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第46話 橄欖の茶碗

 備中国びっちゅのくに、妹尾家の邸——。

 橘萩尾たちばなはぎおの部屋にひとり残った御形ごぎょうは首を傾げた。

 部屋の外では妹尾菱盛せのおひしもりの萩尾を探せという怒号が飛び交っている。

 慌ただしく廊下を駆ける家臣たちの足音が途切れることなく聞こえた。

 萩尾が消えた。

 一体どこへ行ったのだろうか。

 萩尾は御形がこの邸に住むようになるよりも前に菱盛が行き倒れているところを気まぐれで拾ったという。

 みやこを追われて西にたどり着いたと言ったらしいがそれは本当なのだろうか。

 これまで朝廷の動きを菱盛の求めに応じて探る役目をしていたが、その情報は果たして真実だったのか。

 もし萩尾が朝廷の間者だったとしたら、これまでの情報も捏造されたものだったかもしれない。

 朝廷の間者が朝廷に不利になるような情報を流すはずもない。

 御形は改めて部屋の中を見回した。

 萩尾の部屋は障子と襖が向かい合うように配置されており、障子の向こうには他の部屋とを繋ぐ廊下がある。

 書院造のこの部屋には床の間があるが、そこに掛け軸などはなく、殺風景な限りである。

 床の間の右隣には上部に天袋があるが、開けてみても何も入っていなかった。

 中間の違い棚にも壺などが飾られていることはなく、棚板をなぞると埃が溜まっている始末。

 菱盛が疑問に思っていたとおり、室内にはまるで生活感がない。

 萩尾が消えた手掛かりはないものかと期待したが何もなさそうだ。

 御形は一応、下部の地袋も開けてみることにした。

 引き戸をずらして、膝をつき中を覗き込む。

 すると奥の方に何やら仕舞い込まれている物があった。

 取り出してみるとそれは大きな木箱だった。

 蓋を開けると中に入っていたのは茶道具一式であった。

「…………」

 萩尾が茶の湯を嗜んでいるとは聞いたことがない。

(風雅の君のものか……?)

