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第22話 東へ向かう目的は

 近江国おうみのくに、琵琶湖のほとり。

 美しい夕日が湖面に反射する黄昏時。

 琵琶湖より少し南に下ったところにある、異能者が集まる里から来た少年と少女はふたりきりで遊んでいた。

 年の頃は少年が10代前半、少女はまだ10にも満たない。

 少年は少女の世話を任されており、退屈している少女の遊び相手にと夕暮れ時の湖を眺めにやって来た。

 少女にとってこの琵琶湖のほとりはいい遊び場だった。

 魚を眺めるもよし、足を水につけるもよし、湖畔で花を摘むもよし。

 そこはふたりにとって、とっておきの息抜きの場所なのだった。

 少年は湖に石を投げ、少女は湖を泳ぐ魚に夢中になっている。

 近くには誰もおらず、子どもたちだけで遊んでいることを咎める者もいない。

 湖面に石を投げる少年の横で少女は今にも湖にのめり込みそうな角度で水の中を覗いていた。

「ねえ、湖薄こはく。どうして湖薄は皐英こうえいみたいに御形ごぎょうと修業の旅に行かなかったの?」

 透き通る琵琶湖の水面に顔を映しながら少女——檜緒ひおは言った。

「檜緒、あまり覗き込むな」

「どうして? いっぱい魚が泳いでいるの。もっと見たいじゃない」

「そんなに体を傾けすぎては湖に落ちる」

 少年——湖薄はしゃがんだ檜緒の後ろに回り込むと両脇に腕を入れ、羽交い絞めにしてそのまま持ち上げた。

 数歩下がるとその場に檜緒を下ろす。

「な、何するの」

「危ないからだ。落ちてからでは遅い」

 頬を目いっぱい膨らませて抗議する檜緒を、湖薄はまったく取り合わなかった。

 ふたりは兄妹ではないが、湖薄は檜緒を妹のように思っておりまた彼女の母からも世話を任されている。

 身に及ぶ危険を放置するわけにはいかなかった。

「で、何だった?」

「何が?」

「だから先刻さっき、何か言っていなかったか」

「何よ、聞いてなかったの!?」

「悪いな、考えごとをしていた」

「もう、湖薄ったらいつもそう! だからどうして湖薄は御形と修業の旅に行かなかったのかって訊いたのっ」

「どうしてって必要ないからだ」

「何で? 皐英みたいにもっと呪術が使えるようになりたいとか思わないの?」

「……興味ない。今のままで十分だ」

 無表情に答えた湖薄に檜緒は再び不機嫌になった。

 湖薄には檜緒がへそを曲げる理由がわからなかった。

 皐英は拾ってくれた御形への恩返しと思って跡継ぎを買って出たのだろうと思っている。

 確かに湖薄は御形からいくつかの呪術を習っている。

 そういう意味では御形が湖薄の師匠であり彼について行って修業するべきなのだろうが、その師匠自身から檜緒の護衛を任されているのだから、彼女のそばを離れるわけにはいかないのだ。

