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第23話 親心とは

 帝である榛紀しんき九条時華くじょうときはなに託し、深夜に九条邸を出た北条鬼灯ほうじょうきとう月華つきはなたちに遅れること一刻、馬を飛ばして西へ向かった。

 滅多に束ねられることがない鬼灯の長い髪はこの日も風に任せて後ろへなびいている。

 刀1本だけを腰に差し急いで出てきたのは、他でもない。

 息子同然に可愛がっている月華に手を貸すためであった。

 月華と初めて顔を合わせたのはもうずいぶんと前のことになる。

 偶然の縁を頼って連絡を寄越してきた時華からの願いとのことで、家を飛び出し公家の世界から遠ざかろうとしている月華を養うことになった。

 鬼灯は今でもその文を受け取った日のことを鮮明に覚えている——。



 鎌倉幕府で北条家と言えば誰もが首を垂れる、征夷大将軍を支える名家である。

 鬼灯は中でも群を抜く武芸と明晰な頭脳を持って将軍の懐刀と呼ばれていた。

 また、鬼灯はそんな北条家の当主でもある。

 北条家には鬼灯の他に4人の男子がいた。

 北条家の四男は若い時分に病死してしまったが残る3人は健在で、中でも次男と三男は何か重要な決定をする時に鬼灯のもとに招集していた。

 ある日、鬼灯はかつて世話をしたある男から奇妙な文を受け取った。

 内容はとても自身の意思だけで決められるものではなく、弟たちの同意を得るために彼らを邸へ呼び出したのだった。

「それで兄上、火急の用とは何ですか」

 次男——柳伊りゅういは額の汗を拭いながら現れた。

 柳伊は北条家では珍しく刀を持たない文官として幕府に勤めている。

 武芸の才能を母親の腹の中に忘れてきたのだと一族から揶揄されるほどに戦いとは無縁な性分だった。

 その代わりそろばんを持たせれば誰よりも速く正確に計算をこなし、幕府の金庫番としてその手腕を発揮している。

 何の因果かその娘も、本の虫で特に薬の知識に明るく女子でなければ将来はたいそう立派な薬師として幕府を支える人材になるだろうと一族から陰口を叩かれる始末であった。

「何ですか、柳伊兄上。少し走ったくらいで額に汗など……日頃から少し鍛えられた方がよいのではありませんか」

 柳伊の後ろから現れた三男——藍斗らんとは眉尻を下げながら呆れ顔で柳伊を見やり、鬼灯に対し軽く会釈した。

 藍斗は武将として、ともに戦場を駆け巡る鬼灯の最も信頼する弟であった。

 まだ見習いとして戦場に連れて歩く末の弟——棗芽なつめの面倒を、一切の不満もなく引き受けてくれる、鬼灯にとっては貴重な存在でもある。

 ふたりを自らの書院に招き入れた鬼灯は彼らに届いたばかりの文を見せた。

 文に目を通した柳伊は無言でそれを藍斗に手渡す。

 悪態をつくことがあっても生まれた順番の序列は守る主義の藍斗が柳伊よりも先に受け取ることはない。

 文の裏には「九条時華」という署名があり、表には九条家の家紋である九条藤が描かれている。

 文を読み終えた藍斗は眉頭に皺を寄せながら言った。

「……これはどういう意図なのでしょうね」

「意図?」

「この九条時華というのは、以前鬼灯兄上が鎌倉の郊外で夜盗に襲われているのを助けたという公家の男ですよね」

「ああ、そうだが?」

「しばらくこちらで世話をされたそうではありませんか。そこまで世話になっておきながら、今度は自分の息子を預けようなどと、厚かましいにも程があります」

 藍斗から戻された文にもう1度目を通した鬼灯は首を傾げた。

 中には、家出をした息子が近江おうみ紅蓮寺ぐれんじに世話になっているようだ、息子がもし望めば武士の世界へ迎えてはもらえないか、と書かれてあった。

「そこまで言うほど厚かましいとは思わぬが……時華殿は預かってほしいとは言っていないではないか。あくまでその息子が望めば、と書いてある」

「同じことです」

 憤然とする藍斗の横でそれまで口を閉ざしていた柳伊がため息をついた。

「藍斗。そんなに目くじらを立てるものではない。お前はどうも見境なく毒づくところがあるな。兄上は北条邸ここでこの時華殿としばらくときをともにされたのだ。我らにはわからぬ絆がおありに違いない」

「柳伊兄上、あなたは甘すぎる。もしみやこの朝廷や公家の連中が幕府に牙を向くようなことがあれば、我々は西の者たちと刀を交えることになるのですぞ。そんな時分に朝廷の上位にいる大臣の息子を預かっているとなれば、人質を取っていると思われかねない。さらに牙を向く理由を先方に与えるようなものではありませぬか」

 藍斗の言うことも最もである。

 鬼灯にはそこが悩ましいところだった。

 仮に時華の息子が望み北条家で預かることになったとしても、万が一、藍斗が言っているような争いが東西で起これば、当然、その預かった息子を時華に返してやることはできなくなる。

