第29話 誰かの思惑
鷹司杏弥が手渡した『常闇日記』を久我紫苑はまじまじと見つめていた。
その禁書はそれまで杏弥が枕代わりに手元で開いていたものだった。
裏には著者として芙蓉の名が記されている。
これは以前、杏弥が図らずも『白蓉記』と一緒に書庫から持ち出してしまったものである。
中には芙蓉が持っていたという異能について書かれてあった。
2冊の禁書を読んだ杏弥にはそれらは繋がりを持ったものであるとわかっている。
常闇の術と呼んでいる異能を持っていた芙蓉がその力を使って毒を盛られた先帝のことを、身を持って救ったのは間違いない。
でなければ危篤であったという先帝が息を吹き返すはずはないのだ。
紫苑はのめり込むように次々と頁をめくり始め、すっかり大人しくなった。
口を開くとやかましく説教をしてくる紫苑をうっとおしく思っていた杏弥にとって手渡した禁書に集中してくれたことは好都合だった。
杏弥はふと目の前に積まれた禁書の山を目に留めた。
「お前たち、本当に残りの禁書も読むつもりか」
黙々と頁をめくる紫苑をよそに、楓が答えた。
「可能な限り目を通さなければならぬな」
「一体何をそんなに調べ尽くそうとしているのだ」
「それは先刻申し上げたとおりだ。我々は多くを知らぬ。だから過去から脈々と繋がる何かを探そうとしている。備中国には何かあるのだ、おそらく。宮中を追われた風雅の君が備中国にいたのは偶然ではないように思う」
「風雅の君が宮中を出ることになったのは例の事件が起こったからだろう? 主犯であった茶人は刑に処されたが、さすがに皇子である風雅の君を主犯でもないのに極刑にするわけにはいかなかったはずだ。まだ幼かった風雅の君の預け先を帝が探していたのは当然のことではないか」
「しかしそもそもその茶人が先帝に毒を盛ろうとした動機はわかっていない。もし誰かに脅されていたのだとすれば、それは帝に対する強い負の感情を持つ者だと思わぬか? 先刻、紫苑殿が目を通していた蘭子様の日記に書かれていたことが事実だとすれば、先帝や先々帝は恨みを買うようなことをしていたと考えて間違いないだろう」
「だがそれと備中国が繋がる証拠はどこにもないぞ」
「だからそれを探している」
「…………はぁ。それは当てのない旅をしているようなものではないか。他の官吏が出仕してくるまでに終わるとは到底思えぬ」
杏弥は大きくため息をついた。
積まれた山の中から何冊かぱらぱらとめくってみるが、この中のどこにその手掛かりがあるのかわからない状態で手当たり次第に確認しなければならない。
日が暮れるどころの話ではなく、年を越してしまうのではないかと思うほど杏弥には途方もない作業に思えた。
「ところで刑部少輔」
「何だ」
「芙蓉様が蘭子様に明かした秘密はこれのことではないのか、という話だがどういう意味か説明いただけるのだろうか」
楓は紫苑がのめり込んでいる禁書を指さした。
杏弥は面倒そうに頭を掻くと、再びため息をひとつついた後におもむろに口を開いた。
「芙蓉様は異能を持っていらしたようだな。『常闇の術』と呼んでいるらしい。蘭子様の日記とやらに書かれていた異能というのはそれのことだろう。あの禁書にはその異能がどういうものなのかが書かれていた」
「その異能とは輪廻の華と呼ばれている月華殿の奥方が持つ、業を解き放つ力とやらではないのか」
「それもあるようだが、あの中には5つの術について書かれてあった。特に、死にかけた者や死んだ者を現世に呼び戻すような術についても書かれていた」
「呼び戻す? それは死んだ者を生き返らせる、ということか」
「いや、それはわからぬ。書いてあることがあまりに抽象的でよくよく理解できなかった。だが似たような意味ではないかと俺は理解した」
「それでは——」
楓がその先を言おうとするとそれを遮るようにそれまで大人しく禁書に没頭していた紫苑が突然、口を挟んだ。
「つまり芙蓉様は異能を使って先帝の命を救ったってことか」
「何だ、聞いていたのか、紫苑殿」
「聞いてたっていうより聞こえてたんだよ。確かに、芙蓉様は異能を使って先帝を助けたんだろうな。その代わり、自分が命を落とすことになった。理由はわからねぇが、死ぬ間際になってその異能を親交のあった僧侶に受け継いだ。そしてそれは今、百合殿に受け継がれているってことか。ってことは百合殿を欲しがっている備中国のやつらはこの常闇の術について詳しいのかもしれねぇな」
紫苑の突拍子もない発言に、楓と杏弥は互いに顔を見合わせた。