「その御形様と皐英はそろそろ修業の旅から帰ってくるんじゃないか」

「そうかも。今回も何かお土産を持って返ってきてくれるかな」

「いつも通り米俵じゃないか」

「えぇ!? 何でいつも米俵なの」

「あれを皐英に担がせたいからだろう」

「たまには違うものがいいのに」

「違うもの? 例えば?」

「うさぎ、とか」

 地面に膝を抱えて座る檜緒の隣に腰を下ろした湖薄は小さく吹き出した。

 滅多に笑うことがない少年が笑いを堪えている様子に檜緒は目を見張った。

「え? 何? 何がおかしいの」

「お前、うさぎなんかもらってどうする? 煮て食うつもりなのか」

「た、食べるわけないでしょっ。かわいいから飼うの」

「それならその辺にいるうさぎで十分じゃないか」

「自分じゃ捕まえられないの。うさぎって意外と足が速いんだから」

「はははっ。それなら今度、捕まえて届けてやる。だが、桐江きりえ様は了承済みなんだろうな?」

 檜緒の母——桐江きりえは里に暮らす者たちの中で御形と肩を並べる異能者である。

 長年、異能を使い続けたせいで体が弱っているらしく、桐江はあまり外に出ることがない。

 そんな体調の悪い母のもとでうさぎを飼うなどということが可能なのだろうか。

 師匠の御形が執拗に桐江と檜緒のことを心配しているので、うさぎがきっかけで桐江がさらに体調を悪くするのではないか、それだけが心配だった。

「え……? それは——」

 言い淀む檜緒に湖薄が説教しようとしたその時、風に乗って灰色の煙が北へ向かっているのが目に入った。

 煙は南から流れているらしい。

 何の気なしに湖薄が振り返ると、夕空がさらに怪しく赤く染まっており、煙はその夕空の方から流れてきていた。

 彼らの住む里の方角にも近い。

 嫌な予感がした湖薄はすっくと立ちあがった。

「どうしたの、湖薄?」

 御形や皐英、湖薄ですら術者はすべて今、里から出払っている。

 妙な胸騒ぎが彼の顔を険しくした。

「檜緒、すぐに里に戻ろう」

「え? どうして? 急にどうしたの」

「何だか嫌な予感がする」

 そう言って湖薄は檜緒の手を引っ張り無理やりに立たせ、有無を言わさず帰り道を駆けだした。

 幼い檜緒の手を引いて琵琶湖から戻ったふたりを待ち受けていたのは地獄絵図のような現実だった。

 謎の男たちが里の中を荒らしまわり、虐殺の限りを尽くしていた。

 悲鳴と怒号が飛び交う中、我を失って何体もの式神を操り、殺戮と破壊を繰り返す謎の男たちを次々と始末する御形が真っ先に目に入った。

 まさに鬼神の如くとはこのことを言うのだろう、湖薄はそう思った。

(一体、何が起こっている……!?)

