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第34話 鼠の正体

 空が明るくなった頃。

 西へ向かっていた北条棗芽ほうじょうなつめ紅葉くれはは目的地の近くまでやって来た。

 途中、農家の集落で事件に巻き込まれたものの、その近くで運よく馬を発見した彼らはふたりで1頭の馬に跨り夜通し走り続け、妹尾せのお邸が見える高台の山まで到着した。

 馬から降りたふたりは肩を並べて少し先の邸をまじまじと眺めていた。

 妹尾邸は広大な敷地を囲う高い塀の中に存在している。

 周囲には山や木々があり、まるで天然の要塞のようだった。

 さすが武家の邸であるとも言える。

 簡単に攻めることができないような土地を選び、容易に侵入できない高い塀によって守られているのだ。

 棗芽は邸の外に立つ1本の木に目を留めた。

 かつて何度か妹尾家を偵察していた頃にその木に登り、枝の上から邸内を観察していた頃を思い出す。

 生い茂った葉が姿を隠すには最適だった。

 そこから何度か邸の中にいる紅葉の姿を見てきた。

 その時はまさかこうして一緒に行動するようになるとは思いも寄らなかった。

 そう考えると人の巡り合わせとは本当に不思議なものである。

 棗芽はここまで他人に執着したことはなく、そんな変化した自分を顧みて苦笑したのだった。

 増築を繰り返したことで不自然に繋ぎ合わされた邸は未だに騒然としている。

 邸内では家臣が慌ただしく駆けまわり、中庭からはもくもくと煙が立ち上っていた。

 門番はおらず、無防備な状態なのは一目瞭然だった。

「紅葉、本当に一緒に行くつもりですか」

「今さら、何言っているの」

 心配してくれる棗芽の気持ちは嬉しかったが紅葉もここで引き下がるつもりは毛頭なかった。

 最初はただ、棗芽と一緒にいたいと思っただけだった。

 備中国びっちゅうのくにへ輪廻の華を取り戻しに行くと言った彼の役に立てる機会だとも思った。

 だが今はそれだけではない。

 何度も助けてくれた棗芽に対して恩を返したい。

 複雑な構造をしている妹尾邸の抜け道を知っている者は邸の中でも少ないが、それを知っている紅葉は必ず役に立てると自信を持っていた。

「それにしても中庭で何を燃やしてるのかしら……」

 紅葉は首を傾げながら言った。

 かつて暮らしていた邸のことだ。

 不自然な様子は見ればすぐにわかる。

「そんなにおかしなことですか」

 棗芽が訊ねると紅葉は眉根を寄せて答えた。

「庭の落ち葉を集めて燃やしたってあんなに煙は出ないんじゃない? それに今は夏なんだから落ち葉なんてそうそうないでしょ。一体何を燃やしたらあんなに煙が出るのかしら」

「あれは遺体を燃やしているのではないですか」

「え……?」

「それこそ夏なのですから、遺体を放置しておくと虫が湧いてしまいますし。火葬はそれなりに時間がかかるものですよ」

「どういうこと? どうして遺体があるって思うの?」

「紅葉、邸の門に門番が立っていないのは見えますか」

「見えるけど……それが何?」

 紅葉は苛立たしげに棗芽を見上げた。

 満面の笑みを向ける棗芽と目が合った。

「門番は私が始末しました。あの邸に侵入するために門番は邪魔だったのです。殺さずともよかったが、結果として始末しておいてよかったですね。こうしてもう1度侵入することになったわけですから」

「……じゃあ、あの煙は棗芽が始末した門番を火葬してるってことなの?」

「ええ、そう思いますね。おそらく火葬しているのは門番だけではないと思います。どのくらい始末したかは覚えていませんが、すべて発見されたなら10以上の遺体があったはず」

「そんなに!? どうして……」

白檀びゃくだん殿があんなに奥に留め置かれているとは思っていなかったのです。侵入した時には問題なく忍び込めると思っていましたが、白檀殿を探して邸内をうろうろしているうちにひとり、ふたりと見つかってしまいまして。見つかる度に手をかけていったので結構な人数になってしまいました。無益な殺生をしたと今では少し反省しています」

 反省は絶対にしていない。

 紅葉は確信を持ってそう心の中で断言した。

「奥ってもしかして牢部屋のこと?」

「そう呼ばれているのですか? 襖を開けると物々しい格子が全面に張られた部屋でしたよ。ですが中は普通の部屋と変わりませんでしたね。畳もきれいに敷かれていましたし。まあ、異様なことと言えば窓がなかったことくらいか」

