第20話 茶の湯の嗜み
妻の梓に百合を預けた敦盛はその足で父の部屋へ向かった。
妹尾菱盛の部屋は邸の1番奥まったところにある。
菱盛の部屋の近くに三公の一員である御形や萩尾の部屋もあり、何か検討をする時は決まって菱盛の部屋に集まる。
さすがに深夜とあって今は揃っていないだろうが、ことの顛末をまず誰かに話しておかなければならない。
敦盛は続いて風雅の君を追わなければならないからである。
出立する前に輪廻の華の状態を説明しておく必要があるのだ。
今の百合は意識がない。
道中で具合が悪くなったのか、もともと体が悪いのか。
かつて輪廻の華について定期的に報告してきていた土御門皐英や、途中まで後を追っていた山吹たちからはそういった話を聞いたことがない。
三公が求める彼女の異能とは、体調が悪くても使えるものなのだろうか。
仮に意識を取り戻したところで、使いものになるのだろうか。
敦盛は輪廻の華の能力は知っていてもどれほどのものなのかは知らない。
後の判断は三公に任せるしかない。
そう考えた敦盛は足早に父の部屋を目指した。
歩きながら敦盛はぼんやりと梓のことを思い返した。
何も知らない武家の嫁として公家から嫁いできた梓。
右も左もわからないうちは頼りなささえ感じたが、今では立派な武家の嫁になった。
いつも何も説明しないのは敦盛なりの彼女に対する配慮であった。
世の中には知らない方が幸せなことはある。
単に梓を巻き込みたくない、という想いもある。
見知らぬ女子を連れ帰ったことを梓はどう思っただろうか。
彼女は何も訊かなかった。
大いに疑問を抱えた顔をしていたが敦盛も何も言わなかった。
後に説明するつもりではあるものの、先にしなければならないことを優先したことを腹立たしく思っただろうか。
梓の表情を思い出していると、敦盛はふと疑問を抱いた。
梓の肩には見知らぬ羽織がかけられていた。
誰の者かはわからなかったが、梓のものではないことはひと目でわかった。
あれは男物の羽織である。
一体、誰の——?
そんな疑問が湧いてきたところで、敦盛は急に近くの襖が開くのを目にした。
寝静まる深夜にまだ起きている者がいるのか、そう不思議に思った敦盛の目に映ったのは思いがけない人物だった。
「萩尾様?」
開かれた襖から現れたのは三公のひとり、橘萩尾だった。
相手も驚きを見せている。
敦盛が周囲を見回してみるとそこはまさしく萩尾の部屋の前だった。
考えごとをしていたせいでどこを歩いているのか認識していなかったようである。
「敦盛、戻っていたのですか」
「はい、つき先ほど」
「それで、風雅の君は見つかりましたか」
「それが——実は別の者を捕獲したので一旦戻ってきたのです」
「別の者?」
「輪廻の華です」
萩尾は絶句した。
無理もないだろう、と敦盛は思った。
萩尾自身は欲していたのかどうか定かではないが、これまで三公はずっと輪廻の華を探し続けていたのだ。
近衛柿人や皐英、山吹や風雅の君さえ利用して捕らえようとしたのに手に入らなかった相手である。
「今起きていらっしゃるのは、萩尾様だけですか」
「さあ……それはわかりませんが、この時刻ですからね。菱盛さんも御形さんも寝ているかもしれません。敦盛はもしや、菱盛さんのところへ向かっていたのですか」
「そうなのですが……休んでいらっしゃるなら出直した方がよいか——」
敦盛がそこまで言いかけたところで、萩尾に腕を掴まれた。
不気味な笑みを浮かべているが、これはこの人に限っていつものことである。
「立ち話もなんですから、中にお入りなさい。私が話を聞きましょう」
敦盛は言われるまま、萩尾の部屋へ初めて足を踏み入れた。
中に入ると敦盛は目を瞬かせた。
あまりにも何もなかったからである。
文机がひとつ置かれているだけでその文机も紙や硯は置かれておらず、使っているようには見えない。
殺風景すぎて本当にここで暮らしているのか疑わしくなるほど生活感がなかった。
敦盛は促されるまま、部屋の中心に腰を下ろした。
行燈に明かりを灯した萩尾は地袋から何やらごそごそと物を出している。
深夜だというのに布団は敷かれておらず、こんな夜中に何をしていたのか甚だ疑問だった。
「ところで萩尾様、先ほどはどこかへ向かおうとされていたようですが」
敦盛は地袋から何かを取り出そうとしている背中に向かって言った。
「先ほど? ああ、何だか眠れないので外の風に当たろうと思っただけです」
それは真実なのだろうか。
敦盛は萩尾のことを疑わしく思っていた。
菱盛は平家の再興のためにすべてを捧げようとしているし、御形は何をしようとしているのかは不明だが輪廻の華に異常な執着を示している。
それに比べこの萩尾は何の欲もないように見える。
京の公家の出身という彼がなぜ備中に居座っているのかも、なぜ三公に名を連ねているのかも敦盛には見当もつかない。
敦盛が疑わしい視線を向けているのにも気づかず、萩尾は地袋から茶器を取り出して目の前に広げだした。
そして部屋の外へ顔を出すと、近くにいた家臣に声をかけ湯を持ってくるように伝えた。
「敦盛。まもなく湯を持ってきてくれると思いますから、私が茶を点てましょう」
