からは刀がこぼれた。
続いてふたり目は面食らいながらも正面から刀を振りかざしてきた。
素早く横に交わした棗芽は相手の後ろに回ると、相手の背中に思い切り体当たりした。
強靭な肩を背中に打ち込まれたふたり目が前のめりになって膝をつくと棗芽はすかさず横から蹴り上げる。
ひとり目同様、庭に落ちたふたり目は気を失って動かなくなった。
ここまでがほんの数回瞬きをしている間に行われていた。
さすがに向かってくるのを躊躇する3人目に彼は容赦なく正面から向かっていった。
得体の知れない相手に恐れおののいて後ずさる3人目は刀を抜いたものの構えてもいなかったため、そのまま飛び上がって相手の鳩尾に膝を打ち込んだ棗芽は後ろに倒れた相手を飛び越えて難を逃れた。
走り去る棗芽の背中を追いかけながら紅葉は言った。
「あ、あなた本当に何者なの」
改めて彼の強さに触れ、それ以外に言葉が出てこなかった。
「何者、とは失礼ですね。あんな腰の引けた男など相手にもなりませんよ。この邸にいる100人の武士とやらがあんなのばかりなら外に出るのも余裕ですね」
そんな余裕をかましていたのも束の間だった。
やっと邸を出てあと少しで門から出られるところまで辿り着いた時、騒ぎを聞きつけてきた家臣たちがどこからともなく集まってきた。
それもそのはずである。
家臣たちは当主の号令により総出で捜索活動に勤しんでいたのだ。
何かあればいつでも駆けつけられる状態だったのは言うまでもない。
集まった家臣たちは門を塞ぐように並び、とうとうふたりは足を止めざるを得なくなった。
「やれやれ、そう簡単に出してはくれないようだ」
意識を失ったままの百合をその場に静かに下ろすと棗芽は肩を回しながら言った。
横たえた百合に寄り添うように膝をついた紅葉は悔しげに塞がれた門を見た。
「あと少しなのに……」
「こうなっては仕方がない。強行突破するだけです」
「強行突破? そんなことできるの?」
「できるかどうかはやってみなければわかりません。ですが百合殿を抱えたままあの門を抜けるのは無理でしょうからまずは掃除からしなければ」
そう言うや否や棗芽は刀も持たず素手で向かっていった。
「棗芽、刀っ……!」
預かっている彼の太刀を渡そうと腕を伸ばしたが1歩遅かった。
すでに駆け出した棗芽は鬼神の如く勢いで攻めた。
刀を持った武士数人に対して素手で向かって行くなど紅葉には到底考えられないことだったが、彼は目の前で難なくそれを成し遂げている。
悲鳴を上げているのは妹尾家の家臣だけで、棗芽にはかすり傷ひとつついていない。
よく見ているとその動きは水のように滑らかでかつ、異常なまでに速かった。
雪柊が敦盛と対峙した時にしていた動きとよく似ている。
急所を狙い、少ない動きで相手を打ちのめす技が次々と繰り広げられていく。
紅葉は思わず感嘆の声を漏らした。
「す、すごい。これなら何とかなるかも」
「ああ、全くだ。あの男、雪柊とかいった男と同じ動きをしているな」
誰にもなく呟いたつもりが、それに受け答えする声が頭上から聞こえ、紅葉は見上げた。
目が合った相手は敦盛だった。
後ろから敦盛が追ってきているのを失念していた。
紅葉は一気に全身の血が引いていくのを感じた。
「あ、敦盛様……」
敦盛に腕を掴まれ、まるで捕獲された小動物のように震え上がった。
紅葉が敦盛に捕まったことに棗芽はまだ気がついていなかった。
「紅葉、これはどういうことだ。なぜお前が輪廻の華を連れ出そうとしているのだ」
横たわる百合に目配せしながら敦盛は言った。
「こ、これは……」
視線を泳がせながら答えを濁していると、業を煮やした敦盛が棗芽に向かって叫んだ。
「そこの男、それまでだ」
敦盛の声はよく通った。
それまで攻めに攻め立てていた棗芽もさすがに動きを止めた。
農家の集落で起きた火事の火消し作業を手伝った男たちは休むことなく目的地へ向かっていた。
辺りはすっかり明るくなってきている。
白檀は山吹が手綱を握る馬の後ろで笑みをこぼした。
白い顔や上等な着物も煤だらけなのに彼は上機嫌だった。
「白檀様、随分とご機嫌ですね。そんなに嬉しかったんですか、あの九条月華に認められたことが」
