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第16話 不気味な影

雪柊せっしゅう、火柱とはどういうことですか」

 それまで月華つきはなと肩を並べて草むらに腰を下ろしていた白檀びゃくだんは話の途中で立ち上がった。

 結局、謎の文を書いたのは白檀ではないと言う。

 それでは一体誰が書いた物なのだろうか。

 一抹の不安を抱える月華をよそに、白檀と雪柊の会話は続いた。

「さぁて、私にもよくわかりません。辺りに乱立する木々の奥が赤らんで見えたと思ったら途端に煙が上がっていました。ただ、その割には辺りに燃え広がっているような雰囲気は感じなかったのですよ」

 白檀は雪柊の話を聞きながら着物に付いた埃を丁寧に払った。

 辺りを見回したが雪柊が言うようなものは見受けられない。

 川の周辺は手つかずの原生林が続き、人里があるようにも見えなかった。

 白檀が首を傾げているとそれまで馬の世話をしていた山吹やまぶきが雪柊へ訊ねた。

「雪柊殿、その火柱を見たというのはどの辺りです?」

「この川沿いに少し上流へ行ったところです。ただし、川向こうですがね」

 雪柊はその方向を指さした。

 白檀と山吹がそちらへ視線を向けたが何も見えなかった。

 火柱とは穏やかではない。

 放っておけば大規模な山火事になり、辺りを燃やし尽くしてしまう可能性もある。

「誰かが火をつけたのだろうか」

「白檀様、なぜ誰かが火をつけたと思うんですか」

「なぜって、長雨の後なのですから乾燥しているはずはありません。むしろ空気は湿気を帯びているくらいです」

 山吹の素朴な疑問に白檀は当然のことのように答えた。

「長雨の後で自然発火するなんて考えられませんね。もし誰かが火をつけたのならこの湿気の中でよく火をつけたものです。何か燃えやすいものでも燃やしているのだろうか」

「燃えやすいもの、ですか?」

「ええ。山吹、あなたは何度もこの辺りを通っているはずですが、雪柊が見たという辺りに何があるかわかりますか」

「……そういえばあの辺りに何軒かが連なる集落がありますね」

 山吹は記憶の糸を辿るように言った。

 彼はこれまで何度も備中びっちゅうみやこを行き来している。

 勝手知ったる道筋の途中に何があるのかは、4人の中で一番詳しいはずであった。

「山吹殿、集落というのは?」

 雪柊の問いに山吹は川の上流を指さして淡々と答えた。

「あの辺りには水田が多数ありまして、米を育てる農民たちが集まって暮らしているようです。茅葺き屋根の家が何軒もあったように思いますから、1度火が点いたら燃え広がるのはあっという間でしょうね」

「それは少し変だな」

「どういうことですか、雪柊?」

「人里があるというなら、もっと騒然としていなければおかしいと思いませんか。予想に反する火の手ならすぐにでも消したいものではありませんか。幸い、こんなに近くに水場がある。それなのに、火消しの水汲みをする人影なんてまったくありませんでした」

「……どういうことでしょうか。何だか気になりますね」

 そう白檀が呟いた時、それまで静観していた月華が急に立ち上がった。

 水を呑ませていた馬の手綱を掴む。

「休憩は終わりだ。十分に休んだのだから俺は先を急ぐからな」

 強引に馬に跨ろうとする月華の袖を白檀は強く引いた。

「待ってください、月華」

「何だ。離せ」

 振り払われても白檀は袖を掴んだ手を離さなかった。

「少し気になりませんか」

「何がだ」

「向かっている方向の近くで火の手が上がっているのです。それも極めて不自然に」

「だからって俺には関係ない」

「もし本当に火の手が上がっていながら、その辺りの住人が騒ぎ立てていないというのなら、それは意図的に燃やしているからなのかもしれない」

「だからって何だと言うんだ。戦をしているとでも言うのか? こんな真夜中に?」

 訝しげに問いただした月華に対して白檀は首を振った。

「それは……わかりません。ただ、私たちよりも先に棗芽なつめ百合ゆりを攫った敦盛あつもりを追っているのですよね? 彼らが衝突している可能性も、今は捨てきれません」

 雪柊が偶然、近くで煙が上がるのを見たからと言って何だというのだ。

 今はこんなところで油を売っている場合ではない。

 いくら輪廻の華は丁重に扱われるはずだと言ってもそこには何の確証もない。

 一刻も無駄にしたくないという想いが月華の心を掻き立てた。

 だがそうは思いながらも、白檀の懸念も気になっていた。

 確かに雨上がりに火の手が上がるというのは考えにくいことである。

 実際に目にしてみないことには何が起こっているのかは想像もつかないが、白檀が言うように棗芽と百合を攫った武士が対峙している可能性もある。

 白檀の懇願するような瞳を月華はじっと見つめた。

「……様子を見に行くというのか」

「関係なければすぐにその場を離れればいいだけのことです。その火事場に敦盛や百合がいるかもしれないし、すでにいなかったとしても今ここで私たちがふた手に分かれるのは得策ではありません」

