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第15話 白檀の想い

 結局4人は通りがかりの川辺で休むことにした。

 川幅はさほど広くなく、大人の足でも対岸まで大股に数歩で渡っていけるほどの川である。

 雨上がりの増水した川であったが、ある程度濁流は収まり澄んだ流れを取り戻しつつある様子だった。

 辺りには鬱蒼と生い茂る夏草しかなく、周囲は木々が立ち並ぶ原生林だが異様な4人の雰囲気に圧倒されてか、野生動物たちも成りを潜めている。

 仏頂面の月華つきはなは渋々馬から降りると近くの木の枝へ手綱を引っかけ、川辺の草むらに腰を下ろした。

 山吹やまぶき白檀びゃくだんも馬を降りる。

 自分の乗っていた馬を山吹に預けるなり、すぐに彼らの元を離れようとした雪柊せっしゅうの背中に白檀が声をかけた。

「雪柊、どこへ行くのですか」

「少し辺りの様子を確認してきます」

「辺りの様子? 誰かが私たちを狙っているとでも言うのですか」

「いえ、そういうことではありません。性分とでも言いますか、留まっている時は周囲の様子を確認しておかないと済まないものですから。私が不在にしている間、そこの月華や山吹殿があなたを守ってくれますからご安心ください」

 そう言うと暗闇の中へ消えていった。

「……私は自分の身の安全を担保してほしくて声をかけたわけではないのに」

 雪柊の腕はよく知っているがそれでも見知らぬ土地で暗闇の中、ひとり行動をする彼が白檀は心配だった。

「心配されるだけ無駄なのでは? 白檀様は雪柊殿の腕前をよくご存じでしょうに」

「それはもちろんわかっていますが、それとこれとは全く別物ですよ、山吹。あなたの腕前には私も全幅の信頼を置いていますが、山吹が今の雪柊のように暗闇へ消えていったら同じように心配するでしょうね」

「俺の心配、ですか」

 白檀の思わぬ言葉に面を食らった山吹はしばし瞬きをする。

 敵を目の前にしているわけでもないのに何を心配することがあるのか、山吹には見当もつかなかった。

「そうです。心が不安定な夜はひとりでいるべきではない。魔が差すとはよく言ったもの。そんなつもりはなくとも心の奥底に眠っている陰の気が思わぬことを引き起こすことはよくあることです」

