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第4話 疑心暗鬼の中で

 橘萩尾たちばなはぎおは足早に走り去っていく湖薄こはく檜緒ひおの背中を呆然と見送った。

 邸を見て歩いていたというのは本当なのだろうか。

 同じく妹尾家せのおけで一緒に生活するようになってから久しいが、ふたりは神出鬼没で一体何を考えているのか理解できない。

 湖薄は御形ごぎょうに従っているように見えるが、檜緒はそうは見えない。

 風雅の君が忽然と姿を消したから彼らは動き出したのだろうか。

 誰かが意図的に風雅の君を連れ出したと考えていて、その連れ出した相手の目星がついているとでもいうのだろうか。

 萩尾がそんなことを考えていると後ろから声をかけられ、はっと我に返った。

「萩尾、こんなところで何をしているのかな」

 御形の部屋の近くである。

 彼が部屋から出てくれば出くわしても不思議はないような廊下なのに、まるで謀ったかのように突然現れた御形に萩尾はぎょっとして答えた。

「な、何もしていませんよ。ただ通りかかったところで湖薄と檜緒とここでばったり遭遇したので少し話をしていただけです」

「話?」

「ええ。風雅の君が連れ去られたことについてです」

「ほぅ。それでそなた、これは一体誰の仕業だと思っているのか」

「だ、誰ってそんなの誰にもわかるはずないでしょう。まるで私が何か知っているかのような口ぶりはやめてくださいよ」

「……あの時、風雅の君を引き取る利点があると私と菱盛ひしもりを説得したのは萩尾ではないか。まだ何か裏があるのかと思っても不思議はないでしょう」

「…………」

 何を言い出すのかと萩尾が驚愕し、反論しようとするのを遮るように御形は、

「冗談だ」

 と耳打ちし、その場を立ち去っていった。

 ひとり取り残された萩尾はその場に立ち尽くし、固唾を呑んだ。

 あの男、一体どこまで知っているというのだろうか。

 まるですべてを知っていると言わんばかりの口ぶりだった。

 気を取り直し、萩尾は踵を返すと自室へ戻ることにした。

 増築を繰り返して複雑に入り組んだ廊下を曲がり、自室の襖を開ける。

 萩尾は後ろ手に襖を閉めると大きく肩で息をした。

 ひとしきり呼吸を整えると、彼は室内にぽつんと置かれた文机についた。

 文机以外、何もないこの殺風景な部屋に住まいしてもうどのくらいのときが経っただろうか。

 締め切った障子の隙間から焦げた臭いが室内に入り込んでくる中、薄暗い行燈の明かりを頼りに萩尾は静かに墨を磨り始めた。

 硯と墨が擦れる音がやけに大きく聞こえる。

 自らの半生をかけてここで長年身を潜めてきた彼はただ無心に墨を磨った。

 部屋の外は騒がしく、幾人もの足音がばたばたと落ち着かない様子で廊下の板を鳴らしている。

 萩尾は外から聞こえる声に耳を傾けた。

「おい、また死体が発見されたらしいぞ」

「またか!? 一体どれほどの者が犠牲になったのだ」

「それも例の牢部屋から邸の門前まで続いているらしい。これほど奥まで入り込まれたのに、夜中とはいえ誰も気がつかぬとは妙だと思わぬか」

「妙とは?」

「誰かが邸の中で手引きしたのではないか、ということだ」

「まさか……そんな。この邸内にあってそれはありえぬことだろう」

 萩尾の部屋の前で立ち話をしていた者たちが去っていく足音が聞こえ、彼は墨を磨る手を止めるとため息をついた。

 この部屋に留まっているのもそろそろ潮時かもしれない。

 今は亡きかつての友人たちはこれから成そうとすることに力を貸してくれるだろうか。

 萩尾はそんなことを思いながら懐かしい友と過ごしたときに想いを馳せた。



 何体もの家臣の変わり果てた姿を発見した妹尾菱盛せのおひしもりは、炎を吐く勢いで怒鳴り散らして邸中を歩いたが、やがて矛を収めると自室に戻り部屋の真ん中で胡坐を掻いて目を閉じた。

 遺体を処理するよう指示した家臣たちが庭で火葬しているせいで部屋の中までその臭いが充満している。

 敦盛あつもりに風雅の君の後を追わせたが、果たして連れ戻すことはできるのだろうか。

 平家が没落してからというもの、不幸な運命を辿ることになった一族の無念を晴らすのは、菱盛がこの世に生を受けた時から定められていることだった。

 先祖が助けを求め生きながらえた妹尾家に生まれたために、その使命が菱盛の肩に重くのしかかっている。

 何としても平家を滅亡に追いやった幕府の関係者を排除し、今の腐った朝廷を立て直して栄華を再興することは菱盛の悲願でもある。

 そのためには風雅の君は欠かすことができない。

 鳳仙ほうせん凌霄りょうしょうと続いた帝の御代では悲願を成し遂げることができなかった。

 名君と呼ばれ、朝廷を掌握していた彼らに対抗する方法がこれまではなかったからだ。

 今の帝——榛紀しんきもまた高い壁となって立ちはだかっているが、幸い榛紀はまだ若く完全に朝廷を掌握しきっているとは言い難いだろう。

 現在の朝廷を粛清し、現帝を排除して風雅の君を据えることができれば悲願も達成される、菱盛はそう信じて疑わない。

 そのためには風雅の君は何としても取り戻さなければならいのだ。

 そもそも風雅の君を抱えることができたのは橘萩尾の存在が大きかった。

 敦盛がまだ生まれる前のある日——国内で行き倒れていた優男を拾った。

 それが萩尾だった。

 朝廷で不正を働いたせいでみやこに居られなくなり西へ逃れてきたと言った萩尾を助けたのは気まぐれだったが、朝廷の中枢にいたらしく政や公家のことにはやたらと詳しかった。

