1話
働きたくない。
マジで、心の底から、働きたくない。
これが俺――相馬悠真、二十歳・実家暮らし・職歴なし・ニート歴更新中の、
誰にも負けない固い信念だ。
「悠真!!また昼まで寝てるの!?いい加減にしなさい!!」
リビングから響く母親の怒号も、今やただの生活音。
俺は、ぬくぬくとした布団の中で目を開けることすら拒否していた。
部屋の中は、もはや風格すら漂うカオス。
散乱した漫画本、洗ってないペットボトルの墓場、壁際で埃をかぶったゲーミングPC。
唯一の住人である俺は、布団という名の王座に君臨し、
スマホ片手に世界を見下ろしている。
「働け? 外に出ろ? ……いや、無理だろ常識的に考えて」
ひとりごちた声が布団の中にこもる。
だいたい、何が悲しくて、わざわざ理不尽な社会に出なきゃならないんだ。
ニュースじゃ毎日ブラックだの過労死だの、笑えない話ばっかりだってのに。
そんな地獄に飛び込むくらいなら、
俺はここで、世界一平和な布団王国を守る方がよっぽど有意義だ。
親には毎日のように言われた。
「いい加減にしなさい!」
「恥ずかしいと思わないの!?」
「働いて一人前でしょ!」
俺は答えた。
「俺は俺だ。クズで何が悪い。
むしろこの社会に適応できない俺の方が、正しい」
中学のとき、教師に言われた。
「もっと将来のこと考えろ」
笑わせるな。
未来がどうこう以前に、今が地獄だったんだよ。
高校では、バイト面接で落とされまくった。
「コミュ力が足りない」
「元気がない」
「やる気が感じられない」
うるせぇ。
やる気なんか生まれつき持ってねぇんだよ。
大学?一応入ったけど、半年で辞めた。
なんでかって?
寝坊して単位落としたからさ。
笑えよ。
俺も笑ってるから。
そんな俺が、今こうして生きている。
それが奇跡だと思わないか?
「今日も自宅警備異常なし……」
そう呟きながら、スマホをポチポチする。
SNSはどこも誰かが喧嘩していて、ニュースは不祥事と事故ばかり。
「くだらねぇ……」
ふぁ〜と大あくび。
誰かが必死に働いている間、俺はこうしてぬくぬくと生きている。
これ以上の勝ち組がいるか?
「やっぱ、働いたら負けだよな……」
布団のぬくもりに包まれながら、うっとりする。
そんな時だった。
ピコン。
スマホから、やたら耳障りな電子音が鳴った。
「……あぁ?」
ダルそうに顔だけ出して、スマホ画面を覗く。
そこには、明らかに見慣れないポップアップが浮かんでいた。
《【祝】異世界ライフサポートキャンペーンに当選しました!
あなたの新しい人生が今始まります!》
「は?」
声に出るくらいには驚いた。
異世界?
新手の詐欺広告か?
こんなの俺でも引っかかんないぞ。くだらない。
即座に画面を閉じようとする。
が、閉じられない。
タップしても、スワイプしても、電源ボタンを押しても反応しない。
「……おい、嘘だろ」
布団をかぶりなおして、スマホを枕の下に押し込む。
なかったことにしよう。寝れば全てリセットだ。
目を閉じた。
……が。
次の瞬間、
部屋ごと、視界ごと、世界が白く弾けた。
意識が、ふわりと浮かぶ。
いや、違う。
落ちてる、これ。
重力を失ったような感覚に、思わず手足をバタつかせた。
「うおおおお!?な、なんだこれ!!」
でも、手応えなんてない。
ただ、ひたすら真っ白な空間に、俺の体は放り出されていた。
どこを見ても、何もない。
床も壁も、天井もない。
ただただ、無限に続くホワイトアウト。
……完全に、現実逃避できる環境ではなかった。
「おーい、起きてるかー?」
そんな、間抜けな声が上から降ってきた。
見上げると、ラフなシャツにジーンズ、
コンビニ帰りみたいな気だるい雰囲気の男が、手を振っていた。
年齢は二十代後半くらい。
見た目は普通。
でも、存在感だけはバチバチに異常だった。
「……誰?」
警戒しながら聞くと、男は飴玉を取り出して口に放り込む。
「ま、ざっくり言うと神様。めんどくさい話抜きで言うと、君、異世界行きね」
「…………」
なにこの雑な対応。
航空会社だってもう少し丁寧だぞ。
「いや、ちょ、待て。誰が行くって決めたよ」
「決めたのは僕だよ。君、働く気ないでしょ?
