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第28話 禁書に隠された過去

 雀の鳴き声があちこちから聞かれるようになり、明かりがなくても文字を読むことができるようになってきた東雲の時分。

 3人の青年たちはまだ兵部省ひょうぶしょうで禁書を読み漁っていた。

 ひと山以上の禁書を調べ続けた兵部少輔ひょうぶしょうゆう——久我紫苑くがしおんは珍しく、苦手な書物と飽きずに向き合っていた。

 禁書とは何らかの理由で簡単に閲覧できないよう制限された書物だが、これのどこが禁書なのかと思うようなものも多数紛れていた。

 中には高官の醜聞や著者不明の日記なども含まれる。

 一見すると無関係のように見えても何かの糸口が隠れているかもしれないと考えた紫苑は、一応は手に取った禁書のすべてを丁寧に読み解いていった。

 それまで読んでいた禁書を手掛かりなしと思って閉じた紫苑はふと目の前に視線を移した。

 真向いでは中務省なかつかさしょうの敏腕官吏——今出川楓いまでがわかえでがやはり同じように丁寧に禁書に目を通している。

 楓とは春先にみやこを騒がせた毒殺事件を通して知り合った。

 付き合いは決して長くないが、気の合う呑み友人のひとりとしてしょっちゅう行動をともにしているうちに今ではすっかり親友のひとりとなった。

 幼馴染である中務少輔なかつかさしょうゆう西園寺李桜さいおんじりおうとは官吏の同期として阿吽の呼吸で仕事しているため、李桜の扱いには時々苦労するという同じ悩みを抱える同志でもある。

 視線を横に動かすと楓の隣では半開きの目をしながら首を小刻みに動かす刑部少輔ぎょうぶしょうゆう——鷹司杏弥たかつかさきょうやがいた。

 よほど疲れているのか意識は彼方へ旅立っており、頁をめくる手も止まっていた。

(こいつ、自分の置かれた状況をわかってるのか?)