 湖薄が辺りを見回すと自分の体と同じほどの大きさの水瓶を抱えながら右往左往している少年が目に入った。

 前がよく見えずにふらつく少年を引き留め、声をかける。

「皐英! これはどういうことだ」

 湖薄が見かけたのは御形と修業に出ていたはずの皐英だった。

 持ち上げる水瓶の横から顔を出した皐英は見知った湖薄の顔を見るなり、その場に水瓶をどすんと置いた。

「湖薄。どこへ行っていた!?」

「どこってわたしは檜緒が退屈していたから琵琶湖で遊ばせていた。そんなことより、お前は御形様と修業の旅に出ていたはず。あの御形様の様子は何だ!?」

「知らぬ! 私は火消しをしろとしか言われていない。手が空いているのなら手伝え、湖薄」

 湖薄が辺りを見回すとすでに家屋の大半に火の手が回っている。

 目の前に下ろされた水瓶で何度か琵琶湖を往復したところで、火を消せるとは到底思えなかった。

 呆然としていると繋いだ手を振り払った檜緒が走り出した。

「母さま、母さまはどこ……!?」

 駆け出す檜緒を湖薄と皐英は慌てて追いかけた。

 その間にも御形の操る式神は辺りで暴れまわっている。

 そのうち見境がなくなり、こちらにも襲い掛かってくるのではないかと思うほどの勢いがあった。

 すでに燃え尽きた家屋は黒く炭になっており、そこから煙がくゆっている。

 息絶えた者が何人か辺りに転がっており、まるで現実とは受け入れられない光景が広がっている。

 そんな瓦礫の中を抜けた檜緒が立ち止まったところにひとりの女子が膝から崩れ落ちたように地面に座り込んでいた。

 檜緒が暮らしていた家の前だった。

 家はすでにくずれ、燃えこそしていないが元の形をとどめているとは言い難かった。

 崩れた家を呆然と見つめる女子は、近づいてきた少女の気配に気がつき振り向いた。

「檜緒様……、湖薄……」

 檜緒を追いかける湖薄の姿を見つけ、呟いた女子は今にも泣き出しそうな顔で、檜緒を強く抱きしめた。

「も、申し訳ございませんっ。私などがのうのうと生き残り、桐江様が……桐江様がっ」

「……芙蓉? どうして泣いてるの」

 嗚咽を漏らす芙蓉ふように抱き締められた檜緒は状況がまったく呑み込めていなかったが、湖薄にはそれだけで何があったのか、すべて理解した。

 桐江はもう、いないのだと。



「……——薄」

 暗闇の中、湖薄は馬を走らせた。

 あのおぞましい光景を目にしたあの日のことを思い出したのはなぜだろう。

 正体のわからない侵入者の手にかかったと思しき妹尾家せのおけ家臣たちの火葬が引き金になったのだろうか。

 あの日のことは忘れてはいないが、芙蓉に桐江が亡くなったことを知らされた後、暴れだした檜緒をなだめたところから記憶が途切れている。

 気がついた時には西に流れていた。

 里を破壊し尽くしたのは勅書を持った朝廷の役人たちだと後に御形より打ち明けられた時から湖薄は勅使を派遣した帝を抹殺することだけを考えて生きてきた。

 すでに相手は他界してしまったが、その帝が残した血筋をそのままにしておくことはできない。

 そんな復讐の炎が今も湖薄の中にひそかに燃えている。

「……——薄」

 檜緒はあの日を境に人が変わってしまった。

 それまでは純粋無垢で無邪気な少女だったが、たったひとりの家族である桐江を失い、仲間を失い、家もすべてを失った彼女は何年も笑うことを忘れてしまった。

 それはあまりにも残酷な現実を受け止めきれなかったからだろうと思う。

 生き残った里の者は散り散りになり、気がついた時には湖薄は御形や皐英とはぐれてしまっていた。

 とにかく檜緒を守ることに必死で、彼女の手を引いて遠くへ、と逃れたことは何となく覚えているが、行く当てもなくふらついていたところを再会した御形に救われ、以来備中国びっちゅうのくにで暮らしてきた。

 何度もかたき討ちのために憎き相手を抹殺しようと試みたがその度に御形に止められてきた。

 それが何の気まぐれか、ついに望みを叶える時が来たのである。

 無表情の下に隠した湖薄の心は歓喜に踊っていた。

「ちょっと、湖薄! 聞いてるの!?」

 急に耳元で檜緒の大声がこだまし、湖薄はすぐに現実に引き戻された。

「やかましいな。どうかしたのか」

「どうかしたのか、じゃないわ。どこに向かってるのか、いい加減教えてくれない?」

「どこだっていいじゃないか。どうせお前は興味ないのだから」

「失礼ねっ! いいわ。教えてくれないなら、ここからは別行動よ」

「は……?」

「檜緒は御形のところへ帰るわ。どこ行くのか知らないけど、この先に行くなら湖薄ひとりで行ってよ」

 檜緒は勢いよく走る馬から降りようとした。

 このまま馬から飛び降りるようなことをすれば、無事ではすまない。

 落ちた瞬間に馬に蹴られる可能性もあるし、踏まれることもあり得る。

 そんな危険なことを許すわけにはいかない。

 馬上で暴れる檜緒を制御しながら湖薄は徐々に馬の速度を落としていった。

 間もなく馬の足を止められると思ったところで、暴れる檜緒の手が湖薄のこめかみを直撃した。

「……!?」

 気を失いそうになった湖薄が檜緒を掴んでいた腕の力を一瞬、緩めるとこれ幸いと彼女は湖薄の拘束を逃れた。

 ほぼ止まっているに近い状態だった馬から飛び降りたような形になった檜緒は地面に降り立った——ように見えたのは幻で、実際はすぐに尻もちをついた。

「檜緒!」

 慌てて馬を降りた湖薄の足元に尻を着いたままの檜緒が立ち上がる様子はなかった。

「ったたたた」

「…………?」

 檜緒を手伝って立たせようとすると、彼女は悲鳴を上げた。

「痛っ」

 湖薄は跪いて檜緒の足を確認した。

 足首の前や横、くるぶしの辺りなどあちこちを触っていくと、激痛が走るところがあるらしく、再び悲鳴を上げる。

「これは着地した時に足を捻ったな」

「湖薄……足、痛い」

「自業自得だろう。暴れるからそういうことになる。だいたい走っている馬の上で暴れるやつがあるか? 捻った程度で済んでまだよかった」

「……ぐすん」

 先刻さっきまで不平不満を漏らして暴れていた人物と同じとは思えないほどしおらしくなった檜緒はすっかりおとなしくなった。

「とにかく休もう。それから足を固定する布が必要だな」

 一旦、檜緒を背負って移動すると湖薄は馬の手綱を近くの木の枝に繋いだ。

 近くに腰を掛けられそうな岩を見つけると檜緒を座らせる。

 考えごとをしていたせいでどこまで来たのかさっぱりわからないが、朝はまだ来ていない。

 山陽道の途中であることは間違いないだろう。

 みやこで檜緒を休ませられるような環境があればよいが……。

 そんなことを思いながら湖薄は着物の袖を細長く破くと捻った檜緒の足首にきつく巻き始めた。

 向かうは京。

 湖薄がこれから行おうとしているのは帝殺しである。

 このような檜緒を連れながら、目的を果たすことはできるのだろうか。

 湖薄は深いため息をつかずにはいられなかった。


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