山吹には後ろにいる白檀が嬉しそうにしているのが見えなくても手に取るようにわかった。
「ご機嫌? この私が?」
「はい、とても」
「それは山吹の気のせいですよ」
「そうは思えないから言ったんですけどね」
「何か言いましたか? 山吹」
「いいえ、何も」
本当に聞こえていなかったのかどうかは定かではない。
だが気付かれたくないのだろうなと思った山吹はそれ以上何も言わなかった。
どこか世捨て人のようなところがあり、これまで喜ぶ姿など滅多に見たことがない白檀がいつもと違う様子なのは何だか落ち着かない。
山吹は火消しから彼らが戻ってきた時のことを思い返した——。
馬の世話をするためにひとり川辺に残った山吹は様子を見にいくと言って離れた3人の戻りが遅いことに不安を感じていた。
雪柊や月華のことはどうでもよかったが、白檀にもしものことがあればこんなところで馬の世話をしている場合ではない。
山吹にとって白檀は命を賭けるに値する主君なのだから。
刻が経つにつれ不安は大きくなり、とうとう様子を見に行こうかと思った矢先、彼らは仲良く戻ってきた。
月華と白檀が軽く言い合いながら並んで歩き、その後ろを雪柊が微笑ましく見守りながらついて歩いている。
よほど火消し作業がこたえたのか、月華は戻るなり川辺の草むらに腰掛けた。
馬を回収してすぐに発とうと言い出すと思っていた山吹には予想外だった。
「月華、そんなに疲れましたか? 戦場を駆けるあなたにとっては大した作業ではなかったでしょう?」
白檀も月華の隣に膝を折った。
「馬鹿を言うな。俺はお前の3倍働かされたんだ。お前は後半、指示しているだけだったじゃないか」
「私だってちゃんと手伝いましたよ」
作業量の違いはあったにせよ、白檀が指示するだけでなく実際に手伝ったのは事実のようで月華は反論しなかった。
ふたりはしばらく互いの腹を探り合うように視線を合わせていたが、やがて月華は大きなため息をついて言った。
「……感心した」
「え? 何ですか」
「だから、感心したと言ったんだ」
「…………?」
「お前は他人のことに興味がないのだと思っていた。誰が不幸になろうと、誰に危険が及ぼうとな。だがああやって見ず知らずの者たちを助けようと奮闘する姿を近くで見て本当はそうではないのかもしれないと思った」
これまで白檀に対して敵対する態度だった月華がどういう心境の変化なのか、白檀に正面から向き合っているのを見て、山吹は面食らった。
当の白檀も青天の霹靂だったようで、呆然としている。
「俺はお前が李桜にしたことを許すつもりはない。だが——」
月華は立ち上がると腰を屈めて隣に座っている白檀に手を差し伸べた。
「少し見直した」
差し伸べられた手と月華の顔とを交互に見ながら遠慮がちに白檀が手を出すと、力強く掴んだ月華に引き上げられ白檀も立ち上がった。
「さて、休憩は終わりだ。次は俺の手伝いをしてもらうからな」
「もちろんです」
山吹が側から見ていて少し嫉妬してしまうほどふたりの距離は近くなったように見えた。
やはり血は争えないということなのだろうか。
山吹は少し羨ましく思ったのだった。
「山吹、そろそろ着く頃だと思うのですが」
山吹はそんな白檀の声で我に返った。
「え、ああ、そうですね。結構走りましたからかなり近くまで来ているでしょうね。白檀様、お疲れではありませんか」
「私が?」
「だってろくに寝ていないではないですか。その上、火消しの手伝いで労働までされたのに」
「そういえば2日ほど寝ていないような気もしますが、全く苦ではありませんね」
「2日も寝ていないのですか!」
「ええ、そうですね。棗芽と妹尾家を出てから、九条家では榛紀の世話をしていましたし、昨夜も寝そびれました。ですが全てが終われば私は何もすることがなくなりますのでその時にゆっくり休みますよ」
それまでに倒れてしまうのではないか、と喉まで出かかったが山吹はそれを呑み込んだ。
物理的に休んだとしても気が休まらないのなら意味がない。
結局、輪廻の華を取り戻し、三公の動きを止めるまで戦いは終わらないのだ。
そのための戦力が今集まろうとしている中で、休息を取るという選択肢が白檀の中にないことは山吹もよくわかっていた。




