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揺れる心  作者: はた 幸
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五話 波の間に咲く花 歳月の宝物

 桜の美しさは、日本人の心に深く根付いている特別な存在です。風に舞い落ちる花びらや満開の桜が彩る景色は、まるで夢の中にいるかのように幻想的で、その光景を目にするたびに心が躍ります。冬の寒さから解放され、新しい生命が息づく季節を迎え、桜が咲くことで未来への希望が膨らむのかもしれません。


 桜はただの花ではなく、私たちにとって再生と希望の象徴です。また、日本文化において平和の象徴でもあります。戦国時代、武士たちが戦を一時休めて桜を愛でたという逸話があるほど、その儚くも美しい姿には、一瞬の輝きに込められた平和への願いが込められています。そんな桜を見つめると、日常の喧騒を忘れ、穏やかな時間に心がほっと和らぐのは、私だけではないかもしれません。


 朝日が地平線の彼方から穏やかに差し込み、薄い霞を通して庭の木々を金色に染めています。その光は、過去の出来事と共に歩んできた道筋を優しく照らし出すようです。微かな風が木々を揺らし、間をすり抜けるたびに、遠くから鳥のさえずりが聞こえてきます。心地よい風の音が、新しい一日の到来を静かに祝福しているかのように感じられます。


 古希を超え、体力は思うようにはいかなくなりましたが、その分、心は静かに広がり、日々の小さな喜びや感謝をより深く感じるようになっています。かつて追い求めていたものとは異なり、今の私を包むのは、柔らかで温かな幸福感です。それは静かな湖面に浮かぶ小舟のように穏やかで、安らぎを与えてくれます。


 窓から見える景色は詩のような優雅さを持ち、一瞬一瞬が心に染みわたります。木漏れ日が地面に柔らかな影を落とし、揺れる木の葉の音が昔の友人との思い出を静かに呼び起こします。かつては競争に明け暮れていた日々を思い返し、今の穏やかな自分との違いに気づく瞬間が、心に温かさをもたらしてくれるのです。


 若いころは、自分の成就や成果に夢中で、他人の幸せや悲しみに気づく余裕がありませんでした。しかし今、他人の人生は美しい小説の一ページのように感じられ、この余裕がもたらす優しさから、他人を受け入れる心が育まれたと実感しています。青春時代も素晴らしかったですが、今は新たな高齢者の世界に対する興奮とワクワク感を持って迎えています。悪魔の囁きが「青春時代に戻してやろうか」と耳打ちしてきても、「ありがとうございます。でも、経験した青春時代よりも、これから始まる未知の世界を楽しみにしています」と優しく断ることができるのです。それだけ、これからの未知なる世界に興味があるのです。


 早朝からジュンは台所に立っています。薄明かりの中、まな板の上でトマトを切る音や、フライパンで焼ける野菜の香りが部屋中に広がり、そんな小さな日常の一コマが心を満たし、翔次郎の目を覚ましました。


 彼女は翔次郎の大好物がふんだんに詰まった弁当を作るため、おにぎりを手で優しく握ります。その手の温もりが伝わるおにぎりは、梅干しの酸味がほんのりと香り、おかずには肉汁が溢れるカリッと揚げられた唐揚げ、色鮮やいいんげんやにんじんのきんぴら、旬の菜の花が華やかに彩ります。それぞれの料理には、彼女の深い思いが込められています。


 ジュンは手作りの弁当にこだわっています。それは、お花見には食事以上の意味があるからです。スーパーのお弁当は便利で手軽ですが、愛情を込めた手作り弁当には特別な思いが詰まっています。それは翔次郎との絆を育むものであり、料理に込められた心遣いや思い出がぎっしり詰まっています。お弁当作りは、ただの食事の準備ではなく、思い出を共有し、心をつなぐ大切な時間でもあるのです。


 さらに手作り弁当にこだわる理由は、これからの残された人生を考えると、年に一度しか見られない桜のもとで、あと何度こうして二人揃って花見ができるのか、桜とともに過ごす時間がどれほど貴重なものかを実感しているからです。老いた二人にとってお花見は特別な行事であり、だからこそ一つ一つの弁当に愛情や願いを込めています。


 ジュンが桜の花を眺めながら、お弁当の詰め方に心を砕く姿は、二人の未来を思い描いているかのようです。「あのお弁当、美味しかったね」と過去の思い出が蘇るだけで心が温かくなり、手作りの弁当でお花見を楽しませたいという気持ちが強くなります。そんな些細な願いが彼女の心の中にありました。


