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第11話 動揺させる嘘

 棗芽なつめは川に落ちそうになった紅葉くれはを心配し、手を引きながら歩いた。

 間もなくして5軒ほどの家が立ち並ぶ集落が見えてくる。

 それは棗芽が最初の目的地と言った場所だった。

 集落の周りには水田が広がり、稲作を生業とする農家が集まっている。

 棗芽はそこで朝まで紅葉を休ませようと考えていた。

 彼女を備中国びっちゅうのくにへ同行させることを棗芽は今でも納得していない。

 目指す最終目的地は妹尾家せのおけの邸である。

 輪廻の華を白檀びゃくだんに会わせる約束をしているし、弟のように可愛がっている月華つきはなの妻でもある百合ゆりを何としても取り戻さなければならない。

 妹尾家へ辿り着いたとしても簡単に取り戻せるとは限らない。

 場合によっては連れ去った武士の男やそれ以上の手練れを相手にしなければならない可能性だってあるのだ。

 そんな危険な場所に紅葉を連れて行きたくないと思うのが棗芽の本心だった。

 だが、乗り気の紅葉に折れて自ら連れていくと決めたからには最後まで守る、そう心に決めている。

 そもそも彼女はなぜ一緒に行くと言い出したのだろうか。

 せっかく逃れてきた危険な場所に自ら志願して乗りこんでいくのはなぜなのか。

 棗芽は未だに理解できないでいた。

 紅葉には危険に触れることなく、笑って楽しく暮らしてほしいと思う。

 多少じゃじゃ馬なところはあるが、前向きで流されることなくしっかりと自分の足で歩いている紅葉から目が離せなくなったのはいつだっただろう。

 いや、最初から目が離せなかったのかもしれない。

 備中国を偵察していた時から、彼女だけが棗芽の存在に勘づいていた。

 いつ姿を見られてもおかしくないほどに感覚の鋭いひとだった。

 半分遊び心もあって、どこまで近づけば正体がばれてしまうのか試すようなことをしたこともあった。

 だから彼女があの夜、突然邸から身を隠すように出て行ったのを見過ごすことはできなかった。

 まして後を追う男たちが現れたのを見た時には勝手に体が紅葉の後を追っていた。

 もうその時にはすでに彼女に心を囚われていたのだろう。

 我ながら人並みな感情を持ち得たものだと棗芽は苦笑したのだった。

 深夜の静寂の中、少しずつ集落に近づいていく。

 川に落ちそうになったことをよほど気に病んでいるのか繋いだ手の先にいる紅葉は、あれからすっかり大人しくなってしまった。

 棗芽が振り向くと視線を逸らして歩く紅葉が目に入る。

 手を繋がれていることがそんなに嫌なのだろうか。

 しかしここから先、どこに危険が潜んでいるかわからない。

 棗芽は紅葉がどう思っていようと、この手を離すつもりはなかった。

「あの集落の中に空き家があるか確認しましょう。空いているところがあれば明るくなるまで休ませてもらうとしませんか」

「そんな……輪廻の華を追っているあたしたちに休んでる暇なんてないんじゃないの?」

 紅葉はそんな不満をぶつけてきたが棗芽はまったく取り合わなかった。

「急がば回れ、と言うでしょう? 闇夜の中をやみくもに行くよりは明るくなってから動いた方が効率がいい」

 そう言ってふたりが集落に近づいていくと日付も変わろうかという深夜にも関わらず、長いひげを生やして腰の曲がった翁が暗闇から現れた。

 それはまさに集落の入口とも言える1軒の家の前でのことだった。

 こんな時分に一体何をしているのだろう。

 まるでふたりが現れることを知っていたかのようである。

 危ぶみながらも棗芽は近づいて声をかけた。

「夜分に申し訳ありませんが、この辺りに休ませていただける場所はありませんか」

 すると翁の後ろからわらわらと数人の男が現れた。

 年齢はばらばらだが、みなどうやらこの集落の住人らしい。

「……こんな夜中にどうなさいました、旅のお人よ」

 それはこちらが訊きたい。

 そう思いながらも棗芽は素直に答えた。

「道に迷いまして」

 紅葉が奇妙な視線を送ってきていることに気がついていたが棗芽はそのまま続けた。

「山陽道を歩いていたつもりが、いつの間にか外れていたようで……おまけに狼にも狙われまして、何とか逃げ延びたところにこちらの集落を発見したのです。正直、走り疲れてくたくたなのですぐにでも休みたいところなのですよ」