 紫苑は小さく息を吐くと次の禁書に手を付けた。

 表紙はずいぶんと傷んでおり、ところどころ破れていて書名も欠けていて読めなかった。

 裏返すとそこには筆者と思われる名が書かれている。

 筆者は『蘭子らんこ』となっていた。

 頁をめくっていくと中身は蘭子という人物の日記のようであった。

 日常の出来ごとが書かれている中に興味深い記述を見つけた紫苑は、ゆっくりと指でなぞりながら読み深めた。



『今日は芙蓉ふよう様からふたつの秘密を打ち明けられた。

 ひとつは芙蓉様が京に来た理由だ。

 まさか兄上があのような人の道に外れた所業をしていたとは知らなかった。

 芙蓉様は笑っていらしたが私は笑えなかった。

 もうひとつは芙蓉様の持つ異能についてだ。

 その異能で兄上を助けてくださったことが恋仲になったきっかけだったようだ』



 紫苑は首を傾げた。

 芙蓉という名をどこかで見たことがあるような気がしたからである。

 だが記憶を辿ってみたものの、疲労のせいかまったく思い当たらなかった。

 考えてみれば徹夜しているのだ。

 記憶障害があってもおかしくはない。

 紫苑は気を取り直して頁をめくった。

 続きには再び日常の出来ごとが書かれていたが、再び目に止まったところで頁をめくる手を止めた。



芙蓉ふよう様は心の広い方だ。

 仇であるはずの兄上を許し、本当に愛していらっしゃる。

 私にはとてもできない。

 白椎はくすいを生んだことで心から許せるようになったという。

 しかし私は絶対に兄上を許せない』



 また芙蓉の名を目にした紫苑は思い切って口を開いた。

「なあ、楓殿。ちょっといいか?」

 それまで黙々と禁書に目を通していた楓がゆっくりと顔を上げた。

 目の下にはくまができており、顔もげっそりとしている。

 おそらく自分もほとんど変わらない人相になっているのだろう。

「どうした、紫苑殿」

「芙蓉って名前、どこかで聞いたような気がするんだが思い出せねぇんだよ。記憶にないか?」

「芙蓉……芙蓉……」

 楓は明後日の方角を見ながら何度も『芙蓉』と呟いたが、やがて思い出したとばかりに読み終えた禁書の山から1冊を取り出した。

「風雅の君の母上ではなかったか?」

白檀びゃくだん殿の?」

「ああ。確かそこで居眠りしている刑部少輔がこの禁書は読んだことがあるから読まなくても内容はわかっている、と豪語していたはずだ」

 紫苑は楓から禁書を受け取った。

 表紙を見ると『白蓉記はくようき』と書かれてある。

 ぱらぱらとめくると、記憶が徐々に蘇ってきた。

 ——いいか、これは風雅の君の母であられた芙蓉様付の女中が残した日記だ。

 杏弥がそう言ってこの禁書を放り投げたことを思い出した。

「風雅の君の母君がどうかしたのか」

「あ、いや、この書名の消えた『名無しの禁書』に芙蓉様のことが書かれてるんだ。ずいぶん芙蓉様と親しかったみてぇだな。秘密を打ち明けられたって書かれてる」

「秘密?」

「異能がどうのって書いてあるな。一体これを書いたのは誰なんだろう。裏には『蘭子』としか書かれてねぇんだよ」

「蘭子……?」

「異能で兄上を助けてくださったことが恋仲になったきっかけだって書かれてるけど……ん? 待てよ? 芙蓉様は風雅の君の母君で、風雅の君は先帝の落とし胤なんだよな? ってことはこの兄上って——」

「それは凌霄りょうしょう陛下のことではないか?」

「ってことはこの蘭子っていうのは——」

「行方不明になったという先帝の妹君のことかもしれないな」

 紫苑は改めて手元の禁書に目を落とした。

 確かに著者が先帝の妹姫だったとするなら芙蓉と親しかったというのは理解できる。

「……そうか。俺たちが生まれた頃にはすでに蘭子様は行方不明になってたらしいからその存在そのものが忘れ去られてたんだな。それだけこの『名無しの禁書』は時間が経ってるってことか。それにしてもなんだろうな、これ。行方不明になったことと関係あるのか?」

「何か気になるところがあるのか?」

「まさか兄上があのような人の道に外れた所業をしていたとは知らなかった、私は絶対に兄上を許せないって何回も凌霄陛下を非難する記述が出てくるんだよ」

 わけが分からず紫苑は乱暴に頭を掻きむしった。

 疲れが最高潮に達しているが、ここで止めるわけにはいかない。

 もたもたしていると官吏たちが出仕してくる時刻になる。

 持出禁止の禁書を大量に図書寮ずしょりょうから持ち出しているのだから、誰かに見つかる前にすべて戻さなければならないのだ。

 その前に何としても何かを掴みたい、紫苑は焦っていたがまずは続きを読むことにした。

 一方、楓は恐ろしい禁書に手を付けていた。

 書名は『鳳仙呪録ほうせんしゅろく』となっている。

 中身は先々帝であった鳳仙ほうせんが呪術を使える有能な陰陽師を使って人を殺めた記録であった。

 殺めた人物名から具体的な方法までが克明に記録されており、この記録を残すことに何の意味があるのかと吐き気を覚えるような内容が続いていた。

 楓は一度、『鳳仙呪録』を閉じると眉間を押さえた。

 夜通し集中していたせいで意識が遠のきそうになっていたところへ、おぞましい記録を目にすることになり、疲労度はさらに高まった。

 ふと隣に視線を送ると杏弥はすっかり夢の中へ逃避していた。

 昨日は昼間も普通に職務に就き、夜は星祭り会場で騒動に巻き込まれ、六波羅ろくはらで針の筵にされた上に縄を打たれて御所へ連行され、徹夜で禁書を片っ端から読まされているのである。

