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第13話 燃え上がる炎

 北条棗芽ほうじょうなつめ紅葉くれはが案内された、誰が住んでいたのかわからない茅葺き屋根の家の中は散らかっている。

 家具という家具はなく、多少の着物が入ったつづらが部屋の奥にあるだけだ。

 だが部屋の中はまるで嵐が去った後のように農機具やむしろが散乱し、敷かれたままの布団は湿っぽい。

 部屋の奥へ行くなりごそごそと探し物をし始める棗芽を、紅葉は黙って見ていた。

 薄暗い室内をひっくり返す棗芽はずいぶんと慌てているように紅葉には見えた。

 何をそんなに焦っているのだろう。

 紅葉が興味深く見守っていると棗芽は敷かれたままの布団を2枚引っ張り出して筒状に巻き始めた。

 布団といってもほとんど綿の入っていないせんべいのような薄い布団である。

 筒状に巻いたそれを今度は数か所、縄できつく縛り出した。

 棗芽は同じようなものをふたつ作るとそれまでふたりが腰掛けていた壁に折り曲げるようにして立て掛けた。

「ふふふ。何これ」

 見ようによっては案山子が腰を下ろして休んでいるように見えなくもない。

 人の形にしてはあまりにも不出来でこれが一体何の役に立つのか紅葉にはまったく理解できなかったが、ふたつ並べた腰掛ける案山子のような物体に棗芽は奥から大きなむしろを引っ張ってくるとそれらに覆いかぶせた。

 手伝ってくれと言いながら結局ひとりですべてを終えたところで棗芽は額の汗を手の甲で拭った。

「とりあえずこれで何とかなるかな」

「ねぇ、棗芽。これ、何なの」

「何って、これは私と君の身代わりです」

「身代わり?」

「ええ。私たちがここで寝入っていると思わせなければならないので。そんなことはないと思いたいが、人は時に想像もつかないような行動に出ることがあります。最悪の場合も想定しておかなければなりませんからね」

 紅葉は棗芽の回答に呆然とした。

 ここに敵はいない。

 いないはずである。

 今夜この集落へ来たのは偶然で、しかもここにいるのは農民たちであり、農具を手にしたところで刀を持った棗芽の相手になるはずはない。

 それは農民たちもわかっているはずなのだ。

「それってあの人たちがあたしたちを襲ってくるかもっていうこと?」

「襲ってくるかどうかはわかりませんが、もっと悪くするかもしれません。さあ、もたもたしている暇はありません。早くここを出ましょう」

 先を急ごうとする棗芽の背中と、彼が作ったふたりの身代わりを交互に見ながら紅葉は考えた。

 明かりもなく薄暗いからといって、本当にこの偽物を人と見間違えるというのだろうか。

 偽装するならもっと効果的な何かが必要なのではないだろうか。

 棗芽はこれまで意味のないことはしなかった。

 はっきりと教えてくれなくても、急に考えを変えたのにはそれ相応の理由があるはずである。

 そう考えた紅葉は室内の奥に置かれているつづらを荒らし始めた。

 一方、土間に降りた棗芽は建付けの悪い扉を開けようと思い切り引いたが、扉はびくともしなかった。

 動かそうとすると外側につっかえ棒がされているようで手のひらを差し込めるほどしか開かず、それ以上は力を入れても動かない。

 閉じ込められた、そう考えるのが自然な状況だった。

 現状を紅葉に伝えようと棗芽が振り返ると、彼女は自ら帯を解き着物を脱ごうとしているところだった。

 わけがわからず慌てて居間へ駆け上がった棗芽は帯を解く彼女の手を掴んだ。

「な、何をしているのですか、紅葉」

 少しはだけた襟元が目に入り、棗芽は咄嗟に視線を逸らした。

 とても直視することができない。

「何って着物を脱いでるの」

「だから、なぜっ!?」

 視線を逸らしたまま苛立たしげに棗芽が言うと、紅葉は掴まれた手を振り払って答えた。

「だってあんな偽物にむしろをかけただけじゃすぐばれちゃうじゃない。だからせめてあたしの着物をあの上にかけようと思って。着物を着せた上からむしろをかけた方がそれっぽいでしょ」

