机のにおい
この作品はフィクションです。実在の個人、団体、作者の性癖とはいっさい関係ありません。
自己紹介をしよう。
僕の名前は石動太郎。高校1年生だ。
高校生活にはいくつか避けては通れないものがある。
その一つが席替えだ。
誰の隣になるかによって勉強する気が左右されたり、最悪グレる原因にもなるらしい。
そんな恐ろしいイベントだ。断固廃止を訴えたい。
そんなことを考えていたからだろう。
夏季休業明けの最初のHRの時間に行われた席替えで、僕の席はこのクラスで一番の美少女の隣になった。
城端桜子さん。
長い黒髪はサラサラと風になびき、切れ長の眼はたっぷりとした長い睫毛に彩られている。その名のとおりの桜色の唇からは鈴を転がすような声が生まれ、夏の制服は彼女の魅力的な体の線を隠せない。あと、なんかいい匂いがする。
そんな彼女の隣になった僕には一つ困ったことがある。
彼女は容姿端麗なだけではない。性格もいいし社交性もある。とくれば、彼女の周りに人が集まらないわけがない。
でも、僕はその輪には入れない。あの賑やかな空気が僕は苦手だ。
だから僕は、彼女ら彼らが集まりそうな時間になると、それとなく席を外していた。
そんなある日。
僕は読みを間違えた。
昼休憩の終わりごろ、僕が教室に入ると、城端さんの席の周りにはまだ数人の男女が談笑していたのだ。
だけど、ここで回れ右をして教室を出るのはよくない。変に目立ってしまう。
僕はそちらに視線を向けないようにゆっくりと足を進める。その間に僕に気づいてくれて解散してくれればベストだ。
「あ、石動くんが来たよ。ほら、柚。どいてあげなきゃ」
城端さんの声がして、人が動く音がした。そこでようやく僕は自分の席に目をやることができた。女子が2人、男子も2人。いつものメンバーが「また後でね」とか言いながら離れていくところだった。
僕が席に着くと、隣から「ごめんね」と小さな声がした。城端さんは僕が気を遣って席をはずしていることを察しているらしい。
僕も「あ、うん。ありがと」と呟くように返す。
ところで、まだ教室の中が騒がしい。チラッと壁の時計を見やると、始業までまだ少し時間があった。どうやら僕が戻ってくるタイミングが早かったようだ。
どうやって始業までの時間を潰すか。
僕は数ある選択肢の中から寝たふりを選ぶことにした。
机の上で腕を緩く組み、それに額を乗せるようにして顔を伏せる。ほら完成だ。後はこのままじっとチャイムが鳴るのを待てばいい。
その完璧な計画が、ある男子の声によって破られた。
「うっわ、石動のヤツ、柚っちのお尻の匂い嗅いでるぞ!」
さっきまでここにたむろしていた男子の一人、大島くんが一大スクープでも発表するように大きな声を上げた。
たちまち教室がざわつく。
顔を上げてみれば、クラス中の視線が集まってるのがわかる。
でも、僕には彼が何を言ってるのかわからない。
「え、どういうこと?」
僕は素直に疑問を口にした。
「その机、さっきまで柚っちが座ってたんだよ」
僕は記憶を掘り起こしてみた。一瞬見た光景の中では、確かに庄川柚さんが僕の机の上に小ぶりなお尻を乗せて座っていた。
つまり僕は、庄川さんが座っていた机の匂いをかぐことによって、間接的に彼女のお尻の匂いをかいでいたと認識されたわけだ。とんだ変態だ。
これはリアクションに注意が必要だ。慌てて否定しても、よけいに怪しまれるだけだろう。何かナイスなセリフを言わなければ……。
「そっか。どうりでいい匂いがすると思った」
ドン引きだった。
僕はチョイスを間違ってしまったらしい。
庄川さんなんて両手でおしりを押さえて、「キモっ」とまるでイソメでも見るような眼を僕に向けている。いい匂いって褒めてるのに、そんな眼で見なくてもいいと思う。
MBLのスーパースター並みに注目を集めていると、さっきまでここでたむろしていたもう一人の男子の大門くんが、僕にエアマイクを突きつけて芸能リポーターのように迫ってきた。
「石動選手、柚っちのお尻の匂いをかいだそうですが、感想は? どんな匂いでしたか? 一言お願いします!」
今度こそ答えを間違ってはいけない。
「……個人情報なので」
個人情報。これほど完璧に誤魔化せる返しは無いだろう。
「個人情報とか言って、独り占めですか? 自分だけ楽しむつもりですか?」
ダメだった。よく考えれば、これではまるで僕が庄川さんのお尻の匂いを秘匿しているようではないか。
庄川さんが僕からお尻を隠すようにして涙目で睨んでいる。いよいよマズい状況になってきた。
僕が無敵のワードである「ノーコメント」を発動しようと口を開きかけた時、
「ちょっと、やめなさいよ!」
ざわつく教室に城端さんの一喝が響いた。
「石動くんは何も悪いことしてないよ。悪いのは石動くんの机に座っていた柚のほうでしょ」
正論パンチにクラスの誰もが口を噤んだ。
「で、でも、石動、匂いかいでたし」
「石動くんは匂いをかいでたんじゃないの。いつもの寝たふりをしてただけよ」
城端さんは高岡くんの粘りにもスパッと反証してくれる。ありがとう。けど、なぜか心が痛い。
「ほら、柚も大島くんも大門くんも、石動くんに謝って」
城端さんに言われてしかたなくだとは思うが、3人とも素直に僕に謝ってくれた。いや、庄川さんにはまだ変態を見るような眼で警戒されていたので、誤解されたままなのかもしれない。
とりま、これで一件落着。
タイミングよくチャイムがなって、教室はいつもの姿に戻っていった。
それ以来、庄川さんは僕の机の上に座ることはなくなった。
けれど、やはり城端さんの周りにはいつものメンツが集まってくる。その際、庄川さんは僕の机ではなく、椅子に座ることにしたみたいだった。他の席に座ればいいのにと思わなくもないけど。
僕はチャイムが鳴ってから教室に戻って席に着く。
椅子がほんのり熱を伝えてくる。それが庄川さんのお尻の熱だということを、僕は意識しないようにしている。
石動くんの机の上に座ったことを、桜子に叱られてしまった。
まぁ、お行儀がよくないのは確かだし、しかたない。
それ以来、わたしは石動くんの机じゃなくて椅子に座ってる。
変態の石動くんはそれをどう思ってるかな? わたしが座った後に座ってどう感じてるかな?
それを想像してドキドキしてるわたしも変態かもしれない。
そんなことを考えながら、わたしは今日も石動くんの椅子にお尻を乗せている。
開錠したての校舎内に人影は少ない。
ましてや教室は無人だ。
私は自分の席にカバンを置くと、彼の席に歩み寄った。そして、もう一度周りを見て誰もいないことを確認してから、そっと彼の机の上に座る。
心臓がドクンドクンと大きく鳴って、顔が熱くなっていく。
いけないことをしているせいだ。
机に突っ伏して寝たふりをする彼は、知らないで私のお尻の匂いをかぐの。
それを想像するだけで、頭がボーっとしちゃう。
あ、誰か来る。
私は急いで机から降りて、素知らぬ顔で隣の自分の席に座った。
変態しかいない……