 棗芽が淡々と語る内容を聞きながら紅葉は、妹尾菱盛せのおひしもりの部屋の近くに造られている牢部屋のことだろうと思った。

 紅葉自身はその牢部屋へ入ったことはないが、外から見ていて居心地が悪そうな部屋であることは想像していた。

 これまでほとんど使われたことがなかったように思うが、そこに白檀が閉じ込められていたかと思うと、強い憤りを感じる。

 固く拳を握りしめていると棗芽が紅葉の顔を覗き込んだ。

「あの格子の部屋、中はそこそこ快適でしたよ?」

「中に入ったの?」

「ええ。白檀殿と膝を付き合わせて話をしたかったので、私の方から入りました」

「入りましたって、どうやって!?」

「格子を切り取りました。日頃使っていないが意外と斬れるのです、この刀」

 棗芽は背中に背負う太刀の柄を握って見せた。

 鉄格子を取り外しているのを見たことはないが、紅葉の記憶の中にある牢部屋の格子はそう簡単に刀で斬れるような代物ではなかった。

 いくら切れ味のいい刀だったとしても木を切るように容易く斬れるものではないだろう。

 腕がよくなければできないことだ。

 紅葉は改めて棗芽は相当な腕の立つ人物なのだと実感した。

「……いくら快適だって白檀様が自由を奪われてあんなところに閉じ込められていたなんて」

 下唇と強く噛みしめていると、棗芽は急に紅葉の手を握り強く引いて歩き始めた。

 引っ張られるようについて行くと棗芽の背中で揺れる長い三つ編みの黒髪が怒りを帯びているように紅葉には見えた。

「ちょっと、急に何なの」

 訝しげに口調を強めた紅葉に、棗芽は振り返ることもなく苛立たしげに吐露した。

「行きましょう。なぜかわならないが、君が白檀殿のことを考えていると思うと非常に不愉快です。いや、白檀殿だけではないな。他のどんな男の話でも苛立たしくなる……」

 最後の方は自問自答になっていて紅葉の耳にはほとんど聞こえなかった。

 


 ふたりは高台の山を下った。

 棗芽は手をつないだまま自らが盾となって紅葉を隠し、妹尾邸のすぐ近くの物陰から門を見やった。

 門は固く閉ざされており、代わりの門番も置かれておらず人の出入りもない。

 侵入するには容易そうに見える。

 棗芽が1歩踏み出そうとすると、後ろに控えている紅葉に手を引かれた。

「あなた、まさか正面から行くつもり?」

「門番もいないのですから問題ありません。門は閉ざされていますが何とかして開ける方法はあるでしょう」

 再び1歩踏み出そうとすると、再度紅葉に手を強く引かれた。

「何ですか」

 紅葉の意図するところがわからず、棗芽は苛立たしげに言った。

 すると彼女は別の方向を指さしていた。

 その先に視線を送るとそこには邸の外に立つ木が1本あった。

 かつて棗芽が偵察のために使っていた木である。

「あの木の上から塀を越えましょう」

「そんな面倒なことをしなくても堂々と正面から入ればいいではありませんか」

「馬鹿なこと言わないで。棗芽が白檀様を連れ出した時は夜だったでしょ? 今は朝なのよ。多くの者が就寝している時分とは人の数が違い過ぎるじゃない」

「ですがあの木から塀を飛び越えたところで、すぐに邸があるのだから見つかるのは同じではないですか」

「……よく知ってるわね」

「あの木に登って何度も邸の中を監視していましたから」

「え!? のぞき見!?」

 紅葉は繋いでいた手を振り払って、まるで不審者を見るような目で棗芽を見た。

 これ見よがしに両腕を抱え込み、震える演技を見せる。

 棗芽は慌てて否定した。

「のぞき見とは失礼な……偵察と言ってください」

「のぞき見じゃない。ま、まさかあたしも見られていたりするの!?」

「ええ。君のことはよく見ていました。ですが君はよく私の視線に気がついていたようですね。見つかるのではないかと、何度ひやひやしたかわかりません」

「……まさか、鼠は棗芽だったの!?」

 1歩引いた紅葉に今度は棗芽の方が眉根を寄せた。

 鼠というのはどういう意味なのだろう。

 言わんとしていることはさっぱりわからなかったが、いい意味で言っているわけではないことはわかる。

「鼠? 何を言っているのかさっぱりわかりませんね」

「な、何でもないわ——とにかく、あの木から塀を越えましょう。敷地の中に入れば秘密の道があるから、たぶん大丈夫よ」

 何かをごまかすかのように急に手を握られた棗芽は一瞬、鼓動が強く打つのを感じた。

 考えてみればこれまで紅葉から触れられたことはほとんどなかったかもしれない。

 ふいに触れられることでこんなにも動揺するのだろうか。

 こんな姿を兄の鬼灯きとうに見られたら何と言われるだろうか。

 これから敵の巣の中へ乗り込もうというのに、そんな呑気なことを考えながら棗芽は紅葉に手を引かれるまま妹尾邸へ侵入することになった。

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