「何だと?」
「そう思わねぇか? 俺たちはそもそも百合殿が持つ業を解き放つ異能——『常闇日記』では業解きの術って書いてあるが、それを利用して倒幕を目論んでいると思っていたけど、実は目的はその術じゃねぇのかも。この常世渡りとか常世戻しっていう術の方が危険を冒しても手に入れる価値がありそうじゃねぇか」
「だが、百合殿がそれを使えるという話は聞いたことがないが」
「だから百合殿を攫ったやつらはその異能は持ってねぇけど使い方は知ってるんじゃねぇかな。もしくは使っていた人から聞いたことがある、とか。それだったら今は使えなくても異能自体を受け継いだ百合殿が使えるようにさせることは可能じゃねぇのか」
それまで読んでいた禁書を閉じると紫苑は楓と杏弥を交互に見て続けた。
「これは俺の仮説だけど、異能を持っていた芙蓉様は先帝や先々帝から迫害されたか何かして相当恨みを持っている相手と関係があるんじゃねぇかな」
「どういうことだ」
「簡単なことさ。蘭子様の日記には凌霄陛下が人の道に外れたことをしていて、それが芙蓉様が京に来た理由であるかのように書かれてあった。しかも芙蓉様は白檀殿を産んだことで凌霄陛下を許せるようになったとある。ってことは、芙蓉様は凌霄陛下に何か怒りのような感情を持っていたとも読めるだろ? 実際、蘭子様は芙蓉様が許しても自身は許せないって明記してるしな。だとすると、もしかしたら芙蓉様が京に来たのは凌霄陛下に一矢報いるつもりだったのかもしれねぇよな」
「それがいつの間にか恋仲になっていった、と?」
楓は少し無理があるような気もしながら腕を組んで考えた。
木菟引きが木菟引きに引かれるとはよく言ったものである。
考えられない話でもないがいずれにしてもそれを調べる術はない。
「まあ、真実はわかんねぇけどな。もうすでに凌霄陛下も芙蓉様も身罷られたんだし。可能性があるとしたら蘭子様だよな。行方不明になったまま、その後の行方を誰も知らねぇわけだけど」
「ご存命かどうかもわからぬな」
「まあな。だが捜索しなかったってことは捜索しなくてもいいとこにいたってことだろうな。案外、俺たちの近くにいたりしてな」
紫苑は苦笑した。
そんな突拍子もない発想に楓も杏弥も頭を抱えたのだった。
「そういや刑部少輔さんよ、お前、百合殿を捕えようとしてあの隻眼の武士と手を組んだんだろう? お前も輪廻の華を必要としてたのか」
「ば、馬鹿を言うな。俺はただ鷹司家が左右大臣のどちらかになるために後ろ盾がほしかっただけだ。死んだ前の陰陽頭が残した文に、あたかも風雅の君が輪廻の華を欲しているような記述があったゆえ、風雅の君に取り入るために利用しようとしただけだ」
まるで自分に罪はないかのように熱弁を奮う杏弥に紫苑は呆れかえった。
「ところが、輪廻の華を必要としていたのは風雅の君ではなかった、ということか」
楓は腕を組みながら顎を撫でて言った。
やはり備中国には何かある。
前の陰陽頭であった土御門皐英が備中国にいる風雅の君に輪廻の華を捕えたことを意気揚々と報告していたにも関わらず、風雅の君自身にはそんなつもりはなかったとすると必要としていたのは別の人物であるということになる。
朝廷で弱みを握られていた今出川家当主である父が、前の左大臣である近衛柿人の薦めで姉の梓を嫁がせたのも何か関係があるのかもしれない。
一体誰が何のために輪廻の華を必要としているのか。
先帝に相当な恨みを抱いていたかもしれない相手はなぜ先帝の友であった茶人を使って弑逆しようと企てたのか。
そしてなぜ風雅の君は備中国へ引き取られることになったのか。
3人が疲労を色濃く顔に浮かべた頃、さらに外が明るくなり間もなく朝を迎えようとしていた。
未読の残された禁書は多数あったが、すべてを一旦、図書寮の書庫に戻さなければならない刻限が迫っている。
「今朝のところはここまでだな」
紫苑の言葉に杏弥は目を剝いた。
「今朝のところは、だと!? お前たち、まさか今夜も同じことをするつもりじゃないだろうなっ」
「必然的にそうなるだろう。まだ何もわかっていないのだから」
涼しい顔で答えた楓は怪我をしていない片手に持てるだけの禁書を抱えるといそいそと兵部省を出て行った。
「刑部少輔、お前の罪が消えるわけじゃないことを忘れるなよ。とりあえずこの禁書を片付けたら取り調べでもするとするか」
手伝えば罪を軽くするという話はどこへ行ったのか。
結局、いいように使われただけの杏弥が1番悪いくじを引いたのは明らかだった。




