第6章 あの「氷の魔女」と?研究してるぅ?!
シェリーとカイの共同研究は順調そのものだった。元々カイに見捨てられた時のために開発していた圧縮機を応用し、氷魔法を使用せずに空気の液化に必要な低温を実現するという課題に取り組みつつ、さらに液化した空気から窒素を抽出し、さらにそれをアンモニアに変換する試み――ハーバーボッシュ法――にも手が届かんとしていた。
「窒素と反応させる水素とやらはどうやって調達する?」
カイの疑問に、シェリーは既に答えを用意していた。
「水の電気分解。錬金術師の十八番でしょ。将来的には魔法でなく電気を使用できたらいいんだけど。」
アンモニアを生成したら、それを酸化し、最終的に硝酸アンモニウムとして農業用肥料にする。カイが長らく探求していた、魔物の糞肥料に代替する農業用肥料の一端が完成しつつあった。
ある日の午後、実験室の扉を叩く音が響いた。シェリーが装置の温度調整に没頭している隣で、カイが顔を上げる。
「誰だ?」
扉を開けたのは、カイの元同僚であり友人のエイドリアン・ブライズだった。
「よっ、カイ!久しぶり!」
エイドリアンは陽気な笑顔を浮かべ、挨拶もそこそこに室内を見回した。そこには、真剣な表情で資料を整理するシェリーの姿があった。
「え……ええええええ!!?」
エイドリアンの驚きの声が実験室に響く。
「カイ、お前、……あの『氷の魔女』との共同研究、結局受けたのか!」
シェリーは冷静に視線を上げ、軽く頭を下げただけだった。しかしその仕草だけでも、軍時代の冷徹で無感情な彼女とのギャップがエイドリアンに衝撃を与えたようだ。
カイはため息をついて、エイドリアンを実験室から引き離し、応接室へと案内した。エイドリアンの話を聞きながらも、時折彼の視線が実験室の方へ向かうのをカイは見逃さなかった。本題が終わると、彼の関心は完全にシェリーの話題へと移った。
「いやー、驚いたよ。お前が人と共同研究してるのも驚きだけど、その相手があの『氷の魔女』ってのがな!」
エイドリアンはおどけた口調で言った。
カイは首を振りながら静かに答える。
「最初は確かに戸惑ったが、今では彼女は必要不可欠な存在だ。これまで氷魔法が研究に活用されていなかったのが不思議なくらいだし、彼女のアイデアは革新的だ。」
エイドリアンは腕を組みながらうなずき、「なるほど」と言った後、茶化すような笑みを浮かべた。
「それで?かわいい子と研究できるっていうのは役得だなあ、お前」
「彼女とはそういう関係ではない…まだな」カイは視線を落とし、小さな声で付け加えた。その言葉を聞いてエイドリアンはニヤニヤしながらカイを肘で軽く突いた。
帰り際、エイドリアンはコートを羽織りながら世間話を始めた。
「そういえば、魔王の側近だった火の魔人バルロス、覚えてる?あいつ、討伐を逃れてどこかで潜伏してるらしいんだよ。」
カイは少し顔をしかめた。
「あいつか。軍は動いてるんだろう?」
「ああ、動いてはいるらしい。でも、奴は氷以外の魔法を完全に無効化するからな。となると、やっぱり氷魔法使いに出番が回るだろうな」
チラリとこちらを見たエイドリアンの言葉に、カイは苛立ちを覚えた。
「シェリーはもう退役しているんだ。断ればいいだろう」
エイドリアンは「まあな」と軽く肩をすくめ、それ以上その話題に触れず屋敷を後にした。
その夜、カイは一人、窓の外を見つめながら考え込んでいた。火の魔人バルロスの再出現。軍がシェリーに接触しない保証はない。あんなに軍役を嫌がっていた彼女が再び戦場に呼び戻されるようなことがあれば、今の彼女を守るために何かできることがあるのか。カイの心には、もやもやとした不安が広がっていた。