 無理もないことだろう。

 楓が大きな欠伸をしそうになった時、紫苑が大声で叫んだ。

「なんだぁ!?」

 突然の叫びにさすがにそれまでうたた寝をしていた杏弥も意識を取り戻した。

 目を擦りながら顔を上げる。

「大声を出してどうしたのだ、紫苑殿」

「あ、悪い、つい心の声が出ちまった」

「何かわかったのか」

「いや、むしろ謎は深まったかもしれねぇな」

 すると急に覚醒した杏弥が仏頂面で言った。

「そのような謎かけまがいの言い方はよせ。はっきり申せばよいではないか」

「何だよ、先刻さっきまで寝てたやつが偉そうに」

「ね、寝てなどおらぬっ」

 無意識なのか口もとの涎を拭く仕草をする杏弥を無視して楓は紫苑に訊ねた。

「続きに何か書かれていたのか」

「書かれてるっちゃあ書かれてるが、全然意味わかんねぇよ、これ」

 紫苑が手渡してきた禁書を受け取ると、楓は開かれた頁に目を通した。



『兄上が隠していた鳳仙呪録を見つけてしまった。

 兄上だけでなく父上までもが人の道を外れていた。

 もうここにはいたくない。

 皇家など滅んでしまえばいいのに。

 もうあの方を頼るしかない。

 明日、この内裏を出よう』



 楓が顔を上げると紫苑と目が合った。

 紫苑が、意味がわからないと言った理由がわかった。

 行方不明とされている蘭子は自らの意思で消えたようだ。

 捜索されなかったからこそ、連れ戻されることもなかった。

 つまりどこにいるのかは黙認されていた、ということになる。

 記述によれば誰かを頼ったことは明白だがその相手は明記されていない。

 確かに謎は深まるばかりである。

「この『人の道を外れた』ってどういうことだろうな」

 疲労困憊だと言わんばかりに紫苑は背中を床に付けて天井を仰いだ。

 だらしなく四肢を四方に投げ出す。

「私が先刻さっきまで読んでいたのがまさにこの『鳳仙呪録』だった」

「そうなのか!?」

 紫苑は勢いよく起き上がった。

「到底最後までは読みたくないような、人を殺めた記録だった」

「人殺しの記録? ……そんなことを残しておくなんてろくでもねぇな」

「確かに。ここに書かれている内容から察するに、鳳仙陛下だけでなく凌霄陛下も血に染まっていたということらしい。それを毛嫌いした蘭子様は行方不明ではなく自らの意思で皇家を去った」

「妹君にここまで言わしめるんだからよほどのことをしたのかもな、凌霄陛下も。そうだとしたら相当な恨みを買っていた可能性もあるか……そういえば白檀殿が追放されるきっかけになった園遊会で毒を盛られそうになったんだったよな?」

「ああ、確かに『橄欖園遊録かんらんえんゆうろく』という禁書にそう書いてあった。だが友であった茶人の橄欖は最期まで動機を語らなかったようだから、本人の意思なのか誰かにやらされていたのかはわからなかったが」

「毒を盛られた凌霄陛下は一度危篤になったとか書いてなかったか? たしか、その看病をされた芙蓉様は凌霄陛下が一命を取り留めたのと入れ違いになって急死されたんだったよな……どうなってんだ!?」

 紫苑は苛立ちを露にした。

 まるで出口のない迷路に迷い込んだかのようだった。

「その芙蓉様が明かした秘密というのはこれのことではないのか?」

 それまで黙って紫苑と楓のやり取りを静観していた杏弥が言った。

 先刻まで枕代わりにしていた禁書を開いたまま紫苑に差し出す。

 受け取った紫苑は怪訝な顔をしながら表を確認した。

 そしてすぐに裏返し著者を確認する。

「おい、これ……」

 杏弥が手渡した禁書の表には『常闇日記とこやみのにっき』、裏には芙蓉と書かれていた。


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