第三話 回転寿司で祝う愛の結婚
冷たい風がふんわりと吹き抜ける冬の夜、ジュンの髪が柔らかく揺れている。雪の結晶が静かに舞い降り、翔次郎とジュンは手をしっかりと握りしめて歩いていた。お互いに滑って転ばないように気を配りながら、自然と心が寄り添っていく。静かな足音が雪に優しく吸い込まれ、二人だけの穏やかな世界が広がっているようだった。
「雪、きれいだね」とジュンが微笑みながらつぶやくと、翔次郎は優しい笑みを返し、星が瞬く夜空を見上げた。星々の輝きが、まるで彼らの未来を祝福しているかのように思えた。
「本当に素敵だよ」と翔次郎が答え、その言葉は二人の心に温かさを運んだ。冷たい空気の中で、ジュンと一緒にいることが、どれほど心強いかを感じていた。
「これからも、一緒にいられるよね?」と、少し不安そうにジュンが尋ねる。翔次郎は彼女の手を優しく握り返し、「もちろん、一緒にいたいよ」と穏やかに答えた。その言葉には、彼女への温かい思いが込められていた。
舞い降りる雪の中で、二人は寄り添いながら静かに歩き続けた。未来への小さな希望を胸に秘め、その足跡は静かに雪に消えていく。彼らの心には、互いを思いやる温かな気持ちが残っていた。
心に灯る情熱と愛を胸に、翔次郎は今夜、ジュンと特別な夕食を共にすることになっていた。実は、彼は一ヶ月前から彼女へのプロポーズのサプライズを練り上げていたのだった。どのようにしてジュンを驚かせ、喜ばせるかを何度も頭の中でシミュレーションしてきたが、最終的に選んだ演出には、彼なりの理由があった。
目隠しをしてシンデレラ城の前で待ち、スーツ姿でサプライズする案は一見ロマンチックだったが、ジュンが驚きすぎてしまうかもしれない。大勢の前でロマンチックにプロポーズする案も考えたが、少し恥ずかしがり屋の彼女には負担になるだろう。翔次郎は悩みに悩んだ。彼女を幸せにするには、どうすればいいのか――その答えは、彼がもっとも大切にしたい「二人だけの特別な瞬間」を演出するというものだった。
そして選んだのは、静かに店内が暗転し、スポットライトが二人を照らし出す瞬間。彼女が少し戸惑う姿さえ愛おしく思える演出だ。二人だけの世界に浸りながら、ジュンに心を込めてプロポーズする、そんな一生に一度の瞬間を思い描きながら、翔次郎はその日を待ちわびていた。
ついにその夜が訪れた。二人はレストランに入り、ロマンチックなキャンドルの灯りがテーブルを優しく照らしている。窓際の席からは美しい夜景が広がり、心地よい音楽が静かに流れていた。翔次郎は赤ワインを傾けながら、ジュンの手をそっと握り、彼女の笑顔を見つめていた。
コース料理が一皿ずつ運ばれるたび、彼の心は次第に高鳴っていく。前菜の美しい盛り付け、スープの香り豊かな味わい、魚料理と肉料理が続く。ジュンもまた、そんな時間を心から楽しんでいた。彼女が微笑むたびに、翔次郎は胸の奥に温かいものが広がっていくのを感じていた。
やがて、デザートのタイミングが近づいた頃、翔次郎はゆっくりと立ち上がった。「少し席を外してくるね」と彼は言い、計画通りに行動を始める。
次の瞬間、店内が静かに暗転し、ゴーストのテーマ曲「ア・アンチェインド・メロディ」が静かに流れ始めた。ジュンは驚いて周囲を見回しながらも、何が起こるのか期待と不安が入り混じった表情を浮かべていた。そんな彼女の表情を見た翔次郎は、改めて決意を固めた。
ピンスポットが二人を包み、周囲の客たちも静かに見守る中、翔次郎はジュンの前にひざまずいた。そして、心を込めて言葉を紡ぎ出す。
「ジュン、君との日々は私にとってかけがえのないもので、これからも一緒に幸せな家庭を築いていきたい。僕と結婚してくれませんか?」
彼の言葉に、ジュンの目には驚きと感動が広がった。彼女は一瞬の静寂の後、微笑みながらエンゲージメントリングを受け取ろうと手を伸ばしたが、次の瞬間、彼女の表情が変わる。
「翔次郎さん、ごめんなさい。あなたは遅すぎたのよ。仕事、仕事って、私だって女よ。いつまでも待っていられるはずがないでしょ。ちょうどいいわ、私の婚約者を紹介するわ。ここにいるから。」
翔次郎は驚愕のあまり言葉を失った。「えっ、えっ、えええ!」と、彼の心の中は真っ白になった。あれほど親しい友人だったはずの彼女が、突然の告白をするなんて、夢を見ているようだった。
周囲にはしらけた空気が漂い、翔次郎のサプライズプロポーズの夢は一瞬で崩れ去っていく。彼が積み上げてきた仕事一筋の努力が、まるで無に帰すように思えた。ジュンの目からは涙が流れ、翔次郎の心は痛みでいっぱいになった。彼の手は、今はもうジュンの温もりを感じることができない。