 紅葉がやろうとしていることは理解できなくもないし、偽装を少しでも本物に近づけるためにはあった方がいいのかもしれないが棗芽はそれを許すことができなかった。

「そんな必要はないっ」

 紅葉の方へ向き直って否定すると再び、はだけた襟元が目に入り棗芽は急いで視線を外した。

「棗芽らしくないわよ? 誰も裸になるなんて言ってないじゃない。そこのつづらの中から別の着物を拝借して着替えるだけなのに」

「だから——」

「いいから後ろ向いててよ!」

 棗芽はそう叫んだ紅葉に従い、渋々その場で後ろを向いた。

 帯を解き、着物を脱ぐような衣擦れの音が耳に響く。

 それだけで棗芽は気が遠くなりそうだった。

 体中の血が熱を帯びるような感覚を押さえることができない。

 このまま衝動的に紅葉を抱きしめて独占してしまいたくなるような強い欲求に襲われそうになる。

 何の拷問だろう。

 これなら敵に捕まって痛めつけられる方がまだましかもしれない、とさえ思う。

 すると着替えながら紅葉が言った。

「あなたが想定しているのと同じじゃないかもしれないけど、あたしもこの集落は少し変だと思ってる。馬は流されたなんて言ってたけど、あれ、たぶん嘘ね」

 淡々と言う紅葉の言葉に我を取り戻した棗芽は、煩悩を振り払うように強く首を振る。

 冷静さを取り戻した彼は紅葉に背中を向けたまま訊ねた。

「どうして嘘だと?」

「だって物を運んだりするために馬を使っているとしたら貴重な労力じゃない。それをみすみす長雨に流されるなんてことしないと思うわ。もっと大事に扱ってしかるべきよ。ここへ来る途中、馬小屋みたいなものもあったじゃない? 馬は確かにいないみたいだったけど、きっとこの近くのどこかに隠しているんじゃないかしら」

 棗芽もまったく同じことを考えていた。

 意外と鋭い観察眼に感心していると紅葉はさらに続けた。

「偽装する必要があるなら、それなりに効力を発揮するようにした方がいいでしょ? だからあたしの着物が役に立つんじゃないかと思ったの」

 そう言って紅葉は着替え終えると脱いだ着物を持って身代わり人形に近づいた。

 勢いよくむしろをはがし、まるで布団の代わりに着物を掛けているかのように頭部分から掛けて偽装し、その上からさらに着物が少し見えるようにむしろをかけた。

 両手をぱんぱんと擦り合わせ埃を払う姿は、どこか自慢げである。

 地味な古臭い着物に着替えた紅葉の姿を見て、棗芽は沈黙した。

 ——棗芽らしくないわよ?

 確かにそのとおりだ。

 こと紅葉のこととなると冷静さを失い感情的になったり、心を大きく揺さぶられたりして自分を制御できないことがある。

 どんな着物に着替えようと紅葉は紅葉だが、こんな姿にさせるために連れて来たわけではない。

 自分の不甲斐なさを呪うように棗芽は大きなため息をひとつついた。

「では、急ぎましょう」

 棗芽は背中の太刀を抜きながら土間に降りた。

 紅葉は当然のことながら目を見開いた。

 先刻、太刀はお守りのようなものだと聞いたばかりだったからである。

「え、何? 何かあったの?」

「ええ。実はこの扉、外側からつっかえ棒がされているようで開かないのです」

「……それって、閉じ込められたってこと?」

 太刀を握ったまま振り向いた棗芽は大きく頷いた。

「え、どうするの!?」

「壊すのは簡単だが、私たちをここへ閉じ込めた理由を知りたい。できれば何ごともなかったかのようにここから出た方がいいでしょう。でなければ身代わり人形を用意した意味がない」