「…………」

 翁だけでなく後ろに控える男たちも怪訝な視線を棗芽に向けた。

「……見たところ背中に大物を背負っていらっしゃるようじゃ。狼など簡単に退けられるのではありませぬかな」

「私ひとりならそうなのですがね」

 棗芽は隣に立つ紅葉に目配せした。

 彼女は状況を呑み込めずに混乱した顔をしていたが、事情は後で説明すればいいことだ。

 大事なのは今目の前にいる人物の不信感を解き、一夜の屋根を手に入れることである。

「ほう……そちらの女子は?」

「ああ、このひとは——」

 棗芽は紅葉と繋いだ手をわざとらしく男たちの前に主張して見せた。

「私の妻です」

 そんな棗芽の嘘八百に紅葉が過剰に反応したのは言うまでもない。

 今にも全否定しそうな勢いである。

 だが変に反論されては余計に話がこじれてしまうと考えた棗芽はさらなる暴挙に出た。

 妻を溺愛している演出をするためにまずは紅葉のこめかみに口づけた。

 彼女が顔を赤らめて硬直している隙にぎゅっと自分の胸に抱き込み、顔をうずめさせて口を封じたのだった。

「このとおり可愛くてしかたなくてね。彼女には血なまぐさいものを見せたくなかったから獣からは逃れるしかなかった。恥ずかしながら、親に許してもらえず駆け落ちしてきた身なので、何とか西に逃れたいと思っています」

 そう言って棗芽は金子きんすの入った袋を懐から出し、じゃらじゃらと鳴らして見せた。

 謝礼は払う、そう伝えたかったのである。

 すべてが嘘であるにも関わらず、自信満々に言う棗芽にそれまで訝しんでいた男たちもひそひそと話し合った後、答えを出した。

「わかりました、旅のお人。空き家がひとつありますのでそちらに案内しましょう。ただ、先日の長雨で多少傷んでいますがよろしいかの」

「ええ、もちろん。屋根があって人目を避けられれば十分です。ところで——」

「何でしょう」

「できれば馬をお借りできると助かりのですが……夜が明ければ先を急ぎたいものですから」

「……残念ながら馬はおりません。先日の長雨で流されてしまいましてな」

「そうですか。それは残念です」

「ではこちらへ」

 棗芽はちらつかせた袋からひと掴み金子きんすを翁に手渡すと大人しく案内の男に従った。

 案内の男は集落の1番奥にある家へとふたりを案内した。

 頭から湯気が噴き出るのではないかと思うほど不機嫌なさまを隠そうともしない紅葉をちらちらと見ながら、男は何度も首を傾げていた。

 状況を理解し、とりあえず口を噤んでくれている紅葉に棗芽は胸を撫で下ろしたが自然と苦笑いが漏れたのだった。

 少し歩くと奥の方に馬小屋のようなものが見える。

 屋根があるだけの簡易的なものだが、馬は見えない。

 やはり男たちが言うように流されてしまったのだろうか。

 不審に思いながらも棗芽は男の後に続いた。

 案内されふたりが目にしたのは茅葺き屋根の古い民家だった。

 玄関の戸は若干歪んでおり、閉まっているとは言い難いほど隙間が空いている。

 男は乱暴に玄関の引き戸を開けながら言った。

「この間の長雨の時に近くの川が氾濫してこの辺り一帯は水に浸かったんだ。水田から泥が溢れ出てこの家も土間までは泥が入って来た。人の手を借りて泥は掻き出したが、完全じゃないだろうからまだ土間は湿っぽいかもな」