 中身を取り出し、ひとつひとつ眺めていると、茶碗を見て御形の手が止まった。

 確かに見覚えがある茶碗だった。

「これは確か……」

 御形はその茶碗を見た時のことを鮮明に思い出した——。



 御形が備中国に住むようになってから随分とときが経った頃のこと。

 その日、御形は帝である凌霄りょうしょうお抱えの茶人、風早橄欖かざはやかんらんを訪ねた。

 逢魔が時——御所からの帰りに風早家の邸の前に牛車が停まるのを見計らって御形は近づき、降りてきた橄欖に声を掛けた。

「風早橄欖殿とお見受けしますが……」

 橄欖とは顔見知りでも何でもない。

 突然声を掛けた御形を対して橄欖が怪訝な顔をするのは至極当然のことであった。

 御形は不躾にも相手の答えを待たずに続けた。

「失礼。私は御形と申します。実はあなたが芙蓉ふよう様と親しくていらっしゃると耳にしたものですから、折り入ってお話しがございまして」

「……芙蓉様のことをご存知なのですか」

 少し躊躇いがちに言う橄欖に御形は微笑みながら頷いた。

 御形は昔取った杵柄で、考えていることや思っていること、感じていることとは関係なく相手の警戒心を解くような表情を取り繕うことができる。

 橄欖に向けた笑みはまさにそういった、敵意がないことを表すものだった。

「はい。芙蓉……様とはずっと前からの知り合いです」

 それほど警戒心の強くない者でも、顔も知らず会ったこともない相手に対して何の不信感もなくこちらの要望を受けるとは御形も思っていない。

 だから芙蓉の名を出せば、耳を貸すだろうと読んでいた。

 芙蓉はかつて同じ里で暮らした仲間で人となりをよく知っている。

 それが何の因果か今、彼女は帝の寵姫となっていた。

 ただしこれは限られた関係者しか知らないことである。

 限られた関係者——それはつまり帝や芙蓉と近しい存在であることを意味する。

 橄欖がどう判断するか静観していると、御形の思惑どおり警戒を解いた橄欖は快く御形を受け入れたのだった。

 橄欖の案内で門から中に入ると、邸とは別に離れとして茶室が建てられていた。

 まさに茶人家系の邸に相応しい。

 そこへ招かれた御形は躙口にじりぐちから身を屈めて茶室へ入った。

 畳の上に腰を下ろしてしばらくすると茶道口ちゃどうぐちから橄欖が現れた。

「これも何かのご縁。お話しは一服してからといたしましょう」

 そう言って橄欖は茶を点て始めた。

 茶道の世界では一期一会という考えを重んじているという。

 これは橄欖の礼儀なのだろうと察した御形はとりあえず彼の流儀に合わせることにした。

「御形殿と仰いましたか?」

 帝お抱えの茶人が自分のために茶を点てる様子を黙って見ていると、橄欖は優雅な手付きで茶筅を動かしながら言った。

「いかにも」

「よく私のことをご存知でしたな」

「何を仰いますか。あなたのお噂は今や京の外まで聞こえております。ですが……実は私があなたのことを存じているのは噂のためではありません」

「どういうことですかな」

 流れる水の如く流麗な茶筅の動きが止まると、橄欖は茶碗を御形の前に差し出した。

「今は京を離れておりますが、かつては朝廷に仕えておりましたので、いろいろと情報は入ってくるのです」

 実際はそうではない。

 御形が朝廷にいたのは先帝の御世であり、その頃の見知った官吏は隠居していてすでにほとんど朝廷にはいない。

 そもそもかつて御形の世話になった公家たちは彼の能力や先帝のもとで秘密裏に行われていたとされる黒い噂を恐れて近づくことすらないので何もせずに情報を得ることはできなかった。

 そのため、御形は湖薄こはくや備中国に来る行商人などから情報を仕入れては式神を飛ばし、朝廷の様子を自ら盗み見ていたのだ。

「そうですか。それで芙蓉ふよう様とお知り合いに?」

「まあ、そんなところです」

 橄欖に差し出された茶碗を受け取った御形はまじまじと中を見つめた。

 美しい抹茶色が泡立ち、見るからに舌触りの滑らかそうな茶であった。

「御形殿、どうぞお召し上がりください」

 深々と頭を下げた橄欖に敬意を表して、御形は作法に則り飲み干した。

 それは彼なりの礼儀だった。

 かつて朝廷にいた頃、昼夜を問わずに公家の邸に招かれ酒や茶を振る舞われたことを思い出す。

 これまで呑んだどんな茶よりも橄欖の点てたそれは美味だった。

「さすがは帝に見初められただけのことはある。結構なお手前でした。私もかつては様々なお邸でお抱えの茶人から茶を振る舞われたことがありますが、掛け値なしにあなたの点てた茶は美味しゅうございました」