「でもそんなこと、できるの?」

「まあ幸い刃が入るほどの隙間はありますから何とかなるでしょう」

 何の根拠もない回答に紅葉が呆れた視線を向けていたのは言うまでもなかった。



「おい、あいつら、本当に寝静まってるんだろうな?」

「そりゃそうだろうよ。今、何刻だと思ってるんだ。もうとっくに寝てるだろうよ。現に物音ひとつしねぇじゃねぇか」

 棗芽たちが案内された茅葺き屋根の家をこっそり抜け出してから四半刻が過ぎた頃。

 集落の他の家から男たちが集まって来た。

 それぞれが松明を手にしている。

「一応、中を確かめた方がいいじゃねぇか」

「それもそうだな」

 ひとりが別の人物に松明を預けると、脱出防止にとはめ込んであったつっかえ棒を外した。

 あまり勢いよく開けて大きな音が出ると中の男女が起きて大騒ぎになっても面倒だったため、男は少しだけしか戸を開けなかった。

 建付けの悪い戸は静かに開けようとすると頭ひとつ分ほどしか開かなかったが、中を覗き込むとむしろのようなものをかける人影が見える。

 預けた松明を取り戻し、中を照らしてみると確かに招かれざる客が現れた時の着物柄に似たものが見えた。

「すっかり寝入ってる」

「そうか……それじゃ、やるか」

「ほ、本当にやるのか」

「何を今さら言い出すんだ。腰抜け呼ばわりされたくなけりゃ、お前も思いっきり投げろ」

 そう言った男は数歩下がると手に持っていた松明を勢いよく茅葺き屋根に向けて投げた。

 松明は狙い通り屋根の上に落ち、間もなく煙が立ち始めた。

 それを見た他の住人たちも後に続けと手持ちの松明を屋根に向けて放り投げる。

 すべてが屋根に着地したころ、最初に投げられた松明の付近から真っ赤な炎が立ち上り始めた。

 続いて他の松明からも着火し、屋根はあっという間に燃え上がる。

 夜の闇に浮かび上がる炎の塊は妖艶にくゆらせながら家全体を呑み込んでいく。

 それを呆然と眺めながら集落の住人たちは立ち尽くしていた。



 太刀を器用に扱って棗芽が戸を外したのを紅葉はたいそう感心して眺めた。

 建付けの悪い戸ではあったが破壊することなく上手に外したことでふたりは何ごともなかったかのように外へ出られたのである。

 そして元どおりにつっかえ棒を外からはめ込むと、目的の妹尾家せのおけには向かわず、近くの茂みに身を隠してじっとしていた。

「本当にこれから何か起こるかしら」

「おそらくは」

「あの人たち、あたしたちが来ることを知っていたと思う?」

「さあ、それはどうでしょうか。ただ、輪廻の華を連れ去った男がここへ立ち寄った可能性はあります」

敦盛あつもり様が?」

「それなりに腕の立つ男でしたから、ある程度戦の経験もあることでしょう。だとすれば追手が来ることは想定しているはずです」

「でもどうして敦盛様がここへ寄ったかもって思ったの?」

「私たちを家に案内した男が言っていたことを覚えていますか。人の手を借りて泥を掻き出したと言っていたでしょう? あれはこの集落以外の人がここへ立ち寄った際に手伝ってもらったという意味だと思います。雨はしばらく続いていましたし、誰もがこの近くを通るとは考えにくい。もしその敦盛という男が私たちと出遭った場所に来る前にこの集落へ立ち寄っていたら、と考えてみたのです」

「それって敦盛様が泥で困っていた人たちを助けたってこと? まあ、確かにあの人ならやりかねないかも。三公と違ってちゃんと分別はつく方だと思うから」

「この集落の人たちが敦盛という男に助けてもらったことを恩義に感じていたなら、輪廻の華を攫って備中へ戻る途中、追手を考慮してここへ立ち寄り足止めを依頼した可能性がある、その考えに至ったからこそすぐにあそこをでるべきだと思ったのですよ」

 紅葉の想像を超える深読みに目を瞬きながら、

「恐れ入ったわ。よくもそんな考え、思いつくわね——」

 と感心したところで小さくくしゃみをした。

 着替えた着物は別段、傷んだものではないが思いの外、それまでに着ていたものよりも薄手のようだ。

 夏の夜とはいえ、ある程度気温が下がる中でじっとしているのだから体が冷え切っていてもおかしくない。

 震えながら両腕を掴み、肩を丸めながら腕をさすっていると、ふわっと後ろから何かに包まれる感覚がした。

「夏の夜とはいえ冷えますね」

 気がついた時には後ろから棗芽に抱き締められていた。

 背中や肩、両腕にも彼の体温を感じる。

 恥ずかしさのあまり、思わず叫びそうになったところで棗芽に口元を押さえられた。

「静かに。男たちが集まってきました。何かが起こりそうですね」

 離れていて集まった男たちが何を話しているのかまでは聞こえない。

 だが今の紅葉にとってそんなことはどうでもいいことだった。

 耳元で囁く棗芽の声に背骨が痺れるような感覚を持ってしまう。

 夜の底冷えなど、それこそまったく感じないほどに全身が熱を帯びる。

 そんな暑さを感じる夏の夜に、紅葉は燃え上がる巨大な炎を目の当たりにした。

 それは棗芽が『人は時に想像もつかないような行動に出ることがある』と言い表したとおりだった。

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