 そうならないことを祈るが、そうなってしまった時を考えると決断できずにいた。

 結局、柳伊と藍斗との間でも意見がふたつに割れてしまい、相談した意味はなくなってしまった。

 鬼灯が腕を組み、顎を撫でながらどうしたものかと悩んでいる間も、柳伊と藍斗は口論を止めなかった。

 すると勢いよく襖が開き、3人分の茶を持ってきた鬼灯の妻が満面の笑みで現れた。

 鬼灯の妻——あおいは幕府でも有名な美女だった。

 誰もが振り返るとはまさに彼女のことかもしれない。

 武家の娘として北条家に嫁いできた彼女だが、その武家には養子に入っただけで生まれは京の公家だという。

 公家にふさわしく争いとは無縁の優雅な動きは見る者を魅了した。

 柳伊や藍斗も葵の美しさには、いつも感嘆するほどだった。

「まあ。柳伊様も藍斗様もそんなに揉めて何かあったのですか」

 葵から茶を受け取った柳伊はあからさまに動揺して答えた。

義姉上あねうえ、も、揉めてなどおりませぬ。なあ、藍斗?」

 妻子のいる柳伊はまだしも、独身の藍斗にとって葵の存在は目に毒だった。

 憧れそのものでもある。

 顔を赤らめながら、何度も頷き茶を水のように流し込んだ。

 当然、熱い茶を流し込んだことで舌は火傷した上に呑み込み損ねた茶を吹き出しそうになる。

 柳伊に背中を叩かれ、介抱される様子を葵はくすくすと笑いながら見守っていた。

「ところで旦那様、今宵、おふたりを招くようなことが何かあったのですか」

 鬼灯の隣に腰を下ろした葵は夫の腕に抱き寄せられ、膝の上に座らされた。

 体制を崩してひっくり返りそうになるところを、咄嗟に鬼灯の首へ腕を巻きつけることで難を逃れた。

「あったのだが……意見がふたつに割れてな。結論が出ずに困っていたところだ。葵はどう思う?」

 鬼灯から受け取った文を彼の膝の上で広げる。

 鬼灯が葵を溺愛しているのは一族の中でも有名な話だが、目の前で惜しみなくその溺愛ぶりを見せつけられた弟ふたりはそっと視線を逸らした。

 見てはいけないものを見せつけられているような気分だった。

 ひと通り文を読み終えた葵は首を傾げて言った。

「この文のどこが問題なのですか」

「相手があの公家の男だからな。柳伊も藍斗も先々のことをいろいろと懸念しているのだ」

「ですが、時華様のご子息が旦那様についてくるかどうかはまだわからないのですよね」

「まあ、そうだな」

「ではそうなった時に考えればいいのではありませんか? 私たちには子がおりませんし、このご子息が北条邸うちに来てくださるのなら、私はとても嬉しいですわ。ねぇ、柳伊様、藍斗様もそう思いませんか」

「あ、いや、まあそうですな」

 と歯切れの悪い柳伊。

「そ、そうですね。まだ預かると決まったわけではありませぬから、まずは会われてみてはどうでしょうか、鬼灯兄上」

 と手のひらを反す藍斗。

 ふたりとも葵には頭が上がらないのだった。

 同意を得たことに満足げに満面の笑みを浮かべる妻を腕の中に抱き、最強なのは葵なのかもしれない、と当時の鬼灯は素直にそう思ったのだった。



 その後、紅蓮寺へ赴いた鬼灯は月華を預かることになった。

 時華はどこまで計算していたのだろうと改めて思う。

 家出をした月華が紅蓮寺に逃げ込んだのは、住職である雪柊せっしゅうの甥の紫苑しおんと月華が友人であったからだろうということは想像に難くない。

 しかし雪柊の亡くなった妻と葵が姉妹であり、鬼灯と雪柊は義兄弟であることを知っている者は少ない。

 鬼灯が雪柊のもとへたまに顔を出していることを知っていたのなら、大した情報網である。

 さらに鬼灯と葵の間に子がいないことを逆手にとって、月華が北条邸に行くことになっても葵は快諾するだろうと予想していたとしたら、何とも恐ろしい話だ。

 さらに最近、普通のことのように時華から打ち明けられた月華の出自には度肝を抜かされた。

 最初からすべてを打ち明けていれば引き受けなかっただろうことも見越していたに違いない。

 どこまで食えない男なのだろうか、九条時華という男は。

 本来なら幕府に関わること以外には口も手も出さない主義である鬼灯も、九条時華という男との出会いを境にずいぶんと考えや行動が変わったものだ。

 鬼灯は馬の腹を蹴って、さらに先を急いだ。

 幕府に反旗を翻す動きをしそうだとしても、その兆しがはっきりと出ていない限りは動くべきではない。

 それはわかっているが連れ去られた月華の妻を放っておくことはできない。

 何としても夜が明けるまでには先発した月華たちに追いつき、とっとと片を付けよう、鬼灯はそんな親心で月華たちを追いかけたのだった。

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