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第42話 怪しい行動をする者たち

 九条悠蘭くじょうゆうらんは小脇に書を抱え、まるで悪事を働いているかのような心地がしながら図書寮ずしょりょうの書庫へやって来た。

 抱えている書はもちろん今朝方、西園寺李桜さいおんじりおうから押し付けられた禁書である。

 一応目を通したものの、にわかには信じ難いことが書かれており、手元に置いておくことが恐ろしくなった悠蘭は早々に返却しに来たのだった。

 悠蘭が手にしているのは『橄欖園遊録かんらんえんゆうろく』である。

 先帝の御世に起こった恐ろしい事件の記録だが、悠蘭にはひとつどうしてもわからないことがあった。

 公家たちから疎まれるほど帝の信頼が厚かったという茶人がなぜ毒を盛ろうとしたのか。

 捕えられた茶人は刑に処されることが決まっても最期まで動機を語らなかったという。

 悠蘭は自分が同じような境遇であったならどういう心情になるのか、想像してみた。

 例えば李桜や紫苑しおんに毒を盛らなければならない状況とはどういった状況だろう。

 想像しただけで身震いしたが、もしそういう強行に出るのは自分がどういう時か……。

 それは従わなければ近しい存在に危険が及ぶと判断した時に違いない。

 不本意であってもそうしなければ、家族に類が及ぶと思えば脅されて従う可能性はある。

 風早橄欖かざはやかんらんは誰かに脅されたということか。

 だが、一体誰に……?

 その答えは手元の禁書には書かれていなかった。

 李桜が持っていった方に何か手掛かりがあることを期待するしかない。

 書庫に入ると中は人の気配がなかった。

 静まり返っていることに安堵した悠蘭は奥にある禁書の棚へ向かった。

 何しろ返却しようとしているのは持ち出し禁止の上に閲覧制限がある禁書である。

 堂々としていられるはずはなかった。

 視線も自然と俯きがちになる。

 誰もいないとはいえ、こそこそとしなければならないことに疲労を感じて小さくため息をついたところで俯いていた顔を上げた悠蘭は思わぬ人物と遭遇して絶句した。

「悠蘭、こんなところで何をしている?」

 人の気配がなかったはずなのに、そこには父である右大臣がいた。

 禁書が保管されている奥から現れたようだった。

「ち、父上っ。な、なぜこのようなところに!?」

 吃りながら咄嗟に小脇に抱えていた書を不自然に後ろへ隠した。

 それは無意識の行動だった。

 時華ときはなから訝しげな視線を送られ、悠蘭は今まさにまな板の上の鯉となった。

「この私でも調べものをすることはある」

「そ、そうですよね。右大臣様とはいえ書を参考にされることはあるでしょうね。では、俺はこれで…………」

 触らぬ神に祟りなし。

 とにかく隠した禁書について言及される前にこの場を去らなければならない。

 慌てて踵を返したが、案の定呼び止められたのは言うまでもない。

「待て、悠蘭」

 ぎこちなく振り返った悠蘭は神に祈る気持ちで返事をした。

「な、何でしょう。急いでいますので、後でもいいでしょうか」

「お前、今、何かを隠さなかったか」

「か、隠す!? そのようなことは決して……」

 つかつかと距離を詰めてきた時華を前に、悠蘭は後ずさった。

 壁まで追い詰められると伸ばされた父の手に隠していた禁書を取り上げられる。

「あっ……」

 思わず声が漏れたが、時はすでに遅かった。

 時華は禁書の印がついた表紙をまじまじと見つめている。

 やがて時華は目を細めて悠蘭を見た。

「禁書を持ち出していたのか」

「あっ、いえ、これはっ……決して持ち帰っていたわけではなく……」

 言い訳じみた言葉を並べたところで意味がないと悟った悠蘭は諦めて正直にことの顛末を父へ打ち明けた。

 悠蘭の話に割り込むことなく、終始紳士的に耳を傾けていた時華はひととおり聞き終えるとおもむろに口を開いた。

「では中務少輔なかつかさしょうゆうも禁書を持ち出しているというのか」

「はい、仰るとおりです。ですが決して興味本位などではなく——」

「わかっておる。全く、血は争えないというのか、何なのか……」

「……はい?」

「いや、こちらの話だ。それでこの『橄欖園遊録』から何かわかったのか」

「それが、何もわかりませんでした」

「そうであろうな」

 もっと厳しく叱責されると思っていた悠蘭は、予想外の父の反応に困惑した。

「もうよい。これは私が棚へ戻しておくゆえ、お前は職に戻れ」

 取り上げられた禁書で軽く頭を叩かれた悠蘭はまるで叱られた子どものように肩をすくめた。

 言われたとおり頭を下げ、その場を辞そうとすると時華は一層厳しい顔で言った。

「それから、西園寺李桜にも禁書を早く戻すよう伝えよ。そしてお前たちはもう、この件に関わるな」

「……なぜですか?」

「お前たちの身に危険が及ぶかもしれぬ」

「危険? 義姉上あねうえを取り戻しに行った兄上や雪柊せっしゅう様は危険を顧みず、敵中に向かったというのに俺たちだけのうのうとしていろというのですか」

月華あれらは戦う術を持っておる。お前たち官吏とは違う」

 時華はそれ以上何も語らなかった。

 父であり官位も上の相手に逆らうことはできない。

 肩を落とした悠蘭はなす術もなく書庫を後にした。

 外に出ると出仕した官吏たちが行き交う賑やかないつもの光景が目に飛び込んできた。

 数刻前、誰もいないこの御所の中で紫苑が禁書を地面にばら撒いたのがまるで夢の中の出来ごとのように感じる。

 陰陽寮おんみょうりょうへ向かう道すがら、悠蘭は時華の言ったことについて考えた。

 ——お前たちの身に危険が及ぶかもしれぬ。

 これはどういう意味なのだろうか。

 前の左大臣の時も、風雅の君の時も、そして星祭の現場でも、危険は常に付きまとっていた。

 実際に負傷してきた事実もあるのに今さら何を及び腰になる必要があるのか。

 そんな不満を感じた時、悠蘭はふと時華の行動を思い出した。

(そういえば父上は書庫の奥から出ていらした。まさか禁書の棚を調べていたのか……?)