 だからこそ、ジュンは大切なお花見の弁当をスーパーのお弁当ではなく、手作りの弁当でお花見の日を彩りたかったのです。早朝から始める弁当作りは、人生の宝物を作っているような気持ちにさせてくれました。おにぎりに詰める思いやりや、色とりどりのおかずを選ぶ楽しみ。それぞれの料理が、キッチンの明るい日差しの中で生き生きと輝く様子を見ると、明るい希望が宿ります。


 ジュンの愛情が詰まった手作りの弁当で特別な日を共有することで、その美味しさや彩りが心温まる時間を一緒に過ごす喜びに変わります。


 詰められたおかずたちは、未来への可能性を感じさせます。これからの日々が優しくて美しい、まるで花びらのような瞬間で満ちていることを心待ちにし、歳を重ねることで新たな喜びや幸せが待っていると感じています。


 今のジュンからは想像もつかないのですが、彼女は長い間、周囲の目を気にして生きてきました。幸せであることを願い、思いやりを持って日々を過ごしていたものの、何か問題が起きると自分を責めることが常でした。いつも頑張っているのに、自己評価が低く、気にしなくても良いことまで考え、追い詰めてしまうことが多かったのです。


 そんな彼女の人生に、翔次郎という存在が現れました。翔次郎は天真爛漫で、周囲を明るく照らす太陽のような存在。どんな困難が訪れても、それを楽しむ姿勢が、まるで不思議な魔法のようにジュンを惹きつけました。その姿に心を打たれたジュンは、初めて自分の心の奥に眠っていた欲望や夢が目を覚ましたような気がしました。


 翔次郎との出会いをきっかけに、ジュンは少しずつ変わり始めます。彼との結婚は、彼女にとって新しい可能性の扉を開いてくれました。過去の失敗や過ちは、未来を形作る鍵ではないことに気づき、逆境に立ち向かう勇気を手に入れたのです。翔次郎のポジティブな思考とマイペースな姿勢は、ジュンの心に新しい希望の芽を咲かせ、彼女の内面を輝かせていきました。


 彼女は自分の存在に誇りを持ち、他人と比べずに自分を愛する道を歩むようになりました。私たちは寿命に逆らってまで長生きを追い求めるわけではありませんが、私は私らしく、翔次郎は翔次郎らしく、健康には注意を払っています。飲食については本能に任せる部分もありますが、心の健康には気を使い、ストレスの少ない生活を心がけています。


 そんな二人は、自分たち自身の人生を大切にし、医者の知識と自己の感覚を組み合わせながら、より充実した人生を模索しています。


 静かにボンネットバスが進んでいました。町の端から端まで、美しい風景と共に時間が流れていく様子は、古くから続いてきた物語のように感じられます。風が優しく窓ガラスをなぞる音や、エンジンの静かな低音が、周囲の静寂を一層際立たせていました。


 バスの窓から広がる景色は、緑に覆われた農地が美しく広がっています。丘の上には黄金色に輝く麦畑が風に揺れており、その様子は穏やかなリズムを奏でています。遠くには小さな川が蛇行し、太陽の光を受けてキラキラと輝いています。川岸にかかる古びた橋では、釣りを楽しむ人々の姿が静かに広がっています。


 町の中心に近づくにつれて、古い時計台の鐘が鳴り響きます。その音は静かな空気に溶け込み、まるで町の歴史と伝統がその音に宿っているかのようです。道路脇に立つ古びた家々はどれも個性的で、ゆったりとした時間の流れが漂っています。窓際には花々が優雅に咲き、その色とりどりの様子が町にほんのりとした明るさをもたらしています。


 人々の顔には穏やかな表情が広がり、自然と調和した生活の喜びを感じさせます。散歩中に交わす微笑みや、通りで元気に挨拶する地元の商人たち。ここでの時間は、心に静かな安らぎをもたらしてくれるのです。


 この町は、ブッシュクラフトでテントを楽しんでいる最中にジュンと出会った特別な場所です。その瞬間の情景は私の心に深く刻まれており、時間が止まったかのような感覚が広がります。森の中の隠れ家で夕陽が静かに山々に沈み、自然の音楽が鳴り響いていました。涼しい風が香り高い木々を通り抜け、ジュンの微笑みは太陽の光に照らされ、夢の中から抜け出たかのようです。


