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第3章 俺のメリットは?

カイ・フレイムハートは食堂で友人のエイドリアン・ブライズとのんびりと昼食を取っていた。いつも通りの軍用メニューだが、戦時中の非常食に比べればずっとマシだった。エイドリアンが退役後の話を振ってくるのに軽く応答しながら、特に気に留めることもなくスープに手を伸ばす――そのときだった。


「カイ・フレイムハート。」


自分の名前が呼ばれるのを聞き、カイはスプーンを止めた。冷たく響く声の主を見上げると、そこには「氷の魔女」が立っていた。彼女の色の薄い髪と氷のような瞳、華奢な体躯はどこか非現実的で、その名に相応しい存在感を放っている。


「……第3魔法隊の『氷の魔女』、だよな。何か用か。」

カイは眉を上げる。軍役中も彼女の無機質な態度は有名で、任務中以外で誰かと会話している姿などほとんど見たことがなかった。


「話があるの。あなたの研究施設と、あなたの火魔法を使って氷魔法の研究をさせて欲しいの。」

シェリーは周囲を気にする様子もなく静かに言葉を続ける。その声に近くのテーブルの連中が興味津々にこちらを伺っている気配がした。


「......ここじゃ落ち着かないだろう。食事が終わったら談話室で話すぞ。」

カイはそう言うと、周囲の注目から彼女を引き離すべく、話を切り上げた。



食事を終え談話室に向かう途中、エイドリアンはカイの肩を叩きながら、おどけたように言った。

「おいおい、あの『氷の魔女』ことシェリー・フロストちゃんがわざわざお前に声をかけるとはな。何かヤバいことでもしたのか?」


「個人的な面識はない。作戦で組んだことはある...と思う。名前も今知ったくらいだ。」

カイは肩をすくめるが、エイドリアンはニヤニヤしている。


「で、どうするんだ?なんか研究をしたいとか言ってたけど、敵を殺すだけの氷魔法がお前の研究に役に立つとも思えないし、断るのか?」


「話を聞いてみる。面倒な話なら断るし、メリットがあるなら考える。」

そう言い捨てると、カイは談話室の扉を開けた。




カイを待つ間、談話室の中で、シェリーはテーブルの上に紙を広げ、黙々と計算を書き込んでいた。彼が話を聞いてくれると確約したわけではないが、ここで承諾が得られなければ、大きく計画が崩れる。だからこそ、彼にとってのメリットをきちんと示す必要がある。


しばらくして、扉が開く音がした。

「待たせたな。」


カイは無造作に部屋へ入り、テーブルの向かい側に座った。その仕草は飄々としているが、彼女を観察している視線は鋭い。


シェリーは深く息を吸い込み、話を切り出した。

「私も退役が決まった。それで、氷魔法を使った研究を始めたいと思っている。そして、それを実現するためには研究施設と...できたら火魔法が使える人材が必要なの。」


カイはわずかに目を細める。

「具体的には?」


シェリーは紙を示しながら説明を始めた。

「温度差を利用したエネルギーの取り出し、気体の膨張と収縮による動力の活用。さらには空気の成分を分ける分留の技術。それらを実現するには、極低温を正確に作り出す氷魔法と、高温を操る火魔法が必要......なの。」


カイは紙に描かれた式や図を見つめながら黙り込む。その顔には少なからず驚きが浮かんでいる。


「面白い話だ。」

そう呟く彼の声には、興味が隠せていない。しかし、次の瞬間にはその眉が深く顰められた。

「だが、俺にはメリットがない。」


予想していた反応だった。シェリーは表情を崩さずに答える。

「空気の分留を応用すれば、空気中から肥料の原料、窒素と呼ばれる成分を取り出すことができる可能性がある。それは、あなたの研究する農業にも役立つはずよ。」


その言葉にカイはしばらく黙り込む。そして、軽く鼻を鳴らして言った。

「わかった。その話の真偽は分からんが、投資する価値はありそうだ。研究施設の使用については、その都度申請を出してくれれば許可する。お前の研究が軌道に乗り、有用性があると判断したら、そのとき共同研究者になってやる。」