「…………」

 遠回しに言ってはいるが山吹には白檀の言わんとしていることがよくわかった。

 心に抱える闇がある者は、普段は押さえ込んでいてもそれがふとした瞬間にすべてを支配し予定していなかったような行動を取るようになる、と言っているのだ。

 妻子を殺され、未だに鈍色の着物を手放さないという雪柊の心には誰が見ても闇が広がっている。

 そして心の主と崇める白檀の意に背く行いをしようとした山吹もまた、後ろめたさを抱えている。

 そんな人間が闇の中にひとりでいると魔が差すことがあると言うのである。

「あそこにもひとり同じような者がいますね」

 白檀は、草むらに腰を下ろしじっと川の流れを見つめている月華に視線を送った。

 確かに今の月華も同じ心境であることは変わりない。

 そういう白檀こそ、父に捨てられ別の名を名乗り備中国びっちゅうのくにで成りを潜めてきたのだから、同じ穴のむじなと言えるだろう。

 半分は同じ血が流れていながら全く違う人生を歩んできた月華と白檀。

 ふたりを交互に見ながら山吹はふと想像してみた。

 彼らが本来のあるべき場所にいたならどういう関係だったのだろうか、と。

 白檀が玉座に座り、月華はそれを支える官吏の筆頭として彼を支える。

 英断はするものの常に皮肉が付きまとう白檀の采配に、常に毒を吐きながらいやいや従う大臣の月華が映像として浮かぶ。

 山吹は急に身震いした。

 どう想像しても、帝と官吏になる彼らの姿はあり得ない。

 やはり今のふたりはなるべくしてこうなったのだろう、と山吹は思った。

 白檀はおもむろに1歩足を進めると、月華の隣に腰を下ろした。

 本当なら夏草の露や埃に着物を汚すような身分ではない白檀だが、今の彼はただの茶人である。

 着物が汚れることに何の躊躇もなかった。

「百合が心配ですか」

 白檀の問いに月華は無言で答えた。

 互いにまっすぐ川を見つめている。

 山吹は仏頂面をしているであろう月華の背中に、繋いでいる馬のたてがみを撫でながら言った。

「こんなところで休んでときを無駄していると思っているんだろうが、考えなしに飛ばすからこういうことになるんだ。自業自得だろう」

 白檀に負けずとも劣らず毒を吐く山吹にも、月華は何も答えなかった。

 膝を抱え、肩を落とす月華はまるで思いどおりにならないことにへそを曲げる少年のようだった。

「月華。百合ゆりは大丈夫。あれだけ輪廻の華を手元に置いておきたがった人たちです。客人として丁重に扱うはずですよ」

「……なぜそんなことが言える」

「私は長年、あの人たちと一緒に暮らしてきましたからね」

「……お前だって百合の異能を欲していたんじゃないのか」

「私はそんなことを考えたことは1度もありません」

土御門皐英つちみかどこうえいを使って百合を狙っていたやつらにお前も加担していたんじゃないのか」

「それは違います——いや違いませんね、抵抗しなかったという意味では。宮中を追われた私を引き取ってくれた妹尾家せのおけの者たちに恩義を感じているのは事実です。だから私は彼らのすることに抵抗せずにいました。近衛柿人このえかきひとと皐英を使って百合を呼び寄せ、倒幕を目論んでいることは知っていましたが、本当に実現できるとは思っていなかったのです」

「…………」

「それはあなたがまだ百合と出逢う前のことでした。まさか雪柊が百合を隠していたとは知りませんでしたが、百合を見つけたと皐英から連絡があった時、妹尾家に連れて来たところで何もできないだろうと高を括っていたのです。そこへ月華が現れた。皐英は百合に想いを寄せていたようでしたが、別に彼女の命に関わるわけでもないですし静観しているつもりでした。でもそれが間違いだったのかもしれません。あなたが百合を娶ったとわかった段階で、皐英には手を引かせるべきでした。そうすればあんなことにはならなかったかもしれない」

 「あんなこと」というのが、皐英が死んだことを指しているのは月華にもわかった。

 確かに皐英が百合に執心することがなければ対立することもなかった。

 目の前で死んでいった皐英の最期の姿が月華の脳裏をよぎる。

「途中で皐英の動きを止めた方がいいかもしれないと思い、備中を出て京へ戻ってきたのですが、その途中で訃報を耳にしたのです。皐英の最期はどのような状況でしたか」

「……あいつは俺の大事な弟を守ってくれた。だからもう恨んではいない。あいつが死んでしばらくしてから俺の夢に出てきて、百合と悠蘭ゆうらんを大事にしろと説教を残していった」

「そうですか。なんだが皐英らしい最期ですね。皐英が亡くなってからあの妹尾家の者たちには輪廻の華を手に入れることは無理だと伝えたつもりだったのですが……残念ながらまだ諦めていないようです」

 月華は白檀の話を黙って聞いていた。

 ここまで長い間、白檀と言葉を交わすのは初めてのことだった。

 のらりくらりとしていて何を考えているのかわからなかった白檀をいつも訝しんでいた。

 だが彼には彼の事情と考えがある、ということは理解しないわけではない。

「あの妹尾家の者たちは幕府を倒し、再び過去の栄光を朝廷にもたらそうとしています。贅の限りを尽くし大きな権力の元に民を虐げるような朝廷政治を、です。そのためには榛紀しんきが邪魔なのですよ。親幕派と言われる九条家当主も、その九条時華くじょうときはなと親しい六波羅探題もみな、一掃したいと考えているでしょう」

「そんなこと、できるわけがない」

「どこまでできるのかは私にはわかりません。ですがそのために百合の異能を必要としているのは間違いないのですから、とにかく百合のことは大丈夫でしょう。彼女が抵抗するようなことがなければね」

