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第1話 西へ向かうふたり

 野生動物すら寝静まっているような真夜中に、地面を蹴る蹄の音だけが響く。

 馬はふたりの男女を乗せ、山陽道を西に向かっていた。

 手綱を掴む男は備中国びっちゅうのくにで最も有力な武家である妹尾せのお家の嫡子——妹尾敦盛せのおあつもり

 敦盛が抱きかかえながら乗せているのは輪廻の華という二つ名を持った九条百合くじょうゆり

 風を切り、何かから逃れるように速度を上げる彼らはどう見ても愛の逃避行には見えない。

 なぜなら百合は敦盛によって首の後ろに手刀を打ち込まれて気を失っていたからである。

 手荒な真似をするつもりはなかったが、敦盛は追手が来ることを恐れていた。

 とにかく何としても無事に彼女を邸まで連れて行かなければならない。

 なぜこんなことになったのだろう。

 敦盛はまったく現実味のない中で馬の鞍に意識のない百合を乗せ、備中国びっちゅうのくにへ向かっていた。

 百合——。

 その名が聞こえてきた時、妹尾敦盛はすぐに彼女が輪廻の華なのだと理解した。

 輪廻の華とは奥州が殲滅された戦場でそう呼ばれるようになった藤原氏の忘れ形見。

 名を百合ということは知っていた。

 亡き土御門皐英つちみかどこうえいが追っていた輪廻の華は顔こそわからなかったが、その身の上や居所は常に備中へ知らされていた。

 そして山吹やまぶきや風雅の君がもたらした報告によれば九条家嫡子である九条月華くじょうつきはなの妻となって容易には手に入らなくなったと耳にしていた。

 月華は何年もの間、行方不明とされ九条家によってその存在をひた隠しにされていたが、輪廻の華が紅蓮寺ぐれんじに匿われていることを皐英が突き止めた折に姿を現したという。