その返事に、シェリーはわずかに目を見開いた。

「本当に…?」


カイは苦笑いを浮かべながら答える。

「お前がどこまでやれるか見ものだと思っただけだ。期待しすぎるな。」


シェリーはそれでも嬉しそうに微笑んだ。その顔を見て、カイは内心で呟く。

(『氷の魔女』......こんな表情をする奴だったのか…)


こうして、奇妙な共同研究の第一歩が踏み出された。




軍を正式に退役したシェリーは、長年住んでいた宿舎の鍵を返却し、小さな荷物を持って新たな地へ向かった。カイ・フレイムハートの地元であり、彼が研究拠点を置いている町だった。軍の殺伐とした空気とは違う穏やかな風景が広がり、どこか懐かしい気持ちを覚える。


町の片隅にある手頃なサイズの家を借りたシェリーは、すぐに一部屋を実験室に改造した。簡素な作りだが、彼女にとっては十分だ。壁際には棚を置き、実験に必要な道具や測定器を並べた。簡易な机の中心には、彼女が今最も熱心に取り組む課題――温度差による空気の膨張と圧縮を利用した簡易エンジンの設計図案がびっしりと書かれた紙束が鎮座していた。


並行してシェリーは温度計を片手に氷魔法の精度を上げる訓練を始めた。目標は少なくとも一桁の有効数字で温度を正確に指定すること。何度も対象を常温にしては再び冷やす作業を繰り返し、試行錯誤の末、ついに安定した結果を出せるようになった。リケジョの性として、熱力学第三法則も確認する。こちらも有効で、氷魔法を持ってしてもどうやっても-273度にはならなかった。エントロピーは0にできないのは、この世界でも共通のようだ。


そして、本格的にシリンジとピストンを利用し、空気の膨張による動力の取り出しを試みる。氷魔法で空気を冷やし収縮させ、常温に接させることで再び膨張させる。手動の簡易スターリング・エンジンが動いたとき、シェリーは思わず小さくガッツポーズをした。


その成果を踏まえ、今度は圧縮機の試作品を作る。圧縮ができれば、カイが不在でも高温を作ることができる。カイに見捨てられた時の、保険だ。圧縮機試作に必要な部品や道具を借りるため、カイに連絡を入れる。




「またお前か。」


研究施設の一角で、申請書を持ってきたシェリーを見たカイは苦笑した。

「こんなに頻繁に申請が来るとは思わなかったが、お前、本当にこれしか頭にないのか?」


シェリーは首を傾げるだけで、特に答えない。カイは手続きを済ませ、施設の使用を許可した。


後日、試作品を組み立てるシェリーを見に行ったカイは、目の前の光景に思わず足を止めた。


「……お前、軍にいた時もこんな顔してたのか?」


無機質で冷淡だと評されていた「氷の魔女」が、今は小柄な体で機械と格闘しながら楽しそうに微笑んでいるように見える。その表情に違和感を覚えながらも、カイは試作品に目を向けた。


「これが氷魔法から動力を取り出す機械か?」

カイはエンジンを覗き込み、興味深そうに質問した。


「そう。常温との温度差でエネルギーを取り出すの。」

シェリーは説明を続けながら、自分の力がただの凍結だけでなく、新しい可能性を秘めていることに興奮を隠せない様子だった。


カイは腕を組み、じっと考え込む。

「熱もエネルギーの一形態で、変換が可能……か。もし高温と常温の温度差を利用できるなら、俺の火魔法も農業機械に応用できるかもしれない。」


シェリーが顔を上げる。

「たとえば、どんな機械?」


「そうだな……農作業で使う灌漑システムや脱穀機の動力源として、この仕組みが使えれば、作業効率が格段に上がるだろう。」


「それは...小型のエンジンで実現できそうだね。」

シェリーは即座に応じ、何かをメモし始めた。


こうして二人は、少しずつ研究のための会話を重ねるようになった。カイはシェリーの科学的な知識に驚かされ、シェリーはカイの実践的な知識と火魔法の応用力に感心していた。それはまるで互いの知識と魔法が噛み合い、新たな可能性を生み出していくかのようだった。


彼らの研究は、まだ始まったばかりだ。しかし、それは確かな手応えを伴い、二人を新しい未来へと導いていくように感じられた。

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