 中に入るとそこはそれまで誰かが使っていた形跡があちこちに残っているような生活感のある空間だった。

 広い土間に農機具が散乱し、居間に至っては衣類や布団、雑貨が散乱している。

 部屋は居間のひと部屋しかないようで、中央に囲炉裏はあるが窓はなく、家具も奥に置かれているつづらひとつのようだった。

「ここの家主は出かけているのですか」

「……いや、死んだよ」

「死んだ?」

「ああ。この間の長雨の時に川の様子を見に行くと言って、みんなが止めるのも聞かずに結局川に流されたんだ」

「ああ、なるほど……」

「ところであんたたち、本当に夫婦なのか?」

「……はい?」

 男は斜め下から見るような視線を棗芽に向けた。

 金銭を受け取ったからには追い出されることはないだろうが、確かに夜中に女連れで現れる武士など関わりたくはないだろう。

 ここは何としても最後まで嘘をつきとおすしかない。

「何か怪しいんだよな、あんたたち。言っとくけど俺たちに危害を加えようとしてるなら——」

 棗芽は男が言い終えるのを待たずして隣で仏頂面をしている紅葉を抱き上げた。

「——きゃっ」

 驚いた紅葉が反射的に棗芽の首に抱きついたのを見た男は目を見張った。

「こう見えても夫婦仲はよいのですよ。妻は時々、機嫌が悪くなることがありましてね。でもほら、こうすれば機嫌も直るのでご心配なく。明るくなったらご迷惑にならないようにここを去りますので、ひと晩お世話になります」

 紅葉を抱えたまま頭を下げる棗芽に男は渋々納得して去っていった。

 男の姿が見えなくなったのを確認し紅葉を土間に下ろすと棗芽は思い切り引き戸を閉じた。

 建付けの悪い戸は棗芽の力でも完全には閉まらなかった。

 彼は何ごともなかったかのように履物を脱いで居間に上がると背中の太刀を下ろして壁に立て掛け、自らもその隣に腰を下ろす。

「ふぅ。何とか切り抜けましたね」

 土間に立ち尽くす紅葉にふと視線を送ると、彼女は肩をわなわなと震わせていた。

 すると間もなく乱暴に草履を脱ぎ捨てた紅葉が大きな足音を立てて棗芽に襲い掛かった。

 胡坐を掻く膝の上に踏み込み、胸倉を掴むと勢いよく顔を寄せて叫ぶ。

「ど、ど、ど」

「どどど?」

「ど、ど、どういうことよ!?」

「何がですか」

「しらばっくれないでっ! あ、あたしがあなたの何ですって!?」

「ああ、『妻』と紹介したことですか。あれは成り行きで仕方がなかったのですよ。あの人たちは私たちを疑っていたようですし、少しでも不自然じゃない名乗り方をしないと——」

「妻のどこが不自然じゃないのよ! 先刻さっきの人だって十分疑ってたでしょうがっ。それに狼に襲われただの、駆け落ちしてきただの嘘ばっかりじゃない」

「嘘も方便と言うじゃありませんか。何をそんなに怒っているのですか」

「し、しかもあ、あたしのこめかみにく、口づけして……!」

 暗くても顔が赤面しているであろうことは容易に想像がつく。

 そんな紅葉を棗芽はかわいいと思ってしまった。

 戦場で対峙する相手にさえ胸倉を掴ませるようなことはないのに、それを紅葉に容易にさせてしまうほどに隙があるのは、彼女に内なる自分のすべてを見せてもいいと思っているからなのかもしれない。

(……これは相当重症かもしれない)

 内心、そんなことを思いながら棗芽は紅葉の頬に手を当てると意地悪く言った。

「こめかみじゃなければいいのですか」

 こんなことを訊けば紅葉を困らせることはわかっていたが、からかわずにはいられなかった。

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