「…………」

 言いたいことはわかるし、気にもなるがやはり今は余計なことにときと労力を割きたくない。

 白檀を振り切るように月華は馬に跨ろうとした。

 するとそれまで静観していた山吹がつかつかと近づいて来て、月華の馬の手綱を掴んで言った。

「待て、九条月華」

「邪魔をするな」

「邪魔をする気はない。だが馬は置いて行け」

「何だと!?」

「馬にはまだ休息が必要だ。すぐに発てば邸へ辿り着く前に必ず馬を手放すことになる。そうなったら到着は遅くなるが、それでもいいのか」

 月華はきつく口を結んだ。

 山吹が言っていることは至極まともな話である。

 馬に水を与え始めてから四半刻も経っていない。

 十分に休息を取ったとは言えないことは月華も理解していた。

 この先、馬がいなければ夜明けまでに目的地へ着くのが難しいであろうことも月華はわかっている。

 だが先を急ぐ焦りを制御することができなかった。

 すると白檀は名案を思いついたとばかりに手を打って彼らに提案した。

「ではこうしましょう。私たちはこれから徒歩で火の手が上がったという辺りの様子を見に行く。何もなければ戻ってくればいいし、何かあったとて戦に参戦するわけではないのですからすぐに戻れるでしょう。その間、山吹にはここで馬の番をしていてもらう。これでどうですか?」

「……何だって?」

「気になる火事の様子も確認できて、馬も休ませることができます」

「……一応訊くが、その『私たち』の中には俺も含まれているのか」

「他にいますか?」

 さもありなんとばかりに白檀は満面の笑みを返した。

 月華が絶句したのは言うまでもなかった。

 確かに今はまだ馬を休ませるべきである。

 歩いて辺りの様子を見に行った雪柊が火事場を見つけたのだから、当然徒歩で移動できる圏内で事件が起こっているのは間違いない。

 気になる事象を確認し、戻ってくる頃には馬の疲労も回復していることだろう。

 月華は狐につままれた気分だった。

 こうも白檀の都合のいい方向へことが運ぶのは気に入らないがただここで馬の回復を待っているのは気の遠くなる話である。

 他に選択肢はなかった。



 山吹を残し、月華と白檀、雪柊は川の上流方向へ向かった。

 道案内代わりに先頭を歩く雪柊を追うように月華と白檀は並んで歩いた。

 道と言えるほどの整備されたものではなく獣道に近い細道を、草を掻き分けながら進む。

 月華は黙って歩く白檀に感心した。

 先帝の子であり幼少期には宮中で贅沢に暮らしただろうに、備中国びっちゅうのくにへ引き取られずいぶんと逞しく成長したようである。

 しかしながら冷静に考えれば自分も変わらない。

 京で広大な敷地を持ち朝廷では絶大な権力を持つ九条家に生まれ、家を出るまでは何不自由なく暮らした。

 武士となり北条鬼灯ほうじょうきとうに戦場へ駆り出されるまでは、このような原生林を歩いたこともなかった。

 環境は生まれを凌駕して人を変えるということか。

 そんなことを月華が考えていると、白檀が思い出したように口を開いた。

「月華。話が途中になってしまいましたが、あなたが受け取ったという文、他に差出人の心当たりはないのですか」

「あったらお前が書いたものだと思い込むことはなかった」

「……何だか不気味ですね」

「不気味?」

「ええ。あなたの事情をよく知っていながら中務省なかつかさしょうに入り込むことができて、あの李桜りおうに何の疑問も持たせず文をあなたの目に触れるようにできる者が少なくとも朝廷の中にいる、ということですから」

 文は李桜の文机に置かれていたと聞いている。

 ということは中務省の奥まで入ってくることが可能な人物、ということになる。

「それも正体の知れない相手ですよ、月華」

 今となっては中務省は月華にとって勝手知ったる場所となった。

 数日とはいえ、どんな者が働き、どんなことをしているのかはおよその検討がつく。

 これまでの経験を思い返しても、白檀が指摘するような怪しい人物が省内にいるとは思えないし、心当たりもない。

 各省には時々、互いの情報を共有するための書簡のやり取りがあり、官吏の誰かが使いとしてそれを関係各所へ届けているが、これまで中務省に現れた他省の官吏の中にも、怪しいと感じるような人物がいた覚えはない。

 確かに不気味とは言い得て妙であった。

「これ以上、大事が起こらなければよいが……」

 そんな白檀の呟きは、月華の心の声と重なったのだった。

 しばらく歩くと対岸の鬱蒼と茂る林の間から確かに赤い火柱が夏の夜を明るくしているのが見えた。

 高く立ち上る火柱は辺りの木々の上へ煙を吐き出している。

 だが辺りに人の気配はない。

 彼らは呆然とその火柱を眺めていた。

「確かに火の手が上がっているのに誰も消火活動をしているようには見えませんね」

 白檀が言った。

 火の手が上がっていることに気がついているのなら、もっと右往左往する住人が辺りをうろついたり、叫び声を発したりしていてもおかしくないはずだが、辺りは夏の夜の静寂に包まれている。

「寝ている間に火が点いて、家が燃えてしまっていているのにそれに誰も気がついていない、とか?」

 こんな夜中に、と言いかけた月華だったが確かに家主が寝静まっている間に火が点いてしまったとしたらあり得るのかもしれない。

「じゃあ全員寝込んでいて火事に気がついていないってことでしょうかね」

 雪柊の問いに白檀は首を傾げる。

「さぁ……? 近くまで行ってみないことにはわかりませんね。ただ、争っているようにも見えません。もう少し近づいてみましょう」

 そう言うと白檀は意気揚々と火事場へ自ら向かって駆けだした。

 危険があるかもしれないのに何の懸念もなしに前進する白檀に雪柊は声を荒げた。

「あ、ちょっと、白椎はくすい様!?」

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