 時華は一体何を調べていたのだろう。

 悠蘭が返却した『橄欖園遊録』はすでに中身を知っているようだった。

 もしかしたら他にも禁書を読み漁っていたのかもしれない。

 昨夜、弾正尹を連れて邸に現れた北条鬼灯ほうじょうきとうと何か関係があるのだろうか。

 いずれにしても右大臣自らが動くのだから、この朝廷に関わることなのは間違いない。

 ぶつぶつと呟きながら歩いていると悠蘭はそこで怪しい動きをする人物を見かけた。

 その人物は朱雀門の近くで牛車を降りるなり、頭に布をかけて左右を確認しながら小走りに建物の影を渡り歩いている。

 降りた牛車の家紋を見ると九条藤が刻まれていた。

 悠蘭は深いため息をついて額を押さえ、

「あの人、何をしてるんだ……」

 と思わず呟いた。

 怪しい人物に近づき声をかける。

「何をしているのですか、弾正尹様」

「…………!」

 振り向いた弾正尹は見たことがないほど驚愕した表情を浮かべていた。

 これまで冷静沈着で弾正尹として常に厳しい監視の目を官吏たちに向けている印象しかなかったが、随分と人間味あふれる反応に悠蘭は思わず吹き出した。

「そ、そなた、なぜ私だとわかった?」

 声を潜める相手に悠蘭は呆れた。

「そんなに怪しい動きをしていれば黙っていても目に入りますよ」

「何? 見つからないように隠れていたつもりだが」

「一体、何から隠れているのですか」

「右大臣だ。そなたの家にはずいぶんと世話になったが、ふらふら遊んでばかりもいられぬゆえ、何とかして右大臣に見つからぬように内裏に向かわねばならぬ」

 そう言いながらも彼は周囲の様子を気にしながら心ここに在らずといった状態だった。

「内裏? 帝に何か御用がおありなのですか」

「……! あ、ああ、そ、そうなのだ。急ぎ帝にご報告せねばならぬことがあってな。だが、右大臣に捕まると面倒だから何とかこの難局を乗り越えたいのだが……」

 弾正尹の焦りようは尋常ではなかった。

 右大臣に何か弱みでも握られているのだろうか。

 そういえば父も兄も彼の正体を知っていて教えてくれないようだった。

 右大臣と弾正尹。

 ふたりの間には何か特別な繋がりがあるのかもしれない。

「弾正尹様、ここにいては危険です」

「どういう意味だ」

「先ほどそこの書庫で右大臣様と鉢合わせました。まもなく出てこられるでしょう。ここにいてはすぐに見つかってしまいますよ」

 悠蘭は少し離れた先の書庫を指差して言った。

 離れているとはいっても、間に人混みがあるわけでもないし、これだけ怪しい動きをしていれば否が応でも気づくことだろう。

 そんなことを言っていると書庫から右大臣が出てきた。

 悠蘭は咄嗟に弾正尹の盾となって彼を隠した。

「そのまま動かないでください!」

「何かあったのか?」

「右大臣様が書庫から出てきました」

 様子を窺ってみたものの、時華が近づいてくることはなかった。

 そっと胸を撫で下ろすと悠蘭は言った。

「仕方がありませんね。俺が内裏までお供しましょう」

「私は迷子ではない」

「迷子だとは思っておりません。そのような怪しい動きをしているからかえって目立つのです。ここは朝廷の中枢。弾正尹と陰陽頭おんみょうのかみが並んで歩いていたところで怪しむ官吏はいないでしょう?」

「確かに。だが……よいのか?」

「何がですか」

「そなたは慢性的に徹夜するほど忙しいのではないか。私などにかまっている暇はないのではないか」

「あなたは兄の友人であるし、父の客人として九条邸に招かれた方ですから、お手伝いするのが筋でしょう」

 そんなことは建前で、本当は交換条件に根掘り葉掘り聞きたいことがある。

 なぜいつも父が九条家に担ぎ込むのか、父とはどういった関係なのか、一体どこの家の者なのか…………。

 だが今はそれを追及している暇はない。

 禁書を読むために費やしたときの分、仕事が滞っているし夕方には別の禁書を持っていった李桜と落ち合う約束である。

 残業はできない。

「では悠蘭、しばし私の隠れ蓑として同行を頼む。だが建礼門の前まででよい」

「建礼門の前? せっかくなら俺も帝にご挨拶を——」

「いや、帝はご不在かもしれぬ」

 さっさと歩き出した弾正尹を慌てて追いかけながら悠蘭は首を傾げた。

 帝に急ぎの報告があるのではなかったのか、と。

「弾正尹様、とりあえずその怪しい布を頭からかぶるのはやめてください。注目してくれと言っているようなものですよ」

 肩を並べると悠蘭はこの不可解な言動や行動を繰り返す弾正尹を建礼門の前まで送っていったのだった。

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