それなら、向こうで楽しく暮らした方がいいよ、絶対」
勝手に診断すんな。
俺の何を知ってるんだこいつは。
「俺、別に今の生活で満足してるんだけど」
「満足してるヤツが、毎晩『働きたくねぇ……』って呪詛みたいに唱えるか?」
ぐぅ。
なんも言い返せねぇ。
「というわけで、異世界行き決定〜!」
神様(仮)はノリノリで手を叩く。
「いやいやいや、だから!」
「まぁまぁ。そう焦らさんな。
ちなみに、君にぴったりのスキルもつけといたから」
そう言うと、
神様は飴玉を口の中でカラカラ鳴らしながら、
指をパチンと鳴らした。
「拠点強化スキル。
簡単に言うと、君が住んでる場所が、最強に防御力上がるやつ。
あと、超物理無効。寝てても死なない。素敵だろ?」
「…………」
……確かに、寝てても生きられるのは魅力だ。
だが、こんな一方的なやり方、許されるのか?
「どうしても嫌だって言うなら……」
神様は、すごく残念そうな顔をした。
「今からリセットして、ニート卒業して就職活動がんばってもらうけど」
「異世界いきます!!!!」
土下座寸前の勢いで即答した。
働くくらいなら、死んだ方がマシだ。
異世界だろうが、魔界だろうが、布団と飯があれば俺は生きていける。
「うんうん、素直でよろしい」
神様はにっこり微笑むと、手をひらひらと振った。
「それじゃ、楽しんできてね〜。ぐっすり寝られるように祈ってるよ〜」
「いや、ちょ、心の準備――」
俺の抗議の声は、
再び視界を埋め尽くした光にかき消された。
* * *
ドンッ!!
ものすごい勢いで、顔面から地面に激突する。
「……いてぇぇぇ……!!」
痛みに呻きながら、よろよろと上半身を起こす。
そこに広がっていたのは――
圧倒的な、自然の世界だった。
一面の草原。
どこまでも続く、青々とした大地。
澄み切った空。
高く浮かぶ、ふわふわの雲。
風が、頬をなでる。
土と草の匂いが、鼻腔をくすぐる。
「……マジかよ」
思わず、息を呑んだ。
これは、現実か?
本当に異世界なのか?
だが、
次の瞬間、視界の端に、異様な存在が映った。
ぽつん、と。
草原のど真ん中に、
小汚いボロ小屋が、申し訳なさそうに建っていた。
その小屋は、見事なまでにボロかった。
壁はところどころ剥がれ、
屋根は穴だらけ、
ドアなんて、かろうじて蝶番でぶら下がってるだけ。
まるで、世界から忘れ去られたような存在。
……だが、俺にはわかった。
あれが、俺の聖域だと。
「……完璧だ」
思わずつぶやいていた。
人っ子一人いない。
誰にも邪魔されない。
クソみたいな社会も、気遣いも、義務も、ここには存在しない。
ここで、誰にも気兼ねせず、
好きなだけ寝て、食って、ゴロゴロする。
最高の未来が、すぐそこにある。
俺は、吸い寄せられるように小屋へと向かった。
ギィィィ……
古びたドアを押すと、悲鳴のような音を立てて開く。
中は――まあ、予想通りの荒れっぷりだった。
床はボロボロで、ところどころ穴が開いている。
壁はひび割れ、天井からは乾いた埃が舞っていた。
それでも、だ。
ベッドらしきものが、そこにあった。
クッション性ゼロの、朽ちかけたマットレス。
けれど、今の俺には、
それが天国への入り口にしか見えなかった。
「……っしゃあ!!」
即ダイブ。
ふかふかでもなければ、寝心地も最悪だ。
背中がゴリゴリするし、埃で鼻がムズムズする。
それでも、
全身を包むこの”俺だけの空間”の安心感は、何物にも代え難い。
「……これが、俺の城か」
大の字になりながら、天井の穴から見える青空を見上げる。
働かない。
戦わない。
努力しない。
ただ、生きる。
この場所で。
それこそが、俺にとっての正義だ。
その時だった。
視界の隅に、淡く光るウィンドウが浮かび上がった。
《拠点強化スキル・初期設定完了》
《現在の拠点状態:
・物理攻撃無効
・自動修復機能(Lv1)
・警備モード起動準備中》
「……マジか」
神様が言ってたスキル。
ちゃんと機能してるらしい。
しかも、【物理攻撃無効】ってなんだよ。
世界中が敵になっても、この小屋だけは絶対守れるってことか?
「……ヤバ……最高すぎるだろ……」
思わず笑みがこぼれる。
働かない。
戦わない。
けど、最強。
これ以上、完璧な生き方があるか?
「っは〜……」
大きなため息と一緒に、身体の力を抜く。
ゴロリと寝返りを打つと、ボロベッドがギシギシと音を立てた。
風が、開け放たれたドアから吹き込んでくる。
乾いた土と草の匂いが、心地よい。
どこまでも自由で、
どこまでも孤独で、
どこまでも俺のためだけに存在する世界。
「……今日から俺は、異世界自宅警備員だ」
誰に向かって言うでもなく、
俺は、ふっと笑って目を閉じた。
こうして、
相馬悠真、
異世界でのぐーたら生活が、今、始まった――