周囲の人々は困惑し、祝福の拍手は静まり返った。翔次郎は自分の心の中にぽっかりと空いた穴を感じながら、彼女の背中を見送った。彼が思い描いていた未来は、今や遥か彼方に消え去っていた。
翔次郎の心には悔しさと同時に、ジュンの幸せを願う気持ちが交錯していた。黒い背広を着た男性がジュンの隣に立ち、まるで彼女の理想の王子のように見える。背が高く、どの角度から見ても紳士的なその姿は、翔次郎の胸に痛みをもたらした。
翔次郎は、自分の手を差して「これからは、ジュンさんと素晴らしい人生を歩んでください。」その言葉は、彼の心の奥底から湧き上がる思いを抑えつつ、ジュンへの最後の贈り物だった。彼なら、ジュンを幸せにしてくれるだろう。そんな希望を抱きながら、翔次郎は過去を振り返ることなく、レストランを後にしようとした。
その瞬間、背後から響く歓声や祝福の声が、まるで遠い世界の出来事のように流れてきた。翔次郎はその音に耳を傾けると、店内は穏やかな光に包まれ、ゴーストのテーマ曲「ア・アンチェインド・メロディ」が心に柔らかく響いてくる。音楽は、二人を祝福するかのように温かな空気を満たしていた。
「おめでとう!」
「おめでとうございます!」
「社長、幸せになってください!」
「これからはジュンさんを大切にしてくださいね!」
祝福の言葉が店内に響き渡り、特別な瞬間が訪れたかのように感じられました。翔次郎の周りには、彼を支える大勢の社員たちが集まり、皆が笑顔でそれぞれの役割を果たしながら、素敵な時間を共有しています。店の外にも、あふれる思いを持った人々が集まり、心温まる光景が広がっていました。
この特別な瞬間の中で、サプライズプロポーズはまるで夢のように演出されていました。ジュンと翔次郎の愛が祝福され、周りの人々がその瞬間を心から楽しんでいる様子が伝わってきます。観客たちの目は輝き、拍手と温かい言葉が二人を包み込んでいくのです。
その美しい瞬間は、心の中に深く刻まれ、二人にとって忘れられない思い出となりました。翔次郎は、この幸せな瞬間が彼にとって特別な意味を持つことを感じ、ジュンの幸せを心から願いました。
ジュンは五十五歳、翔次郎は六十歳。二人は手を繋いで区役所に向かい、温かな拍手と祝福に迎えられながら婚姻届を提出し、心躍る瞬間を味わっていた。新たな一歩を踏み出した二人の顔には、喜びと期待が満ち溢れている。
「何度思い出しても、あの逆サプライズには驚かされたな。プロポーズを受けてくれるのは当然のことだと思っていたから、自信満々だったのに…まさか断られるなんて。」
ジュンは微笑みながら振り返る。「そのアイデアは、若手のホープが考えたのよ。社員たちがあなたを驚かせようとしてくれたの、愛されている証拠ね。」
「そういえば、あの時のことは今でも鮮明に覚えてるよ。社員たちが私のプロポーズを待っていて、私が真剣に言った瞬間、彼らが一斉に隠れていたのが見えた。みんなが驚く私の顔を見て笑っていたな。」
「それにしても、ジュンの演技も上手かったよ。本当に女優になれるんじゃないか?」
「それはそうと、翔次郎、ごめんね。愛の結晶ができない私で…」と、ジュンが少し恥ずかしそうに言うと、翔次郎は首をかしげた。
「愛の結晶?それ、何だ?」
「子供よ、子供。デリカシーがないんだから!」ジュンが笑いを交えながら言うと、翔次郎は照れ笑いを浮かべた。
「子供?もう二人もいるんじゃないか。」
「二人?養子でも?」とジュンは驚き、目を丸くする。
「違うって、息子が一人、娘が一人だ。息子が私で、娘がジュンなんだ。」翔次郎は真顔で言い放った。
「翔次郎が息子で、私が娘?」ジュンは驚きながらも思わず笑顔になった。「その通りだ。二人で四人の家族だ。」
「じゃあ、記念すべき今日だから外食に連れて行って。」ジュンが期待を込めて提案する。
「そうだな、そうしよう。でも、大丈夫なの?とっても高いところだと、お金もいっぱい使うわけど。」彼女の心配を受け止めつつ、翔次郎は微笑んだ。
「心配するな、なんといっても私は経営者だ。お金なんて気にするな。」その言葉には、自信が満ちていた。
「わかった。じゃあ遠慮なんかしないからね。」ジュンは嬉しそうに目を輝かせた。
そう言っていたのに、ジュンが選んだのは回転寿司屋だった。
「なんだ、回転寿司屋か。」翔次郎は驚きつつも、彼女の選択に心が和んだ。
「そうよ、これほど美味しくて豪勢な場所はないわ。」ジュンの言葉には、彼女らしい真剣さが感じられた。
結婚記念日の豪勢な外食は、飲んで食べて、二人合わせて二千九百八十円の会計だった。しかし、その会計には二人の笑い声や思い出が詰まっていて、まるで宝物のように輝いていました。