「……百合には抵抗できるほどの体力は残っていない」

「やはりすでに蝕まれていますか」

「……お前は一体どこまで状況を理解しているんだ」

「全部理解していますよ。百合が誰から異能を受け継いだのかも、その異能のせいで苦しんできたことも、寿命を縮めていることも。あの異能は受け継がれるべきではなかった。あれはもともと私の母が持っていたものですが、何の因果か百合に受け継がれてしまった。それが不幸の始まりでした。ですがこのままでは絶対に終わらせません」

 月華はここで初めて白檀に向き合った。

 映る横顔は真剣そのものでいつもの言葉遊びはそこにはなかった。

 血のつながりがあると知ってしまった今となっては、月華は何とも複雑な想いを抱えていた。

 白檀のこれまでの行動はどれも敵対する相手のものと思えばこそ憎らしく思うところだったが、実は孤独な寂しさの裏返しかもしれないと思うと、憎み切れない部分もある。

 宮中を追われ、近しい者が誰もいないところへ放り込まれたような環境で育ってきた者が曲がらずにいられるわけがない。

 利用価値があるから丁重に扱われているとわかっていながらそれを悟られないように生きていくにはいくつもの顔を持っていなければならなかったことだろう。

 途中で家を飛び出したとはいえ、心ある人たちとときを共にしてきた月華とは対極にある人生を歩んできた人である。

 運命のいたずらとも言うべき彼の人生に同情しないわけではなかった。

「……そこまで考えてくれていたのなら、おかしな文で警告してくることはなかっただろうが。直接言ってくれればそれでよかったんだ」

「警告?」

 真っすぐに川を見つめていた白檀が月華を振り向いた。

 目を白黒させている。

「とぼけるな。俺宛に名無しでおかしな文を寄越したじゃないか」

「いつのことですか」

「お前が京から消えた頃のことだ。菊夏きっか殿を鎌倉まで迎えに来た悠蘭がみなの文を携えて現れた時、李桜りおうの文机に置かれていたらしいとか言って一緒に持ってきた」

「文には何と?」

「『輪廻の華を隠しておられるようだが、誰かの手に奪われぬよう大事にされよ。ゆめゆめ油断なされませぬよう』——そう書いてあったが、お前もおかしなことを訊く。自分で書いた内容だろうに」

「……それを書いたのは私ではありません」

 白檀は珍しく愕然としていた。

 それはこれまで常にそばにいた山吹も見たことがないような驚愕ぶりだった。

「何だって?」

「ですからそれを書いたのは私ではありません」

「だったら誰が書いたというんだ。内容は百合が輪廻の華でその彼女を俺が妻に娶ったことを知っている者が書いているとしか思えないんだぞ!?」

「誰なのかは検討もつきません。ですが月華、考えてみてください。朝廷の官吏の中に私の知り合いはいません。あの仕事の虫である中務少輔なかつかさしょうゆうの文机の上に文を置いておけるはずがありません。御所の中をうろつく程度なら山吹に行かせることもできますが、さすがに中務省なかつかさしょうの中まで入っては部外者であることが知られてしまいますから」

 唯一、白檀が同じことを頼むことができるとしたら弟の榛紀になるだろうが、彼らが再会したのはつい最近のことで、月華が文を受け取ったのはそれよりもずっと前のことなのである。

 月華と白檀は互いの目を見つめたまま押し黙った。

 月華は暗にどういうことか、と問うていたし白檀は見当もつかない、と目で訴えていてふたりの間には言葉はなくとも互いの意思疎通ができていた。

 しばらく口を噤んだままの主を心配して、

「白檀様?」

 と山吹が声を掛けた時、見回りから戻ってきた雪柊が怪訝な顔をして現れた。

「なんだかわからないがこの川の上流の方に火柱が上がっているんだけど、どうも山火事には見えないんだよねぇ」

 思いもよらない雪柊の言葉にその場にいた3人は互いに顔を見合わせた。

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