 西国にいては入らないような情報も萩尾の情報網を使えばいくらでも手に入った。

 御形と出くわしたのはちょうどその頃だった。

 雨が続き国内の様子を見回っていた折に土砂崩れが起こり、崩れた土砂の下敷きになりそうなところを助けてくれたのが通りかかった御形だった。

 人ならざる術を使う怪しい男だとは思ったが、命の恩人であることには変わりなかった。

 幼かった皐英こうえいを連れて放浪している様子だった御形に礼を尽くそうとひと晩の宿を用意した夜、萩尾は部屋を訪ねてきた——。

「菱盛さん、少しいいですか」

 そう言って部屋を訪れたのは少し前から邸に住み着いた萩尾だった。

 もとは京で暮らしていた公家だというだけあって、品の良さは失っていない。

 萩尾は美しい所作で襖を開け閉めすると菱盛の向かいに腰を下ろした。

「この雨の中、無事に帰って来られて何よりでしたね。何でも、怪しい術を使う男に助けられたのだとか」

「ああ。式神というらしいが、大きな虎が現れて壁となって土砂をせき止めてくれてな。何人かの同行した家臣は土砂に流されてしまったが、命拾いした。行く当てがないというから恩返しにと今夜の宿を提供したまでだが、それがどうかしたのか」

「その男……行く当てがないのなら妹尾家ここに置いてはどうでしょう」

「ここに? あのような怪しい男を置いて何の利点があるというのだ。しかも子連れだ。何かよからぬ事情があるやもしれぬ」

「式神を使えるということは陰陽師かもしれません。陰陽師の中にはそういった呪術を使える者がいると聞きます。私が京にいた頃にも悪霊退治なんかに式神を使うと聞いたことがありますからね」

「……何が言いたいのだ?」

「菱盛さんが成し遂げたいという倒幕にはまとまった兵力が必要です。そういった術師なのであればそれはそれで戦力になるのではないかと思いまして」

「…………」

 萩尾は瞳の奥を光らせて言った。

 菱盛は萩尾の真意を測りかねていた。

 腕を組み顎に手を当てながら思案していると、萩尾はさらに続けた。

「私にとっては幕府も朝廷もどうでもいいことですが、あなたには助けてもらった恩がある。今でもこの邸でのうのうと暮らせているのは菱盛さんのおかげだと思っています。だからあなたが成し遂げたいと思うことに手をお貸しすることが私にとっての恩返しだと思っているんです。あの御形という男、逃す手はありませんよ——」

 最初は萩尾が何を言っているのか、意味はわからなかった。

 だが結局、菱盛は萩尾の提案を受け入れた。

 ともに暮らすようになると御形は萩尾が予想したとおり、かつて朝廷で陰陽師として務めをはたしていたと言い、なぜか朝廷や帝に強い恨みを抱いていた。

 菱盛の思惑を打ち明けると御形は一緒に朝廷を粛清することに同意した。

 御形を執拗に動かす復讐心はどこから来るのか、それは訊いたことがない。

 必要ないことだった。

 それから数年経った春のことだった。

 萩尾が、朝廷で起こった事件により帝の落とし種である風雅の君が京を追放されることになったという情報をもたらしたのは。

 そして萩尾は風雅の君を引き取るべきだと言い出した。

 最初はそんな厄介なお荷物を背負ってどうするつもりなのかと思ったが、大事を成すには役に立つと言って萩尾は譲らなかった。

 倒幕を成し、親幕派の者を一掃し新しい朝廷に生まれ変わった時、傀儡とならずとも帝の椅子に座らせておくのは皇家の血を引いた者でなければ公家の者たちが納得しない、と。

 確かに萩尾の言うことにも一理ある、菱盛はその時そう思った。

 御形はなぜか難色を示したが、菱盛が説得し敦盛に風雅の君を国境まで迎えに行かせた。

 それからはしばらくの間、成りを潜めることとなったが幕府が奥州を殲滅した時に、輪廻の華の噂を耳にした御形が動き出した。

 御形が手塩にかけて育てた皐英を京へ遣わし、近衛家このえけの権力を利用して西国を取り纏めさせて倒幕のための兵力を結集しようとしたのだ。

 そのために輪廻の華と呼ばれる奥州藤原家の忘れ形見を利用しようと言い出したのには疑いを持たざるを得なかった。

 地元の奥州では求心力を持っていたかもしれないが、見知らぬ土地でその異能は果たして効果を持つのか。

 大きくなった幕府の勢力を一掃するにはさすがに今の備中国の総力を結集しても難しいことはわかっていた。

 確かに兵力を集めるための何かは必要だった。

 だが、御形は輪廻の華の異能は単に倒幕のための兵集めに使うだけでなく、他にも使い道があると言った。

 その詳細は語られなかったが、朝廷を恨み、帝に憎しみを抱いている御形のことだから利害関係は一致している、そう思って御形の好きにさせることにした。

 萩尾も表立って反対することはなかった。

 萩尾は倒幕にも朝廷の一新にも興味がないようだった。

 ただ、風雅の君には異常に執着しているようだった。

 その理由はわからなかった。

 幕府を倒し朝廷を一掃した後に風雅の君を新しい帝に据えればすべての計画は完成する……はずだった。

 計画はどこから狂ってきたのだろうか。

 輪廻の華も手に入らず、風雅の君も手元から消えた。

 今となっては、萩尾が考えていることも御形が本当に望んでいることもわからない。

 すべてが疑わしくなってきている。

 今の菱盛は、風雅の君を追った敦盛の帰りを待つしかなかった。

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