「そこまでお褒めいただくとかえって恐縮してしまいますな」

「ご謙遜を。さぞ帝の信も厚いことでしょう。次の園遊会も良いものになるでしょうな」

 何年も前から園遊会の仕切りは橄欖が行なっていることは御形もよく知っていた。

 園遊会そのものは御形が陰陽寮おんみょうりょうにいた頃から行われていたがその頃はまだ橄欖はいなかった。

 公家たちが腹の探り合いをしながらより家格の高い者へ媚を売る姿を見て、くだらない催しだと思っていた。

 だがそんな園遊会も今の御形にとってはこの上ない好機であった。

 御形から戻された茶碗を受け取ると、橄欖は言った。

「園遊会か……さて、どうでしょう。良いものになるかどうかはやってみなければわかりませんな。一期一会の世界ですので」

 謙遜なのか、それもと他に何か思うところがあるのか。

 御形は茶碗を片付ける橄欖を推し量るように見つめたがその真意はわからなかった。

「それで、御形殿。私に声を掛けられたのはどういったご用件でしょうか。私の記憶する限り、あなたとはお会いしたことはないと思うのだが」

「はははっ。橄欖殿、どこの馬の骨とも知れぬ私をよくご自身の邸に招き入れましたね」

「……この京で芙蓉様のことを話題にされるのは限られた者しかおりませんので、凌霄様や芙蓉様とご縁のある方なのではないかと思ったからです。違いましたかな」

 警戒を解いたように見えてまだ完全に御形に心を許していないことはわかっていた。

 無下に断るよりも一旦は話を聞いた方がいいと判断したのだろう。

 ある意味、橄欖は公家の世界に生きる処世術を知っているのだと御形は思った。

 そんな公家の世界に身を置く橄欖に弟子はいないという。

 弟子を取らなければ風早家は橄欖の代で茶人としての歴史を途絶えさせてしまうにも関わらず、弟子を取らないようだ。

 橄欖にはふたりの娘がいるが娘たちにすら茶の湯を教えていないらしい。

 だが御形はたったひとり、橄欖が茶の湯を教えている相手がいることを知っていた。

「いや、結構。仰るとおり、私は陛下とも芙蓉様とも浅からぬ縁があります。実は折り入って橄欖殿にお願いがございまして」

 そう言うと御形は懐から小さな包みを取り出した。

 受け取った橄欖は一寸角に畳まれた包みをゆっくりと開く。

 中には赤い実を砕いたようなものが入っていた。

「これは?」

「あなたが仕切られる今度の園遊会ではあなたの唯一の弟子である風雅の君が茶を点てられるとお聞きしましたが」

「え、ええ、さようです。あなたは風雅の君ともお知り合いなのですか? このことはほとんどの者が知らないはずなのですが……」

「まあ、どこから仕入れた情報かはさておき、今度の園遊会で茶を点てる湯にそれを入れて使っていただきたいのですよ」

「これを? これは何なのですか」

毒空木どくうつぎの実を乾燥させて砕いたものです」

 橄欖は驚きのあまり咄嗟に手を引いた。

 手の上にあった赤い粉が包みごと畳に散らばる。

「ご、御形殿、どういうおつもりかっ!」

「どうもこうもない。その反応からするにあなたはこの実を湯に溶かせばどう作用するか知っておられるのでしょう」

「…………」

 御形は橄欖ににじり寄って耳打ちした。

「今回の園遊会では風雅の君が点てられた茶を帝が呑まれる場面があるはず。その湯にこれを混ぜていただきたいのですよ」

「それは、帝を——」

「ええ。帝を弑し奉るためです」

 絶句した橄欖は呼吸ができずに口をぱくつかせた。

 弟子を取らないはずの橄欖が皇子に茶の湯を教えている理由は知らない。

 御形にとっては憎き帝に最も大きな苦痛を与えられる手段である。

 今や園遊会の仕切りを任されるほど帝からの信頼は厚く、弟子を取らないと言われる橄欖も風雅の君という二つ名を持つ第1皇子には茶の湯を教えているほど、ある意味、橄欖は帝に1番近い存在とも言える。

 だから御形は彼に近づいたのだった。

「で、できるわけがないっ、そのような大それたこと!」

「いいえ。あなたは私の言うとおりにするしかないのですよ」

「どういう意味です……?」

「あなたは帝から芙蓉様のご機嫌伺いを任されていますね?」

「どうしてそれを……」

 橄欖の疑惑に満ちた眼差しを無視して御形は淡々と続けた。

「内裏の奥に隠されている芙蓉様の身に何かあれば、真っ先に疑われるのは芙蓉様と接触している者でしょう。嫌疑はあなたにもかけられることになる。そうなればこの邸やご家族はどうなりましょう」

「私を脅しているのかっ!?」

「脅す? ご冗談を。もはやあなたに選択肢はないのですよ。もし私の申し出を断れば園遊会を待たずして芙蓉様はお亡くなりになるでしょう。そうなればあなたの家は大変なことになるでしょうし、何より可愛がる1番弟子はどれほど哀しむことでしょうか」

 橄欖は頭上から今にも蒸気を吹き出しそうなほど怒りで顔を赤く染めているが御形はさらに雄弁に語った。

「この毒を湯に混ぜるだけでよいのです。これで茶を点てれば帝が倒れても、真っ先に疑いを持たれるのは風雅の君です。仮に湯に毒を入れたことが明るみになったとしてもあくまで毒入りの茶を帝へ出したのは風雅の君。帝の御子である風雅の君が極刑に処されることはありますまい」

 御形は震える橄欖の手に新しく懐から取り出した毒の包みを握らせたのだった。



 茶碗を見つめながら、御形は我に返った。

 この茶碗は間違いなく、あの夕暮れに橄欖の茶室で見たものと同じである。

 御形は愛した桐江きりえを殺した凌霄に強い恨みを持っていた。

 機会があれば何とかして凌霄の命を奪いたいと思っていたが、相手は帝。

 そう簡単に機会は巡って来なかった。

 そんな時、かつて桐江の世話をしていた同じ里の仲間であった芙蓉が憎き凌霄の寵姫になったことを知り愕然とした、と同時にさらに強い怒りを覚えた。

 そしてその時に御形は決意したのである。

 凌霄だけでなく芙蓉も抹殺しよう、と。

 それも彼らが最も痛手を感じる方法で。

 御形は橄欖の茶碗を箱にしまうと、再び地袋へ収めた。

 橄欖の茶道具を萩尾が大事に隠し持っていた。

 これは偶然なのだろうか。

 いやそんなはずはない。

 萩尾が茶の湯を嗜むなど聞いたことがない。

 それなのに橄欖の遺品を今も大事にしているということは、萩尾と橄欖は何らかの関係があったのではないか、と思えてくる。

 もし萩尾が朝廷の間者だったとしたら、なぜ今、備中国を出たのか。

 答えは出ないまま、御形は萩尾の部屋を出た。

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