 三公に呼び出され輪廻の華を追うように指示された山吹は、九条家から連れ出すのは不可能だと言った。

 それでも邸を叩き出された山吹が追っていたはずの彼女が、何の因果か今自分の手の中にある。

 敦盛が妹尾家の邸を出たのは昨日のことだった。

 邸の中から風雅の君が忽然と姿を消し、三公と呼ばれる妹尾菱盛せのおひしもり御形ごぎょう橘萩尾たちばなはぎおから風雅の君を取り戻すよう強く命じられた。

 長雨が続いたせいで、あちこちで土砂崩れや川の氾濫が起こっており足止めを食らいながらやっとの思いで国を抜けたのが数刻前のことだった。

 それにしても……今夜あの道端に集まった連中は一体何だったのだろう。

 敦盛は馬を走らせながらも出くわしたひとりひとりを思い浮かべた。

 最初に遇ったのは紅蓮寺へ逃れたはずの紅葉くれはだった。

 いつもと様子が違うように見えたのは年頃の女子のような恰好をしていたせいだろう。

 あまりにもいつもと雰囲気が違っていて一瞬気がつかなかった。

 そして何より謎だったのは、めっぽう強い剃髪した男——雪柊せっしゅうと呼ばれていた者と一緒にいたことだ。

 雪柊は急所を狙う独特の武術を使っていて、悔しいが完敗だった。

 あと少しで雪柊の息の根を止められそうだったところへ突然現れた三つ編みの男は何者なのだろうか。

 身のこなしから腕の立つ相手であることは十分わかったが、なぜか抜いた太刀で反撃してくることはなかった。

 紅葉とも顔見知りのようだったが、何者なのかの検討はつかない。

 そして後方の草むらから輪廻の華が現れたかと思うと山吹までその場に現れ、さらに九条月華が突然現れたかと思うと山吹に襲いかかった。

 考えてみれば山吹は三公に命じられて輪廻の華を追っていたのだから、あそこに集まっていたのは偶然ではないのかもしれない。

 輪廻の華を捕まえた山吹が備中へ向かおうとして、それを追って妻を取り戻そうとした月華と対峙することになった。

 それは十分にあり得るが……そこへ紅葉と雪柊、三つ編みの男が絡んできたことが敦盛にはまったく理解できなかった。

 だがいずれにしても最も必要としていた輪廻の華を手に入れたのだ。

 早く邸へ帰るより他に考える必要はない。

 備中を出た本来の目的は風雅の君を取り戻すことであったが、輪廻の華を送り届けてからでも遅くはないだろう。

 敦盛は馬の腹を蹴り、速度を上げた。

 まずは先に寄っておかなければならないところがある。

 少し走ったところで山陽道を外れ、敦盛はひとつの集落に向かった。

 そこは5軒ほどの茅葺き屋根の家が連なる農家の集落で、東へ向かう途中で土砂にまみれて困っていたところを手助けした場所だった。

 敦盛は意識のない百合を馬の背に乗せたまま降りるとその足で1軒の家の戸を叩いた。

 深夜の訪問はさぞ迷惑なことだろうが、ほどなくして現れた老人は訪問者に目を丸くしていた。

 腰の曲がった老人は家の外に出ると声を潜めて言った。

「あ、あなた様は……」

「こんな夜分に戸を叩いてすまぬな」

 言葉のとおりすまなそうに眉尻を下げる敦盛に老人は慌てて首を振った。

「いいえっ、何をおっしゃいますか。あなた様が土砂の掻き出しを手伝ってくださったおかげで日が暮れる前に作業を終えられたのです。感謝してもしきれません」

「それほどたいそうなことはしていない。ところで老人、ひとつ頼みたいことがあるのだが、頼まれてくれるか」

「私にできることならば何でもいたしましょう。他ならぬ恩人のおっしゃることならば」

「そう言ってもらえると助かる」

「それで、私めは何をすればよろしいのでしょうか」

「ここへ寄るかどうかはわからぬが、西へ向かうという何者かがここを訪ねてくるかもしれぬ。もしここへ立ち寄ったならば少し足止めしてもらいたいのだ」

「足止め、ですか。ですがどうすればいいのやら……」

「すぐに追って来なければ何でもいい。空き家があるのなら休ませてもよいし、移動手段を所望してきたら断ってもらいたいのだ」

 敦盛と老人が声を潜めて話していると、どこからか声を聞きつけたひとりの男がふたりの元に現れた。

 敦盛よりも少し年下に見える男は老人の横に並んだ。

 ふたりの話を改めて聞き、血気盛んな男は腕を組みながら言った。

「お武家さんを追ってくる奴がいるかもしれないってことですかい?」

「ああ、可能性がないわけではない。この辺りで人里があるのはここくらいだからな」

「まあ、こんなところへ立ち寄りながら西へ行くなんて奴、そうそういませんからね。てことはおれたちのところへ寄ろうとする奴らはみんなお武家さんを追ってるかもしれねぇってことだ」

 男は首をひねって低く唸っていたがそのうちに閃いたとばかりに顔を明るくした。

「そうだ、いい方法がある」

「なんだお前、何か思いついたことであるのあるのか」

 老人は男に訊ねた。

「へぇ。一石二鳥になるかもしれねぇですぜ」

 男は閃いた案を揚々と老人と敦盛に語ったのだった。



 立ち寄った集落を後にした敦盛は再び備中へ向けて馬を走らせた。

 しばらく馬を走らせていると、意識を取り戻した百合がぽつりと呟いた。

「あなたは……誰?」

 うっすらと目を開いた百合を見下ろす。

 少しずつ意識がはっきりとしてきた様子の百合は敦盛が声をかける間もなく叫んだ。

「あなたは誰ですか!?」

 できれば国へ着くまで意識を失っていてもらいたかったが、気がついてしまったのなら仕方がない。

 敦盛は百合の問いには答えずに馬の腹を蹴り、速度を上げた。

 すると途端に百合が騒がしくなった。

「私をどこへ連れて行くつもりですかっ」

 百合は馬から振り落とされないよう敦盛の腕にしがみつきながら叫んでいた。

「悪いがある方たちがそなたを必要としているから備中国まで一緒に来てもらう」

「備中!? なぜそんなところまで……」

「そなたは輪廻の華なのだろう? その異能を必要としている方たちがいるのだ。私はそなたに手を出さないと誓う。だから頼むから黙って一緒に来てはくれまいか」

「…………」

 百合は下唇を噛みながら俯いた。

 それは無理もないことである。

 突然現れた見知らぬ男に、見知らぬ土地へ連れて行かれるのだ。

 到底受け入れられるはずはない。

 だがどこか落ち着いた様子で百合はそれ以上、暴れるようなことはなかった。

「……また戦を始めるのですか」

「…………?」

 消え入るような百合の声がよく聞き取れず訊き返そうとした時、彼女は敦盛を見上げた。

 強い意志のある眼差しに敦盛は返す言葉を失ってしまった。

 運命を受け入れているのか、それとも抗おうとしているのか。

 どちらとも取れる眼差しだった。

「戦場ではたくさんの想いが交錯しています。洗脳されて人を殺すことに邁進する高揚感、すべてを失ってしまった喪失感、死と隣り合わせの恐怖感……たくさんの負の感情が渦巻く地獄のようなところです。またあのような場を作ろうとしているのですか」

「確かに倒幕のための兵力を集めるつもりではあるだろうが、必ずしも戦いが始まるとは限らぬ」

「では私に何をさせたいのですか」

「私にはわからぬ」

 それは偽りのない敦盛の答えだった。

 執拗に輪廻の華を欲しているのは三公であって自分ではない。

 三公に名を連ねる父の考えでさえわからないのに、他のふたりが考えていることなどわかるはずもなかった。

 特に御形ごぎょうの輪廻の華に対する執着は異常なものである。

 倒幕を望んでいるのは父である菱盛だということはわかっているが、呪術使いである御形が倒幕を目論んでいるとは到底思えないから、目的は別のところにあるのだろう。

 また橘萩尾たちばなはぎおが輪廻の華を欲している理由も想像ができない。

 もしかしたら萩尾自身は何にも関心がなく、ただ菱盛と御形に従っているだけなのかもしれない。

 いろいろと考えているうちに、敦盛は百合のことを気の毒に感じるようになっていた。

 必要としているのは異能であり、百合に異能を使わせるためには彼女の命を危険に晒すようなことはないだろうが、備中へ連れて行くということは彼女の自由をこの先ずっと奪うことになるのである。

 その引き金を引いていると思うと、妙に気が引ける。

 百合に視線を移すと俯いている。

 少し震えているようにも見える。

 その震えは恐怖なのか、怒りなのか。

 夏の夜とはいえ気温が下がってきた上に風を切るような速さで馬を走らせているのだから単純に寒いのかもしれない。

 敦盛は馬を走らせながら、百合に声をかけた。

「……百合殿、寒いのか?」

「…………」

 返事はない。

 不審に思って馬の速度を少し落としてから百合の顔を覗き込む。

 百合は目を閉じて肩で息をしていた。

「どこか具合でも悪いのか?」

 そう言いながら敦盛が百合の首に手を当てるとほんのりと熱を持っていた。

 月のない夜の星明かりだけでは、彼女の顔色は窺うことができない。

 しかし見るからに具合が良さそうには見えなかった。

「そなた、大丈夫か!?」

 馬の足を止め、敦盛は百合の肩を揺すった。

 だが、百合がその問いに答えることはなかった。

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