第2章 あなたの力が必要なの
シェリーは宿舎を去るまでに残された数少ない日々を、今後の計画を練りながら送っていた。ありがたいことに退役軍人に支給される恩給は日々の生活を送るのに十分で、地方で慎ましい生活を送ればちょっとした研究資金を捻出することも可能そうであった。
シェリーは食堂の片隅でぼんやりとスープをすすりながら、研究のことを考えていた。隙間なく整列された机や、ほのかに鉄と油の匂いが漂うこの空間も、もうじき彼女にとって過去のものとなる。
「カイは、元通りフレイムハート家の土地に帰って錬金術師としての研究再開するんだろ?」
彼女の意識は急に現在に引き戻された。隣の席から研究という言葉が飛び込んできたからだ。
「そのつもりだ。戦争が終わった今、農業生産の向上は喫緊の課題だ。さらに今後は魔物の糞肥料の供給が滞る。早急に代わりの肥料が必要になるだろう。…果たして国は、そんな基盤のことをどこまで考えているのか。」
抑えたトーンだが、言葉の端々に熱意がこもる。シェリーは、自然とスプーンを止めた。「カイ」と呼ばれたその男のことを思い出そうとする。
確か…岩の魔物を相手にした共同作戦で一度、いや数度顔を合わせたことがあったはずだ。同じ第1旅団、しかし第1魔法隊に所属していて、火魔法を得意としていた男。
その作戦では、氷の冷気と火の熱気を交互に浴びせることで、岩の魔物に熱疲労を起こさせるという戦法が取られていた。火魔法使いが高温を繰り出し、シェリーを含む氷魔法使いがその直後に冷気を叩き込む。この単純な戦術は意外と効果的で、あっさりと成功を収めた記憶がある。
「…錬金術師、農業、そして高温の火魔法。」
シェリーの脳内で、条件が次々とピースのように組み上がる。この世界の錬金術師とは、魔法で金を生み出すのではなく、研究施設をもつ独立した科学者の意味であり、さらに高温を操れる彼は、まさに自分が探し求めていた「都合のいい人」であった。
「……なんとしてでも捕まえないと...。」
彼女はスプーンをテーブルに置き、小さく呟くと、ちらりと隣の席を盗み見る。
そこには、記憶の中の男と寸分違わぬ姿があった。鋭い目つき、しっかりとした体躯、どこか自信を漂わせた佇まい。カイ・フレイムハートその人だった。
シェリーは自分の鼓動が少し速くなるのを感じた。
「声をかけるか、かけないか。」
心の中で深呼吸し、スープの器を軽く引き寄せた。以前の「氷の魔女」だった自分では考えられないことに、研究に対する彼女の情熱は、今のこのチャンスを逃すなと彼女をせき立てていた。
「カイ・フレイムハート。」
立ち上がって彼の方に向かい、その名前を呼ぶと、男が一瞬驚いたようにこちらを向いた。
「…確か第3魔法隊の『氷の魔女』、だよな。何か用か。」
「話があるの。」
シェリーは淡々と、しかしどこか胸の内の熱を込めて答えた。
そしてその一言が、シェリーとカイを、これまでとはまるで違う道へと導くことになるのだった。