 歳月が流れ、ブッシュクラフトを楽しむ年月が過ぎ、足腰が弱ってきたせいか、ちょっとしたところまで行くのも交通機関を利用するようになりました。こうして自分でも気づかないうちに、楽な方へと流れていくことが増えています。そればかりでなく、何かを諦めてしまったような気がして、もの寂しい気持ちにもなっています。


 ジュンは違います。ジムに通い、ズンバを楽しむ姿は、まるで躍動する太陽そのものです。鮮やかなスパッツに身を包み、スポーツブラの上から透けるほどの魅惑的な背中。ズンバのリズムに合わせて踊る姿は、若い頃に戻ったかのようで、輝く笑顔には歳を重ねることのないエネルギーが宿っています。「ナイスボディになったでしょ」と言いながら、お尻をぽんぽんと叩いています。彼女の姿勢を見て、私も負けてはいられないと思っていますが、今の私には、躍動的な行動も素晴らしいのですが、同時に、躍動的でない楽しみも大切だと感じています。そんなことを考えながら、色々と模索しています。


 翔次郎の心を躍らせるのは、書物の世界であり、季節の移ろいを感じながら風や鳥のさえずりとの対話であり、自然の美しさに感謝の気持ちを抱く散歩であり、思い出の名曲です。これらに触れて、心からの満足の笑顔が浮かびます。


 先が見えるからでしょうか、外出しようと思った瞬間、その情景が目に浮かびます。ここへ足を運び、美味しい料理を楽しみ、由緒ある場所で歴史を感じ、温泉で極上の懐石料理に酔いしれる。同じコースを歩き、同じ風景を眺めて帰る。「だから行かなくてもいいのではないか」という気持ちも湧き上がって、今日も外に一歩も出ることなくアパートにいてしまいます。


 おそらく感動と感性のセンサーが鈍くなっているのかもしれません。でも体温を感知するセンサーは敏感です。エアコンを切ることはありません。設定温度は二十五度ですので、家で熱中症になる心配はありません。


 今の翔次郎には感性と感動のセンサーの修理が必要です。ジュンという修理屋に頼んだところ、「クルーズ船に乗ろう!」と言ってくれました。不思議なもので、申し込んだ瞬間から感性のセンサーが活発になっています。新たな息吹が吹き込まれたようです。


 未知の世界、新しい出会い、美味しい料理。これらに彼は胸をときめかせています。喜びと感慨が交錯し、涙が溢れてきます。この船旅は心のリセットと成長の旅であり、これから先の人生に向けて新たなエネルギーと希望を注ぎ込む特別な体験です。喜びと感謝の気持ちが溢れるこの船旅は、彼らにとって永遠の宝物となり、時が経っても色褪せることのない思い出の一ページとして、心の中にしっかりと封じ込められるでしょう。


 朝日が海平線からゆっくりと昇り、その鮮やかな光が海面を照らし出す瞬間、心は感動に打たれます。まるで大自然が新しい一日への扉を開いてくれるかのような神秘的な美しさが広がります。


 夕陽は、オレンジと紅のグラデーションが海と空に広がり、その美しさは言葉に表現するのが難しく、ただただ息をのむばかりです。


 船内は豪華で洗練された内装、上質なサービス、船の設備、芸術的なデザインが贅を尽くし、目を楽しませてくれました。まるで夢の中にいるかのような気分になりました。


 乗客たちとの交流も、この船旅の宝物でした。様々な国から来た人々との出会い、彼らの人生模様や背景、夢を共有することで、船旅の魅力が一層深まりました。新たな友人たちとの笑顔や心温まる会話は、心にしっかりと刻まれました。


 料理もまた、この旅の一部として楽しみました。地元の新鮮な食材が使われ、特に海の恵みを存分に活かした料理は、口に運ぶたびに驚きと感動を与えてくれました。目の前で作られるデザートは、その瞬間が特別で、まるで芸術作品を目にしているかのようです。その体験は心に深く刻まれ、感動の記憶として色褪せることはありません。


ジュンは翔次郎の隣でニコニコと楽しそうに笑い、時折彼に目を向けてきました。「この船旅、最高だよね」と言う彼女の笑顔が、彼の心に温かな光を与えてくれます。この特別な時間は、二人の絆を深め、新たな冒険のスタートを告げる瞬間となりました。そんなジュンと翔次郎は、今日も元気に未来を見つめていました。


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