目前に揃えられた茶器はどれも長く使われていないようだがずいぶんと年季の入った代物だった。
ある程度使い込まれているように見受けられる。
萩尾が茶の湯を嗜むとは聞いたことがないが、これは本当に萩尾の持ち物なのだろうか。
「萩尾様、あなたも茶の湯を嗜まれるのですか? てっきり茶の湯は風雅の君だけかと……それとも京の貴族は茶の湯を嗜むのが当たり前なのですか」
武家に生まれ、武士として刀しか持ったことのない敦盛には想像もできないことだった。
「これはかつての私の友人が使っていたものです。茶の湯は見よう見まねでね。茶人の友人が点ててくれるのを1番近くで見ていたものだから、自然と作法は身に着きましたよ」
「茶人の友人ですか。あなたがご自分の身辺について語られるのを初めて聞きました」
「そうですか? 別に秘密にしているわけではありませんが、特に訊かれなければ話す機会もないというだけでしょう」
そうこうしているうちに深夜にもかかわらず、厨から運ばれてきた湯を受け取った萩尾は慣れた手つきで茶を点て始めた。
見よう見まねとはよく言ったものだ。
敦盛は茶人である風雅の君の手前を何度も間近で見てきたが、所作にはまったく差がないように見えた。
茶人と名乗っても過言ではないのではないだろうか。
「——それで、輪廻の華を捕えたとのことですが、その輪廻の華は今どこに?」
萩尾が点てた茶を受け取ると、敦盛はそれをゆっくりと呑み干した。
「今は私の部屋に。梓に預けて参りました」
「そうですか。でもよく捕らえられましたね。あんなに風雅の君や山吹が無理だと言い張っていたのに」
「道端で拾いました。偶然が重なって拾い物をしたようなものです」
「拾い物? 輪廻の華はここへ来るまでの間、暴れませんでしたか」
「それが、途中で気を失ってしまいまして。今も意識がありません」
「無事なのですか!?」
身を乗り出して訊ねてくる萩尾の剣幕に圧倒されて、敦盛は手元の茶碗を落としそうになった。
萩尾が声を張り上げるのを初めて見たのである。
敦盛は何とか平静を取り戻して答えた。
「え、ええ。息はしていますので大丈夫でしょう」
「そうですか。それはよかった」
よかった、とはどういう意味なのだろう。
意識がなければ使いものにならないからなのか、それとももっと他に理由があるのだろうか。
「ところで、道で拾ったと言いましたね。一体どこへ向かっていたのですか」
「風雅の君を探して近江国へ向かっておりました。紅葉が近江の紅蓮寺にいることはわかっていましたから、風雅の君は紅葉を頼ったのではないかと考えたのです。ですが続いた長雨のせいで、あちこちで足止めを食らいまして……山陽道を東へ向かう途中でまず紅葉と謎の男に遭遇しました」
「謎の男?」
萩尾は続く茶を点てながら、手を止めて顔を上げた。
「はい。剃髪した坊主のような男なのですが、これが恐ろしく腕の立つ人物で刀を持っていないのに切れのある武術で危うくやられそうになりました。あの男……紅葉と一緒にいたということは紅蓮寺の坊主だったのだろうか。確か雪柊とか呼ばれていましたが、萩尾様、ご存じですか」
「……いいえ、知りませんね。そこに輪廻の華がいたのですか」
「まあ、そうですね。その雪柊という男を斬ろうとした時に、どこからともなく駆けつけた者たちがおりまして。そのうちのひとりが九条月華だったのです。どうやら山吹が捕らえた輪廻の華を妹尾家へ連れて来るのを追いかけていたようでした。そこへ私が偶然、遭遇したのではないかと思います」
「輪廻の華は確か、九条月華の妻になったのでしたね。よく輪廻の華を追って来た月華を振り切ってこれたものですね」
萩尾に差し出された続きの茶を敦盛は遠慮なく受け取った。
走り続けで喉が渇いていたこともあるが、これまで正体の知れない相手だった萩尾との距離が縮まっていくような気がして、少し心を許せるようになっているのもあった。
「それが、月華と一緒に現れた腕の立つ武士がおりまして、私も危うく斬られそうになったのですがその武士がなぜか、山吹に斬りかかる月華の前に立ちはだかったのです。そうこうしているうちに月華の声を聞きつけたのでしょう、輪廻の華が草むらから姿を現したものですから」
「それは大変でしたね、敦盛。さぞ疲れたことでしょう」
「……まあ、それはそうなのですが」
ことの次第をすべて萩尾に話したことで肩の荷が下りたのか、敦盛は急激な睡魔に襲われていた。
目を開けているのも辛いほどの眠気。
疲れを感じているのは確かなのでそのせいなのかもしれない。
「今夜のところは休んだ方がいいでしょう。話は明日、私からあのふたりに伝えますからあなたはもうお眠りなさい」
萩尾にそう言われ、敦盛はそれに素直に従った。
何よりも座っていることすらできないほどの睡魔に襲われていた。
何を考えているのかわからない相手だとはいえ、萩尾も三公のひとりなのだ。
あとのことは彼らに任せればいい。
敦盛は鉛のように重い体を引きずりながら梓の元に戻った。
梓が何か言っていたように思うが、それすらも聞こえないほどに敦盛は疲れていた。
床に倒れ込みそのまま意識を手放してしまったことが後に大事になるとはこの時の敦盛はまだ知らなかった。




